8-1. 心の原風景
青い空が頭上に大きく広がっている。雲もチラホラ見えてはいるが、都会で見る雲とは違って、空中にぽっかりと浮かんでいるかのような光景。そして眼下には、色とりどりの花畑が広がっている。
私達は今、北海道は富良野の高台から、青空と花畑とを一望している。
「素敵な眺めねぇ」
私の右隣に立っている由縁が、感嘆の声を上げた。
「うーむ。北海道と言えば広大な自然が売りだろうに、どうして人の手が入った花畑を見て喜ばねばならないんだ?」
疑問を呈したのは、左隣にいた冴佳だった。
「あらヤダ、冴佳ったら。素直になりなさいな。この眺めを見て、綺麗だとは思わないの?」
「まあ、美しいとは思うんだが、人工的な美しさだろう?折角、大自然豊かな地に来たのだから、自然の美しさを愛でたいじゃないか」
「そんなの、これから沢山見られるんだから、今はこの景色を楽しみなさいな」
由縁の口調には、呆れたような声色が含まれていた。
傍から聞いていると、このまま口論になりそうな会話の流れだが、私は心配していない。由縁と冴佳は以前からずーっとそうなのだ。いや、正確にはそうだったと聞いていた。この二人は同じ国立の中学出身でお互いのことを良く理解している。今の会話の通り、二人の性格は随分と違っているのだが、根っこのところでは波長が合うらしく、一緒にいることが多い。高校になってから友達となった私が仲介せずとも、適当なところで折り合いをつけるだろう。
「私は私の好きにするさ」
冴佳は、由縁の言葉をあまり気にする風でもなく、言葉を返した。
「それで、トモはどうなんだ?北海道に来たかったんだろう?」
あ、冴佳が、私の方に話を振って来た。
「とても綺麗だなぁって、思う。ただ――」
私の言葉が尻すぼみになったので、冴佳が私の方を見て来た。
「何かが違う、のか?」
私の心の内を探るように、冴佳は言葉を繋げた。
「何となく、だけど、何処か違う気がするんだよ」
改めて眼前の広大な景色を眺めながら、正直に感想を伝える。
「ごめんね。私が北海道に行きたいって言い出して、二人に一緒に来て貰ったのに」
「何、謝っているのよ。私だってここに来たいって思ったのだから、灯里が気にすることじゃないわ」
「ああ、トモの提案はきっかけに過ぎないんだよ。それぞれ考えた上でここにいるのだから、それで良いじゃないか」
二人に慰められてしまった。
私は向陽灯里、東京にある私立督黎学園高校の一年生。夏休みに入って直ぐ、同じクラスの五条由縁、氷室冴佳の二人と共に、遥か北の大地にやって来た。
それと言うのも、私が探している景色があるかも知れないと思ったから。広大な草原地帯。なだらかに上下していて、高いところに立てば、遥か遠くまで見渡せる。その遠くにあるのは、森と海、そして港町。そんな光景が時折脳裏に浮かんで来る。いつの頃のことか分からない、いや、物心ついてからの記憶ではないので、それ以前に見たものなのか?
