7-35. ぶつかり合い
麻由が真弓。
そう言えば、さっきの話でも、私に刺激を与える役目の人が必要でした。それを麻由自身が真弓として実行していたということですか。
「そうか、私、ずっと麻由に迷惑を掛けていたんだね」
麻由は首を横に振りました。
「迷惑なんて掛けられていないから。だって、高校の時も、大学になってからも一緒に楽しめたじゃないか」
「でも、何か、麻由を私に付き合わせてしまったみたいで」
私が顔を俯き加減にしていると、麻由は私の両肩に手を置いて来ました。
「雪がボクのことを覚えていてくれなくたって、ここで最初に雪に出会った頃に戻ったようで楽しかったんだよ。それに、もうこうして昔の記憶も取り戻してくれたんだし、気にしないで欲しいんだけどなぁ」
麻由は、少し困ったような表情をしています。その表情を見て、私はこれまで麻由が言ってくれたことを素直に受け取ることにしました。
「分かったよ、麻由、ありがとう。気にしないことにする」
私の言葉で、麻由は明るい笑顔になります。
「それじゃ、改めてよろしく、雪。今日からここで二人で暮らしていこう」
「はぁ?」
どうしてそういう話になったのでしょうか?
「別に東京に戻る必要なんて無いだろう?あそこはキミの記憶を取り戻すための舞台でしかなかったのだから」
麻由にとってはそうかも知れません。でも、私にとっては。
私は首を横に振りました。
「麻由、ごめん。確かに私は預けられたのかも知れないけど、今はあそこが私の家だから」
「ボクがキミを返すとでも思っているの?キミは巫女の力が使えないんだから、ボクに敵う筈がないんだよ」
麻由の瞳の奥に妖しい気配が漂っています。私は後退り、麻由から離れようとしたところで、右側を麻由に掴まれました。私は他人より力があるつもりでしが、麻由に掴まれて腕はビクとも動かせません。
「だから無理だって。諦めなよ」
麻由の顔には力んだところが見られません。まだ全力ではないということでしょうか。そうなると、本当に麻由から逃げるのは難しそうです。
「あのう、お取込み中のところ申し訳ないんですけど」
私の後ろから声がしました。そうだ、珠恵ちゃんがいました。
「ああ、そう言えば、アナタがいたね、秋の巫女。でも、もう用は済んだから一人で帰ったら?」
「うーん、そう言われても、私は雪希ちゃんと帰りたいんだよね。真弓ちゃん、雪希ちゃんを離して貰えないかな?」
麻由のとげとげしい口調にまったく動じず、珠恵ちゃんは普段通りに振舞っています。そんな珠恵ちゃんの態度にイラついたのか、麻由の表情が険しくなります。
「アバター持ちではないキミがボクに勝てるとでも?」
「そうなの?それはやってみないと分からないんじゃないかなぁ」
振り返って見ると、珠恵ちゃんは不敵な笑みを浮かべていました。珠恵ちゃんには珠恵ちゃんなりの勝算があるようです。
「ふうん。だったら試してみようか」
麻由は私の腕を放すと、山小屋の中に入り、暫くして出て来た時には木刀二本を手にしていました。そして、そのうちの一本を珠恵ちゃんに投げ渡すと、露台の欄干に右手をついて、体ごと欄干を飛び越え、下の地面に降り立ちました。
そして、麻由から木刀を受け取った珠恵ちゃんも、フッと微笑むと欄干に左手をつき、同じように欄干を越えて、麻由の前に着地します。私は二人のようにはできなかったので、池の側の階段を使いました。
地上に降りたところで、どうしようか迷いました。家に帰ろうと思うなら、珠恵ちゃんの味方をすべきですが、私には武器がありません。
「雪希ちゃんは、そこで見ていてくれる?これは私が売られた喧嘩だから、手出しは無用だよ」
「うん」
私は素直に珠恵ちゃんの指示に従い、向かい合う麻由と珠恵ちゃんが見える位置に移動しました。
