5-24. 集束陣
夕食が終わった後、しばらくは皆一緒にリビングで話をしていました。その後、灯里さん、柚葉ちゃん、清華ちゃんの三人はお風呂に入り、それからは客間に行きました。父達も部屋に下がり、リビングには碧音お婆さんを筆頭に北杉家の巫女が残された形です。
話題は自ずと朱音のことになりました。
「それにしても、朱音が本部の巫女になるなんてね」
母は少なからずショックを受けていたようでした。
「だが、一人で東京でふらふらするより、本部の庇護下に入っていた方が安心と言えば安心さね」
そう、私も碧音お婆さんの言う通りと思います。でも、だとすれば。
「あの、朱音が本部の巫女になったと言うことは、もう、私が東京で朱音の動向を確認する必要もなくなったと言うことですよね。そろそろ私は蹟森に帰って来た方が良いでしょうか?」
「何?琴音は、もうこちらに帰ってきたくなったのかね?」
碧音お婆さんは私のことを穏やか目で見詰めています。
「いえ、そういう訳では。お店は楽しいですし、やりがいを感じていますから」
「なら琴音はもうしばらく東京に居ればええ。後何年かは大丈夫じゃし、まだこれから何が起きるか分からないさね。あわよくば東京に居るうちに、良い婿を見つけて貰えると助かるんじゃがな」
碧音お婆さんは愉快そうです。しかし、ごめんなさい、今のところは想い人はいないんです。
「お婿さんのことはご期待に沿えるか分かりませんけれど、良いのでしたらもう少し東京でお店をやらせて貰いますね」
「ああ、それで良い。そうじゃろ、天音」
「ええ、こちらは大丈夫ですよ」
優しげに頷きながら、天音お婆さんも許可してくれました。
「ところで、琴音。灯里さんが話していた『ばあちゃるあいどる』って何かしら?」
「天音お婆さん、それはバーチャルアイドルのことですね」
そう、灯里さんは夕食のときにバーチャルアイドルのロゼマリのことを持ち出していました。今日、応援に来た愛花さんと摩莉がロゼマリによく似ていたのだけど、ロゼマリって知ってますか、から始めて愛花さんと摩莉の情報を集めようとしていたようですけれど、私の家族はバーチャルアイドルのことはまったく知りませんでしたし、柚葉ちゃんと清華ちゃんは当たり障りのないことだけ言っていたので、有益な情報は得られなかったと思います。灯里さんも流石に自分がバーチャルアイドルをやっていることや、ロゼマリを誰がやっているかは明かしませんでしたし、だから、世間話の一つくらいにしか捉えられなかったのではと思ったのですが、天音お婆さんはその話を覚えていたようです。
「バーチャルアイドルは、架空のアイドルのことです。最近流行っていて、動画サイトに色々なバーチャルアイドルの動画が投稿されているのですよ。試しに見てみますか?」
「ええ、見てみたいわ。琴音、お願いできる?」
「はい、じゃあテレビに映しますね」
私はテレビの電源を入れると、自分のスマホの画面をテレビに映るようにしてから、動画サイトのアプリを起動しました。私はロゼマリの動画をよく見ているので、動画サイトのホーム画面にロゼマリの動画のサムネイルが表示されています。
「あ、これが愛花さんと摩莉さんに似ているというロゼリア?」
天音お婆さん、違うんです。
「いえ、ロゼマリです。ロゼとマリの二人でロゼマリというユニットなのです」
「確かに似てはいますけど、絵と実物では大分違いますね」
「これはサムネイルという動画の紹介用の一枚絵ですから、少し違います。実際の動画を再生しますから、それを見て貰えますか?」
私は、動画を一つ選んで再生しました。その動画ではロゼマリの二人がイントロ当てクイズをやっていました。
「ああ、本当。これだとよく似ているわね。と言うか、声もそっくりじゃない?」
「それはそうですよ。ロゼマリをやっているのは愛花さんと摩莉さんなのですから」
「え?」
どうやらまだ理解が追い付いていないようです。
「あの二人は、元々バーチャルアイドルのロゼマリをやっていたのです。そして、本部の巫女になるにあたって、ロゼマリの姿を使うことにしたと言うことです」
「それって、最初からペアを組んでいた二人を、二人とも本部の巫女にしたってことなの?」
母が良いところを突いて来ました。
「そうみたいです」
「どうしてそんなことを?」
「私には良く分かりませんけれど、彼女なら分かるかも知れません」
