7-32. 炎が呼び覚ますもの
動けない私の目の前で、真弓が閉じ込められていた小屋が盛んに燃え続けています。
元はと言えば、私があの男達に関わったから。そうしなければ良かったのも知れませんが、守琉のことを見捨てるなんてできません。悪いのは男達なのです。
しかし、そんなことを考えても詮無きこと。失われたものは後悔しても戻ってなど来ません。燃えた小屋は、脆くなって一部が崩れ落ちていきます。
ああ、私はまた火事で友人を失ってしまいました。
また?
そう、「また」。今の今まで忘れてしまっていましたが、これが初めてではなかったことを思い出しました。初めてのとき、あのときも理不尽でした。
* * *
その日、私は近くに住んでいる娘たちにせがまれて、山菜採りに西の森に行っていた。そして、期待通りの収穫が得られ、私は娘たちを引き連れ意気揚々と帰って来た。
「ただいま、霜馬」
「あ、お帰り。姉さんは、何とも無かったんだね」
弟が安堵の表情を見せた。
「え?私が何とも無かったって、何かあったの?」
「い、いや――」
弟の返事の歯切れが悪い。
言い渋ってないで言いなさいとばかりに、私は弟の顔をじっと見つめる。
やがて、弟は根負けして口を開いた。
「今日、お屋敷の人達が蘇り人の住処を調べに行ったって聞いたんだよ」
「何ですって?!」
聞き捨てならない話だった。
「何処に向かったか分かるの?」
「北東の森の奥じゃない?いつも姉さんの行ってたところ」
「え?」
それって、森の奥の山小屋のことにしか聞こえない。でも、何で弟がそれを知っているのだろう。私は彼女のところに行くと言ったことは一度もないのに。
私が愕然としていると、弟は呆れた風な表情になった。
「姉さん、気付いていなかったの?姉さんが頻繁に北東の森に行っているの、噂になっていたんだよ。何しに行っているんだろうって。一人じゃ捕まえられない獣肉を持って帰って来てたりしたし。親切な人に貰ったって言う話を聞いて森に行った人もいるけど、誰もその人を見つけられなくて、姉さんが怪しまれていたんだよ」
その話は初耳だった。私の知らないところで、そんなことになっていたとは。
「それで、私に掛けられていた疑いはどうなったの?」
「姉さんが出掛けている時に、僕が呼び出されたんだよ。それで姉さんは何もやましいことはやっていないし、行き先を知りたかったら犬でも使ったらどうですかって話したんだ。だから姉さんには悪かったけど、姉さんの手拭いを一本差し出さなくちゃならなかった」
「それは構わないけど」
手拭いなんて何本も持っていたし、正直、弟が持ち出した一本が減っていることにも気付いてなかった。
「それからのことは聞いていないんだ。だけど、今日、蘇り人らしきものが住んでいる山小屋を見付けたから調べに行くって話になったらしいってさっき聞いて。どうも、犬を連れていて見つけたんだけど、人だけだと近付けないから怪しいってことになったって聞いた。だから、もしかしたら、姉さんの方にも誰か行ったんじゃないかって思ったんだ」
確かに山小屋の周囲には動物がいた。だから、結界は動物には影響ないものだったのだと思う。
「それで、屋敷の人たちは、いつ出掛けたの?」
「姉さん達が山菜採りに出て暫く経ってからだよ」
だとすると、一時くらいは経ってしまっただろうか。大人数であそこに行くには時間が掛かるから、彼らが山小屋に着いてからなら半時も経過していないだろうか。
「私、行ってくる」
「姉さん、今から行っても間に合わないと思うけど。それより姉さんは逃げた方が良いんじゃない?ここじゃあ、蘇り人だけでなく、関わった人も粛清の対象だよ」
私は溜息をついた。
「ここで逃げられるわけないでしょう?逃げたりしたら、私が蘇り人だってことにされてしまう。そしたら、霜馬の命も無いわ。私はそんなことのために、ここに戻って来たのではないのよ」
そうだ。霜馬が病気で死なせないために帰って来たのだ。今回のことで霜馬を死なせてしまっては、何のために戻って来たのか分からない。
この先、私がどうなるかはある程度予想が付いていたが、覚悟を決めることにした。
「良い?霜馬、きちんと聞いてほしいんだけど」
弟の目が、私の目を真っ直ぐ見詰めてきた。
「私は蘇り人ではないし、霜馬は私が何をしていたか何も知らなかった。これから何があっても、それを絶対に曲げては駄目だからね」
「姉さん」
弟は、何かを言いたそうだったが、口にすることは無かった。私の決意を読み取ってくれたからだろうか。
「私の願いは霜馬が幸せに暮らすこと。私は死に損ない。あの日、私は殆ど死に掛かけたけど、辛うじて生き延びた。今はおまけの人生だって思っているから、私のことは良いの。霜馬は自分のことを大切にして。お願いだから」
「姉さん、そんな――」
弟は悲しそうな顔をしていた。私は弟を慰めるように微笑んでみせた。
「分かって、霜馬、お願い」
最後には弟の方が折れてくれた。
「姉さん、分かったよ。ありがとう」
私は頷きで応える。
「それじゃあ、行くから。霜馬、本当に幸せになってね」
そう言い置くと、家を出て山小屋に向けて走り始めた。山小屋で何が起きているか次第ではあるものの、何となく、もう霜馬とは会えない予感がしていた。
