6-32. 梢恵の家出
超大型魔獣との戦いの後、灯里ちゃんは北の封印の地にもう一泊してから東京に帰って来ました。
灯里ちゃんが帰って来た翌日に雪希ちゃんも含めて三人で会いましたけど、その時には、北の封印の地の様子や、超大型魔獣の大きさや強さ、戦いの様子加えて、その翌日に見た柚葉ちゃんと清華ちゃんの打ち合いの凄さなど、沢山のことを灯里ちゃんは私達に話してくれました。大体のことは時空管理室で見たことでしたけど、灯里ちゃんがそれをどう受け止めたのかが良く分かって面白かったです。話を聞く限り、柚葉ちゃんだけでなく清華ちゃんも普通の封印の地の巫女の強さを越えているようで、最強と言われながらもその領域にまだ自分が到達していないことを歯痒く感じました。
そのことを後で織江さんに話したところ、「焦る必要はない」と諭されました。今やるべきことは、自分がどう在りたいかを考えるのと、心身を鍛えることだ、とも。自分の在り様については、まだまだ暗中模索状態です。これまで実家内のいざこざから逃げることしか考えていませんでしたので。最強になったということなら、実家内のいざこざは力で解決できそうですけど、そうした後のことは何も考えられていません。
そして、考えがまとまらないまま冬になり、年を越して、二月に入りました。
朝、家で寝ていた私は、呼び鈴の音で目を覚ましました。
まだ寝ぼけていて、一度目の呼び鈴に反応できないままでいたところ、再度呼び鈴が鳴ったのでベッドから起き出して、インターホンのモニター画面を見ます。すると、そこには梢恵ちゃんの顔が映っていました。
「梢恵ちゃん?」
「ああ、珠恵ちゃん、久しぶりやな。中に入れてくれへん?」
「分かった」
梢恵ちゃんのためにマンションのエントランスを開けると、洗面台のところへ行って顔を洗い、軽く髪にブラシを掛けます。そうして身支度を整えていると、再びインターホンの呼び鈴が鳴りました。梢恵ちゃんが玄関の前まで来たのでしょう。
私が玄関の扉を開けると、案の定、梢恵ちゃんが立っていました。大きな旅行用のキャスター付のトランクを引いています。
「珠恵ちゃん、朝から堪忍な。上がってもええ?」
「梢恵ちゃん、大丈夫だよ。中に入って」
「おおきに」
私は梢恵ちゃんを促して、部屋の中に入って貰いました。梢恵ちゃんには先に座卓のところへ行って貰い、私はグラスにお茶を入れて、後から続きます。
「梢恵ちゃん、どうしたの、急に?」
「母親と喧嘩したんや。それでマンションにいても干渉が激しくなってしもうて、珠恵ちゃんのところに逃げて来たん」
「梢恵ちゃん、これまでも叔母さんとは喧嘩したことあったけど、今度はもっと凄い喧嘩ってこと?」
「そうかも知れへんな。なんせ、うちの将来が掛かってるねん」
「え?どういうこと?」
「ほら、うち、大学三年やろ?もうすぐ就職活動の時期やんか?それで会社情報集め始めてたんや。そしたら突然母親から連絡が来て、うちは就職必要あらへん、どこぞの御曹司と政略結婚せえみたいなこと言われて、はあっ?ってところや。そんで、ふざけるな、自分の人生は自分で決めるんやって言って、もう大喧嘩や」
梢恵ちゃんのところは、しょっちゅう母娘喧嘩していますけど、今度のは大事になりそうです。
「叔母さんももう少し梢恵ちゃんの言うこと聞いてくれると良いんだけど」
「『少し』じゃ全然足りへん。まったく、うちに巫女の力が無いよって、扱いが酷うて敵わんわ」
「まったく叔母さんにも困ったもんだね。話を聞く限りだと直ぐに収まりそうもないんだけど、梢恵ちゃんどうするの?」
「どうするもこうするもないやんけ。ここは徹底抗戦や。ついでにこっちで就職活動して、内定決めちゃるわ」
梢恵ちゃんの鼻息が荒いです。
「東京で内定決めるのは良いとしても、まだ大学は一年間残っているんだよ。今は休みだけど、四月になれば大阪に戻らないといけないんじゃないの?」
「それはそうやけど、戻りとうないわ」
梢恵ちゃんは憂鬱そうな表情でしたが、何を思い付いたか、突然明るい顔になりました。
