5-20. 魔獣出現の予告
九月も中旬に差し掛かろうという日の夜、もうすぐお店が閉まるという時間に柚葉ちゃんが来ました。
「いらっしゃいませ、柚葉ちゃん。こんな時間に来るなんて珍しいですね」
「こんばんは、琴音さん。琴音さんにお話がありまして」
「私に?」
「はい。お店が終わるまで待ちますので」
柚葉ちゃんの目線が上を向いた。なるほど、そう言うことですか。
「良いですよ。上で待っていてくださいな」
「すみません、お邪魔します」
既に勝手知ったる柚葉ちゃんは、カウンターの裏から二階へ上がっていきました。
しかし、お店が終わるまで何のもてなしをしないまま待たせてしまうのも申し訳ないと考えて、少しの時間、四辻さんにお願いして二階へ行き、自分で買ってあったハーブティーとお菓子を柚葉ちゃんに出しておきました。それからお店に戻ると、営業時間の終わりまで働いて、四辻さんと閉店後の後片付けまで済ませてから、再び二階の柚葉ちゃんのところへと向かいました。
「お待たせ、柚葉ちゃん。そう言えば、今日は清華ちゃんは一緒ではないのですね」
「今日は遅くなりそうだったので、清華とも話して私一人で来ることにしたんです」
「そう。ところで、柚葉ちゃん、もう一杯ハーブティー飲む?」
私は柚葉ちゃんと自分の二人分のハーブティーを淹れて、ソファの前のテーブルまで持って行きました。そして柚葉ちゃんの話を聞くために、柚葉ちゃんの向かい側のソファに座ります。
「それで、柚葉ちゃん、今日は何のお話なのですか?」
「琴音さんにお知らせとお願いがありまして」
「どんなことでしょう?」
「少しややこしいので、順を追って話しますね」
柚葉ちゃんはこれから言うことを頭の中で整理しているのか、まず一杯ハーブティーを飲んでいました。
「琴音さん、五月の終わりに渋谷に魔獣が出現するという話をしたのは覚えてますか?」
「ええ、どうしてそれが分かるのか不思議に思いましたね」
「実は、灯里さんという女性の力だったんです」
「その女性は巫女なのですか?」
「いえ、違います。でも、奇遇なことに、愛子さんと陽夏さんの仕事仲間でした。灯里さんもバーチャルアイドルをやっているのだとか。それで、彼女は巫女の力は持っていないのに、何故か魔獣の出現が分かるときがあるみたいなんです」
「不思議な力を持っているのですね」
「はい、ただいつも候補地は三ヵ所あって、そのどれに出るかは分からないそうです」
「でも、柚葉ちゃんは渋谷って特定していましたよね?」
「それは別の方法で絞っていたので」
「別の?」
「琴音さんは、藍寧さんのこと知っていますよね?」
「話に聞いているだけですけれど」
「その藍寧さんが二ヵ所に魔獣避けの魔道具を置いて、一ヵ所に絞っていたんです」
「なるほど、そうだったんですか」
柚葉ちゃんは説明が一区切り付いたのか、ティーカップを手に取りハーブティーをもう一口飲みました。
「渋谷のときのことを説明してくれたということは、また魔獣が出現するということですか?」
「話が早いですね。その通りです。今度は東北ですけど」
「東北?」
どうして東北なのか、東北のどこなのか、どちらから聞いたものか悩みました。
「灯里さんが東北にロケに行ってたんです」
「だから東北なのですね」
「そうです。それで魔獣の出現候補地なんですが、蹟森とその他二ヵ所です」
「北の封印の地ですか」
蹟森とは、北の封印の地のある場所の地名です。柚葉ちゃんは、私の問い掛けに頷きで答えました。
「魔獣はなるべく一般の都市には出現させたくないので、今回は北の封印の地に出現させるのが良いと思ってます」
「それは、蹟森以外のところには藍寧さんの魔獣避けの魔道具を置いてということですね」
「そのつもりです」
