6-39. 宣言
私は斃した魔獣を、予め藍寧さんから聞いておいた場所へ転送すると、防御障壁と結界を解除し、ゾーンも止めました。
そんな私のところに祖母がやって来て、私の隣に立ち、母屋の脇にいる母、叔母、梢恵ちゃんの三人の方に向きました。
「試合の結果は見ての通り、珠恵の勝利です。それから桃恵、珠恵の実力とあなたのそれと、どちらが上かは分かりますね」
祖母に名前を呼ばれた母は、居ずまいを正して頷きました。
「はい、珠恵の方が明らかに上です」
「珠恵を西峰家当主の後任とすることについて、異論はありますか?」
「いえ、ありません」
「それでは、本日只今を持って、私、西峰弓恵は、西峰家当主の座を西峰珠恵に譲ることを宣言します」
え?何かあっという間に当主にされてしまいました。私、意見を求められていないのですけど。
「弓恵さん、待ってください。私、まだ大学があるのです。今すぐこちらに戻ることは出来ません」
「それでしたら、代行を立てたらどうですか?当主はここから離れてはいけないという規則もありませんし」
「分かりました。弓恵さんに当主代行をお願いしたいです。受けて貰えませんか?」
「畏まりました。当主代行の任を預からせていただきます。それでは、引継ぎなどありますから、執務室へ参りましょう」
私は祖母に引き立てられるようにして、執務室に連れて行かれました。そして、そこで当主としての心得や、西の封印の地の運営のこと、本部との連携や長老会のことなどを教えて貰ったり、役割分担を話し合ったりしました。その話合いのために資料が用意されていましたけど、それらは綺麗にまとまっていて、予め想定され準備されていたことが伺えます。祖母は、昨晩のうちから、こうする腹積もりだったのでしょう。何だか祖母にしてやられたような気分です。
祖母と一通りのことを話して、引継ぎから解放されたのは、お昼時間も終わりに近付いた頃でした。お昼を食べて行けばと言われましたけど、夜には大阪に行きたかったので遠慮して、父に車で出雲市の駅まで送って貰いました。母は、お昼の代わりにとお握りを作ってくれたので、それはありがたく頂いて、列車の中で食べました。西の封印の地を出る前に、試合のことは外には話さないようにとの念押しは忘れていません。事務局にすら漏らさないようにと祖母に伝えたところ、当然のことのように承諾してくれました。
大阪に向かう列車の中では、梢恵ちゃんと二人きりです。試合以降、梢恵ちゃんと二人で話す時間はなく、列車に乗って初めて二人になりました。梢恵ちゃんからは色々と問い詰められそうですけど、私の方から何と話しかけたものかは悩ましく、列車が発車してからしばらくは、母から貰ったお握りをもぐもぐ食べて沈黙を誤魔化していました。
私がお握りを食べ終わり、お茶を飲んで一息ついていると、梢恵ちゃんが私の方に顔を向けました。
「珠恵ちゃん、ありがとうな。うち、好きなように就職先選べるようになったん。珠恵ちゃんのお蔭や」
「それは良かったね。安心したよ」
「そやけど、うち、珠恵ちゃんに聞きたいことぎょーさんあるねんけど」
「いやあ、その気持ちは分かるんだけどね。ここでは何だから、梢恵ちゃんの家に着いてからにして貰えるかな?」
「ああ、そやな。そうするわ。家に着いたらきっちり教えて貰うで」
「あはは。覚悟しておくよ」
そうして、それからは、お互いの大学のことや、梢恵ちゃんの就職活動について話をして、大阪までの時間を過ごしました。
大阪に着いた後、私達は梢恵ちゃんの家に向かいました。今夜は梢恵ちゃんのところに泊めて貰うことになっています。高校時代に私が住んでいたのと同じマンションですし、道順は良く分かっています。ただ、お店が変わっているところもあって、東京に移ってから一年の歳月が過ぎていることを感じます。
