8-13. 受験モード
六月になった。
あれからミステリー研究部に再び呼ばれることは無かった。私としては春の巫女である東護院さんともう少し親交を深めたいところではあったが、冴佳としてはこれ以上の深入りは止めておけと言うことなのだろう。だから、私の方からミステリー研究部に押し掛けるようなことは控えていた。そして、そうこうしているうちに三年生の部活引退のシーズンとなる。冴佳も、つい先日、部活の引退宣言をしてきたと言っていた。
ただ、それで東護院さんとの縁が切れてしまったわけでもない。時たま、東護院さんと廊下ですれ違うこともあり、そういう時に「やあ」と手を振ると「どうも」と言う感じで軽くお辞儀をしてくれる。東護院さんが私のことをきちんと認識してくれている。そう思うと、心の中がほっこりする。
梅雨入りし、雨の降った日の放課後。私はカメラワークの本を借りに図書室に向かった。紅トモカの動画を始めた頃にも借りた本で、勉強の息抜きに改めて読み返したいと思ったのだ。天乃イノリのアルバイトを始めて以降、紅トモカの動画の投稿ペースは落ちたが、今もまだ続けている。
学校の図書室の利用者は少ない。勉強する人は、別に用意されている自習室を使っているので、図書室に来るのは、そこに置いてある本を読みたい人だけだ。授業の宿題で調べ物があるときには混雑する日もあるが、大抵は空いている。その日の図書室も閑散としていた。でも、文芸の棚のところに人が居る。見覚えのあるハーフアップの髪型に、一年生の上履き。あ、東護院さんだ。
図書室では私語が禁止されているが、小声で静かに話す程度は容認されていた。折角のチャンスだし、声を掛けてみることにする。
「あのう、東護院さん」
彼女は一所懸命に棚に並んでいる本を眺めていたので、私が近くにいったことに気付いていないようだった。だから、驚かせない様にゆっくり名前を呼んでみた。
振り向いた東護院さんの視線が私を捉える。
「あ、向陽、先輩」
私の名前を覚えていてくれたようだ。
「別に先輩呼びじゃなくても良いけど」
「いえ、探偵社の向陽さんとどちらを呼んでいるのか分からなくなってしまいますので」
なるほど、それはそうか。だったら灯里って名前で呼んで、と図々しく攻めることも検討したが、冴佳の顔がちらついたので、止めておいた。
「そう。それで、東護院さんは小説を探しているの?」
「ええ、ミステリー研究部ですし、ミステリー小説でも読もうかと思いまして」
「そうか、東護院さん、ミステリー研究部だもんね。私はてっきり運動部に入るのかと思っていたんだけど」
私は軽く話したつもりだったが、東護院さんの顔が少し曇る。
「私達巫女は、運動部に入っても大会に出られませんから。それに私、ミステリー研究部が好きです」
返事をすると同時に、笑顔になった。そんな東護院さんの立ち振る舞いに、私の方が申し訳なくなってしまった。
「ゴメン、余計なこと聞いちゃって」
「いえ、大丈夫です。向陽先輩はどうして図書室に?」
おっと、確かにそういう質問になるよね。
「え、ああ、前に借りたビデオ撮影の本をまた読みたいなと思って借りに来たんだ」
「ビデオ撮影ですか?」
「趣味で少しね。内緒なんだけど、動画投稿もしているんだ」
より一層の小声で秘密を伝える。秘密を共有すれば親しくなれるかもと言う下心が芽生えたからだ。きっと、巫女なら秘密を守るのは当然のことの筈。
「ほら、このサイト。気が向いたら見てみて。だけど他の人には私がやっていることは秘密にしてね」
「良いんですか?私に教えてしまっても。向陽さん、あ、先輩のお父様はご存じなんですか?」
「うん、お父さんは知っているから話しても大丈夫。あと、冴佳もね」
「分かりました。秘密は守ります」
東護院さんは微笑み、私も釣られて微笑んだ。これで少しは親しくなれるかな。
私は東護院さんと別れた後、目的の本を借りて意気揚々と教室に戻った。
しかし、目下、それより重要な問題が。そう、大学受験のことだ。
進路希望調査もあり、どこの大学に行こうか調べながら考えた。その中で、一番気になったのは、西早大の地球物理学科。取り敢えず、そこを第一希望にしているが、自分の学力だと少し頑張らないとキツイのだ。冴佳や由縁も学科は違えど同じ西早大を目指しているとのことで、出来れば一緒の大学に行って、共にキャンパスライフを楽しみたい。
学業に専念するとなると、問題になるのはアルバイト。一人で悩んでいても埒が明かないので、社長の土屋さんに相談した。
「それで、志望校を目指すために出来るだけ勉強に集中したいので、アルバイトを減らしたいのですが」
私は目指している大学のことなど、洗いざらい話をした。土屋さんは、腕を組んで私の話を聞いていた。
