6-34. 知恵上京
梢恵ちゃんが来てから、二週間ほどが経過しました。たまに二人で出掛けることもありますけど、大抵は別行動です。
先日織江さんと話をしてから、早速近所のスーパーからダンボールを沢山貰ってきました。部屋の中に踏まれているダンボールを見た梢恵ちゃんに、どうしたのかを聞かれ、ゾーンのことを言う訳にもいかなかったので、訓練に使うために貰ってきたとだけ返事をしました。梢恵ちゃんがその答えに納得したかは分かりませんけど、それについて掘り下げて来なかったので、それで良かったことにしました。
さて、ある月曜日のお昼前頃、私が午前中のトレーニングを終えて家に帰ろうとしているときに、スマホの呼出音が鳴りました。発信元はと見れば、黎明殿本部の事務局と表示されています。何かと思って電話に出てみたら、相手は本荘さんでした。どうやら、私に面会したいという人が来たとのこと。誰かと名前を聞いたら、梢恵ちゃんの妹の知恵ちゃんでした。どうやら、梢恵ちゃんを追いかけて来たようです。私は本荘さんに、午後に事務局に行くので、それまで知恵ちゃんには待っていて欲しいと伝えるようにお願いして、急いで家に戻りました。
確か今日は家に居ると言っていた筈だと思って、マンションの部屋に戻ると、梢恵ちゃんがノートパソコンを広げていました。
「梢恵ちゃん、ただいま」
「あ、お帰り。珠恵ちゃん、汗だくやないの?シャワーでも浴びたらどないや?」
「うん、シャワーも浴びるけどさ、先に梢恵ちゃんに言わないとと思って。来ちゃったんだよ、遂に」
「遂にって何が?」
「知恵ちゃんだよ。さっき、事務局から電話があって、知恵ちゃんが私に会いたいって言ってるって」
「そか、来たんやね。それで、珠恵ちゃん、どないする?」
「まあ、会うしかないんじゃない?放っておく訳にもいかないし」
「そやな。珠恵ちゃんが行くなら、ウチも一緒に行くわ」
「それじゃあ、私はシャワー浴びてくるから、梢恵ちゃんも準備しておいてね。事務局には午後に行くって伝えてあるから、何処かでお昼食べて行こう?」
「ええよ、珠恵ちゃん、そないしよ」
私達は準備をして、マンションを出ました。トレーニングをして汗をかいたのでシャワーを浴びましたけど、外は寒く、髪が乾ききっていなくて頭が冷えます。もう少しきちんと乾かして来れば良かったと思ったものの、後の祭りです。
梢恵ちゃんのリクエストで、表参道まで行ってお昼を食べ、そこから日比谷公園に向かいます。ダンジョン協会の建物の中の事務局のオフィスに行くと、本荘さんが出てきて談話室に通されました。談話室の中では、知恵ちゃんが一人、ちょこんとソファーに座っていました。
「あ、珠恵ちゃん、お久しぶりやな」
「知恵ちゃんもお久しぶり。あれ?知恵ちゃん、受験生じゃなかった?受験は終わったの?」
「はい、終わりました。ウチ、志望大学に合格したんよ」
「そうなんだ。おめでとう。春から大学生だね。それで、今日はどうしたの?卒業旅行、じゃないよね?」
「そこの姉を連れて帰れと母に言われましたんや。きっと、珠恵ちゃんに会うてるやろから、珠恵ちゃんに聞けば何処にいるかは分かるやろって」
知恵ちゃんは、私の後ろから談話室に入った梢恵ちゃんを見ながら言いました。
「知恵、うちは帰る気あらへんからな。あの母親によう言うとき」
「はあ、姉ちゃん、何言うてはあるの。姉ちゃん連れて帰らな、ウチが母ちゃんにがみがみ言われなあかんくなるんやで。そんなの堪忍や」
「知恵には悪いんやけど、これはウチの人生が掛かっとるのや。帰る訳にはいかへん」
「そない言われたって、ウチかて困るんやけど。大体姉ちゃん、これまで自由にしてきたやないの。何かと母ちゃんに言われるのはうちなんやで。たまには姉ちゃんかて、母ちゃんの言うこと聞いて欲しいねん」
「いやや。ウチの人生はうちのもんや。あの母親の言いなりにはならへん」
二人とも、顔を合わせたときから位置を変えずに、睨み合いを続けています。まったく困ったものです。元はと言えば、叔母がいけないと思うのですけど、二人はどう思っているのでしょうか。
「ねえ、二人とも姉妹喧嘩は止めてくれない?叔母さんも西峰の後継者がどうのこうのっていつまで続けているつもりなんだろう?知恵ちゃんだって、いつまで付き合うつもりなの?」
「うちは実力主義でも構わへんと思うけどな。もっとも、婆ちゃんがそれを許してくれへんのやけど」
そう、祖母は、叔母の変な主張の抑え込みはしないのですが、巫女同士の決闘は絶対に許しませんでした。なので、知恵ちゃんと私は、これまでも実際に戦ったことはないのです。でも、梢恵ちゃんとのことを考えると、そろそろ叔母の言動も看過できないところに来てしまっているのだと思わずにはいられません。私も腹を括るしかなさそうです。
「知恵ちゃん、分かった。私、一週間後の来週の月曜日に実家に行くから、試合をしよう」
「え?婆ちゃん、絶対反対するで」
私は首と横に振りました。
