8-7. 母との買い物
夏休みも終りに近付いた土曜日、私は母と買い物に出た。目的地は、服の量販店。どうして服を買うのか。それは、いざ動画向けの撮影をしようとしたら、手持ちの服だと不味いと思ったからだ。私は自分の好みに合うお店の服を買うことが多い。勿論、服から私が特定されることはないが、お店が特定されるのも困る。そこまで心配する必要はないかも知れないが、私はできるだけ安心できるようにしたかった。量販店の服なら、ブランドは分かってもお店は沢山あるから特定のしようがないだろうと考えた。
服に掛かるお金も量販店なら抑えることができるものの、まさか一張羅という訳にもいかず、何着も買うことを考えるとどうしても懐が痛む。なので、母の脛を齧ることにした。我が家は共働きで、家や光熱費は父が、私や弟の教育費や小遣いは母が負担することになっていると聞いていた。それでも母には余裕があるようで、おねだりすれば小遣いとは別に買って貰えることもある。母の基準は良く分からず、駄目なものは小遣いを貯めて買うようにと言われてしまう。でも、これまで服は買って貰えないことがなかったので、心配はしていなかった。ただし、母に買って貰うには、母と一緒に買いに行くことが条件だ。
今回向かった場所は新宿、家の最寄り駅である笹塚からは電車で一本で行ける。母は午前中は洗濯や掃除などの家事に精を出していたので、お昼ご飯を食べた後に出掛けた。
「トモちゃん、今日は何処のお店に行くの?」
電車の中で母が尋ねて来た。
「服の量販店」
「え?トモちゃん、いつもはお気に入りのお店で買ってなかったっけ?」
「うん、まあ、そうなんだけど、今回は事情があって」
「えー、どんな事情なの?」
母の目が輝いている。こういう目をされてしまうとなぁ。
「ちょっとここでは言い難いから、後で説明するってことで良いかな?」
話をするなら落ち着いたところでしたいと思った。その気持ちが伝わったのか、母は首を縦に振って同意を示してくれた。
私達は新宿に着くと、早速狙いを付けていたお店に入った。
着回しのことも考えながら、トップやボトム、それに羽織りものを選んだら、あっという間に10点近くなってしまった。恐る恐る母にお伺いしたところ、「仕方がないわね」の一言で済んだ。ああ、ありがとう、お母さん。
ここでは私だけでなく、母も折角だからと何点か買っていた。私のお気に入りのお店は、母の趣味に合わないのか、服を買ったのを見たことが無いが、ここの服は良いらしい。そして更に、母が揃いのシャツに着替えようと言い出した。服を買って貰っている立場上、同意するしか道は無い。会計が終わってから、お店の人にお願いして試着室で着替えさせて貰う。
そして、二人並んで店内の鏡の前に立って見る。
「母娘でお揃いって言うのも良いわね」
母はニコニコ顔だ。
「そうだね。だけど――」
「だけど?」
私の反応に、母の表情が少し曇る。
「こうして鏡を見ると、母娘と言うより姉妹だよね」
母のことは日頃から見慣れているので、そうなるだろうことは想像が付いていたが、鏡の向こう側に見える二人はまったくの姉妹だ。年相応の私と、二十代前半にしか見えない母。背格好もほぼ同じで、揃いの服を着ると、より年が近く見える気がする。
母は童顔と言うのではなく、単に若い。あと何年かで40歳になろうと言うのに、肌の衰えも見えない。そんな母の肌の性質が遺伝してくれるものなら喜ばしい限りだが、血の繋がりがあるかも分からない現状、期待しないようにしている。
「そうねぇ。トモちゃん、姉妹に見えるような母親は嫌かしら?」
母が淋しそうな表情になる。
「ゴメン、お母さん、嫌とかそういう話をしているんじゃないから。いつまでも若くて良いなぁって思ってるよ」
一所懸命にフォローすると、母の気も休まったようで、笑顔が戻って来た。
「そう?なら、良かった。それじゃあ、次のお店に行きましょうか」
元気を取り戻した母は、私を引っ張って意気揚々と店から出た。でも、次の店の当てがあったわけではないらしく、店を出たところで立ち止まり、私の方に振り返って「次、何処に行こうか?」と尋ねて来た。
