5-34. 共用異空間への扉
ピンポーン。
翌日の土曜日の10時より少し前、裏口のインターホンの呼出音が鳴りました。
「はい、どなたでしょうか?」
『国仲藍寧と言います。柚葉さんから連絡をいただいて来ました』
「あ、お待ちしていました。今出ますね」
私はインターホンを切ると、階下へ行き、裏口の扉を開けました。
扉の向こう側には美しい女性が一人、髪はウェーブの掛かったダークブラウンのセミロングで、一部の髪をまとめて簪を挿しています。肌は色白で、顔の造りは日本人ではないような印象です。淡いベージュの長袖カットソーにデニムのジーンズ、首に赤系のスカーフを巻いた姿が尚更そう感じさせるのでしょうか。
「北杉琴音さんですか?」
はっ、藍寧さんに見とれていて、挨拶をするのを忘れていました。
「は、はい、北杉琴音です。琴音と呼んでください。すみません、藍寧さんが綺麗で見とれてしまいました」
「あら、ありがとうございます」
ニッコリ微笑む藍寧さんは、ますます美しく見えて、いえ、皆が待っているのでした。藍寧さんにウットリしている場合ではありません。
「どうぞ中へ入ってください」
「はい、お邪魔します」
私は藍寧さんを建物の中へ招き入れると、階段を上り、二階のリビングへと案内します。
リビングには、既に愛子さん、柚葉ちゃん、清華ちゃんが来ていて、皆ソファに座って待っていました。
「藍寧さん、こちらへ」
私が藍寧さんをリビングの中へ招き入れると、清華ちゃんが立ち上がり、それに釣られるようにして柚葉ちゃんと愛子さんもソファから立ちました。
藍寧さんはリビングに入ると、中を見渡しながら口を開きました。
「皆さん、こんにちは」
そこへ清華ちゃんが出てきて、藍寧さんの前に立ちました。
「藍寧さん、はじめまして、東護院清華です。よろしくお願いします」
「はじめまして、国仲藍寧です。清華さんですね。よろしくお願いいたします」
二人とも丁寧にお辞儀をしながら初対面の挨拶を交わしました。
他の二人は、藍寧さんとは見知った仲なので、お互い軽く言葉を交わすと、藍寧さんをソファの方へ招きました。皆がそれぞれ席に着いたので、私は紅茶を淹れ、お茶請けにクッキーを乗せた器をテーブルの真ん中に置きました。
席順は、藍寧さんをお誕生日席にして、三人掛けのソファに柚葉ちゃんと清華さんが、その向かいの一人用のソファ二つに愛子さんと私がそれぞれ座った形です。
「藍寧さん、今日はよろしくお願いします」
この場を代表して、私から藍寧さんに言葉を掛けました。
「琴音さん、こちらこそ。やること自体は大したことではないのですが、出来る人が少ないのですよね」
「それは巫女であっても、ということですか?」
「はい。時空認識が必要なのですけど、それは技というより感覚みたいなもので、作動陣も無いんです」
「時空認識ができると、何をどういう風に感じられるのですか?」
柚葉ちゃんの目が輝いています。柚葉ちゃんの探求心をくすぐる話題のようです。藍寧さんは、すぐ近くに座っている柚葉ちゃんの方を向きました。
「とても表現が難しいのですが、この世界とは違う世界の存在が感じられると言えば良いでしょうか。共同異空間は、独立した世界ではないとは言っても、この世界そのものとは違うので、時空認識ができないとこの世界に入口を繋げられません」
「じゃあ、逆に時空認識ができれば、誰でもこの世界に入口を繋げられてしまうのですか?」
「いえ、そういう単純なものではないのです。それと、共同異空間は結界に護られているので、許された人しか入口を繋げることはできません」
「それが藍寧さんなんですね?」
「はい、その通りです」
藍寧さんは柚葉ちゃんに向かってニッコリと微笑みながら頷きました。そう、その笑顔が素敵です。
「お師匠様、私には何が何やらです」
「愛子さん、私も殆ど分かっていません。でも、時空認識は出来るようになりたいですね」
「それでしたら、まずは私の作業を見学してみませんか?少しは何かが掴めるかも知れません」
「そうですね。琴音さんの家に共同異空間への入口を設置して貰うのが、藍寧さんに今日ここに来て貰った元々の目的ですし」
柚葉ちゃんの言葉を受けて、藍寧さんの視線が私を捉えました。
「琴音さん、入口はどこに設置しましょうか?」
「ええと、何処にしましょうか」
突然、藍寧さんに話を振られて、私はタジタジになってしまいました。
「扉を作っても邪魔にならない壁があれば、何処でも構いませんけど」
「あ、でも、共用異空間の中は土足で歩き回るので、土足で歩けるところが良いと思います」
それまで黙って会話を聞いていた清華ちゃんが、アドバイスしてくれました。愛子さんもウンウンと頷いています。
「ここの中で土足と言えば、一ヵ所しかありませんね」
そうであれば悩む余地はありません。
「階段下に行きましょう」
私の発言で、皆ソファから動き始めました。そして、リビングから出て階段を下りるのですけれど、狭くて階段は二人並ぶのが精一杯です。まずは藍寧さんに一番下へ降りて貰い、私はサンダルを履いて、お店に通じる扉を開けてそこに立ちました。他の人達は階段の側です。
