6-29. 季の話は続く
アバターは後回しにして、青春を謳歌した方が良いと言う季さんの話は続きます。
「なんて、珠恵ちゃんには偉そうに言ったんだけど、実のところ、私には友達と過ごした青春時代の経験が無いのよね。私の小さい時って全然家の外に出して貰えなくて、ひたすら訓練と勉強だけだったの。それで、身体の成長が止まったところでアバターを創らされて、それからはずっと時空の狭間での防衛任務。ひたすら黙々と四六時中ずっとよ。だって、アバターは何も食べなくても、全然寝なくても死ぬことなんてないんだから。今考えれば超ブラックな職場よね。当時は世間のこと何も知らなかったから、言われるがままだったのよ。余りに退屈だから、自分の身体の時間の進みを遅くして、この世界に一週間以内に到着すると想定されるモノを検知するまでは眠って過ごしていたわ。だって、起きていたって時間の狭間を眺める以外のことはできなかったから。それで、近づくモノを検知したら、起き出して確認しに行って、ヤバいモノなら破壊して。そう言う時はいつもゾーンを使っていたから、ゾーンの達人になっちゃったわよ。でも、私はたった一人で、何をやっても褒めてくれる人もいなかった」
季さんは遠い目になっていました。私は季さんの酷く孤独で寂しそうな昔話に何て相打ちすれば良いのか見当もつかず、黙って聞くのみです。
そんな私の顔を、季さんの視線が捉えました。
「どう?可哀そうに思えた?まあ、そう思うよね。自分だってそう思うもの。だけど、当時は何も感じていなかったわ。感情や意志があるのかっていう状態だったのよ。それが私にとっての普通だった。でも、そんな私の生活に、ある時転機が訪れたのよ。事情があって、赤ちゃんを預かることになったの。赤ちゃんってね、どんなに小さくても『私は生きているんだ』『私はここに居るよ』って主張してくるの。それまで私一人だったし、凄い衝撃で。それで赤ちゃんを返した後に、自分でも子供が欲しくなって、我儘言って藍寧さんに交代して貰ったの。あの頃は、藍寧さん、表立った動きをしていなかったし、私が可哀そうって思ってくれたのか、嫌な顔をせずに交代してくれたわ。それで急いで旦那を見付けて、結婚して、子供を産んだわ。女の子と男の子の二人ね。それでまた任務に復帰したんだけど、結婚して子育てする間に色々覚えちゃったから、職場環境の酷さに気が付いちゃって、待遇の改善を要求したわ。改善してくれなかったら職場放棄も辞さずってくらいに盛大に。それで随分と見直して貰えたの。それまでずっと自分で探知していなければならなかったのを、魔道具にやらせることができるようになったりね。そのお蔭で、ゾーンさえ維持していれば、他のことができるようになったの。例えばだけど、この世界に近づくモノが無い時は、育児の本を読んだり、お料理の勉強をしたり、編み物したりね、そう言うことがやれるようになったのよ。下の子が保育園に入れられるようになる前に職場復帰したけど、どうせ他の人なんていやしないし、子連れでも問題なかったから、助かったわ。だから、今は人生を満喫出来ているのよ」
季さんは微笑みました。話が一区切り付いたようで、グラスに手を伸ばし、お茶を飲んでいます。
「ごめんなさいね、私一人で話してばかりで」
「それは大丈夫ですけど」
「えーと、何処からこんな話になっちゃったんだっけ?」
既に季さんから目的が失われつつあるみたいです。
「確か、私がゾーンを使えるようになったから、伝えることがあるって言われたような」
「ああ、そうだったわね、ごめんなさい。私、話に夢中になると、ドンドン違う方に行っちゃうから、分からなくなってしまって」
そこは自覚があるのですか。
「ゾーンを使っているときに、時空の狭間に出てしまうことがあるのは分かりましたけど、他に気を付けないといけないことがあるのですか?」
「そうね、時空の狭間に干渉するときには、予め連絡して欲しいわね。今日のことを織江さんが予め連絡してくれたみたいに。どちらにしても、何かがあれば調査しないといけないことには違いが無いんだけど、予め連絡しておいてくれれば、警戒レベルを下げられるでしょう?やっぱり突然何かあると驚くし、警戒するのよ。分かるわよね?」
「分かりますけど、どうやって連絡すれば良いですか?」
「待って、いま電話番号を教えるから」
季さんは、サイドバッグからスマホを取り出し、操作してから画面を見せてくれました。電話帳の一ページみたいで、電話番号が書いてあります。
「『時空建設現地事務所』と書いてありますけど?」
そう、電話番号と一緒に書いてあった電話先の名前が『時空建設現地事務所』となっているのです。
