7-30. 失踪
「どうしたの?雪希ちゃん、顔が真っ青だわ」
喫茶室の店長の美波さんが、心配そうに私の顔を見ています。
「あ、いえ、大丈夫ですぅ」
まだ何が起きているのかも分からないのに、心配し過ぎだし、冷静になれと自分に言い聞かせ、軽く深呼吸しました。日曜日にあんなことがあったとはいえ、ちょっとした小競り合いでしかなく、何も怖れることは無い筈。
私は取り急ぎ、鞄からスマホを取り出して、真弓からの連絡の有無を確認します。まずは、メッセージの確認。真弓とのメッセージのやり取りには未読はありません。真弓も私も必要な時にしかメッセージを送らない性格です。なので、最後のメッセージは日曜日のもので、買い物のための待ち合わせを決めたところで終わったままでした。
試しに真弓宛にメッセージを書いてみましたが、暫く待っても既読にはなりません。真弓もメッセージには気が付かないことは多いので、これくらいは想定内といえば想定内。
さて、メッセージで連絡が取れなければ、電話です。正直、最近はメッセージなどスマホアプリでのやり取りで何とかなることが多いので、大学の知り合いの中には電話番号を知らない人もいますが、真弓は高校時代からの付き合いで、互いの家にも遊びに行ったりする仲なので、当然知っています。ただ、真弓は家には電話を置いていないので、結局、電話を掛ける先はスマートフォンです。
私は自分のスマートフォン上で電話帳を開き、真弓の項目を見付けると、電話発信のボタンを押してから、スマートフォンを耳に当てます。すると、携帯の検索中を示すプップッという音がして、その後、呼出音になるかと思いきやアナウンスが流れました。
それを聞いた私は、スマートフォンを耳から離し、切断ボタンを押しました。
「真弓ちゃん、電話に出ないの?」
私の様子を見ていた美波さんは心配そうな表情で私を見詰めました。
「電源が入っていないか、圏外だというアナウンスでした」
「あらあら、それは心配だわね」
まったくその通りです。真弓は今、どこで何をしているのか、不安が募ります。
「美波さん、真弓は昨日もシフト入っていましたよね?それで、昨日は来ていたんですよねぇ?」
そう、昨日、私はシフト入っていなかったのですが、真弓は入っていた筈。
「ええ、昨日は普通に来ていたわよ」
「そうですか」
真弓に何事も起きていて欲しくはないですが、もし何かあったとすると、昨日のアルバイトの後になります。今日、講義には出ていたのでしょうか。
「あのう、美波さん。ご相談があるのですがぁ」
「真弓ちゃんのこと、探しに行きたいのでしょう?私も心配だから、行ってきなさいな。こちらの方は、誰か応援を頼んでみるから」
美波さんの顔に、決意の色が見えました。
「ありがとうございます。私、探しに行きます」
「何か分かったら、連絡してね」
「はい、勿論」
私は美波さんにお辞儀をすると、喫茶室を後にしました。
工学部棟を出ようとしたところで、私は立ち止まります。外では雨が降っていて、傘を差さなければいけないということもありましたが、真弓を探しに出たものの、何処に行くのか考えていなかったという理由の方が大きいです。
真弓が講義に出ていたのかを確認するなら、真弓の学科の同期の人に聞くのが手っ取り早そうですが、残念ながら私には宇宙物理学科の同期の友達はいません。学科の事務室に行けば真弓の取っている講義の情報は得られるかもしれませんが、今日出席していたかは分からないでしょうし、今まだ不確かな状況の中、学科に話を持ち込んで騒ぎにするのも気が引けます。そうなると、織江さんか八重さんか珠恵ちゃんに相談かなぁ。ともかく、鴻神研究室に行ってみることにしました。
「こんにちはぁ」
研究室に入って見ると、大体の人がいるようです。
「おお、雪希か。どうかしたのか?難しい顔をして」
八重さんが声を掛けてくれました。
「あのう、宇宙物理学科に所属している高校時代の友達を探しているんです。それで、今日の講義にその友達が出席していたかを調べたいのですが、何か方法がないかなぁって」
「そうだな、出欠を取っている講義があれば分かると思うが、宇宙物理学科の事務室に聞いてみるか?」
「それは考えたのですが、事務室に聞いてしまうと話が大きくなってしまいそうな気がして。何でも無いかも知れないので、あまり大袈裟にはしたくないんですぅ」
「まあ、その気持ちは分からないでもないが」
八重さんと私でウーンと唸っているところに、灯里ちゃんがやってきました。そう、今日は珍しくこの時間に灯里ちゃんが研究室にいました。雨が降ってテニスサークルがお休みになったからでしょうか。
「サークルの友達に聞いてみようか?宇宙物理学科の友達がいるから聞けと思うよ」
おおっ、流石は顔の広い灯里ちゃん。
「お願いしても良いかなぁ」
「勿論だよ」
灯里ちゃんは早速自分のスマートフォンを取り出すと、連絡を取ってくれました。
「もしもし、由縁?灯里だけど。うん、今ちょっと良いかな?大した話じゃないんだけど――」
どうやら由縁さんと言うのが、宇宙物理学科の友達のようです。灯里ちゃんはテニスサークルの話なども織り交ぜながら、真弓のことを聞き出してくれました。
「――うんうん、ありがとう。今度の週末のテニス?うーん、ごめん、仕事があって行けないや。皆によろしく言っておいて貰える?そう、お願いね。それじゃまた。はーい」
灯里ちゃんは、話し終えると、スマートフォンを手に持ったまま私の方を向きました。