中学校の修学旅行でオーストラリアに行ったときに見た広大な眺めにも感動したが、何かが違うと思った。決定的に何かが欠けている、でもそれが何かは思い至れず、モヤモヤしていた。北海道に来れば或いは、との思いもあったが、この分だと駄目かもしれない。まあ、判断してしまうにはまだ早い、北海道には来たばかりなのだから。
私達は昨日、羽田を出発して飛行機でこの地にやってきた。札幌で一泊し、今日は朝からバスツアーで富良野地方を巡っているところだ。今はとあるお花畑に到着して、一時間の自由行動となっている。それで、早速見晴らしの良いところに登ってみた。
都会とは違う澄んだ空気。そよそよと吹く風が肌に気持ち良い。
「さて、眺めも堪能できたし、そろそろ歩きましょうか」
「ああ、そうだな」
由縁の誘いに、冴佳が乗る。私も異論がなかったので、歩き出した二人に付いていった。花畑から良い匂いがしている。
「んー、ラベンダーの良い香り。香水でも買っていこうかしら。アロマオイルも良いわね」
花の匂いが、由縁の購買意欲に火を付けたようだ。由縁は、学校では頭の後ろで三つ編みをしているのだが、今日はウェーブの掛かったセミロングの髪を下ろし、そのまま風になびかせている。薄手だが長袖のカットソーにキュロットスカート、頭には白のつば広の日除け帽子を乗せている。優雅と言うか、おっとりとしたような見た目だが、芯はしっかりとしているし、気が強いところもある資産家のお嬢様だ。
「ユカらしいと言えばらしいが、それ以上女を磨かなくても十分魅力的だと思うぞ。それより、ラベンダーアイスとか食べに行かないか?」
冴佳は、やはり食欲の方が勝つらしい。長めのおかっぱ頭に、細いフレームの眼鏡が良く似合う。今日は、半袖ポロシャツに、デニムのスカートを履いている。計算高く、論理的だが、それでいて結構人情が厚い。父親は、商社の役員だと聞いている。
「むう。二人とも買い物より前に、もう少し景色を見て回ろうよ」
「ええ、構わないわ」
「まだ時間は十分ある。それに、急ぐものでも無いしな」
景色を楽しむために、遠回りして売店の方に向かおうという私の提案は、二人にすんなりと受け入れて貰えた。彼女達と一緒だと、凄く心地良い。友達になれて本当に良かった。
私が二人と親しくなれたのは単純な話で、入学当初の教室の机の並びがアイウエオ順で、冴佳が私の後ろだったからだ。同じクラスの中に、「ひ」で始まる苗字の人が一緒になることも珍しかったので、興味を惹かれたと言うのもある。
勿論、そうしたことはきっかけに過ぎず、冴佳と一緒にいた由縁も含めて話をしたり、昼食を食べたりしていく中で、やっぱり馬が合うと思えたから親しくなったのだ。
「こちらの方は人が居ないわねぇ」
私達は、花畑の外れの方を歩いていた。由縁の指摘した通り、ここには私達以外の人が居ない。いや、畑から離れたところに女性が一人立っているのが見える。
「あの人、何処かで見たような」
しかし、思い出せない。その女性は長袖のワンピースに、ロングのストレートヘアだったが、腰に皮の帯剣ベルトを巻き、長剣を下げているのが印象的だった。花畑に背を向けて、別の方向を見ているので、こちらからは背中しか見えず、表情が分からない。顔が見えれば、誰か分かるかも知れないのだが。
「あちらの方角を見て、何をしているんだ?」
「さあ」
どうも雰囲気からして観光客では無さそうだ。観光でもなく、そこに佇んでいる理由なんて私達には分かる筈もない。
と、女性の向こう側に黒い物が現れた。
「あれは、何かしら?」
「多分だけど、魔獣だと思う」
「魔獣か。何故ここに?」
冴佳の言いたいことも分かる。北海道はダンジョンが無く、魔獣も滅多に現れないと言われているからだ。現れたのが魔獣なら、中型魔獣くらいだろうか。形はキツネに似ているが、黒くて禍々しい気配がする。
「逃げた方が良いかしら」
「下手に動くと、却って目立って追いかけられるかも知れないぞ」
「二人とも大丈夫だよ。あの人が何とかしてくれそうな気がする」
先程見かけた女性が魔獣の方に歩いていた。剣はまだ腰に下げたままだ。黒いキツネも女性に気が付いて、女性の動きを警戒するように見ていた。そんな黒キツネの様子を目にしている筈だが、女性はどんどん近付いていく。
あるところで黒キツネの間合いに入ったようで、黒キツネが女性に向かって動き出した。そして、黒キツネはジャンプして女性に飛び掛かろうとする。その黒キツネの爪を出した前足が女性に届くかと言うところで、女性が素早く動き、次の瞬間には黒キツネは地面の上にあおむけになり、喉元を剣に刺されて斃されていた。
「凄い」
思わず、感嘆の言葉が口を突いて出てしまった。それくらい、女性の動きは見事だった。私は無意識のうちに走り出し、女性の下へと向かった。
「あ、あのう」
私が女性の傍まで行って声を掛けると、女性は頭を回して私の顔を見た。黒キツネに対したときの動きから予測できていたが、女性の顔を見てそれが確信に変わる。
「黎明殿本部の巫女の御崎叶和さんですよね」
それが黎明殿の巫女との最初の出会いだった。
お待たせしました。第八章が始まります。
灯里の章です。気合入ります。
が、申し訳ございません。更新速度が、またまた落ちます。
執筆速度が上がらない...。
と言うことで、毎週火曜と金曜日の更新になります。




