6-28. 季
季と名乗るこの人は、何者だろう?突然押しかけられて話がしたいと言われても、はいそうですかとは言い難いのですけど。自然と訝しげな表情になってしまったようで、相手の女性は少し慌てたようです。
「えーと、あの、私は怪しいものでは――」
「皆さん、そう言いますよね」
私が言い返すと、女性は困った顔をしました。
「そうね、どうしましょうか。貴女、力は感じられるのよね?」
その言葉と共にその女性から巫女の力の波動が伝わってきました。
「あと、これとかどうかしら?」
女性の周りに靄っとしたものが拡がります。と同時に私の感覚にも引っ掛かるものが。
「これって、もしかして数人しかいないという」
そう、目の前の女性の周囲に見えているのは時空の揺らぎです。
「信じて貰えそうかしら?」
女性はちょこんと首を傾げて私を見ています。薄手の白のブラウスに、紺のタイトスカートという社会人のスタイルなので、まず間違いなく年上と思うのですが、とても仕草が可愛らしいと感じてしまいます。
「分かりました。信じます」
私の言葉で、季さんは満面の笑みになりました。見た目清楚ですが、とても天真爛漫な人みたいです。
「それで、道端で話すような内容ではないですよね?」
「そうね、そうなるかしらね」
「でしたら、私の部屋で良いですか?」
「ええ、珠恵さんには悪いけど、お邪魔しちゃう」
私は季さんを伴って部屋に入ると、季さんを座卓に案内してから、お茶を入れたグラスを用意して、季さんの前に座りました。
季さんは、部屋の中をぐるっと見回しています。
「やっぱり女の子の部屋ねぇ。とても可愛らしいわ」
「高校時代に買ったものが多いですから。まあ、今でも可愛いものは嫌いじゃないです」
「それで良いんじゃないの?私も可愛いものは好きだし。まあ、今一番可愛いのは息子かしらね。やんちゃで、人の言うこと聞かないけどね。でも、甘えん坊なのよ。私、たまにしか家に帰らないんだけど、いないと寂しいらしいの。それで寂しいと電話かけてくるし、私が家に帰るとよく私の方に寄ってきて話し掛けてくるのよ。そういうのひっくるめて、男の子って凄く良いのよねぇ」
季さんはお喋りが好きそうです。え、これで子持ちなの?という突っ込みを入れる暇がないくらい、私に話し掛けてきます。
「あ、あのう、季さん、今日は何かお話があったのではないですか?」
「え?ああ、そうね。今日来たのは、珠恵ちゃんってどんな子かな?って思っていたから、一度お話をしたいなぁって。まあ、織江さんが見込んだ子だから大丈夫とは思うんだけど、やっぱり百聞は一見に如かずですものね。それに今日、ゾーンを使って魔獣を出現させたでしょう?あれが出来るとなると、色々知っておいて貰わないといけないことがあるから、早いところ伝えなくちゃって思ったの」
えーと、何から質問したものでしょうか。季さんがお茶を飲んでいる間に、頭の中を整理しないと。
「季さん、ゾーンって何ですか?時空の揺らぎのことでしょうか?」
「そうね、ゾーンって自分で発生させた時空の揺らぎね。自分で発生させたって言うのが重要なの。他の人や魔道具で発生させても駄目なのよ。自分で発生させるなら、方法は問わないけど、大抵は時空活性化陣を使うわね。貴女もそうなのでしょう?」
「ええ、私はその方法しか知りません」
「それで問題ないわ。他の方法って滅多に使う必要が無いもの。でも、貴女、今日いきなりぶっつけ本番でやって成功させちゃったのよね。予め織江さんから電話があって、貴女が今日魔獣の出現に挑戦するって話を聞いた時には、そんな初回で出来ると思わなかったから。私だって最初の時はかなり苦労したのよ。それを思えば、貴女は、とても筋が良いと思うわ。けれど、これからは慎重にやって欲しいかなぁ」
「えーと、どの辺りを慎重にすれば良いでしょうか?」
「ゾーンはね、使い方次第で色んなことが出来ちゃうのよ。勿論、色々出来るにしても、限界はあるんだけどね。それに危険もある訳。それは貴女自身が危険になることもあるし、この世界が危険にさらされることもあるしね。そうしたことをキチンと知っておいて貰わないといけないのよ。それで、それを教える義務があるのがゾーンを使える先輩よね。と言っても、そんなに人数いないし、貴女が知っていてゾーンが使えるのは藍寧さんと私だけでしょ?それでもって藍寧さんは他人にあまり教える人では無いし、そうなると私が来るしかないでしょう?もっとも、今は私の代わりに藍寧さんに番をして貰っているんだけど」
うー、私が聞かなくてもどんどん話をしてくれますけど、話が飛ぶので付いていくのが大変です。分からないことは質問してみますけど、話が何処に飛んでしまうか不安があります。
「ゾーンを使うと、私にとって何が危険なのですか?」
「ゾーンって、自分のやれることが最大限に出来るのよ。自分のやれることの最大限だから、安全そうに思うでしょ?だけどそうじゃないの。特に貴女にとって一番危険なのは、ゾーンを使っていると時空の狭間に飛び込めてしまうってことね。知っていると思うけど、時空の狭間は物理法則が無い訳。だから、物理法則で成り立っている貴女の身体は時空の狭間では一瞬で分解しちゃうのよ。だから間違えてもゾーンを使っているときに時空の狭間に行くことを考えちゃ駄目よ」
そ、そうだったんですか。そんな危険があるとはまったく考えていませんでした。季さんの言う通り、本気で注意しようと心に刻みます。でも、私にとってと言うことは?
