8-4. 計画の実行
旅行から帰って何日かが過ぎた晴れた日、私は見知らぬ土地に来ていた。
降り立ったのは小野の駅。朝、新宿から列車に乗って塩尻まで行き、そこで乗り換えて一駅。駅舎もあるが、一日に停まる列車は上り下り合わせても二十数本。とても少ない。
私は改札を抜け、駅前に出る。そこは、広々としていて、何も無い。列車の本数を考えれば納得だ。その先にある道路の向こう側に食堂が見えたので、そこでお昼を食べることにする。
「いらっしゃい。お席はご自由にどうぞ」
食堂に入ると、小母さんが出てきた。手近な席に座ると、目の前に水とおしぼりとメニューを置いてくれた。
「かつ丼ください」
メニューから、何となく食べたいかなと思うものを選んで注文する。それから暫くして、香の物や味噌汁と一緒にかつ丼が出て来た。食べてみると、美味しい。
食後に出してくれたお茶を飲み、一息入れてから席を立つ。
会計を終えたところで、家で印刷してきた地図を取り出して、店員に尋ねてみる。
「すみません、篠郷の役場に行きたいんですが、何処にあるか分かりますか?」
上伊那郡篠郷、それが私が養子になる前の本籍地だった。それは中三の時から分かっていたことだったが、流石に中学生一人で行くのは憚られたので、高一の夏休みまで我慢していたのだ。そして、夏休みに入って直ぐは北海道旅行があったので、そこから帰って少し体を休めたところで、計画を実行に移した。
ただ、篠郷の情報は少なかった。ネットで調べても、役場の場所は分からなかった。地域としては、大体この辺りということは分かったので、後は現地で聞き込む覚悟でやってきた。
「えーと、役場はね、ここら辺。ここから道沿いに南に行って、橋があったらその手前を左に曲がって、後は道なりに真っ直ぐ1キロ半くらい行けば、道沿いに見えてくるよ」
割りとあっさり場所が判明した。流石は地元。
「ありがとうございます」
私は食堂の小母さんに礼を言うと、外に出る。太陽が燦燦と輝いていて暑いが、30分くらいなら問題ない。心の中で気合を入れてから、道路沿いを歩き始めた。
景色と地図とを照らし合わせながら、言われた通りに橋の手前で左に曲がり、それから道なりに進む。途中、左手に神社があって、道を間違えていないことが確認でき、ホッとしつつその先へと進んでいく。
そして、大体頃合いだと思った頃、目の前に幾つかの建物が見えて来た。一番手前の二階建ての建物の入口に看板があり、近付いて読むと「篠郷役場」とあったので、目的地に到着したのだと知れた。
役場の建物の透明なガラスの自動ドアを潜り中に入ると、そこは小さなエントランスホールになっていた。目の前には二階へ続く階段やトイレの入口が見え、横を向くと開いた扉の奥にカウンターがあったので、それが受付だろうと考えて、そちらに向かう。
「こんにちぃ、は?」
部屋の中に入ったところで声を掛けようとしたものの、意外な光景だったために、語尾がおかしなことになってしまった。
扉から入った直ぐ先には、確かにカウンターがあった。ただ、そのカウンターの向こう側には、事務用机が並んでいるのではなく、畳敷きの上に卓袱台が一つだけ置いてあり、それを挟むように二人の女性が座り、お茶を飲んでいたのだった。
「おう、ここに来客とは珍しいのう」
卓袱台の左側に座っていた小さい方の女性が、私を見詰めてきた。その女性はツインテールで、とても子供に見えてしまうのだが、ここに居る以上、童顔の大人なのだと自分に言い聞かせた。
「僕達に何か御用ですか?」
右側に座っていたミディアムヘアの大きい方の女性も、私に笑顔を向けた。
「ええと、ここ、篠郷の役場ですよね?」
そうだろうとは思ってはいたものの、あまりに場違い感があり、訊かずにはおれなかった。
「無論だ。ほれ、篠郷役場の職員証だ。とくと見るが良い」
ツインテールの女性が、自慢げに胸にぶら下げていた職員証を手に持って私の方に差し出した。そこには、女性の顔写真と共に、名前が大きく記してあった。
「蓮村結さん、ですか」
「如何にも。我は結だ。そして、こちらは詩」
結さんに指し示された詩さんも、職員証を私に見えるように持ってくれた。そこに書いてある名前は、「高野倉詩」と読める。
「それで、お前は何しに来たのだ?」
「戸籍を調べたいと思って来ました」
「そうか。まあ、立っているのも何だし、そこからこちらに上がって来ると良い」
結さんが手で指し示したのはカウンターの右手。カウンターは途切れており、その先で畳に上がれるようになっている。私がそこで靴を脱いで上がると、詩さんが座布団を出してくれたので、そこに座った。