マンションの傍まで行くと、入口の前に女性が佇んでいるのが見えました。その女性は紺のジャケットにスカートというスーツ姿で、頭の後ろで髪をまとめて丸め、先端に飾りのついた銀の簪をクロスさせて挿しています。何故ここに?と思いましたけど、マンションの住人は梢恵ちゃんの方ですし、梢恵ちゃんに対応は任せてしまおうかな、と思いました。
梢恵ちゃんも私と同じように思ったのか、私より前に出て、女性と向き合いました。
「どちらさんです?」
「私、季と言います。お二人と少しお話したいのですが?」
梢恵ちゃんは、季さんがどういう人か分かっていないようで、私を振り返ってどうしたら良いかという顔をしました。
「梢恵ちゃん、大丈夫ですよ。季さんは私の知り合いなので」
「さよか」
梢恵ちゃんは、私の答えで納得したようで、季さんも一緒に部屋に入れてくれました。
私達は、部屋に置いてあったローテーブルを囲んで座ります。梢恵ちゃんがお茶とお茶請けのお菓子をテーブルの上に置き、そのまま自分もテーブルの脇に座りました。
「それで、今日はどないな用件なんやろか?」
「西峰梢恵さんですよね。初めまして。西の封印の地の方々には、今日のこともあるし、これからお手伝いいただくこともあるかと思って、ご挨拶しているんです。先程も、西の封印の地にお邪魔して、ご挨拶してきました」
あー、そうなんですね。祖母は慌てたでしょうね、きっと。
「今日のこととは何です?」
「知恵さんとの試合のことです。あの時珠恵さんがやったことは、口外しないようにお願いしているんです」
「季さん、それ、私もお願いしましたよ」
「ええ、弓恵さん達もそう言われてましたね。でも、珠恵ちゃん、どうしてかは説明していなかったでしょう?私がきちんと説明しておきましたので」
「そうだったんですか」
「え?それ、うちにも教えて貰えんの?」
「はい、そのために来たのですから。珠恵ちゃんがやったことは、時空の管理人の領域のことなんです。それは素質のある人にしか出来ないのですけれど、珠恵ちゃんには素質がありましたので」
季さんの説明を聞いた梢恵ちゃんは驚いた顔になっていました。
「時空の管理人て、噂話でしか聞いたことのない存在やないか。ホンマにおったんや」
「ええ、そうなんです。でも、世間の人には内緒ですよ。黎明殿の巫女は、封印の地の巫女か本部の巫女しかいないことになっていますから」
「それはええけど、珠恵ちゃん、こんな人と知りたいになってたんや」
「まあ、色々とね」
そう、色々とありました。でも、言葉にするのが難しくて、肩を竦めて見せるくらいのことしかできませんでした。
「それから、珠恵ちゃんに渡すものがあります」
季さんは、ハンドバッグから掌の上に乗るくらいの大きさの細長い八面体の透明な石を取り出して、私の掌の上に置きました。
「これは何ですか?」
「アバターのコアです」
「アバターは分かりますけど、コアって何ですか?」
「アバターの中核となるものですよ。これがあるから、アバター持ちは死んでも再生できるんです。姿形だけでなくて、意識、魂もですよ。コアはいわば魂の保全ツールみたいなものですから。珠恵ちゃんも、アバターを持っていなくても、コアがあれば再生可能になるんです。だから時空の狭間に行くかもしれない珠恵ちゃんには持っておいて貰った方が良いと思って。もっとも、既に珠恵ちゃんの身体はそのまま時空の狭間に行っても消滅しないようになっているらしいですけど」
「え?どうしてですか?」
「そういう風にしておいたって、織江さんが言ってましたよ」
「ああ、そういうことですか」
織江さんのおまじないには、まだ私の知らないモノが含まれていそうです。
「そういうことなので、これを直ぐに使う必要は無いでしょうけど、本当に危険を感じた時は使ってくださいね」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
コアを渡して用事が済んだらしく、季さんは帰り支度を始めました。
「それじゃ私はそろそろお暇しますね」
「え?」
いつもならもっとお喋りしているのに、季さんの意外な行動に驚きました。
