6-2. 鴻神研究室
「はい、お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
八重さんは、グラスに冷たいお茶を注いできてくれました。織江さんと八重さんにも冷たいお茶を入れてきたようですが、容れ物はグラスではなくて、それぞれ違う形のマグカップです。織江さんのマグカップに、大きく「オリヴィエ」と書いてあるので、個人用のマグカップですね。
「それじゃあ、軽く自己紹介しようか」
八重さんは、全員にお茶を配ると、作業台を隔てて私の前に座って、話し始めました。織江さんは、八重さんと私の間の誕生日席のような位置に座っています。
「私は、設楽八重。ここ鴻神研究室の助手をやってる。そして彼女は朱野織江」
「闇のオリヴィエだ。我は魔王の眷属なり」
「織江だよね?ここの研究室の修士二年だよね?自己紹介くらいまともにやらんか」
「我は敬意を表して正しく自己紹介したのだ。そんな風にぶーたれるようなことは言っておらんのに」
織江さんは、少し拗ねた表情になっています。
「分かった分かった、悪かった。魔王の眷属様」
え?悪かったのって、八重さんの方なの?
「問題ない。確かに今はここの学生をやっとるしな」
そして、織江さんは、私の方を向きました。
「我らのことはいま話した通りよ。それで今度はお主のことを聞かせて貰えぬか?確か珠恵と言ったな?」
「はい、西峰珠恵です。府立淀川高校の三年生です」
「え?西峰ってまさか、秋の巫女の家系?」
八重さんが驚いた顔をしています。
「はい、その通りです。よくご存じですね」
「キミには意外かもしれないが、四季の巫女の家系は、私らにとっては常識だからな。春の東護院家、夏の南森家、秋の西峰家、そして冬の北杉家。でも、大阪の大学じゃなくて、東京に来るつもりなのか?西峰家の勢力圏は西日本方面だろう?」
そう、八重さんの指摘はその通りなのですけど。
「まあ、思うところがありまして。それに、ここには冬の巫女も来ていると聞いていますから」
「ああ。どうしてかは分からないが、冬の巫女は喫茶店をやってるな。歩けるところにあるし、行ってみたこともあるぞ。パスタが中々美味しかった」
「我も何度か行ってコーヒーを色々試しておる。我の好みはブラジルだな。お主も今度一緒に行ってみるか?」
「はい、行ってみたいですね」
「じゃあ、来年は我らが研究室に来るが良い」
ん?その話の流れで良いんだっけ?
「あ、ちょっと待ってください。そもそもここは何の研究室なんですか?」
私が織江さんを見ると、織江さんは八重さんの方を向きました。どうやら説明は八重さんに振るつもりみたいです。
「ここは理学部地球科学科の鴻神研究室だ。地球科学科は、地球上の色々なことを科学するのが専門で、例えば気象学や地質学なども含まれている。その中で、この研究室は考古学を中心としながら魔道具やダンジョン、それに黎明殿の研究にも手を出しているんだ」
「だからさっきの魔道具があったんですね」
「さっきの魔道具って?」
「こ奴が言っているのは、時空活性化の魔道具のことよ」
「ああ、織江が実験していたんだな?」
「如何にも。そしたら、それに惹かれてこ奴がここに来た」
「へー、時空活性化が探知できるってこと?それは珍しいね。織江が勧誘したくなるのも分かる気がしてきた」
何だか八重さんの眼も怪しい色を帯びているように見えるのですけど。
「それで、良ければ教えて欲しいんだけど、キミって秋の巫女なの?」
答えはその通りなんですけど、この人達に言ってしまって良いのか迷いました。秋の巫女とは、黎明殿の西の封印の地を治める普通の人には無い力を持つ存在であるということです。余り言いふらすものではありません。でも、この研究室は、本部の巫女も手伝っているみたいだし、大丈夫かな。
「はい、そうです」
「そうなんだ。確かに逸材だね」
「だから言ったろうに」
織江さんは、八重さん相手に偉そうです。それが当たり前なのか、そんな織江さんの態度に八重さんが怒る気配はまったくありません。
「あの、でも、ここ理学部なんですよね?」
「そうだが?」
「私、史学科を考えていたので、理系科目を余り取っていないんです」
「ああ、そうなのか」
「お主の才があれば、受験はどうにかなろう。だが、入学後のことを考えたら、今から少しでも理系科目の勉強はしておいた方が良いな」
「いえ、織江さん、受験も心配ですよ」
「おいコラ、我はオリヴィエだ」
「え?八重さんは織江って言ってましたよね」
「八重のことは放っておけ。我ももう諦めた故」
そうなんですか、諦めているんですね。
「分かりました、オリヴィエさん。で、受験だって心配ですから」
「それならがむしゃらに勉強すれば良かろう。さすれば何とかなろうて」
「そうかもですけど」
と、私は腕組みをして考えました。私がそんなに頑張って勉強しないといけないのは、どうしてだっけ?