「季さんなら時空の狭間に入っても大丈夫そうに聞こえたのですけど?」
「ええそうね。私達の身体はアバターだから。あら?貴女アバターのことは知っているの?」
私は首を横に振りました。
「アバターって言うのは、巫女の力で作った身体のことよ。そう、時空の狭間には物理法則で成り立っているものは存在できないのだけど、巫女の力で作ったモノは存在できるの。だから、アバターなら大丈夫ってこと。貴女、アバターのことを知らないってことは、アバターの識別方法も知らないのよね?」
「はい」
「アバターの識別は簡単なのよ。胸の上に手を当てて力を流せばアバターの印が出て来るから。ほら、貴女、私でやってみても良いわよ」
そう話しながら、季さんは私の隣までやってきて、ブラウスの上側のボタンを外し、胸元を露わにしました。
「ほら、手を当ててみて」
私に答える時間を与えず、私の手を取って自分の胸元にあてがいました。
「力を籠めてみて貰えるかしら。軽くで十分よ」
言われた通りに、軽く力を流し込んでみます。すると、季さんの胸元に数字とエンブレムが現れました。
「分かった?これがアバターである印なの。数字はアバターを創った順番ね。私のアバターは31番目ってこと。実はね、私の前はしばらくアバターを創っていなかったのよ。元々は30番で打ち止めにするつもりだったらしいの。だけど問題が起きて、仕方なく増やすことにしたのよね。それで私のアバターが創られた訳」
「はあ」
ともかく情報量が多いです。でも、時空の狭間に出ることがあるなら、私にもアバターはあっても良いのではないかと思えるのですけど。
「そのアバターって、どうやったら手に入るんですか?」
「うーん、言っちゃって良いのかなぁ」
何でも話して貰えるかと思っていたら、そうでもなかったようです。季さんはブラウスのボタンを掛け直しながら、悩ましげな表情をしました。
「まあ、珠恵ちゃん、良い子そうだから良いか」
ブラウスを整え直した季さんは、あっさり決断しました。そんなに簡単に決められることだったんですね。
「アバターはね、後から力を与えられた巫女は、力を与えてくれたリーダーに創って貰うの。そうじゃなくて、生まれた時から力を持っていた巫女は、藍寧さんに手伝って貰って自分で創らないといけないのよね。私は生まれた時から巫女の力を持っていたから、藍寧さんに手伝って貰った方な訳。でも、中には自力で自分の身体をアバター化しちゃった人もいるわ。そもそもアバターを与えられなかった人は、アバター与えちゃうと不味いんじゃないって人だった訳だけど、自力でアバター創っちゃったらどうしようもないじゃない?まあ、そうは言っても、結局は何とかなっているかなぁ」
不味い人にアバターがあって、本当に問題が無いのか心配になりましたけど、口を挟む隙間がありません。
「それでね、珠恵ちゃん。アバターは、時空の狭間に存在できるって言う以外にも、身体能力は高くなっているし、巫女の力はするする通るし、お肌はいつまでもぴちぴちだし、色々便利ではあるの。ただ、そうは言っても、アバターってやっぱり作り物だし、何か人間離れしちゃった感じになって、知らず知らずに他の人達と距離が出来ちゃうのよ。だから、若いうちは今の身体のまま思いっきり青春を謳歌した方が良いと私は思うのよね」
ここで終わるかと思いきや、季さんの話にはまだ先がありました。