藍寧さんもここに来るときに履いて来たショートブーツに足を入れ、階段下の土間に立って壁を確認しています。
「琴音さん、どうしましょうか?階段を下りて目の前の壁か、左側の壁のどちらでも入口は作れそうですが」
私はどちらが良いかハタと悩みましたけれど、階段を下りた左側は壁のままの方が良さそうに思えました。
「階段を下りた正面の方でお願いします」
「分かりました」
そして、藍寧さんは後ろに振り返り、柚葉ちゃんの方を見ました。
「これから入口を設置しますので、良く見ていてください」
「はい」
柚葉ちゃんが真剣な表情で頷いていました。それを確認すると、藍寧さんは正面に向き直り、壁の目の前まで進みます。それからウェストバッグを開き、透明な石を取り出して右手に持ちました。
「では、始めます」
藍寧さんは、そう宣言すると目を閉じて、左手を壁に付けました。そしてその左手を中心に作動陣を描くと、そのまま動きを停めています。何をしているのか、まったく分かりません。
「お師匠様、視えてます?」
「ええ、藍寧さんが私達に見せてくれているみたいですね」
清華ちゃんはポカンとした顔なので、視えているのは柚葉ちゃんと愛子さんだけのようです。
「何が視えているのですか?」
「多分、藍寧さんが視ている時空の姿と思います」
「お師匠様、これ視続けたら酔っちゃいますよ」
「そう?面白いと思いますが。あ、何かが視えます」
「共用異空間の結界です」
藍寧さんが解説してくれました。もっとも、私には何も視えていませんけれど。
「お師匠様、結界の中に扉がある」
「あれが、共同異空間の扉?」
「その通りです。その扉をこちらに繋げます」
藍寧さんの言葉と同時に、左手を中心に描かれていた作動陣の模様が変化します。そして、少しするとその作動陣のところに、扉が浮き出てきました。扉が完全に現れたのを確認して、藍寧さんは作動陣を解除します。それから右手に持った透明な石を扉の窪みに嵌めて、別の作動陣を起動したようでしたが、小さくてよく見えません。
透明な石が光り始めると、藍寧さんは満足げな顔付きになり、私の方を見ました。
「これで完成です。利用者登録しますので、琴音さん、こちらに来てください」
藍寧さんに促されるままに私は扉のところへ行き、利用者登録をしました。私の後に、柚葉ちゃん、清華ちゃん、愛子さんも順番に続きました。
「透明な石に力を流せば扉が開きますので、試してみてください」
皆を代表して、私が透明な石に手を当て、力を流し込みます。すると、カチリと音がしたので、ドアノブを回すと向こう側に扉が開きました。
その向こうには通路や建物が見えます。扉のある壁の反対側は倉庫の筈なのに、不思議な光景です。
「中に入ってください。説明しますので」
扉のところにいた私がまず入り、後から皆が続いて来ます。藍寧さんが最後に入って扉を閉めました。
この共用異空間の中でも探知は使えるようでした。けれど、私達以外の人はいないようです。扉から入ったところには通路しかなく、一本道でしたので、私はそのまま前に歩き始めました。しばらく通路を歩くと、左右に建物が現れました。
「この通路の左側の建物は訓練場ですね」
「清華さん、その通りです。良く分かりましたね」
「この中の建物は、それぞれ屋根が違うので」
言われて見ると、確かに左右の建物の屋根も、目の前の方に見えて来た幾つかの建物の屋根も皆違って見えます。
「あれ?清華ちゃんは、ここに来たことがあるのですか?」
「ええ、前に有麗さんに連れてきて貰ったことがあります」
「それでは、柚葉ちゃんも?」
「いえ、私は初めてです」
何でも柚葉ちゃんが先かと思っていましたけれど、そんなことも無いのですね。
そして、私達は広場のようなところに出ました。
「何処の扉から入っても、この広場に繋がっています。そして、広場から通路に入るところには、色が塗ってあって区別できるようにしてあります。琴音さんのお店への通路は紫、左の方にある黄色の通路は本部事務局に繋がっています。それからあちらの青い色が見えているのが、北の封印の地への通路です。ただ、利用者登録していないと扉は開きませんので」
一度、天音お婆さんと連絡を取って、利用者登録させて貰わないと。
「簡単ですが、説明はこれくらいで。後は好きな時に見学したり施設を使っていただいて良いです。ただし、使った後は自分達で清掃するルールですので忘れないでください」
ここに入れるのが私達しかいなければ、確かにそうするしかないですね。
「何か質問がある人はいますか?」
「あの、藍寧さん、ここのことではないのですが、一つ質問しても良いですか?」
「柚葉さん、何でしょう?」
「北の幻獣は、何だか分かりますか?」
「ああ、そのことをお話していませんでしたね」
藍寧さんは真面目な顔になり、腕組みをしました。
「北の幻獣は、氷竜です」




