5-40. 朱音の来店
氷竜戦が終わったその日は、祝賀パーティーと称して参加した皆で懇親会をしました。でも、翌日から仕事や学校の予定がある人ばかりでしたので、パーティーの後は直ぐに解散となりました。まあ、共用異空間を通路として使えば、いつでも蹟森と行き来できますので、以前と比べると故郷から遠く離れた感覚は薄れています。
お店も翌日の水曜日からは通常営業しました。常連さんもいますし、そうそう休んでばかりもいられません。
さらに二日経った金曜日、午後のティータイムには風香さんと麗子さんが来ました。この二人も二週に一度は来てくれていますから、立派な常連さんです。お店に来た時は私ともよくお話をしますので、いつもカウンター席に座っています。
どうやら二人は独自の調査網で、氷竜との戦いのことを聞きつけたようです。
「ねえ、琴音ちゃん。聞いたよ。蹟森で大きな戦いがあったらしいって。何でも、地鳴りがして、山の方に近づこうとしても結界か何かがあって近付けなくて、結界が無くなった後に山の方に行ってみたら、山の形が変わっていたとか。何があったの?」
カウンター越しに投げかけられた風香さんの話は、少し誇張が入っているものの、大体のところは合っています。結界は、天音お婆さんと母が張っていたと後から聞きました。通常の結界は魔物避けですけれど、氷竜との戦いの時は、巫女しか通れない結界にしてあったそうです。
「風香さん、何処からそんな情報を手に入れたのですか?まあ、確かに戦いはありましたけれど」
「ふふん、うちには蹟森にも門下生がいるからね。そういう情報は直ぐに集まるようになっているのよ。それで、琴音ちゃん、何と戦ったの?」
「それは教えられません。口外するなって本部から指示がありましたので」
「なあんだ、そうなのか。残念だなぁ。琴音ちゃんからなら詳しい話が聞けると思ったのに」
「ご期待に沿えずにすみません」
「気にしないで良いから、本部の指示じゃ仕方が無いし」
申し訳なさそうな私に、風香さんは片手を挙げて了解の意を示しました。
「まったく風香ったら琴音ちゃんを困らせちゃって。本当に聞きたい話はそのことじゃないでしょう?」
「え?ああ、麗ゴメン、そうだった」
「?」
私が何のことか分からないでいると、麗子さんが説明してくれました。
「風香はね、蹟森で色々なことが起きているから、琴音ちゃんが心配になってお店を止めて帰っちゃうんじゃないかって心配しているのよ」
「ああ、そういうことですか」
納得した私の目の前では、風香さんが何故か恥ずかしそうにしています。
「風香ってそういう肝心なことは聞けなかったりするのよね」
「麗、それは余計」
「何を言っているのよ、まったく。それで、琴音ちゃん、実際のところはどうなの?」
「そのことは家族とも話しましたけれど、当面こちらに居て良いってことになりました。それより、早く良い人を見つけろって」
「ああ、そうよね。琴音ちゃんも後を継がないといけないんだもの、お婿さんが必要よね。私も良い人が居ないかなぁ」
「麗に?無理じゃないの?部屋にいる麗を見たら、皆腰が引けるって」
「風香も余計なこと言わないで」
麗子さんの私生活がとても気になりましたけれど、知らない方が良いと言うことでしょうか。
そんな会話をしているところに、入り口の扉のベルが新しいお客が来たことを知らせてきました。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、巴さん。カウンター良いですか?」
「ええ、どうぞ」
巴ちゃんに促されてカウンターに来たのは柚葉ちゃんでした。
「こんにちは、琴音さん。それに、風香さんと麗子さんも」
皆に挨拶して、柚葉ちゃんは風香さんの隣に座りました。
「カモミールティー、良いですか?」
「はい、お待ちください」
私がカモミールティーの準備をしている間に、風香さん達が柚葉ちゃんに話し掛けています。
「ねえ、柚葉ちゃんは今お休みなんでしょ?でも、来週からは新学期だよね?」
「はい、来週から学校が始まります」
「柚葉ちゃん、今度高三だっけ?」
「そうですね」
「それじゃあ、受験生?柚葉ちゃん、大学に行くんだよね?」
「そうですね。行けるなら大学行きたいですが」
「どこが行きたい大学はあるの?」
「まだ何処と言うのはないですが、行くなら面白いところが良いですね」
「面白いところ?」
「面白い研究をしている研究室のある大学です。例えば、魔道具の研究や、魔獣やダンジョンの研究、黎明殿の研究とか」
「あー、柚葉ちゃんは、ひたすらそっちなんだね」
話を聞きながら、私も風香さんと同じ感想を持ちました。大学くらい、巫女の使命から外れた理由で決めても良いのではと。でも、人それぞれですからね。それに、魔道具の研究なら、私も楽しめそうな気がします。
そんな柚葉ちゃんは、風香さんの感想を聞いても、特に気にする風でもありませんでした。