「さて、キミはいつまで、その余裕ぶった態度を維持できるのかな」
麻由は、眼鏡を外して懐に仕舞うと、髪を一旦解いて戦いの邪魔にならないよう頭の後ろで結い直します。髪の色は黒に戻り、ウェーブも取れて麻由のストレートの髪になっていました。
「どうぞ。好きなだけ試してくれて構わないから」
珠恵ちゃんは、左手を腰に当て、右手に持った木刀は下に向けたままです。どうも自分の側から攻撃するつもりはなさそうに見えます。
「それじゃ、遠慮なく」
どうやら麻由も私と同じように捉えたらしく、木刀を構えて珠恵ちゃんに攻撃を仕掛けました。右から左から、連続で珠恵ちゃんに打ち込みます。その打ち込みは速く、私の渾身の連撃と同じかそれよりも速いかも知れません。私は三連撃がやっとなのに、麻由はそれ以上の回数を繰り返し、珠恵ちゃんもそれを余裕で受けています。力が感じられない私には分かりませんが、珠恵ちゃんも何らかの身体強化を使っているのでしょう。
と、麻由の何回目かの打ち込みを、珠恵ちゃんが強く弾き返しました。一瞬、麻由の姿勢に隙が生じ、そこを狙って珠恵ちゃんの打ち込みが入り掛けますが、麻由は咄嗟に後ろに下がり、珠恵ちゃんの打ち込みを回避しました。
離れた二人は、互いに睨み合います。
「身体強化も使わずに、その速さと強さか。どうやらキミのことを侮っていたようだ」
「そりゃどうも」
え?身体強化を使っていない?でも、今の珠恵ちゃんは、私と打ち合いするときとは、まったく違います。何らか別の方法で身体能力を上げているのでしょうか。流石は巫女の力を持った人だと思いましたが、考えたら麻由も巫女の力を使っています。しかも、麻由の身体はアバターの身体。基礎的な身体能力から言えば麻由の方が上の筈です。
「さて、強いキミに敬意を表して、魔道具を使わせて貰うよ」
麻由は懐から、黒い珠を三つ取り出して見せました。
「そう、だったら外から見えないように結界を張りましょうか」
「え?」
珠恵ちゃんは即座に結界を張ったようで、空は明るいままですが、雲の形は分からなくなり、遠くの景色もぼやけて見えるようになりました。
「これで好きなだけ魔道具使えるから。技も使って良いですよ。私も使わせて貰うけど」
張られた結界は、かなり大きいもののように見えます。それを一瞬で張ってしまうなんて、珠恵ちゃんは凄いのではないかと思いますが、自分でやったことがないので、それがどれくらい大変なことなのか良く分かりません。でも、麻由が一瞬固まっていたので、麻由にはできないのかも知れません。
その固まっていた麻由は、我に返ると気を取り直して珠恵ちゃんを見詰めて微笑みます。
「わざわざ舞台を用意してくれるとは親切だね。でも、良いのかな?」
麻由が力を籠めたのでしょう、黒い珠が銀色の光に包まれます。そして、麻由がその珠を投げると、珠は膨らんで人の形を取っていきます。遂には、麻由の前に麻由とそっくりな人が三人立つ形になりました。
「ふーん、人形使いか。見事ではあるけど、私との相性が悪かったわね」
珠恵ちゃんは、感心しているのか、けなしているのか、どちらなのでしょう。
麻由と麻由の人形が、互いに位置を変えていきます。私にはもうどれが本物の麻由か分かりません。そして四人の麻由が同時に珠恵ちゃん目掛けて突進していきます。
でも、珠恵ちゃんは焦ったような表情を見せません。と言うか、微笑んでさえいます。珠恵ちゃんは、四人の麻由が自分の間合いに到達する直前に前へと動き出し、麻由達の攻撃を躱しながら、一発打ち込み、そのまま麻由達の後ろに抜けました。
四人の麻由は反転して、珠恵ちゃんの方を向きましたが、そのうちの一人が脇を抱え、片膝を地面に付けました。
