6-31. 観戦
三週間ほどが経って、灯里ちゃんは平泉に向かいました。そこでの詳しいことは聞けていませんけど、灯里ちゃんはまた魔獣の出現を予測したそうです。そして、それはかなり大型の魔獣で、三つの予測出現地点の一つに北の封印の地が含まれるということでした。
織江さんは、こうなることを見越した上で、灯里ちゃんが平泉に行くように仕向けたのでしょうか。研究室で織江さんと二人きりになったときに、織江さんに尋ねると、織江さんは首を横に振りました。
「たまたまだ。我とて全知でも全能でもないのだからな」
「だとすると、灯里ちゃんは運が良いってことでしょうか?」
私は作業台の上に両肘をつき、そこに顔を乗せています。辺りには怠惰な空気が流れています。
「どうだろうな。運が良いのか悪いのか。しかし、あ奴は危険であるにも関わらず、北の封印の地に行こうとしているようだな」
「ええ、行く気満々です。それで、春の巫女の清華さんだけでなくて、夏の巫女の柚葉さんまで一緒に行って護衛する話になったみたいで」
「だが、その方が良かったかもな。柚葉がいれば、大事には至らぬだろうて」
「ふーん、そうなんですか。どういう戦いになるのか見てみたいなぁ。魔獣もかなり大型みたいですし。隠蔽とか使って行けば、気付かれずに見てられませんか?」
私は肘を付いた手の上に顔を乗せたまま、織江さんの方を見ました。織江さんは今日も白衣ですけど、実験はせずに作業台でお茶を飲んでいます。
織江さんは、私の言葉を聞いてから少し考えた風でしたけど、湯呑を作業台の上に置くと私の方を向きました。
「その手立てでも可能性はあろうが、もっと良い方法があるぞ。我が手配しておく故、当日朝にここに転移してくるが良い」
「え?どんな方法何ですか?」
「当日のお楽しみだ」
織江さんは、私に向けてニッコリ笑い掛けました。
そして、何日かが過ぎて。
その日の朝。
私は出掛ける準備を済ますと、玄関で靴を履いてから研究室に転移しました。勿論、事前に織江さんしかいないことは確認済です。
「織江さん、おはようございます」
「おお、珠恵か。良く来たな。出掛ける時間は、まだ少し先故、そこらに座って待っておれ」
待っている間にお茶でも飲もうかと思って、研究室のお茶台のところに向かいながら織江さんに声を掛けました。
「織江さん、お茶煎れますけど飲みますか?」
「おお、気が利くな。だが、今は止めておけ。直ぐに出られるようにしておいた方が良いぞ」
「どうしてですか?」
「移動できぬようになる予感がする故」
「え?」
織江さんがそう言うからには、お茶を用意するのは止めておいた方が良いと考え、作業台の周りの椅子に座って、じっと待つことにします。
それから何分かしてから、転移の兆しを感じると、誰かがこの部屋に転移してきました。
「おはようございます、織江さん。珠恵ちゃんもおはよう。まったく、織江さんが急に今日行くとか言うから大変だったんだからね。昨日洗濯を一気にやらなくちゃいけなくなって、でもお天気が良くなかったから部屋干しよ。お蔭で家族の不評を買ったわ。送風機使って乾かして、何とか今日には間に合ったから良いけど、もう少し早く言ってくれれば助かったんだけど」
やって来たのは、季さんです。織江さんがお茶を止めたのは、ここで話始めたら、何時まで経っても出掛けられなくなることを恐れたのですね。なるほど、良く分かりました。
季さんは、大きな旅行鞄を手に持ち、サイドバッグを肩にかけています。
「急なことになってしまって悪かったな、季よ。家族との団欒も一日減らしてしまうことになったしな」
「まあ、今日は旦那は寝てるし、子供たちは出掛けて家にいないから、結局一人だったんですけどね。と言うか、たまに私が帰って来たのに、この状況は何って言いたくなるんだけど。家族も長くなると倦怠期に入っちゃうのかしら。私としては、もう少し家族と会話がしたいのよね」
