5-35. 蹟森での異変
共同異空間から戻ると、藍寧さんは仕事があるからとそのまま駅の方に向かいました。残った私達は、一旦リビングへ。
皆がリビングのソファに座ると、私は新しい紅茶を淹れ直しました。そして、私もソファに座り見回すと、それぞれ悩ましげな顔をしています。
「柚葉ちゃんまで、そんなに悩むことですか?」
「藍寧さんから近接戦闘禁止を言い渡されてしまいましたので。あのクラスの敵だと、遠隔攻撃は普通に撃っても防がれてしまうと思うんです」
そう、藍寧さんからは、氷竜の凍結攻撃は当たると命の危険があるから、四季の巫女は近接戦闘しないようにと言われたのです。
「そうですね。そうなると、本部の巫女に頑張って貰わないとですけれど」
そして、愛子さんを見ると、より悲壮感が漂った状況でした。
「この前の蹟森の超大型魔獣でもとても苦労したのに、幻獣とか戦える気がしないんだけど」
「あの時みたいに、相手を拘束して遠隔攻撃するでは駄目でしょうか?」
「基本的には清華の言う通りにやれれば良いんだけど、ただの拘束だと遠隔攻撃は難しそうな気がするんだよね。まあ、ともかく前衛は多い方が良いのは確か」
柚葉ちゃんは、清華さんの方から私の方に視線を変えました。
「あの、琴音さん、月曜日になったら本部の巫女の支援について、事務局に相談してみて貰えますか?」
「ええ、良いですよ。愛花さんと摩莉の他にってことですよね?」
「はい。愛子さん達は元々遊撃隊の扱いですから問題ない筈なので、あとできれば花楓さんや有麗さんなどこちらの方にいる人達にも手伝って貰えればと」
「そうですね、交渉してみます」
「お願いします。私はもう少し攻撃方法について研究してみます」
万葉さんには、あまり柚葉ちゃんに頼らないようにと言われましたけれど、攻撃方法を考えるところなら頼っても良いですよね。
「ねえ、柚葉さん。私もお手伝いしたいのですけど、やれることがあるのでしょうか?」
「清華には遠隔攻撃で氷竜の気を逸らす役が良いんじゃないかな。少しでも前衛の負担を軽くしたいし」
「ええ、そうですね。そうしましょう」
柚葉ちゃんに役目を与えられて、清華ちゃんも元気が出たようです。
「それで、琴音さん、今日話し合えることはこれくらいと思いますけど」
「柚葉ちゃん、ありがとう。後は私が事務局と話してみます」
それから少し雑談をして、解散になりました。愛子さんは仕事に向かい、清華ちゃんは、折角こちらの方に来たからと、柚葉ちゃんの家に行って、一緒に試験勉強をするそうです。彼女達は月曜日が期末試験の最終日とのこと。
そして月曜日、私はお店の合間に事務局に連絡を取って、本部の巫女による支援について正式に依頼し、協力を取り付けました。派遣して貰えるのは、当初から大丈夫と思っていた愛花さんと摩莉、そして花楓さんと有麗さんです。花楓さんは、次の週末から蹟森に常駐して貰えるとのこと。どうやら花楓さん本人がそうしたいと言ってくれたようです。何かあれば共用異空間経由で蹟森に直ぐに行けるとは言っても、どうしても初動段階では後れを取ってしまいますから、花楓さんに蹟森にいて貰えると安心ですし、とても助かります。
それから四辻さんと巴ちゃんに状況を説明して、いざとなったらお店を離れるので、後のことをお任せしたいとお願いしました。四辻さんがそのことを家で話してくれた結果、四辻さんの奥様の捷子さんも手伝ってくださるとのことでした。有難いことです。
さて、戦いの準備が整ってから二週間ほどは、平穏な日々が過ぎていきました。事態が動いたのは、二週間後の火曜日の朝でした。
私が朝食を食べ終えて、開店の準備を始めようとしたところで、スマートフォンの着信音が鳴りました。発信者の表示を見ると、母の名前が出ています。私は急いで着信ボタンを押して、スマートフォンを耳に当てました。
「もしもし」
『もしもし、琴音?』
「お母さん、何かありましたか?」
『花楓さんに毎日封印の間に行って貰ってたんだけど、今朝、封印の間への転移陣が使えなくなっていたそうなの。それに、何度も地面が揺れていて、封印が破れて幻獣が暴れているんじゃないかって。だから、貴女に連絡しようと思ったの』
「分かりました。すぐ行きます」
『お店があるのに悪いわね』
「いえ、大丈夫です。緊急事態ですから」
『ありがとう。それじゃ、待っているわね』
「はい。また後で」
