6-17. 試験期間
大学祭が終わって一か月余り、7月に入って少しすると、前期の試験期間に入ります。もっとも、受講していた講義のすべてが試験をするとは限りません。試験の代わりにレポートの提出が求められているものあります。なのでこの時期、レポートの作成と試験の準備とで学生は大忙しです。私も日がなレポートと試験に追われています。
高校時代、文系から転向したために理系科目で後れを取っていた私ですが、梢恵ちゃんに教えて貰っていたことと、大学に入ってから同期の人達に教えて貰ったことで、何とか人並みレベルには到達できました。心配していた落第も免れられそうでホッとしているところです。
そうは言ってもギリギリな状態ではあるので、試験の時間以外は研究室にも寄らずに家に帰って、レポートと勉強に取り組んでいます。なので、今日も数学演習の試験が終わると、筆記用具を片付けて家に帰ろうとしました。そんな時、灯里ちゃんに声を掛けられました。
「あのさ、珠恵ちゃんと雪希ちゃんに話があるんだけど、今いいかな?」
灯里ちゃんは、私を呼び止めながら、雪希ちゃんに手を振ってこちらに呼び寄せています。
「灯里ちゃん、どうしたの?」
雪希ちゃんがやってきました。
「二人に話したいことがあって」
そして、灯里ちゃんは私達に顔を近づけて、問い掛けました。
「二人は白銀の巫女って知ってる?」
「ううん、聞いたこと無いよぉ」
雪希ちゃんが首を左右に振りました。私も知らなかったので、同じように首を振ります。
「それじゃ、日曜日に上野に大型魔獣が出たことは?」
「それはニュースに出てたよね。でも、直ぐに斃されたんでしょう?」
うんうん、と私も頷きます。
「そうなんだけどさぁ、ニュースでは誰が斃したかは言ってないんだよね」
「あー、そうかも。でも、被害は出なかったって言ってたし、誰が斃しても良さそうだけど」
「でもさ、動画サイトに動画が載っているんだよ。これなんだけど」
灯里ちゃんは、私達にスマホの画面を向けました。そこに映し出された動画には、横断歩道の真ん中にいた魔獣が道路の端の方に進んでいき、そこに白銀の髪に白い和装の女性が現れて魔獣と戦い、斃して去っていくところまでが収められていました。
「本当に一瞬で斃してるね」
雪希ちゃんは、女性の手際の良さに感心していますけど、私は別のことが気になりました。
「この女の人って、もしかして黎明殿の?」
「珠恵ちゃんもそう思う?」
私が顔を上げると灯里ちゃんと目が合いました。灯里ちゃんの目は真っすぐに私を見ています。同意を求めるのではなく、何かを知っていそうな雰囲気を感じます。それは何かは分かりませんが、私は一旦スマホの画面に目を戻して、女性の顔が良く分かりそうな部分を探しました。
「でも、有麗さんじゃないよね」
この地域の担当は有麗さんなので、本部の巫女なら有麗さんの筈です。有麗さんの髪は白銀ではないですけど、そこを置いておいても、顔つきが違います。
「うん、違う。と言うか、誰かはもう分かっているんだ。これを見て」
灯里ちゃんはスマホを操作して画面を切り替えました。それは、黎明殿のホームページでした。
「黎明殿のホームページ?」
「そう、そこに本部の巫女の紹介へのリンクがあるでしょう?それを押してみて」
私は灯里ちゃんが指定したところを叩くと、スマホの画面が切り替わり、本部の巫女の紹介ページが表示されました。そう、黎明殿では、本部の巫女の全員の顔写真と名前と担当地域を紹介しているのです。それには広報的な意味合いもあるとのことですけど、本部の巫女のことは隠さないという証を立てる意図もあるようです。
その紹介ページには、現在登録されている本部の巫女が登録順に載っています。つまり、最後の巫女が、一番最近に登録された巫女だということです。その最後の巫女の写真を見て、灯里ちゃんが言いたかったことが分かりました。
「この人みたいだね。髪の色は違うけどさぁ」
雪希ちゃんの言う通りです。髪の色こそ違いますけど、顔付きはそっくりです。
「姫山愛花。担当地域なし。本部に登録されたのは昨日になってる」
「灯里ちゃん、動画の中で戦っていたのはこの人だと思うけど、その話がしたかったの?」
「まあ、それは話の取っ掛かりと言うか何と言うか。まだ話の続きがあるんだけど、ここでは不味くて」
灯里ちゃんには、大っぴらには話せないことがあるようです。
「それなら、研究室に行かない?あそこなら大丈夫だよ」
「え?そうなの?」
「うん、そう。どうしてかは研究室に行ったら説明するから」
「分かったよ。雪希ちゃんも良い?」
「良いよぉ」
そうして、私達は階上の研究室に向かいました。
研究室に居たのは八重さんと織江さんです。そうであることは、灯里ちゃん達と下で話をしていたときから探知で分かっていました。
「お邪魔しまーす」
扉を開けて順番に研究室の中に入っていきます。
「おう、お主たちか」
織江さんと八重さんは、実験用の作業台の上でお茶していました。
「お主たちも一緒にどうだ?先生が取引先から挨拶代わりにお菓子を頂戴したらしくてな。それが我らの方に回ってきたのだよ。何、遠慮はいらん」
織江さん、学生なのに八重さんより態度が大きいですね。いつもですけど。
私は本当に良いのか心配になって八重さんの顔を見たら、ニッコリ微笑んで「どうぞ」のジェスチャーをしてくれたので、安心していただくことにします。雪希ちゃんはいち早く給茶セットが置いてある棚に行って、私達の分のお茶を淹れてくれました。
「それで、今日はどうしたんだ?三人揃って来て」
そうですね。八重さんの言うことももっともです。灯里ちゃんは、サークルに入っていて、さらにはお仕事もしているらしく、いつも忙しそうにしていて、研究室に一緒に来ることが殆ど無かったのです。雪希ちゃんもアルバイトをやっています。何もやっていないのは私だけ、いえ、勉強に追い付くのに一所懸命でそれ以外のことをやっている時間が無いのです。ここに来れば、勉強も教えて貰えますし、私が一番この研究室に顔を出しているのは間違いのないところです。
さて、八重さんの質問にどう答えましょうか?