「ああ、それ?他の人に見られても良いように名前を考えたのよ。ほら、家族に見られちゃうかも知れないじゃない?私が黎明殿の巫女だってこと、旦那は知ってるけど、子供たちには教えていないのよ。巫女は全員本部に登録することになっているから、そうじゃない巫女がいることは秘密と言うか、超極秘だもの。子供たちに言える訳がないのよ。それで会社に勤めていることにして、どんな名前にするのか、藍寧さんと考えたの。ともかく、家にいないことが多いから、出張が当たり前の職業にしないとって考えて、海外出張の多い商社も候補だったんだけど、海外出張行けば、普通はお土産買って帰ったり、何があったか話さないといけなくなるから無理よねって。それで、山の中とかの工事だったら良いんじゃないかってことで、建設会社にした訳。会社の名前も色々悩んだけど、まあ、そこは時空の狭間から名前を取って時空建設ってことにしちゃおうって。その後、藍寧さんは、ちゃんとそのダミー会社を立ち上げて登記をしてくれたの。だから、手当も時空建設から私の銀行口座に振り込まれるようになっているのよ。まあ、その裏は、黎明殿本部なんだけどね」
「はあ」
季さんが話しているときは、そちらに集中していないと話を聞き漏らしてしまいそうなので、手を休めてました。話が一段落して、季さんがグラスを口に持って行ったので、この隙にとばかり、スマホを操作して電話番号を登録します。勿論、名前は『時空建設現地事務所』にしています。
「登録しました。ありがとうございます」
私は、画面を見せて貰っていた季さんのスマホを返しました。
「はい、どういたしまして」
季さんは自分のスマホを受け取り、操作をしながら私に尋ねました。
「そう言えばさぁ、珠恵ちゃんは織江さんと仲が良いんでしょう?」
仲が良いとかあまり意識したことが無いので、何と答えて良いのか悩みます。
「仲が良いのか分かりませんけど、大学の先輩ですし、研究室に行くといつも話をしていますね」
「それだったら十分仲が良いと思うわ。それで、貴女、創世神話のことは知ってる?」
「いいえ、聞いたことがありません」
「ふーん、そうなんだ。だったら一度、読んでおいた方が良いわよ。まあ、何と言うか、一般常識?みたいなものだから」
「巫女のですか?でも、母から聞いたこと無いと思うのですけど」
「それは仕方が無いのよ。創世神話は昔の話だし、伝承される中で廃れてしまうものもあるから。特に自分達に直接関係ないことなんて、忘れちゃうでしょう?本当は関係ないことは無かったんだけど、それもどう伝わっていたのか分からないし」
「それで、そのお話って本になっているんですか?」
「ううん、本にはなってないわ。と言うか、本にするほど話の量は無いし。本当に簡単な言い伝えだけだったのよ。それで、前にそれをネット小説にした人がいるの。これよ」
季さんから見せて貰った画面には、ネット小説のトップページが表示されていました。
「『黎明の創世神話』ですか」
「そう、このタイトルで検索すれば、直ぐに見付かるわよ」
実際に自分のスマホで検索したら、検索結果の最初にその小説がありました。
「ありがとうございます、読んでみます」
「何度も読んで、頭に刻み込んだ方が良いからね」
それでスマホが用済みになったらしく、季さんは、手に持っていたスマホをサイドバッグの中に片付けました。
「さて、それでなんだけど、真面目に話さないといけないことがあるの」
「何でしょうか?」
「これから珠恵ちゃんに守って欲しいことなんだけど」
季さんは、指を一本立てました。
「一つ目は、ゾーンは時空の狭間に干渉するときだけ使うようにして欲しいの。この世界の中で戦うときにも使えるんだけど、出来るだけそれは止めて欲しくて、本当の本当にそうしなければ不味いときだけにしてね。この世界の中での戦いに使うにはゾーンによる強化は強すぎるのよ」
そこで季さんは、指をもう一本立てました。
「二つ目だけど、感情のコントロールを覚えなさい。感情に任せてゾーンの力を使うと碌な結果にならないわよ。それに分かっているとは思うけど、巫女の力は護りの力。怒りや憎しみの感情では力は十分に出せないしね。強者は常に冷静であれ、よ。ゾーンの力を使おうとするときには、一度深く深呼吸すると良いわ。冷静になって周りが見えるようになるから」
そして、更にもう一本。
「三つ目、そして最後のお願いなんだけど、時空認識が使える巫女がいたら、ゾーンのことは教えないで、まず藍寧さんか私に連絡してね。さっきの電話番号に電話するでも良いから。織江さんに言っても良いけど、これは巫女の問題だから、私達に話して欲しいの。良い?」
「はい、分かりました」
季さんは長いことゾーンの力を使って来て、その経験からアドバイスしてくれたのだと思います。自分も十分に経験を積んで、何か問題があると思ったなら、その時相談をすれば良いことです。
「よし、珠恵ちゃん、やっぱり良い子だね。今度私の職場に招待してあげる。昔は酷かったけど、いまは本当に快適だから、そういうのを見て欲しいなぁ」
「ええ、是非」
それから話は雑談モードに入って、季さんの旦那さんとの馴れ初めのことや、趣味のことなど色々な話を聞きました。季さんの話が終わったのは、さらに一時間が経過してからですが、それと言うのも私のお腹が盛大な音を立てたからでした。季さんは、どうせだからと外に食べに誘ってくれましたけど、疲れていたので丁重に遠慮して、お見送りしました。
季さんの「少しのお話」がこんなに長いとは、私には予想できなかったです。