それからすぐに私は四辻さんと巴ちゃんに連絡を取って、今日は臨時休業にすることにしました。そして事務局に連絡したところ、事務局には既に母から連絡が入っていました。これで、本部の巫女は来てくれる筈です。今日は火曜日で、愛子さんから仕事はオフだと聞いていたので、丁度良いタイミングでした。
あとは柚葉ちゃんと清華ちゃんの高校生の二人です。既に高校の終業式は終わっていて、春休みに入っていますので、まだこの時間は家にいそうです。それで柚葉ちゃんに電話をしたら、案の定、家にいました。柚葉ちゃんは、清華ちゃんを連れてお店まで来てくれるそうで、私はそれまでの間に着替えて出掛ける準備をしておこうと動き始めました。そして裏口のインターホンが鳴るまでの間に、少し寒くても大丈夫なように多めに服を着て、軽く化粧をし、お店の扉の内側に臨時休業の札を下げるところまで済ませていました。
「あ、琴音さん、おはようございます」
私が裏口の扉を開けると、柚葉ちゃんと清華ちゃんが並んで立っていました。
「おはようございます。って、柚葉ちゃん、これから蹟森に行くのに、それで大丈夫なの?」
柚葉ちゃんに思わず聞いてしまいました。
清華ちゃんは、セーターにパンツの組合せで、寒くなっても良さそうなのですけれど、柚葉ちゃんは七分袖のカットソーに短パン、そして生足にアンクルソックスと運動靴と、東京ですら寒そうな格好だったのです。
「私は、肌身で直接感じた方が戦い易いんです。それで、これでも寒いところに行くことを考えてきたんですけど?」
「そうなの?」
「ええ、半袖じゃなくて七分袖にしたんです」
「そ、そう」
柚葉ちゃんの主張に何と反応したら良いのか、コメントに困りました。本人が寒くないのなら良いとは言え、流石に見ているこちらの方が寒くなりそうです。
「それじゃ、琴音さん、蹟森に行きませんか?」
「行こうとは思うのですけれど、愛子さん達はどうしようかなって」
「あ、愛子さん達は別の方法で行きたいって言ってました。だから、私達だけで行ってて大丈夫ですよ」
「そうでしたか。ならば行きましょう。二人とも中に入ってくださいな」
二人を建物の中に入れると、戸締りをして、三人で共用異空間に入りました。その異空間の中には人の気配がありません。どうやら今日も私達以外の人はいないようです。
私達は、お店の入口に繋がる通路から、広場を経由して蹟森の入口に繋がる通路に入り、突き当りの扉まで真っすぐ歩きました。蹟森の入口の扉は、北の封印の地の巫女だけが利用者登録できるとのことで、先日天音お婆さんにお願いして私だけ利用者登録させて貰いました。その私が扉を開けて、蹟森の家の中に出ます。そう、共用異空間の蹟森の入口は、北御殿から渡り廊下を通って母屋に入ったところの脇の土間の納戸の中にありました。渡り廊下は子供の頃からずっと使っていて、納戸にも何度も入ったことがあったのですけれど、ここに異空間への隠し扉があるとは思いもしませんでした。
「本当に、あっという間に北の封印の地に着いてしまいましたね」
清華ちゃんが感慨深げに辺りを見回しています。
「まあ、折角遠くまで来たのに旅行気分が全然味わえていないのは寂しいけど、緊急事態だからね。琴音さん、どうかしましたか?」
私が不安げな表情になっているのに気付いた柚葉ちゃんが問い掛けてきました。
「お母さん達が誰もいないと思いまして」
「そうですね。んー、あぁ、北西の方にいるみたいです」
「柚葉ちゃん、見つけるのが早いですね」
「ええ、まあ、私は主だった人には皆マーキングしているので。その方が見つけやすいですから」
「それは、誰かに教わったのですか?」
「いえ、色々試してみて気が付きました」
なるほど、柚葉ちゃんの探求心の強さを再認識しました。
「柚葉ちゃん、私をそこまで連れて行って貰えますか?」
「はい、勿論。清華は?」
「私は大丈夫です。柚葉さんに付いていけます」
「分かった。それじゃ、行こう」
柚葉ちゃんは、私の手を取ると浮遊転移陣を展開しました。そして次の瞬間には私の目の前の光景が変わります。それから間を置かずに、清華ちゃんが柚葉ちゃんの隣に現れました。
「柚葉ちゃん、これは氷竜の影響でしょうか?」
「そうですね」
私の問い掛けに口数少なく答えた柚葉ちゃんは、眼前の光景を真剣な眼差しで見ています。
同じように私も前を向き、景色を眺めました。
そう、辺り一面の雪原を。