「それで魔獣を蹟森に出現させるのが良いというのは、私もそう思いますけれど、蹟森には母達がいますし、どうして私に?」
「魔獣の大きさが問題なんです。これまで街中に出て来たのは大体が中型の魔獣でしたが、今度は大型かそれ以上のサイズの魔獣が現れそうなので。琴音さんのご家族だけでは手に余るかも知れないという心配があります」
「いざとなれば花楓さんも手伝ってくれると思いますけれど、私も行った方が良いと言うことですね」
「事務局は今回は花楓さんじゃなくて、愛花さんと摩莉さんを派遣することにしたようですよ」
「そう?」
愛花さんと摩莉さん、ですか。愛花さんとは愛子さんのアバターの姿のときの名前です。そして、摩莉さんとは、そう、朱音のアバターの姿のときの名前なのです。
結局、私が予感した通りになりました。朱音も藍寧さんにお願いしてアバターを手に入れました。姿はロゼマリのマリにそっくりだと聞いています。なので、そのままアバターの名前を摩莉としたのでしょう。これまでロゼマリの二人が一緒に魔獣と戦ったという話は聞いていませんので、今度が二人のユニットとしての初陣になるのでしょうか。そうならば、それも見てみたいとも思いますけれど、北の封印の地に現れた魔獣は、冬の巫女で対処すべきようにも思うので悩ましいところです。気心の知れている花楓さんならともかく、面識がない本部の巫女の支援を受けるというのは母達は避けたいことと思っているでしょう。私は摩莉という巫女が朱音であることを知っています。けれど、本部の巫女の正体は迂闊に漏らして良いものでもないですし、朱音も明かしたくないでしょうから、黙っているつもりです。
「やっぱり私も蹟森に戻ることにしようかな。柚葉ちゃん、魔獣が現れるのはいつなのですか?」
私は考え事をしながら飲んでいたハーブティーのティーカップを置きながら、柚葉ちゃんに問い掛けました。
「今度の日曜日だそうです」
お店は土日祝日が定休日なので、日曜日であれば好都合です。万が一蹟森での滞在が伸びることになったときに慌てないように、四辻さんや巴ちゃんに連絡を入れておけば何とかなるでしょう。
「分かりました。前の日の土曜日に蹟森に戻りましょう」
私は柚葉ちゃんに決意表明し、それで話が終わりになったつもりになって、のんびりとハーブティーを楽しみ始めました。しかし、柚葉ちゃんはまだ話をしたそうな顔をしています。
「すみません、琴音さん。まだお知らせの方しか話が終わっていなくて、お願いが残っているのですけど」
「あらら、ごめんなさい。柚葉ちゃんのお願いって何?」
「蹟森行きのことなのですけど、事務局から清華に事の顛末を見てくるようにという依頼が出ています」
「清華ちゃんなら家に泊まれば良いと思いますけれど」
「それが、そのう、灯里さんも是非北の封印の地に行きたいと言ってまして」
「灯里さんて、魔獣の出現を予告した人?」
「そう、その灯里さんです。大学生なのですけど、黎明殿のことに興味があるそうで、自分が感知した魔獣が封印の地に現れるなら、絶対に見たいと」
「でも、今度現れる魔獣が大型かそれ以上と言うのなら、危険なように思いますけれど」
「なので、灯里さんが行くのでしたら、私も護衛として付いていこうかと」
「確かに、清華ちゃんと柚葉ちゃんが傍にいれば問題ないでしょうね」
私は見ず知らずの人を封印の地に招き入れたものか迷いましたけれど、魔獣の出現を予告している以上無関係とも言えないですし、朱音の知り合いのようなので、受け入れても構わないかなと思いました。
「私は分かりましたけれど、一応母にも相談してからお返事するということで良いでしょうか?」
「はい、ありがとうございます」
柚葉ちゃんは嬉しそうな笑顔を私に向けました。