「ねえキミ、どうしてボクが分かったんだ?」
どうやら、珠恵ちゃんは、正しく本物の麻由に攻撃を当てたようです。
「見た目も、巫女の力の放出具合も同じだし、普通なら見分けられないよね。だから凄いと思うんだけど、残念ながら、それだけだと私には区別できちゃうんだよ。人形には魂が無いから」
えーと、珠恵ちゃんは、何を言っているのでしょう。
「キミは魂が見えると言っているのか?そんなことができる巫女なんて聞いたことが無いよ。ねえ、それ、どういうことだい?キミは本当に黎明殿の巫女なのか?」
「嫌だなぁ、私は正真正銘の黎明殿の巫女だって。まあ、少し特殊なこともできるけどね。ともかく、私には人形を使った目くらましは通用しないから」
麻由を見詰めて佇む珠恵ちゃんの瞳が、幾分赤みがかっているようです。
「その瞳の色。まさか――」
「闇の加護の影響だよ。私、闇の加護の遣い手なんだ。だから、今日、こんな格好させられているし。この格好の時は、闇の加護の遣い手として無様な戦いはできないんだよね」
すると、麻由が笑い出しました。
「闇の加護?それ、闇じゃないだろう?」
「仕方が無いでしょう?ご当人が闇だって言い張るんだから」
珠恵ちゃんが少しむくれた顔で反論します。
「まあ、どちらでも良いけど。そうか、『真実の目』か。だったら人形が通じないのは当然のことだね」
麻由が右手を差し出すと、麻由の人形の姿が消えるとともに元の魔道具が現れ、その三つともが麻由の右手に集まりました。麻由は、それらを懐に仕舞うと、代わりに別の魔道具と思われる黒い立方体を三つ取り出しました。
「こっちは攻撃特化だから、強力だよ」
黒い立方体は銀色の光に包まれると、麻由の手を離れ、麻由の周りに展開します。そして、手裏剣のように立方体の四面から白銀の刃が生えると、刃の無い二面を軸にして回転を始めました。
「さて、どうする?闇の加護の遣い手さん」
麻由の表情が挑戦的な笑みに変わりました。対する珠恵ちゃんは、飄々とした感じのまま、木刀を肩に担ぐような姿勢でいます。
「そうだねぇ、このまま力押ししても良いんだけど、折角だから技を使おうかな」
珠恵ちゃんは、木刀を下に降ろすと、麻由の方に一歩進み出ました。
「真弓ちゃんには悪いんだけど、私聞いちゃったんだよね。真弓ちゃんがそうした魔道具を作ったのは、真弓ちゃんの長の技に対抗するためだって」
「そ、それを誰から聞いた」
麻由が少し動揺したような表情になっています。
「んー、まあ、教えても良いけど。勝負が決着してからね」
それは珠恵ちゃんの声でしたが、目の前に見えている珠恵ちゃんとは別の方角から聞こえてきました。見ると、麻由の後ろにも珠恵ちゃんがいます。
「それで、この技を教えて貰ったんだけど」
今度は、麻由の右手の側にも珠恵ちゃんが。
「上手く出来ているかな?」
麻由の左手の側に四人目の珠恵ちゃんが現れました。
「じゃあ行くから、真弓ちゃん受けてみてね」
麻由の前にいた珠恵ちゃんが言うと、四人の珠恵ちゃんが一斉に麻由に向けて攻撃を仕掛けます。
麻由は、周りに浮かべた魔道具を珠恵ちゃん達にぶつけて攻撃しようとしますが、まるで珠恵ちゃんの実体が存在しないかのように、珠恵ちゃんをすり抜けてしまいます。
なので、目に見えている珠恵ちゃん達は幻なのかと思ったのですが、その珠恵ちゃん達が木刀を麻由に叩き付けると、麻由は衝撃を受けて倒れ込みました。
「まだやる?」
地面に倒れた麻由の前に一人になって立っている珠恵ちゃんは、麻由の喉元に木刀を突き付けています。
「降参だよ、降参。ただでさえ勝てない長の技が使えて、尚且つ加護持ちとか、勝てる要素が何処にも無いじゃないか」
どうやら、勝負あったようです。