「私は出来るだけのことを知りたいんです。ところで、風香さん達は大学には行ったのですか?」
「行ったよ。私は栄養大学ね。それで、麗は公立大学」
「二人は大学は別々だったのですね」
「そうだよ。あの頃は、そんなに長い付き合いになるとも思ってなかったし、大学はそれぞれ行きたいところに行ったんだ。それで、大学卒業と同時に疎遠になっちゃって。だから大学の三年のときに、麗がいきなり道場にやって来て、『強くなりたいから入門させて』って言って来た時は本当に吃驚したんだよね」
「あー、あの頃は私、心が荒んでいたからなー」
「麗の荒んでいるのは心だけじゃないよね。生活の方も――」
「ねぇ風香サン、私に喧嘩を売っているんデショウカ?」
麗子さんの目がマジになっています。
「あの、お二人とも、喧嘩はお店の外でお願いしたいのですけれど」
「琴音さん、大丈夫。麗も少しじゃれ付きたいだけだから」
それからも、会話は風香さんと麗子さんの大学時代のことを中心に盛り上がりました。柚葉ちゃんもカモミールティーを飲みながら、二人に大学の様子などを聞いたりして、楽しそうに会話に参加していました。
そして一時間くらい経ったところで、風香さんと麗子さんはお店を出ていきました。
「あの二人はいつも仲良しですね」
「そうですね。でも、柚葉ちゃんだって清華ちゃんと仲良しでしょう?」
「ええ、まあ。風香さん達とは違って、まだ知り合ってから一年くらいでしかないですが」
「それはまだ若いのだから仕方が無いと思いますけれど。風香さん達だって知り合ったのは高校生の頃でしたよね」
「ああ、確かに。私達もこれからってことですね」
柚葉ちゃんは妙に納得したような顔付きになりました。
「ところで、琴音さんは、仲の良い友達っているのですか?」
おっと、私の方に来ましたか。
「私は余り友達付き合いが良くなかったですから、思い付く人がいないですね。蹟森にいた頃で、一番よく遊んだのって花楓さんのような気がします」
「あー、同じ巫女同士の方が話が合うってことですね」
「そうですね。それに花楓さんも結構料理が好きみたいで、そちらでも話が合いましたから」
「うん、分かる気がします」
「でも、花楓さん、全然このお店に来てくれないのですよね」
私が少々不満げにこぼすと、柚葉ちゃんの眉がピクっと動いたように見えました。
「ん?どうしましたか?柚葉ちゃん」
「いえ、何でもないですよ」
私の気のせいだったのでしょうか。
「それより琴音さん、珍しい人が来ますね」
柚葉ちゃんはワザと話を逸らそうとしているのでしょうか。いえ、言われてから探知を働かせて分かりました。確かに柚葉ちゃんの言う通りです。私はカウンターの外に出ました。
カランコローン。
お店の扉が開く音がしました。
「琴音さん、こんにちはー。それにお師匠様も」
入ってきたのは愛子さんです。そして、愛子さんの後ろにもう一人。
高校生の頃はポニーテールだった髪を切り、ミディアムのヘアスタイルですっかり大人びた印象になった朱音がそこにいました。
「いらっしゃいませ。ようこそ喫茶店メゾンディヴェールへ」
朱音、本当によく来てくれました。そしてよく見ていってください。ここが私のお店です。
私の視線が朱音に釘付けになっていることに気付いていたのか、愛子さんはさっさとカウンター席に向かい、先程まで風香さんが座っていた柚葉ちゃんの隣の席に着いているのが視界の脇で見えていました。
朱音はと言えば、私の方を見ていて、それからゆっくりと私の前まで歩いて来ました。
「お姉ちゃん、来たよ」
「ええ」
「これまで来てなくて、ゴメンね」
「ええ」
「本当はお姉ちゃんに会いたかったんだけど、あんな風に家を飛び出して来ちゃって、ちゃんと一人前になって一人で生きていけるようになるまでは会えないと思ってたんだ」
「ええ」
「それでこの前の戦いに参加して、それからその後にライブをやったら喜んで貰えて、皆に動画見ているよって言って貰えたら、私はもう一人前になれたって言えるのかなって。だから来ちゃった」
朱音は、エヘヘと恥ずかしそうに微笑みました。私はそんな朱音が愛おしくて、思わず抱き付いてしまいました。
「朱音、私も会いたかった。私の方から会いに行ってしまおうかと何度思ったことか。でも、朱音は自分で決めて家を出ていったのだから、自分で会いに来てくれるまで待っていようって我慢してたの。今日、会いに来てくれて本当に嬉しい」
朱音に語り掛けているうちに、目頭が熱くなってきました。
「私、楽しみだったんだ、このお店に来るの。いつも姫愛がここで美味しいパスタを食べた話を聞かされていて、ずっと羨ましいと思ってた」
「そう。じゃあ、今日はしっかり食べていってね」
「うん、そうする」