「今度だけは、私がお婆さんを説得するから」
「え?珠恵ちゃん、本気やの?」
梢恵ちゃんが焦ったかのように私の腕を掴みました。
「うん、本気。そうじゃないと、叔母さんが止まらないもの。梢恵ちゃんのためにも、知恵ちゃんのためにも、もう終わりにしないといけないと思う」
「珠恵ちゃん、そんなこと言うたかて、うちが勝つかも知れへんよ。珠恵ちゃん、高校時代、全然訓練してへんかったって聞いとるけど。うちは、ずっと訓練しておったんや、うちの方が強いんとちゃう?」
「そうかも知れないけど、知恵ちゃんは怖くないの?大怪我するかも知れないんだよ」
「そやな。でも、どの道一度は勝負せなならんのやから、気合入れてやるだけや」
「そう。じゃあ、負けても恨みっこなしで」
「うちは端からそのつもりや」
「それじゃあ、梢恵ちゃんのことは、試合の時までお預けね。それで良いでしょう?」
知恵ちゃんは、頷いて賛同の意を示しました。
「話はついたわね。それで、知恵ちゃんはこれからどうするの?大阪に戻る?」
「今から大阪に戻ってもええねんけど、折角こっち来たんやから、今日は東京見物して明日帰るわ」
「知恵、泊まるとこはどないすんのや?」
「さっき事務局の人に聞いたら、巫女用の宿泊所があるって聞いたんやけど」
「ああ、私の部屋の隣ね。そこに泊まれば良いと思うわ」
「さよか、それなら良かね。知恵、何処か行かはりたいとこはある?動物園が好きやったか?」
「そやね、動物園いきたいわぁ」
「それじゃ、上野に行きますか」
私達は、事務局を後にして、上野の動物園に向かいました。動物園を十分堪能した後は、知恵ちゃんが秋葉原を見たいと言うので連れて行き、夕飯も食べてから部屋に戻りました。
マンションまで戻ると、梢恵ちゃんは知恵ちゃんだけを隣の部屋に入れて、自分は私の部屋の方に来ました。
「梢恵ちゃん、良いの?知恵ちゃん一人にして」
「良いんや。今うちは珠恵ちゃん側なんやから」
「ふーん、そっか」
今日も事務局では喧嘩していた二人ですけど、本質的にはお互い嫌っているようには見えません。その後の動物園などでは、仲良く見学したりしていましたし。夜だって、知恵ちゃんは一人より、久しぶりにお姉さんと話がしたい筈です。それに梢恵ちゃんも知恵ちゃんと話したいでしょうに。仕方が無いので、一芝居打ちますか。
「ねえ、梢恵ちゃん、今度の知恵ちゃんと私の試合、どうなると思ってる?」
「どうって、どちらかが強ければそれで勝ち、互角ならミスした方の負けやないの?」
「梢恵ちゃんは、割りと互角だと思ってるんだ」
私は梢恵ちゃんの顔を見ました。梢恵ちゃんは、私の意図を測りかねているような、ぼんやりとした表情です。
「梢恵ちゃんさぁ、私、叔母さんを黙らせたいの。そんな互角の戦いで、叔母さんが黙ると思ってる?」
梢恵ちゃんの目が、私を不審者のように見る目に変わりました。
「珠恵ちゃん、何を企んどる?いくら珠恵ちゃんでも、何や細工しよう言うなら、許さへんで」
燃え上がる梢恵ちゃんを、私は左手を上げて制止します。
「何も小細工なんてしないよ。だって、する必要がないんだもの」
そして、目線を部屋の隅に重ねてあるダンボールに向けます。
「ねえ、私がダンボールでどんな訓練をやっているのか知ってる?」
梢恵ちゃんは無言です。これまで、見せたことが無いので、分からなくて当然と言えば当然なのですけど。
私は部屋の隅に胸の高さまで平らに積まれているダンボールのところまで行き、その下側を引っ張って少し部屋の中央寄りに移動しました。そしてダンボールを目の前にして立つと、一度梢恵ちゃんを見ます。
「梢恵ちゃん、しっかり見ててね」
私はダンボールの山に向き直ると、右手を上げ、手刀のようにしてダンボールに叩き付けました。すると、ダンボールの山の上から10枚くらいが半分に分かれました。
「なっ。珠恵ちゃん、何したん?」
梢恵ちゃんの驚いた声が部屋の中に響きました。
「まあ、ちょっとね。本当は、これの半分くらいを切るつもりだったんだけど、まだ加減ができないんだよね」
そして、再び梢恵ちゃんを見ます。
「私、今回で終わりにしたいんだ。分かる?私の目的は知恵ちゃんに勝つことじゃないの。叔母さんを黙らせることなんだよ。知恵ちゃんには、まったく何の恨みもないんだけど、叔母さんを黙らせるためには、手荒なことになっちゃうかも知れない」
梢恵ちゃんは黙ったままです。
「私は、あと一週間でもっと強くなるつもり。だから、知恵ちゃん、結構本気で訓練しないと不味いと思うんだ。毎日本部の巫女、例えば美玖ちゃんと特訓するとか。でないと、大怪我しちゃうんじゃないかな?」
私は梢恵ちゃんに向けて不敵な笑みを浮かべてみせました。梢恵ちゃんは、青い顔になっています。
「なあ、珠恵ちゃん、うち、知恵んとこ行ってもええ?」
私が頷くと、梢恵ちゃんは急いで部屋から出ていって、隣の部屋の呼び鈴を押していました。まったく、面倒くさい人です。




