7-24. 夜空の月
「珠恵ちゃん、ごめん。待たせちゃったぁ?」
「ううん、大丈夫、そんなに待ってないから」
焼きそば屋台の次の当番の人が遅れたので、珠恵ちゃんを待たせることになってしまいました。私が研究室に入ったときには、珠恵ちゃんは既に大学祭の事務局のTシャツから学科Tシャツに着替え終えていて、作業台のところの椅子に座っていました。
「そう?それじゃあ、今から行こうかぁ?」
「雪希ちゃんこそ、少し座って休んだら?屋台では、立ちっ放しじゃなかったの?」
「そうだけど、そんなに疲れていないよぉ。まあでも、少し休んでいこうかなぁ」
私は、珠恵ちゃんの隣の椅子を引いて座りました。
「八重さん達は?」
「私と入れ替わりにお昼食べに行ったよ。出掛けるなら、鍵閉めていってって言われてる」
「そうなんだ。でも、今だと込んでそうだね」
「ウチの学科の屋台も並んでた?」
「うん、お昼に近付くにつれて、どんどん行列が長くなってた。私達も、今行くとそれに巻き込まれちゃうねぇ」
「そうだけど、遅くなると売り切れちゃうかもでしょう?焼きそばは、まだ材料残ってた?」
「今のペースだと、あと一時間半くらいかなぁって言ってたよ」
「私の次の当番までには無くなっちゃいそうだね。まあ、それならそれで、後片付けの手伝いをするかな?」
珠恵ちゃんは、屈託のない笑みを浮かべました。
特殊な力を持っている封印の地の巫女である珠恵ちゃんも、こうして見る限り、普通の女の子にしか見えません。あの情景の中で、三ノ里にいた私も、普段の生活では特に巫女の力には頼らず、あー、狩りの時は思い切り力を使ってましたねぇ。でも、それ以外の時は普通でしたよ。
とは言え、あの情景の中の私も弟の危機になると力を使っていました。本当は、そういう私的なことに使うものでは無いとは分かっていたのですが。珠恵ちゃんも、力を使うときがあるのでしょうか。私が危機に陥ったとき、その力で助けてくれるのでしょうか。
「雪希ちゃん、どうかした?」
「ううん、何でもないよ」
珠恵ちゃんに返事をせずに黙ってしまったので、不安にさせちゃったかなぁ。
私は、他愛の無い話題を持ち出して珠恵ちゃんとの会話を続け、その場を取り繕いました。そして、私も休めたので研究室を出て、自分達のお昼を求めて大学祭の屋台巡りに繰り出すことにしました。
「珠恵ちゃん、何処に行く?」
「どうせなら、知り合いがいるところが良いよね。灯里ちゃんのテニスサークルと言いたいところだけど、灯里ちゃん、今日はいないんだよね?」
「今日は都合悪いって言っていたからいないと思うよぉ」
「だとすると、どうしようかな。宇宙物理学科はどう?雪希ちゃんのお友達いたよね?真弓さん」
「そうだね、いるかも知れない」
「何を売っているか知ってる?」
「確か、お好み焼って言ってたようなぁ」
「なら、丁度良いね。行ってみよう」
珠恵ちゃんは、大学祭のパンフレットで場所を確認すると、私の手を取って、ずんずん進んで行きます。目的の宇宙物理学科二年の屋台は、直ぐに見付けられました。真弓の栗色の髪も、屋台の中に確認出来ました。でも、その屋台には行列が出来ていて、お好み焼を買うには十分程度並ぶ必要がありました。
「真弓、来たよ」
「雪希、よく来てくれたね。私は嬉しいのだ。珠恵さんも一緒なのだね」
「そう、あれ?真弓って珠恵ちゃんのこと知ってたんだ?」
「喫茶室に何度か来てくれたことがあるのだ」
「へーえ、珠恵ちゃんも喫茶室に行くことがあるんだぁ。真っすぐ家に帰っちゃう派かと思ってたから、意外」
「私だって、偶には喫茶室に行ってみようと思うことくらいあるから」
珠恵ちゃんが、少し頬を膨らませています。別に疑っている訳じゃないのですが。
「別に一人で喫茶室に行っちゃいけないと言う意味じゃないからさぁ」
私は珠恵ちゃんを宥めるようにしてから、真弓の方に向きます。
「それで、真弓、注文良いかなぁ?お好み焼二つで」
「オーケー、毎度なのだ」
お金を払って引き換え券を貰い、商品引き渡し口の方に移動しました。そして、そこでお好み焼を受け取ると、真弓に手を振って屋台から離れました。
それから次に何処に行こうかと言う話になり、と言って当ても無いので、灯里ちゃんはいないけど、灯里ちゃんのサークルの屋台に行って、焼き鳥とドリンクを入手しました。そして、たまたま空いたベンチがあったので、すかさず確保。