それからしばらくそのままの状態で朱音の温もりを十分堪能すると、朱音から離れてもう一度その顔を良く見ました。ぱっちりと開いた瞳にキリリとした眉、意志の強さを感じさせるその顔つきは、高校生の頃の面影を強く残しています。でも、あの頃よりほんの少しほっそりとして大人びた感じに、六年の歳月を感じずにはいられませんでした。
「朱音、大人になったね」
「そりゃあね」
ニッコリ微笑む朱音の笑顔に、私も思わず笑みがこぼれます。
「それじゃあ、お客様、席にご案内しましょうか?」
「ええ、是非。だけどその前に、四辻さんに挨拶して良い?」
ああ、そうでした。私はカウンターの裏の四辻さんに声を掛けて、朱音に引き合わせました。四辻さんも久しぶりに朱音に会えて嬉しかったようで、目をしばたたかせていました。
そして席に案内すると、注文を確認します。
「琴音さん、私はいつものキリマンジャロで。それで今日のパスタは何ですか?」
「今日は、あさりと春野菜のスパゲッティになります」
「それじゃ、それもください」
「はい、愛子さん。畏まりました。朱音はどうしますか?」
「私はブルーマウンテンを。それから今日のパスタも食べたいな」
「畏まりました。柚葉ちゃんもどうですか?今日は奢りますよ」
「良いんですか?それなら私もパスタをお願いします」
「琴音さん、私も奢って貰えるんですか?」
「ええ、朱音が来てくれた記念に、三人とも奢りますよ」
「やった。ありがとうございます」
私は愛子さんに微笑みを返すと、カウンターの裏に戻ってパスタを作り始めました。そして、パスタを茹でている間にサラダを出し、それから具材を炒めていきます。カウンターでは、三人が楽しそうに会話していました。どうやら柚葉ちゃんの進学のことが話題になっているようです。やはり、この時期だと皆同じことが気になるようですね。
心を込めて三人分のパスタを作り上げると、朱音達のところまで持って行きました。
「どうぞごゆっくり」
給仕を済ませると、さっさとカウンターの裏に引き上げます。三人の食べる姿はカウンター越しでも十分に見えますから。
「んー、いつもながらに美味しい」
「美味しいですね」
愛子さんと柚葉ちゃんの二人の感想が聞こえたので、朱音はどうかと見てみたら、朱音を目が合いました。朱音は目を細め、口許を緩めて微笑むと、言葉を投げかけてきました。
「お姉ちゃん、とっても美味しいよ」
「ええ、良かった」
朱音の笑顔が見られて、とても嬉しい気持ちになりました。愛子さんや柚葉ちゃんが美味しそうに食べている姿も好きです。このお店は私の性に良く合っていると改めて思いました。
そう、先日の氷竜との戦いで私は思い知りました。本当の戦いの場では、封印の地の巫女は役に立てないのだと。花楓さんの『力を十分に出せない封印の地の巫女が本部の巫女と一緒に戦えるわけない』と言う言葉は酷いとは思いましたけれど、冷静になって考えればその通りです。
朱音みたくアバターを得て、戦いに参加するという道もあります。しかし、私は戦いの場ではないところで役に立てることをしたいと思うのです。戦いに疲れた巫女達がホッとできる憩いの場を提供する。そういうことも必要ではないでしょうか。
三人が美味しそうに食べている姿を眺めながら、そんなことを考えていました。
「ねえ、朱音」
朱音が大体食べ終えた頃合いに、私は声を掛けました。
「何?お姉ちゃん」
「いま私はここの二階で生活しているのですけれど、朱音も一緒にどうですか?」
朱音は少し考えて、申し訳なさそうな顔をしながら首を振りました。
「嬉しいお誘いだけど、やめとく。私、今住んでいるところ、結構気に入っているんだよね。それにお姉ちゃんと一緒だと甘えて駄目になっちゃいそうだし。でも、偶には遊びに来るから。それで良いでしょ?」
「残念ですけれど、仕方がありませんね。朱音ももう大人ですものね」
私達は互いに見つめ合い、微笑みを交わしました。
その答えは、残念でしたけれど、ある意味想定内です。朱音はもう一人で生きていけるのですから。
朱音は本部の巫女として、柚葉ちゃんや花楓さん達と共にこれからこの世界を護っていってくれるでしょう。私は朱音達がいつでも帰って来られる憩いの場所として、このお店を護っていこうと思います。私達はそれぞれの道を歩みますけれど、朱音と私の絆はいつまでも繋がり続けるのです。
店の外では桜の花が咲き始め、新しい門出の季節を迎えていることを知らせていました。
ここで第5章は終わりです。
加えて、第3章から続いて来た、北の巫女編とも言うべきお話も一段落しました。
次は、大きく視点が変わります。時間軸はほぼ一緒、少し戻ったところからになります。
それで、大変申し訳ないのですが、毎日更新が厳しくなりまして、第6章は基本は日水金の週三回更新を予定しています。6-1.は例外的に明日月曜日です。
また、昨日、初めて評価をいただきました。ありがとうございます!!
プックマークも複数いただいており、とても喜んでおります。
沢山のプックマーク・評価をいただけるよう、これからも精進して参ります。