「そや、それまでに後継者争いが終わっておれば良いんや。なあ、珠恵ちゃん、早いとこ知恵と勝負して、コテンパンにのしてくれへん?そないすれば、次期当主は珠恵ちゃんで確定やし、うちに政略結婚せいとか言わへんようになると思うんや」
「ええ?そうかなぁ。叔母さん、しつこいところがあるからなぁ」
何しろ、巫女の力を持っている私が本家に生まれて決着が付いたはずなのに、粘り強く食い下がっている人ですからね。知恵ちゃんが一度負けたくらいで諦めるようにも思えません。
「ねぇ、梢恵ちゃん、叔母さんを黙らせられそうなネタとか無いの?」
「うーん、そうは言われても、ウチ、母親との接点が殆どあらへんからなぁ」
「それじゃあ、知恵ちゃんに聞いてみるって言うのは?」
「そやなあ、まだ知恵の方が知っとるかも知れへんけど、どないなんやろ?」
「まあ、普通は自分の弱みは子供には見せないよね」
「確かにな」
このまま悩んでいても、埒が明かないように思えます。それより当座の心配をしましょうか。
「それでさ、梢恵ちゃん。こっち来て泊まったりするところあるの?」
「あらへんよ。だから、珠恵ちゃんだけが頼りなんやけど、泊めて貰うことできへんかな?」
「見ての通り、家は狭いんだけど、それで良いのなら構わないよ」
「ほんま?おおきに。この借りは、将来必ず返すよって」
「そこまで大袈裟なものでなくても良いけどさ。それで着替えとかは持ってきたの?」
梢恵ちゃんの脇に置いてあった旅行用のトランクに目をやりました。これくらいの大きさなら、ある程度の荷物は入りそうですけど。
「一応、着替えとか一通りは入れてきたつもりや。後、ノートパソコンに就職活動用のリクルートスーツとかもある。せやけど、スーツに合わせるブラウスの数が心許ないよって、買い足そうと思うとるんや。後、下着とか部屋着も幾つか欲しいんやけど」
「梢恵ちゃん、お金は持ってるの?」
「親のカードがあるよって」
梢恵ちゃんは、ポシェットから財布を取り出し、ドヤ顔でカードを見せてくれました。
「え?喧嘩しているじゃなかったっけ?カード使っちゃって良いの?」
「良いに決まっとるやん?これが無ければ生きていけへんもん。ぎょーさん使うて嫌がらせしたるねん」
さっきまで、梢恵ちゃんの将来とか重い話のように捉えていたのですけど、今の話で母娘間でのじゃれ合いのように思えて来てしまいました。
「ほんじゃ、珠恵ちゃん、買い物行こか?」
「良いけど、何処に行く?」
「ここまで来たら、勿論、原宿に決まっとるやない?何言うてんねん」
「何言うてって、私、原宿って梢恵ちゃんと一緒に行ったことしかないよ」
「は?東京来て、もうすぐ一年やないの?それやのにウチとしか行ったことが無いやて?」
「そうそう」
「いや、おかしいやろ?原宿やぞ?何で珠恵ちゃん行かへんねん?」
「何でって、特に用事無かったし」
「そういう話ちゃうんやけどなぁ。ほな、渋谷はどや?」
「そう言えば、渋谷も行ったことがないねぇ」
「珠恵ちゃん、いつも何処に行ってはるの?」
「何処って、大学だけど?」
「そういう話、ちゃうよね。ショッピングとか行くところ無いの?」
「うーん、ショッピングとか余りしないから。まあ、敢えて言えば新宿?」
「新宿ね。まあ、新宿ならありやな。でも、分かった。今日は原宿行こか」
「うん、良いよ。梢恵ちゃんの買い物だもの、梢恵ちゃんの好きなところに行こうよ」
「珠恵ちゃんも買うたらええのに」
「良いのがあればね。私、仕送りそんなに多くないから、結構きつきつなんだよ」
「え?本家の跡取り娘なのに?」
「まあ、そうなんだけど、高校からこっち、あまり親の言うこと聞いてないし、自分のことは自分でやれみたいな感じになっちゃってるんだよね。たまに事務局のお手伝いしてバイト代貰っているから、少しは余裕あるんだけど」
梢恵ちゃんの私を見る目が、可愛そうな人を見るそれになってました。
「珠恵ちゃん、苦労してんのやなぁ。そんなところに転がり込んでしもうて申し訳ないわ。ウチのカード使うて良いから、良いもん食べよ」
でもそれ、梢恵ちゃんのお母さんのカードですよね。




