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黎明殿の巫女 ~Archemistic Maiden (創られし巫女)編~  作者: 蔵河 志樹
第8章 繋がりを求めて (灯里視点)
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8-10. 天乃イノリ

翌週の平日午後、父と私は渋谷にいた。渋谷のビルの一角にある、蒔瀬バーチャル企画のオフィスに向かっているところだった。社長の土屋さんは、新宿の喫茶店などで話をするでも構わないと言ってくれたが、折角なので会社見学もしたいと伝えたら、オフィスでの打合せにしてくれた。

私が平日に出掛けられたのは、丁度学年末試験が終わった後の試験休み期間だから。父は私に予定を合わせてくれた。とは言え休暇を取ったのではなく、仕事の一環らしい。だから父とは渋谷で落ち合ったし、この後も父は職場に戻って別の仕事をするらしい。

私達は教えて貰った通りにオフィスのエントランスから入り、エレベーターに乗った。指定の階でエレベーターを降りて横を向くと、通路の奥に「蒔瀬バーチャル企画」と書かれた受付カウンターが見えた。

ただ、その受付カウンターには人はおらず、内線電話機が置いてあるだけだった。電話機には、連絡先一覧が書いてあったので、受話器を取り、社長室の番号を押してみる。すると、電話が繋がって「どちら様ですか?」と女性の声が聞こえたので、「紅トモカですが」と名乗ったところ、女性が受付まで迎えに来てくれた。

私達が女性に導かれて応接室に入った後、その女性と入れ替わりに一人の男性が入ってきたので、父と私は立ち上がり男性の方を向く。その男性は、父を見てギョッとした顔になった。

「え?向陽さん?どうしてここに?」

「久し振りだな、土屋。面談には保護者同伴でと言うことになっていただろう?俺は娘の保護者だから付いて来たんだ」

土屋さんは、父と私の顔を代わる代わる見ていた。父は、そんな彼の反応を見て楽しんでいる。

暫くの後、土屋さんは観念したかのように肩を落とした。

「まったくもう、向陽さんも人が悪いなぁ。まあ、ともかくお座りください。お話をしましょう」

土屋さんに促されるまま、応接室のソファに私達が座ると、土屋さんも向かい側のソファに腰を下ろした。

土屋さんは、手に持っていたA4判の封筒を私の前に置いた後、名刺入れから名刺を二枚取り出し、父と私の前に一枚ずつ置いた。

「既にご存知とは思いますが、私はここ蒔瀬バーチャル企画の社長をやらせて貰っています」

そうした挨拶の後、私の前に置かれた封筒に入っていた書類についての説明が始まった。

一つ目は、会社紹介のパンフレット。会社の設立理念やビジョンに事業紹介、それから会社情報など、外向けに会社のことを説明するためのものだったが、「向陽さん相手に今更ですよね」とのことで、詳細説明は割愛された。

次が、私の参画が期待されているバーチャルアイドルプロジェクトの企画書。コンセプトや設定、予定している動画コンテンツの内容など。既にキャラクターのモデリング案も出来ていて、とても可愛い。私の好みに応じて調整しても良いと言われたけど、今の案で十分そうに感じた。

それから、契約書の素案。私が未成年であることは伝えてあったので、保護者もサインするようになっている。書いてあることについては、大雑把には説明して貰ったが、理解し切れなかったので、家で両親と良く確認することにした。父に言われていた学業優先や、夜10時までに家に帰れるようにすること、それから今までやっていた紅トモカなどの動画を続けられるようにすることは条件に入れて欲しいと交渉して、土屋さんの了解が得られたので後で更新版をメールで送って貰うことになった。なお、どこかの事務所を通して貰っても良いとは言われたものの、特に所属事務所の当てもないので、直接契約でとお願いした。

他にも、履歴書や、バイト料の受け取り用の銀行口座の開設願いなど、アルバイトを始めるにあたって必要な提出書類の説明を受けたりした。

一通りの説明を受けて、質問はと問われたが、私には何が分かっていないかも分からず質問できる状態ではなかった。でも、父は違ったらしい。

「それじゃあ、土屋、一番気になっていることを尋ねたいんだが。この話、危険なことは無いんだよな?」

父の眼がギラりと光ったような気がした。土屋さんは父の眼光に恐れをなしたか、低姿勢になる。

「嫌だなぁ、向陽さん。ここでやるのは単なるバーチャルアイドルのパイロットプロジェクトなんですから、危険なことなんて何も無いですよ。万が一にも、奥さんを怒らせるようなことにはならないですって。と言うか、そんなリスクがあるのなら、怖くてお子さんを預かれないですよ」

ん?土屋さんが怖れているのは、目の前の父じゃなくて母?