「あー、分かった分かった。話は後で聞いてやる故、移動するぞ」
織江さん、季さんの扱いが段々雑になってきたように見えます。
「はいはい、分かりました。あ、行く前に、これを珠恵ちゃんに持ってきたの」
季さんはサイドバッグから透明な石を取り出しました。すると、織江さんがすかさずその石を取り上げて、私に渡しました。
「これは転移石だ。分かるか?」
「いえ」
「石に少し力を注ぐと、転移陣が現れるから、それを覚えておけ。そして、石が光り輝くまで力を注ぎ込めば利用者登録ができる。後は、隣の部屋の床にでも転がしておけば良い。ここに戻るときに使う故。分かったか?」
はい。そして、私は織江さんに言われた通りのことをさっとこなしました。そう、これ以上、季さんに話をさせてはいけないのです。
「よし、準備は良いな。季よ、転移を頼む」
「はーい。もう少し私に話をさせてくれても良いのに」
季さんは、ぶつぶつ言いながらも転移陣を起動します。そして目の前の景色が変わりました。
そこは広い大きな部屋のようです。
目の前には、大きなモニター画面が縦に二列、横に三列の合計六枚あります。どれもカメラの画像を表示しているようですけど、いずれにも歪んだ空間だけが見えています。
その手前には、魔道具のようなものがあり、ゾーンに包まれているのが感じられます。
モニターの前には、背もたれの付いた椅子が二脚ありますが、誰も座っていません。左を見ると、座面くらいの高さに畳が二列に敷いてあるところがあります。一列の幅は、一間、畳の長い方との長さと同じでしょうか。畳列と列の間は掘りごたつのようになっていて、上にローテーブルが乗せられています。そのローテーブルに向かう形で座椅子を置いて、藍寧さんが座っていました。テーブルの上には、雑誌や本などが置いてあります。私達が来るまで読んでいたのでしょうか。
「藍寧さん、来たわよ」
「季さん、お疲れ様です。織江さん、珠恵さん、時空管理室へようこそ」
「藍寧さん、こんにちは。お邪魔します」
私が挨拶すると、藍寧さんはニッコリしました。
「これから手伝っていただくこともあると思いますので、よく見て行ってくださいね」
「え?そうなんですか?」
「まあ、本当にたまにだけだと思うわよ。何たって珠恵ちゃんには織江さんがいるんだし、しばらくは織江さんにこき使われるでしょうからね。こっちを手伝う余裕なんてないんじゃないの?」
「おいコラ、季。あまりペラペラ喋るんじゃないぞ。さっさと藍寧と交代せんか」
「はーい」
季さんは織江さんに怒られて、しょげるというより、不貞腐れた顔をしています。
「藍寧さん、ゾーン展開したから、切っても良いですよ」
「季さん、はい、切りました。それで、織江さん、何処に表示しましょうか?」
「このテーブルの向こう側の突き当りの壁で良いのではないか?」
織江さんは、藍寧さんの座っているテーブルに手を突きながら答えました。テーブルは横方向に長く、私達が立っているのとは反対側の突き当りには壁があります。
「そうですね。座椅子と座布団はそこの隅にありますから、持ってきて座ってください。季さんはお茶をお願いします。私は表示の準備をしますので」
「織江さん、座椅子と座布団持って来ます」
私は畳に上がると、奥にまとめてあった座椅子と座布団と移動して、皆が座れるようにしました。季さんがお茶を持ってきて、藍寧さんの隣に座りました。私は織江さんと藍寧さん達の前に隣合せに座ります。
藍寧さんは、突き当りの壁にゾーンを展開して、窓を作ります。その向こうには時空の狭間が見えていますけど、何やら操作して景色が見えてきました。どうやら、北の封印の地の御殿前広場を母屋と舞台とは反対側の少し離れた高い位置から眺めている映像のようです。