「お主、どうした?」
「いや、どうしてそこまでしてここに来たいんだっけと自問自答してまして」
「うむ?」
織江さんも、腕組みをして考え込んでしまいました。
「キミに一つ聞きたいんだけど?」
「何でしょうか?」
「さっきの話しぶりだと、キミが東京に来るという話は、キミの個人的な希望で、西峰家の総意ではなさそうに聞こえたのだが、どうなんだ?」
「ええ、まあ、そうです。東京に来たいというのは私の希望で、両親にはまだ相談してません。了承が得られるかも分かりません」
「だったらどうだろう?キミがここの学科を受けるというのなら、キミが東京に来る理由を作ってあげるというのは?キミのご両親も反対できないような」
「そんなことが出来るんですか?」
「悪いようにはしないさ。キミに取っては難しいかも知れないけど、私達からすれば、幾らでも攻め口はあるからね」
「確かにな、八重。それは我らが得意とするところだ。どうだ、それならお主も勉強を頑張る気になるか?」
「そうですね。こちらに来られるようになるというのなら」
「それじゃあ、交渉成立ということで」
八重さんは椅子から立ち上がって、織江さんの後ろから回り込んで私のところまで歩いて来ました。
「改めてよろしく。そして、鴻神研究室へようこそ。キミを歓迎するよ」
八重さんは右手を私の方に差し出して来ました。
私はおずおずとその八重さんの手を握りました。
「はい、よろしくお願いします。でも、受験はこれからなんですけど?」
「そうだったな。まあ、織江の言ったように、何とかなると思うよ」
八重さんは私に向かって微笑みました。
そして織江さんもいつの間にか私の傍に来ていて、八重さんと握っている手の上に、右手を乗せてきました。
「よしよし。面白くなりそうだの。来年が楽しみだ」
織江さんも嬉しそうに笑っています。心配事はありますが、この人達と一緒なら何とかなるかも知れないと思えました。
「あ、そうそう、キミに確認しておきたいんだけど?」
「何でしょうか?」
「キミが時空の活性化状態を探知できることを、ご両親は知っているの?」
「良く分かりません」
「良く分からない?」
「はい。まだ小さい頃に、ダンジョンって変な感じがするという話を親にしたことがあるんですけど、何のことか分からないという顔をされてしまったんです。それで、説明するのを諦めてしまって、それ以来、その話はしていないんです。だから、私がダンジョンを探知できる、八重さん達の言う時空の活性化状態を探知できると言うことを理解して貰えているのか良く分からないんです」
「ふーん、なるほど」
「であればな、珠恵」
織江さんが私に真剣な眼差しを向けました。
「お主のその能力のこと、封印の地では伝承されてはおらぬとは思うが、万が一知れるとややこしいことになる故、これからもお主の実家には伏せておけ。良いな?」
「分かりました。黙っています」
私の返事に、織江さんは満足そうに頷きました。