「話は聞いていたよね?」
「ええ、今日は欠席していたみたいですねぇ」
そう、由縁さんは、今日、真弓のことを見かけていないとのことでした。
「雪希ちゃん、どうする?」
こうなってくると、やれることが限られてきます。
「真弓の家に行ってみる」
連絡が付かないので、家で寝込んでいるという可能性は低いですが、確かめずにはいられません。
「そうだね。それが良いと思うけど、ごめん、私は仕事があるから一緒に行けないよ」
「ありがとう、灯里ちゃん。大丈夫、私一人でも行けるから」
灯里ちゃんにはお友達に連絡取って貰っただけでも十分助かっています。
「雪希ちゃん、私が一緒に行っても良いかな?」
声を掛けてくれたのは、珠恵ちゃんでした。
「え?でも」
「私だって真弓ちゃんとは知らない仲でもないしさ。良いでしょう?」
「うん、珠恵ちゃん、ありがとう」
私は珠恵ちゃんの好意に甘えることにして、二人で真弓の住んでいるマンションに向かうことにしました。
相変わらず雨は降り続いていましたが、沼袋に到着した頃には、雨は随分と弱まっていました。もう少しすれば降り止むでしょうか。珠恵ちゃんと私は、傘を差して歩き始めます。
「真弓ちゃん、家に居るといいね」
「うん、それはそうなんだけどぉ」
家に居たら普通は圏外にはならないので、スマートフォンの電池がなくなってしまったのでしょうか。でも、家なら充電も出来る筈です。そう考えると、家に居る可能性はとても低いのですが、家に居てくれたらと思う気持ちもあります。
駅から歩いて十分余り、真弓のマンションの入口に来ました。入口を入った奥にはセキュリティゲートになっているガラスの扉があって、そのままでは中に入れません。手前の脇にあるインターホンの端末で呼び出してみます。真弓の部屋番号である、301を順に押してから呼出ボタンを押すと、呼出音が鳴りますが反応がありません。やはりいないのでしょうか。
「真弓ちゃんの部屋は301号室ってことね。じゃあ、調べてみようかな」
「え?どうやって?」
「それは探知―――あ、人が出てくるみたいだよ」
珠恵ちゃんの言葉が終わるか終わらないうちに、扉の向こう側でエレベーターが到着した音がしました。程なく、エレベーターから女性が降りて、こちらの方に向いたのが見えました。
「雪希ちゃん、あの人が出て来た時に中に入っちゃおう」
珠恵ちゃんは私の返事を待たずに私の腕を掴んで、セキュリティゲートの方に歩いて行きます。そして、女性が出て来るときに開いた扉が閉まる前に、私を引き連れて中に入りました。
「珠恵ちゃん、良いのかなぁ、こんなことして」
「真弓ちゃんの友達なんだから問題ないって」
私達は、女性が使ったあと一階に停まったままだったエレベーターに乗り込んで三階まで昇ります。真弓の住んでいる301号室は、エレベーターホールから玄関の扉が並んだ通路の一番手前にありました。そこで改めてインターホンを押したり、扉をノックしましたが、相変わらず反応がありません。もしや鍵が開いていたらと思ってドアノブを回してみたものの、鍵はきちんと掛かっていて開きません。
「誰もいないみたいだけどぉ」
「念のため、調べてみるね」
珠恵ちゃんは、真弓の部屋の扉に手を当てると、目を閉じました。暫くそのままの姿勢でいましたが、その後目を開けると、ふぅと溜息をつきました。
「雪希ちゃんの言う通りだった。誰もいないよ。窓はきちんと閉まっていたし、荒らされた形跡もなかった」
あの光景の中で私が使っていた探知より、随分と物がきちんと見えているようで少し驚きましたが、珠恵ちゃんはごく普通のことのように言うので、そんなものなのかと思うことにしました。
それにしても、ここにも居ないとなると、困りました。これ以上、真弓の居所に心当たりがありません。
「これからどうしようかなぁ」
珠恵ちゃんも悩ましげな表情です。
「ねぇ、雪希ちゃん。雪希ちゃんの家ってここから歩いて行けるんだよね?」
「えっ、うん、歩けなくもないけど、30分くらい掛かるよ」
一旦駅まで行って電車で移動しても良いのですが、トータルの時間では大した差ではありません。
「それは構わないから。雪希ちゃんさえ良ければ、一度雪希ちゃんの家に行って今後のことを相談したいんだけど。ずっとここにいるわけにもいかないし」
「まあ、そうだねぇ。私は良いけど、珠恵ちゃんは良いの?」
「ん?全然問題ないよ」
「分かった。じゃあ、行こうかぁ」
私達は、真弓のマンションを後にして、私の家に向かって歩き始めました。雨はすっかり止んでいたものの、地面はまだ濡れています。空もどんよりとした雲でしたが、家が近付くに連れ、少しずつ明るくなってきたような気がします。
そうして私達は家の前に到着しました。
「ここが私の家」
「へーえ、ここが雪希ちゃん家なんだ」
私は珠恵ちゃんに家を紹介すると、門を入り、いつものように郵便受けを確認します。そこには、新聞の夕刊と共に、無地の封筒が一つ入っていました。
「何だろう、これ」
その封筒は封もしてありません。中に、折り畳まれた紙が一枚入っているようです。
私は新聞を小脇に抱えると、封筒から紙を取り出して広げました。その紙には地図が描いてあり、地図の上の方に、次の言葉が記されていました。
『生意気女、お前の友人を預かった。返して欲しければ、明日の正午に指定の場所にお前一人で来い。警察や他人には知らせるな』
どうやら最悪の事態が発生しているようです。