「お話していたいのは山々なんですけど、織江さんに代わって貰っているので早く戻らないといけないんですよ。珠恵ちゃん、また管理室に来てくださいね。梢恵さん、お邪魔しました」
話に付いていけていなさそうな梢恵ちゃんを置いて、季さんはさっさと別れを告げると部屋から去って行きました。
季さんを玄関まで見送りに行って部屋に戻ると、梢恵ちゃんは私をジト目で見ました。
「なあ、珠恵ちゃんはどんだけ秘密抱えとるんや?」
「さあ?私にも分かんないよ」
そう、本当に自分でも分からないのです。
「それより、梢恵ちゃんだって私に秘密にしていることがあるじゃないの?」
「そ、そんなのあらへんよ。珠恵ちゃんの考え過ぎや」
そんなこと言っても、動揺しているのは魂の形を見れば丸わかりなんですよ、梢恵ちゃん。でも、知らんぷりしておいてあげます。
その晩は、梢恵ちゃんからの質問は適当に躱しながら、二人でお喋りして過ごしました。
翌日。
梢恵ちゃんと私は新大阪の駅そばの喫茶店にいました。
「懐かしいね、ここ。あれからもう一年半以上も経っちゃったんだ」
「そやな。あの時ここに来たんは、ウチらと莉津さんと、あともう一人おったよね?」
「織江さんでしょ?」
「いや、あの時は違う名前だって言い張っておったような。確かオリビィ?」
「オリヴィエでしょ?」
「ああ、そやった。紅の御方と同じ名前やったな」
梢恵ちゃんは名前を思い出せて喜んだ顔をしていましたけど、ふと何か思い付いたような表情になりました。
「そう言えば、昨日、季さんが織江さんに代わって貰うたようなこと言わへんかった?」
「言ってたね」
「ほんなら、織江って人も巫女ってことなん?」
「違うよ。あの時だって言ってたじゃない、魔王の眷属だって」
「は?あれは冗談やなかったんか?」
「半分くらいは冗談だと思うけど。梢恵ちゃん、織江さんのことは、『そんなもん』くらいに考えておいた方が良いと思うよ。私も真面目に考えると頭が痛くなりそうだから、考えないようにしてるんだよね」
「分かった、そうしとく」
私は改めて店内を見回してから、梢恵ちゃんを見ました。
「あの時、梢恵ちゃんに後押しされて莉津さんと相談しなかったら、大学に入れていたか分からなかったよね。あと、藍寧さん美玖ちゃんとダンジョン探しをしなかったら。美玖ちゃんにもお礼を言いたかったなぁ」
「珠恵ちゃん、また大阪に来ればええよ。いつか会えるときがあると思うわ」
「そうだね、また来るよ。それで、一つだけ確認させて貰っても良い?」
「何?」
「美玖ちゃんの番号って53だよね?」
「え?そ、そやった?本部の巫女の番号は公開されてへんと思うんやけど、珠恵ちゃんその数字のこと何処で知ったん?」
「うん、まあ、ちょっとね」
今ここで明らかにすることでもないので、曖昧な返事にしておきました。梢恵ちゃんも、それを深く突っ込むことはないだろうと思っていましたので。
それからも、私達は予約していた列車の時間になるまで喫茶店でお喋りして過ごしました。
時間になると喫茶店を出て、駅に向かいます。梢恵ちゃんとは改札でお別れと思っていたのですけど、梢恵ちゃんはホームまで一緒に上がってきました。
ホームに列車が入ってきて、停車するとともに扉が開きます。
「珠恵ちゃん、元気でな」
「梢恵ちゃんこそ。就職活動も頑張ってね」
「おおきに。ほな、またな」
「バイバイ」
お互いに手を振り合って、私は列車に乗り込みました。指定席は、ちょうどホーム側の窓際で、席に座ると梢恵ちゃんがホームから手を振ってくれました。
私も手を振っていると、列車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出しました。
列車と一緒に梢恵ちゃんも走り始めましたけど、列車の速度はどんどん上がり、梢恵ちゃんが後ろの方になっていきます。私はバイバイと口を動かしながら、梢恵ちゃんが見えなくなるまで手を振り続けました。