「下の教室で、灯里ちゃんに話があるって言われて聞いてたんですけどぉ、その先の話はそこでは不味いってことで、そしたら珠恵ちゃんがここに来れば良いって言ったから」
私が悩んでいる間に、雪希ちゃんが代わりに返事をしてくれました。
「何だ、その下では不味いという話は?」
「えーとですね」
灯里ちゃんが私達にしてくれた話を、八重さんと織江さんにも説明しました。
「まあ、そこまでは普通に話せる話なんですが」
灯里ちゃんは、そこで言い淀みました。そして、私の方を向きます。
「珠恵ちゃん、そう言えば何でここなら大丈夫なの?」
「この部屋には結界が張ってあるから外には聞こえないって言われたので」
「お主、そのこと誰に聞いた?」
それまで黙って話を聞いていた織江さんが私の方を見ました。
「有麗さんですけど」
「あー、あ奴か」
織江さんは、諦め顔です。
「まあ、ここにいる者ならば構わんが、他の者には言うでないぞ」
織江さんが私達のことを見回すと、灯里ちゃんや雪希ちゃんは首を縦に振って肯定の意を示していました。
「それで灯里よ、お主の話とは何だ?」
「さっき話した最近本部に登録された愛花って人なんだけど」
灯里ちゃんは再び言葉を切りました。そして、深呼吸すると、意を決したかのような顔をして次を続けました。
「私の知っている人かも知れなくて」
「『かも知れない』とはどういう意味だ?」
「顔が全然違うんです。でも、仕草はそっくり。それに、その人、最近変で。前は眼鏡してたのに、今はしてないし。誰が建物内の何処にいるのか何時も分かってるし。もしかしたら、顔が変えられたりするのかも知れないと思って」
「そうか」
織江さんは口を閉じると、お茶を一口飲みました。そして、ほーっと息をつくと、灯里ちゃんを真剣な眼差しで見つめます。
「お主、その話がタブーであることは知っておるのだろう?わざわざ場所を選んだのだ。それにお主自身、最初から不味い話だと言っておったしな」
「はい」
灯里ちゃんは、叱られた猫のようにシュンと項垂れてしまいました。
「まあ良い、黙っているのが辛いこともある故な。言いたいことがあれば、ここですべて吐き出してしまえ」
思い切り怒られるかと思いきや、理解のある言葉を受けて、灯里ちゃんは顔を少し上げました。
「だがな、灯里よ。秘密を暴こうとするのは止めておけ。『好奇心は猫をも殺す』と言われる通りだ。本部の巫女の秘密は、秘匿せねばならぬ故にこそ秘密なのであって、それが真に守られるべき秘密ならば、お主の命は無いぞ」
「本部の巫女が私を殺す?巫女は私達を護ってくれるのではないの?」
「奴らに敵対しない限りはな。秘密を暴こうとする行為は、敵対行為と取られると言うことだ。分かるか?」
「分かりました」
言葉ではそうは言ったものの、私には灯里ちゃんが完全に納得したようには見えません。織江さんも同じだったらしく、溜息をつくと、灯里ちゃんに向けて微笑みました。
「まあ、口で言っただけでは分からんだろう。だからマナーとして覚えておけ。本部の巫女のことで何か知ったとしても、知らない振りをせよ。そして決して他言せずに、すべて我に報告せい」
「何故織江さんに?」
「お主、話さずにはおられんだろ?だから我が聞いてやる。我相手なら、巫女も手を出せぬからな」
灯里ちゃんは怪訝そうな顔をして、織江さんを見ます。
「織江さん、何者ですか?」
「だから言っておろうに。我は闇のオリヴィエ、魔王の眷属だ」
「魔法で焔とか出せるんですか?」
「我は魔法使いではないわ」
「血を吸ったりするんですか?」
「我は吸血鬼でもないわ」
「じゃあ、何ができるんですか?」
「お主の話し相手ができるだけでは不満か?」
「――」
織江さんは、何処に問題があるのかと言わんばかりに澄ました顔でお茶を飲んでいます。灯里ちゃんは、織江さんを睨み付けるような表情をしていましたけど、織江さんの尊大な態度を見て諦めたのか、体の力を抜きました。
「いえ、それで良いです」
「ああ、そうしておけ」
どうやら、灯里ちゃんの話が終わったようです。
「それで、私、もう一つ話したいことがありまして」
あれ、終わってなかった。