「珠恵よ。この時空管理室は、周辺異空間なのだ。それで、ゾーンを使って元の世界に繋げているのだが、あちら側からこちら側が見えないように調整しておる。それには精密な制御が必要でな、藍寧の得意とするところなのだ。さて、これからの戦いを我らが解説する故、良く見ておけよ」
それから、人が出てきて、魔獣を呼び出し、戦って勝つところまでを織江さん達の解説付きで眺めました。まるでテレビの生中継のようでした。
魔獣は予測通り、超大型魔獣で、再生能力付きの厄介な相手でした。最後は、柚葉ちゃんと愛花さんの連携技で魔獣を拘束して、そこに摩莉さんが強力な集束砲を撃ちこんで斃していました。私は集束砲の威力に目を奪われたのですけど、織江さんによれば注目すべきは柚葉ちゃんと愛花さんの連携技の方で、あれは多分チーム戦の技だろうとのことです。チーム戦を見たのが初めてと言ったら、織江さんが丁寧に教えてくれました。
「あの、織江さん、摩莉さんの技は強力だと思ったんですけど、それほどでもないのですか?」
「ああ、まだまだ強力な技もある。それにしても、摩莉は冷静にやれば一人でも斃せたのではないか?それを言えば柚葉もだが、今回は摩莉に花を持たせたか。まあ、北の封印の地は、摩莉の実家だしの」
「え?摩莉さん、冬の巫女なんですか?」
「如何にも。まあ、本部の巫女になるまで紆余曲折あったようだがな。それはともかく、お主も時空の管理人として、あれくらいの魔獣は一人で斃せる筈だ。心して鍛錬しておけよ」
「私、もう時空の管理人なんですか?」
「でなければ、ここには入れぬよ」
画面の向こうでは、魔獣は何処かに転送して、後片付けが始まっていました。
「季さん、ゾーンを察知できる者がいるみたいです。北の封印の地の現当主の娘、奏音さんがこちらを見ています」
藍寧さんの指摘に、季さんも気付いたようです。
「あ、本当だ。まあ、こっちは見えていないとは思うけれど、時空認識は持っているみたいね」
「どうしましょうか?」
「うーん、取り敢えず放置で良いんじゃない?そんな滅多に北の封印の地を覗くこともないと思うしねぇ。だけど、機会があったらフォローしておいた方が良いかな?」
季さんの視線が動き、私の目と合いました。
「珠恵ちゃん、奏音さんに会うことがあったら、何気なくどんな風にこちらが視えていたのか聞いておいて貰える?よろしくね」
季さんは可愛らしくウィンクを飛ばして来ました。
「は、はい」
私、奏音さんとはまったく面識がないのですけどぉ。どうやって「何気なく」接すれば良いのでしょうか?先日の有麗さんの気持ちが分かったような気がします。お願いする人があまり深く考えていないと、お願いされる方が苦労するのだと言うことを。
「藍寧、ご苦労だったの。ゾーンを切ってくれ」
「いえ、どういたしまして。それでは切ります」
それまで北の封印の地を映していた画面が消えて、元の壁が現れました。
「さて、珠恵よ、そろそろ研究室に戻ろうかの」
織江さんはいそいそと帰る姿勢を見せました。
「えー、織江さん、少し連れないんじゃない?私のお休み一日減らしたんだから、少しはお喋りしていっても罰は当たらないと思うんだけど?」
「そ、それもそうだな」
珍しく織江さんが動揺しているみたいです。
それから、季さん達とのお喋りは一時間以上続きました。またしても、私のお腹の音が終了の合図になってしまい、恥ずかしかったです。織江さんは、よくやったとばかりに、テーブルの下でサムズアップしてました。
帰りに、時空管理室に設置された転移石に利用者登録するよう指示を受けました。私が時空の管理人の一人になったというのは本当なのだと思いつつ、まだ自分事として捉えられていないでいます。