私は山吹の田畑の中を森に向けて走っていく。急ぎたいのは山々だったが、ここで力を使ってしまうと弟の身が危うくなるので、森の中に入るまでは我慢をして力を使わずに走るだけにしておいた。
そして、森の中に入れば我慢は不要。だけど、一応探知で周囲に人影が無いことを確認する。問題ないことが分かると、身体強化を極限まで高めて木々の間を飛ぶように走り抜けていく。
走りながら山小屋の方を見ると、煙らしきものが上がっているのが見えて来た。結界の外からでも見えているので、囲炉裏の煙には思えない。嫌な予感がする。
結界の内側に入り、山小屋の近くまで進んだところで、速度を落とす。山小屋の周りに人が複数いたからだ。見つからないように木の影を進み、山小屋が見えるところまで来た。
残念ながら、私の嫌な予感が的中してしまった。山小屋は火に包まれている。燃えている山小屋の中に生きている人の気配はない。彼女は逃げたのだと信じたい。
私は何か情報が得られないかと、人のいる方に向かってそろそろと進んだ。この場にいるのは、男ばかりで16人。皆武器を持っている。一人の人間相手にしては大袈裟だが、黎明殿の巫女相手では足りる気がしない。しかし、彼らの様子を見ると、攻撃を受けた気配がない。男達は気を緩めた様子で、のんびりと燃える山小屋を眺めている。
その男達の中に、身なりの良い人物がいた。年恰好から考えて、山吹の若様あたりだろうか。幸い、森の傍に位置しているので、私はそちらの方へ移動して、身体強化を掛けて聞き耳を立てた。若様らしき人物の隣には、年配の男性がいる。補佐官だろう。
「若様、これでよろしかったので?」
「ああ、蘇り人との共存を考えている奴らもいるらしいが、良くもあんな薄気味悪い連中と付き合おうなんて思えるものだ。それに噂で言われていたような強さも無かったしな」
「そうですな。警戒して人数を集めて来ましたが、誠にあっけなく斃せてしまいました。些か拍子抜けではありますが」
「そうだ。だが奴らは死んでも蘇ると言われているからな。気は抜けん」
「ですが、若様。幾らなんでも体を燃やされては生き返りますまい」
「そうだな」
それからしばらくの間、二人は黙って燃える山小屋を見ていた。
そして、十分に見届けたと考えたのか、若様は体の向きを変えた。
「そろそろ屋敷に戻るぞ」
「畏まりました。兵たちはどういたしましょうか」
「半数はここに残して、最後の最後まで見届けさせろ、残りは我らと共に屋敷へ戻らせる」
「承知いたしました」
補佐官の命令で、七人の男達が集まり、若様達と共に屋敷の方へ移動していった。この場には、まだ七人居て目を光らせているので、山小屋には近付けそうもない。さっきの話の通りなら、彼女は既に殺されてしまっていることになる。
麻由――
私は彼女の名前を心の中で呼んだ。この地で唯一、本当の自分をさらけ出すことが出来た友。そのかけがえのない友を私は失ってしまった。
私は森の中を山吹に向けて駆け出した。山小屋から十分離れたところで、私は叫び声を上げた。それまで抑えていた感情が爆発し、目には涙が溢れかえった。
* * *
そう、私は霜馬の病気が治った時点で山吹を去るべきだったのです。しかし、私は霜馬の下に居続けてしまった。ただ、それまで力を使う生活に慣れてしまっていた私にとって、力が使えない状況というのは息苦しく、そのストレス発散のために麻由の山小屋に足繁く通い続けました。そうした私の行動が、山小屋への襲撃を招いてしまいました。
あの時は私の甘えが麻由を死に追いやってしまったと言えます。
でも、今日のことは、私はやるべきことをやっただけ。理不尽な憤りを感じずにはいられません。
とは言え、今の私は何もできる状態にはなく。ただ、燃えながら崩れていく小屋を見ていることしかできません。
そんな風に私が無力感に苛まれていると、エンジン音が聞こえてきました。さっきの男達が戻って来たのでしょうか。いえ、そんなことは無い筈です。見えて来た車体は小型で、ワインレッドの色をしていました。
その車は、頭から草地に乗り入れて止まりました。私の方に見えていた助手席のドアが開くと、出て来たのは珠恵ちゃんでした。
「珠恵ちゃん」
「いやぁ、雪希ちゃん。遅くなっちゃったね。車を出してくれる人を探すのに手間取っちゃって」
そして、運転席の方から降りた人も、車を回り込んで私の方に来ました。
「風香さん」
「やあ、雪希ちゃん。元気、とは言えなさそうだね」
「はい」
珠恵ちゃんや風香さんが来てくれて嬉しかった気持ちも、真弓のことを思い出すとあっさり萎んでしまいました。
「雪希ちゃん、何があったの?真弓ちゃんは?」
珠恵ちゃんが心配そうな表情で、私の顔を見詰めています。風香さんは私の後ろで縄をほどこうとしてくれていました。
「真弓は、そこの小屋に入れられていたんだけどぉ、その小屋が急に燃えてしまって、真弓も一緒に」
私は泣きながら、珠恵ちゃんに状況を説明しました。珠恵ちゃんは暫く燃え尽きつつある小屋を眺めていましたが、それから困惑した表情を私に向けました。
「雪希ちゃんが嘘を言っていないのは分かるんだけどさぁ」
珠恵ちゃんは何か言い難そうな顔をしています。
「あの小屋の中に、死体は無さそうなんだよね」
「え?」
余りに意外な発言に、私は言葉を失いました。きっと、狐につままれたような顔をしていたに違いありません。