珠恵ちゃんとの間に買ったものを置いて、ゆっくりお昼にしました。
お好み焼も焼き鳥も美味しかったのですが、折角の珠恵ちゃんと二人きりの時なので、先日見た情景のことを話そうか考えていて、それなりに上の空でした。そんな私に珠恵ちゃんは突っかかることもなく、黙って食べていたので、会話よりも食べ物を咀嚼する音の方が長くなってしまってました。
珠恵ちゃんは、私の身近にいる唯一の黎明殿の巫女です。でも、昔のことをどれだけ知っているか分からないし、私の言葉を信じてくれるのかどうか。少し遠回りに話を切り出してみようかな。
「あのさ、珠恵ちゃん」
「何?」
「封印の地って珠恵ちゃんが生まれる前からあったんだよねぇ?」
「そうだよ」
「何時からあったか知ってる?」
「大体四百年前だよ」
まったく迷う素振りも無く、即答でした。
「四百年前って、歴史でダンジョンが出来たって習った時期と同じってこと?」
「そう、同じ。順番から言えば、ダンジョンが出来て暫くしてから封印の地が作られてる」
「封印の地が作られる前のことは知ってるの?」
「大雑把にしか知らないよ。封印の地が出来る前は中央御殿しかない時期があって、更にその前は幾つかの里に分かれていた時期があって、もっと前は一つの里に住んでて、その前は定住する場所が無くて放浪生活」
「ふーん、幾つかの里に分かれていた時代があったんだぁ」
珠恵ちゃんがそのような時期があったことを知っていたのにも驚きましたが、自分の見た情景と一致すると言うことは、やはりあの情景は、この世界の昔のことだったのでしょうか。
「何か気になることでもあったの?」
珠恵ちゃんが、控えめに尋ねてきました。その眼差しを見て、私は決心しました。
「あのね、実は――」
私は自分が見た情景のことを珠恵ちゃんに話しました。
「珠恵ちゃん、信じてくれる?」
「うん、信じるよ。だけど、今は巫女の力は使えないんだよね?」
「使えない。体の中に力を全然感じないんだよね」
「そうかあ」
珠恵ちゃんは、空を見上げました。空は半分くらい雲が広がっていましたが、高い位置にあるので、雨は降りそうにありません。もっとも、珠恵ちゃんは空を観察してるのではなくて、何かを考えているようです。
「ねえ、雪希ちゃんは、三ノ里の四人目の人は見てないんだよね?」
「うん、話に聞いただけ」
「他にそれらしい人もいなかった?」
「いなかったよ。珠恵ちゃん、その人のことが気になるの?」
「え?いや、そう言うことではないけど」
「けど?」
「ううん、問題ないよ。本当に」
珠恵ちゃん、何か少し取り繕うような素振りに感じたのですが、なんだろう?気のせいかな?その場の話は、そこで終わりました。
お昼の後は、学科男子のバンドが出演する予定だったので、特設ステージに行って、学科男子の出番が終わるまで演奏を聞いていました。学科男子のバンドは、結構上手で「やるじゃん」って感心しました。
それから、珠恵ちゃんとは分かれて、今度は真弓と合流。屋台以外の出し物を求めて学内を歩き回ります。中高生向けに体験展示のようなことをやっている研究室があって、大学生の私達が参加しても面白かったです。疲れた後は大学の外に出て、駅近くの喫茶店でお喋りしてました。
夕方、外が少し暗くなってきたところで、お店を出て二人で駅へ。高田馬場のホームで電車を待ちながら西の空を見ると、広告の看板の隙間から、夕日が沈もうとしていました。
「夕日が綺麗なのだ」
「そうだねぇ」
「あ、太陽の上の方の雲が、顔みたく見えて面白い」
真弓に言われて見ると、雲がポツポツ浮かんでいるのですが、それらをまとめてみると、髪の毛だったり、目だったり、口だったりに見える小さな雲があって、なるほど顔みたいです。
「本当に顔みたいだね。三日月が丁度髪飾りみたいに見えるよ」
「お洒落な子なのだ」
「うん、可愛い子に見えるかも」
そう、髪の毛が長くて三日月の髪飾りを付けた女の子の顔が重なって見えるようです。ん?だけど、これは誰だろう?
雲に重なった女の子の顔のイメージは直ぐに消えてしまいましたが、誰なのかが気になります。その後電車に乗っても、真弓と話していないときに思い出しては誰だっけ?と考えてしまいました。