私がリビングの扉の方を見ると、ちょうど柚葉ちゃんが入ってくるところでした。柚葉ちゃんは、自分に視線が集まっていて驚いたようです。
「琴音さん、どうかしたのですか?」
「いえ、たまたま噂をしているところに柚葉ちゃんが来たのです。それより柚葉ちゃんこそ、どうかしたのですか?」
「灯里さんと清華と三人で話をしていたのですが、喉が渇いたねって話になって、何か飲み物が無いかなと」
「お茶か、あと、食堂の冷蔵庫にジュースが入っているから持って行って良いですよ。ただ、その前に少し聞きたいことがあるのですけれど」
「何ですか?」
「ロゼマリの二人が二人とも本部の巫女になったのはどうしてか、この前柚葉ちゃんが言ってたこと」
柚葉ちゃんは、テレビの画面を見て、状況を察したようでした。
「琴音さん、ロゼマリのこと教えていたんですね」
「そう、それでどうして二人とも本部の巫女になったのだろうって話になって」
「私が考えていることは、ただの仮説でしかないですよ。あ、でも、そうだ、琴音さん、陽夏さんが見つけた集束陣のことを書いた紙って見せて貰えますか?」
「ああ、それならここにあるわ」
天音お婆さんがソファから立ち上がり、リビングの隅に置いてある電話機の方に向かいます。そして、電話機の乗っている棚の引き出しを開けて、そこから一枚の紙を取り出しました。
「柚葉さん、これのことでしょう?」
天音お婆さんは、柚葉さんのところまで歩いて、紙を手渡しました。柚葉さんは受け取った紙を開いて書いてあることを確認すると、難しい顔になりました。
「私が見たかったのはこの紙なんですけど、やっぱりおかしいんですよね」
「柚葉ちゃん、おかしいって何が?」
柚葉ちゃんが何を見つけたのか気になります。
「この集束陣にはリミッターが付いていないんです」
「リミッター?」
「作動陣の大きな円の内側の両脇の模様です。例えば、光星陣、転移陣、浮遊陣、封印の地に残された作動陣には全部この模様が付いています」
柚葉ちゃんは、右手を上げて、その前に順番に作動陣を描いて見せながら解説してくれました。
「確かに同じ模様ですけれど、なぜこれがリミッターなのですか?」
「これが描いてあれば、体を傷付けない範囲でしか力を使えないんです。つまり、力を抑制する効果があるからリミッターということですが。そして、集束陣にもリミッター付きのものはあります」
そう言いながら、先程と同じように右手の前に作動陣を描きました。リミッター付きの集束陣です。
「封印の地に残すなら、これで良かった筈なんです。なのに、陽夏さんが見つけた紙にはリミッター無しの集束陣が描いてあった」
「それって」
私は話の流れが嫌な方に向いていることを感じて、恐る恐る柚葉ちゃんの方を見ました。
「陽夏さんが怪我をしたのも偶然ではなかったかも知れないということです。因みにこの紙を見つけたのは何がきっかけだったのですか?」
「確か花楓さんが書庫の古文書の中で見かけたようなことを言っていたから、ってまさか花楓さんが仕組んだと言うことですか?」
私の問い掛けに柚葉ちゃんは首を振って答えました。
「昨日の夕食の時にも話が出ていましたが、花楓さんはこの家との付き合いが長かったんですよね?皆さんととても仲が良くて。もちろん、花楓さんがすべてをやった可能性もゼロではないです。でも、私は花楓さんはその紙を探すように仕向けることを指示されていただけで、紙に何が描いてあったのかは知らなかったんじゃないかと思います」
「そう」
確かに、朱音が怪我をしたときの花楓さんは、とても心配そうに朱音を見ていましたし、落ち込んでもいましたし、それがすべて演技だったとは思えません。なので、柚葉ちゃんの言う通りなのでしょう。
「だけど、そうだとすると花楓さんに指示できる人が黒幕ということですね」
「そうですが、琴音さん、飽くまで私の勝手な仮説ですからね。何も証拠が無いんです。だから例え明日花楓さんがここに来ても、集束陣が描かれた紙のことで花楓さんを問い詰めようとかしちゃ駄目ですよ」
柚葉ちゃんは私の方に詰め寄ってきました。
「はい、柚葉ちゃん、分かりましたから」
私は柚葉ちゃんの気迫に押されて後退りしながら、家族がこんなモヤモヤした気持ちの中で花楓さんに来られても困るなぁと思いました。
しかし、翌朝。
「こんにちは~」
皆が朝食を食べ終わってまったりしているところに、花楓さんが元気よくやって来たのです。