「うーん、そうだよね。学業優先との約束だったし、最悪、配信停止も考えないでもないけど、ファンが離れてしまいそうだしなぁ」
土屋さんの悩みは私にも理解できた。私もできるだけファンは減らしたくなかった。
「最低限だとどれくらいまで減らせますか?」
「そうだなぁ、分からないけど、週一かなぁ。撮り貯めするとして、月に一度、土曜日の午後半日とかどう?」
撮影も、ただスタジオに来てシナリオを読み上げれば良いと言うものでもない。事前にシナリオを確認して、お題によっては話すことを自分で考えないといけないこともある。そうしたこと含めて4回分をまとめて撮影となると、土曜日は夜まで掛かると言うことだ。とは言え、それが一番効率が良さそうではある。
「分かりました。月に一度、まとめ撮りしましょう」
それから土屋さんと詳細を詰めた。最初の取り貯めの日は、一学期の期末試験の試験休みの日。その後は、大学の入試日程との兼ね合いから、月の下旬に設定することにした。それから、本当に受験で切羽詰まったら、一月下旬の撮影は免除して貰えることになった。
勿論、生配信もコラボも無し。コラボは結局、6月にやったロゼマリとのコラボが受験前最後のコラボとなった。あの時は、撮影後に姫愛さん、陽夏さんにイタリアンの店に連れて行かれ、二人に食事を奢って貰ったのだった。今度二人に会う時は、大学への合格を決めて、晴れ晴れとした顔を見せたいものだ。
そして、夏休み以降、本格的に受験モードに突入した。夏期講習に入試模試、参考書も色々試して、自分に合うものを探した。冴佳や由縁と勉強会もやった。
そんな風に、基本的に勉強尽くしだったが、流石にそれだけだと息が詰まるので、紅トモカの動画は偶に投稿していた。こちらは、天乃イノリとは違い受験生であることを隠す必要は無いとは言え、受験勉強の鬱憤晴らしのような動画は視聴者から引かれてしまうと思ったので、受験の話題は差し控えた。その代わりに、昔、同じ学校に居た変な奴の話とか、うちわ受けでも笑えるネタにして、笑いで発散することにしてみた。それが功を奏したのか、紅トモカも投稿頻度が下がったものの、再生数は維持できていた。
ただ、年が明けると流石に切羽詰まり、紅トモカの動画投稿どころではなくなった。年末に帰って来た模試の結果から、何とかなりそうな手応えは感じたものの、精神的に追い詰められつつあった。
そして迎えた一月中旬の共通試験。二日間に渡り五教科七科目。初日は朝から雪で、交通機関が乱れるのではと心配になり早めに家を出たが、そこまでの大雪にはならずに済み、無事に試験を受けることができた。受験会場は由縁と同じだったので、二日目の帰りに二人で喫茶店に入った。
「由縁、どうだった?」
注文を終えたところで、早速尋ねてみた。
「多分、出来たと思うのだけど。灯里はどうだったの?」
「私も何とかかな」
明日、答え合わせしてみたいことには分からないが、大丈夫なレベルの筈。
「由縁は、西早大の前にどこか受けるの?」
「ええ、滑り止めも兼ねて二つ受けるわ。灯里もでしょう?」
「うん、そんな感じ」
私も西早大の前に二つ予定していた。いきなり西早大では心臓に悪い。
「まあ、お互いに頑張りましょうか」
「そうだね」
由縁と一緒に合格できると良いねと互いに微笑み合った。
今日は由縁とお喋りで息抜きして、明日からまた勉強を頑張ろう。そう思えた。
さて、二月に入り、私立大学の入試が始まる。
計画通りに試験日程をこなし、西早大の合格発表の日を迎えた。
冴佳と由縁と私と、三人は別々の学科を受けたが、合格発表の日は同じだった。それぞれが自分の結果を確認して、グループチャットにメッセージを入れる。
「合格したわ」
「私も受かった」
「やった、私も。三人一緒だね」
勉強を頑張って、本当に良かったと思えた瞬間だった。
家族にも直ぐに連絡したし、皆喜んでくれた。担任の先生にも伝えると共に、土屋さんにも報告して、お礼を言った。姫愛さんや陽夏さんとも話がしたくて、ロゼマリとのコラボをやりたいとお願いしたら、三月の終わりに設定してくれた。
そのコラボ当日。
私は大学合格を知らせようと意気込んでスタジオに入り、控室に向かう。
「おはようございます」
扉を開けて挨拶し、中に入る。そして、話しをしようとしたのだが、私が口を開く前に姫愛さんが私に飛びついて来て、私の両肩に手を置いた。
「ねえねえ、灯里ちゃん、聞いて。私、巫女様を見たの。その人、凄かったんだよ。魔獣を一撃で斃して、そのままジャンプして去っていったの。目の前で見たんだよ」
姫愛さんの勢いに圧倒された私は、姫愛さんの話をただ黙って聞くことしかできなかった。