気になって隣に座っていた父に目を向けると、父の顔も心なしか青くなっている。

「そうか、お前も知っていたんだったな。まあ、危険が無いなら、それで良いんだ。俺も、あの人の本気は二度と見たいとは思わない」

どうやら土屋さんと父の心が一つになっているようだが、あの温和な母が一体どういう怒り方をしたのだろうか。興味を惹かれたものの、とても聞ける雰囲気ではなかった。

「そうそう、向陽さんに灯里ちゃん。会社見学をされたかったのですよね?これからご覧になりますか?」

「そうだな、是非。見せて貰えるか?」

あからさまな土屋さんの話題転換に、父はあっさりと乗った。私も見学したかったから、異論は無い。

私達は応接室から出てオフィスに入る。そこで土屋さんは何人かに声を掛けに行っていた。オフィスの一角に、ぶ厚い防音扉で仕切られた部屋があり、そこがスタジオだった。

「ここがスタジオになります。広くはありませんが、大体のことは出来るようになっていますので、灯里ちゃんには基本的にここに来て貰うことになります」

扉を入った直ぐの部屋は、スタッフが待機するコントロールルームで、オーディオの機材やパソコンなどが設置されている。そのコントロールルームの奥には、ガラス越しに別の部屋が見えている。ガラスの仕切りの横にある、二つ目の防音扉からその部屋に入ってみた。そこには殆ど物がなく、演者が演技をするためのスペースでブースと呼ぶそうだ。

「ここのブースの広さでは演者が一人、動きが少なければ二人までと考えています。それ以上になるときは、外のスタジオを借りて撮影します」

土屋さんの説明を聞いている間に、コントロールルームに幾人か入って来た。私達がコントロールルームに戻ったところで、その人達に引き合わせて貰った。バーチャルアイドルの撮影技術スタッフさん達だそうだ。

「では、ここでデモをやって貰いますので、向陽さん達は見ていてください。四辻(よつじ)さん、キャラクターの演者やって貰える?」

「分かりました」

四辻さんと呼ばれた女性がブースに入った。そこで、手や足や体に何かを巻いている。

「あれは、演者の動きをシステムが読み取るためのセンサを取り付けているんです」

土屋さんが解説してくれた。

「準備オッケーです」

四辻さんの声がコントロールルーム内に響いた。四辻さんが付けている小型マイクで拾った音が、コントロールルーム内のスピーカーから聞こえている。

コントロールルーム内にはモニターもあって、そこには3Dのキャラクターが表示されている。そのキャラクターは、四辻さんの体の動きに合わせて動いている。

「ここで表示されている3Dのキャラクター、私達は3Dアバターと呼んでいますが、演者から読み取った動きに合わせて動くようにプログラムされています」

私達に説明すると、土屋さんは四辻さんを見ながら、コントロールルーム内にあるマイクに向かって声を出した。

「それじゃ何か音楽流して貰うから、適当に踊って貰える?」

「やってみます」

気合の入った四辻さんの返事が聞こえた。

それからコントロールルーム内にダンスミュージックが流れ始める。同じ音が四辻さんにも聞こえているようで四辻さんも踊る。それに合わせて、モニター内の3Dアバターも踊っている。

「背景を変えて貰える?」

土屋さんがパソコンの前にいる男性に声を掛けた。男性がパソコンを操作すると、モニター内の3Dアバターの背景が、街角の風景に変わった。そうすると、本当にアバターが街角で踊っているように見える。おおっ、凄い。

私が感動してモニターを見ていると、土屋さんが私に向けておいでおいでと手招きしてきた。手招きに誘われて土屋さんの傍に行くと、土屋さんはパソコンのキーボードの横にあったトラックボールを指差した。

「これでカメラの視点が動かせるから、試してみて」

言われた通りに動かしてみる。トラックボールを右に回転させれば、視点はどんどん右に回り込んでいく。左に回せば左に回り込み、上でも下でも。視点を変えれば、キャラクターの向きだけでなく、背景も合わせて変わっていく。流石は3Dだ。

「これを使えば素敵な動画が出来ますね」

私の正直な感想だ。

「それはそうだけど、準備はそれなりに大変なんだよ」

確かに、土屋さんの言う通りかも知れない。アバターもだが、これだけの背景の作り込みも手間が掛かっているのだろう。

「でも、何で私なんですか?四辻さんでも良さそうですけど」

私の問いに対して、土屋さんにはまったく動じなかった。

「彼女だって悪くは無いけど、口下手なんだよ。やっぱり動画はお喋りとかそう言うところが重要だからさ。それで動画を投稿している中で有望そうな子を探して、見付けたのが灯里ちゃんだったんだけど」

けど?

「あの人のお子さんだったとはなぁ」

土屋さんはそこで言葉を切って、父を見ていた。その眼差しには見覚えがあった。そう、先程父と会話していたときと同じ眼差し。土屋さんは父を見ているが、怖れているのは父ではなく、きっと母だ。

「あのう、土屋さん」

「何?」

「自分のせいで私が採用されなかったと知ったら、母はどう思うでしょうか?」

私が問うと、土屋さんの顔が青くなった。

「そ、そうだね。君は独立した一個人であって、君の仕事にお母さんのことが関係するはずもないよね」

土屋さんの声が少し上擦っている。私は悪いことをしたかなと思いつつも、仕事を得るためなんだからと自分に言い訳する。

そうして、無事、私のアルバイト先が決まった。

帰り道、父とは新宿まで一緒だった。そこがチャンスとばかり、電車の中で父に尋ねてみる。

「お母さんって、怒ったときにどうしたの?」

しばしの沈黙の後、父は私の両肩に手を置きながら、口を開いた。

「なあ、灯里。お母さんは灯里には絶対に手を挙げない。だから良いか、お母さんの顔から表情が消えて無言になったら、何が何でもお母さんを止めろ。そして機嫌を取れ。どんな手を使ってもだ。後生だから」

「わ、分かった」

父の必死な形相に、私は頷くしかなかった。本当に何をやったの?お母さん。


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