「さて、誰の戸籍が知りたいのかい?」
詩さんは、お茶の湯呑を私の前に置きながら、質問を投げ掛けて来た。
「私のです」
私は鞄から自分の戸籍のコピーを取り出し、二人に見えるように卓袱台の上に置いた。
「ここなんですけど、二歳で篠郷の戸籍から向陽の家に養子に入ったことになっています。その元の戸籍を見たくて」
「ふむ、分かった。我が取って来てやろう。それほど時間は掛かるまい」
結さんが手をついて立ち上がろうとした。私はそんな結さんの気を引くように手を挙げて、声を掛ける。
「あの、すみません、後もう一つお願いしたいものがあって」
私がお願いを伝えると、結さんは黙って頷いて、上に資料室と書かれたプレートが貼ってある扉を開き、中に入っていった。
「君は、一人でここに来たのかい?」
結さんが資料室に入ると、詩さんが話し掛けてきた。
「はい、日帰りのつもりで、朝、家から来ました。
「ご両親には、ここに来ることを話したの?」
「いえ、それを話してしまうと、私が戸籍のことに気付いたことも知らせることになってしまうので」
それを聞いた詩さんは、困ったような顔になった。
「君の気持ちも分かるけどね。女の子が一人で遠出とか危ないから。せめて友達に行き先を教えておくとかしておいた方が良いよ」
「そうですね。次の時は考えます」
そんな話をしている間に、結さんが資料室の扉を開けて戻ってきた。詩さんが皆の湯呑を脇に寄せ、濡れたところを布巾で拭いた卓袱台の上に、結さんが探し出したものを置く。
「これがお前の元の戸籍の情報だ」
私は怖くなって一瞬見たくない気持ちになったが、気を取り直して、恐る恐る書いてあることを確認し始めた。
「え?嘘、どういうこと?」
その戸籍票には、私の名前しか記されていない。どこをどう見ても、他の名前が無い。両親とも不詳になっている。
「とても言い難いのだが、お前、訳アリだな」
「訳アリ」
私は、養子であったことを知った時と同じか、それ以上の衝撃を受けていた。まさか生みの親の情報が得られないとは。私は本当に何者なのか。
傍から見れば、顔面蒼白になっていたに違いない。詩さんが、心配そうな顔を私に向ける。
「君にはできるだけのことを教えてあげたいんだけど、その前に一つ質問させて貰えるかな?」
「何ですか?」
「君のご両親は、何らかの形で、黎明殿に関係していたりしないかい?」
「は?」
突然出て来た黎明殿という言葉に、私の思考が一時停止した。何故今ここで黎明殿なのか。でも、それに答えることで何か教えて貰えることがあるのなら、答えないという選択肢はない。
「私の父が、東護院の探偵社に勤めています」
「ああ、春の巫女の」
詩さんには、一瞬で通じた。黎明殿関係の事柄に詳しいのだろう。
「それなら、黎明殿についての情報が他言無用であることは知っているよね?」
「はい、両親から聞かされています」
「分かった。それじゃあ、これから話すことも秘密なんだけど」
詩さんの真面目な目が私に向けられる。私はゴクリと唾を飲み込むと、了解の意味で頭を縦に振る。
「ここでは両親不明の子供の戸籍が作れるんだけど、それができるのは、黎明殿関係者に限られるんだ。何故なら、ここ篠郷は、黎明殿の管理地だから」
「黎明殿の土地?ここは封印の地なんですか?」
詩さんは、首を横に振る。
「いや、ここは封印の地ではないよ。ここにある黎明殿関係の建物と言ったら、この役場と、隣のコンビニ兼宿舎の建物の二つだけ。後は関係者の民家などだね」
そして、詩さんの両目の瞳が再び私を捉える。
「そう言うことで、君は、何らかの理由で戸籍が無いのか明らかにできない黎明殿関係者の子供ってことになるんだ」
「そうなんですね。それで本当の両親のことを知ることはできるんですか?」
「残念だけど、この役場では無理だ。でも、多分、君の今のご両親が知っていると思うよ。僕の推測でしかないけれど、君の戸籍が作られたのも、ご両親が君を正式に引き取るためじゃないかな。そうでなければ、わざわざ戸籍を作る意味も無いからね」
それは詩さんの言う通りのような気がした。両親は私のことを想っていてくれている。そう考えれば、少しは気が休まる。
「分かりました。ありがとうございます。これからどうするかは、自分で考えます」
「うん、君は強いね。何かあったらここに来ると良い。話し相手にはなれるから」
詩さんの優しい言葉が嬉しかった。
「では、お前のことは、これで良いか?次に頼まれたものは、これだ」
そう言うと、結さんは私の戸籍票の上に別の戸籍票を乗せた。
「お前の母親も篠郷出身とはな」
その戸籍票は、母の結婚前の戸籍が記載されたものだった。