私としても、買い物に来た当初の目的は既に果たしていたので母に問われて悩んだが、まだ甘えられそうな様子から、普段着でも買おうかと私の行きつけのお店に向かうことを提案してみた。
途中、目に付いた幾つかのお店を冷やかしながら、そのお店に到着。顔馴染みの女性の店員さんが出て来たので挨拶すると、新着の入荷があったと教えてくれた。私は早速そちらの陳列棚へ。
母は私に付いてくることなく、別のところで商品を眺めていた。相談すれば意見をくれるが、母は基本的に自分のものは自分で選ぶのが良いと思っているみたいで、あれにしたらこれにしたらと口出しをしてくることはない。だから、私は服選びに集中できていたが、母と一緒に来ているのに味気ないとも感じていた。実のところ、私自身は友達とお喋りしながら服選びをするのも嫌いではない。
なので、私は何着か候補を選ぶと、母に声を掛けて試着室に入った。一つ一つ着替えては母に感想を聞かせて貰い、その意見も参考にしながら一着に絞り込んでいく。
「これにするよ」
最終的に選んだ一着を示すと、母が頷く。
「レジに行きましょう」
母はそのままスタスタとレジに向かってしまったので、私は試着した服を掴んで急いで追いかける。レジカウンターに着くと、母に促され、店員にすべての服を渡しながら、その中で買うものを示す。
店員はレジを打ち、服を畳みながら私に話し掛けてきた。
「今日は、お姉さんとご一緒なんですね?」
その目線がチラリと母の方に向かう。
ここで、店員の誤りを正してその反応を楽しむこともできたが、尋ねてみたいことがあったので、わざわざ母ですと訂正するのは止めておくことにした。
「ええ、まあ。私達、似てますか?」
「そうですね、何と言うか、雰囲気が同じ感じですよね」
この感想は、どう解釈したものか。でも、パット見で姉だと判断したのだから、やはりそれなりに似ていると思われたのだろうな。
そんな私達の会話を横で黙って聞きいていた母は、終始笑顔だった。
そうして、行き付けの店での買い物も終えて外に出た私達は、そろそろ一休みしようかと喫茶店に入ることにした。
新宿なので店は沢山ある。母にも私にも特に拘りはなかったので、目に付いた雰囲気が良さそうな喫茶店の扉を開け、中に入る。
出迎えの挨拶と共に席に案内され、グラスとおしぼりが私達の前に置かれた。テーブルに備え付けのメニューを開くと、各種ケーキが写真付きで紹介されているので、食欲がそそられる。結局、母も私もケーキセットを頼んだ。母はレアチーズケーキと紅茶、私はミルフィーユとブレンドコーヒー。注文を済ませた後、乾いた喉をグラスの水で潤し、一息ついたところで母が会話の口火を切った。
「それで、どうして服を買うのか教えてくれるのよね?」
「うん」
それから、私は動画配信を始めるつもりであること、安全のために仮面を着け、何処ででも買える量販店の服を着ることを考えたと説明した。
母は私の話を黙って最後まで聞いてから、口を開いた。
「トモちゃんの考えは判ったわ。トモちゃんの好きにやれば良いと思うけど、トラブルが心配ね。何か困ったことが起きたら、遠慮しないで、早く相談しなさいな」
「分かった。お母さん、ありがとう」
母の了解も得られたし、これで心置きなく動画を投稿できる。我が家は基本的に放任主義だが、駄目なことは駄目と言われ、これまでそれに逆らったことがなかったので、少し緊張していた。でも、もう大丈夫だ。
安心してリラックスしたところで、ケーキセットが出て来た。フォークを手に持ち、ミルフィーユをフォークで切り分けて一口食べる。うん、美味しい。母も美味しいねと言って来たので、うんうんと頷く。
口の中が空になったので更にもう一口、とフォークをミルフィーユに横向きに突き刺した時、突然頭の中でアラームが鳴ると共に見覚えのあるイメージが浮かんできた。
これは、例の奴だ。
「トモちゃん、どうかした?」
私がケーキを食べる手を止めたので、不審に思った母が声を掛けてきた。
「お母さん、一週間前の警告が来たよ」
はぐれ魔獣が一週間後に現れるらしい。




