5-19. 変化
それからしばらくは何事も無く、穏やかな日々が続いていました。ただ、一度だけ何かおかしいように感じた出来事がありました。それは、夏に朱音たちが沖縄の離島にロケに行ったという話です。愛子さんの話を聞く限り、その離島は崎森島、つまり南の封印の地としか思えませんでした。それに、朱音たちが行っているときに、島で何か異変が起きたようです。そのことは蹟森からも伝わってきました。それが偶発的なことだったのかどうなのか。普通、封印の地は外部の人を受け入れたりしません。そこに巫女である朱音を連れてロケに行く、ということからしてただの偶然とは考え難く、探偵社の人に調べていただいたのですが不審なところは見つからなかったという報告でした。
その後は半年以上何も無く、本格的におかしなことが始まったのは三月も終わりになってからです。
そう、それは三月最後の金曜日のことです。その日の夕方になると愛子さんがお店にやってきました。愛子さんはいつものようにキリマンジャロと日替わりパスタを注文し、四辻さんが給仕したコーヒーを飲みながらパスタを待ち、私は調理を終えると愛子さんのところまでパスタのお皿を持って行きました。
そして、いつもならそこで世間話か愛子さんの仕事の話になるのですけれど、その日はそうではなかったのです。
「ねえねえ琴音さん、私、この前凄い女の人を見たんだ。街中に出て来た魔獣を一撃で斃しちゃったの」
「え?」
流石に私もこのときは、愛子さんが何を言っているのか良く分からず、言葉を返せませんでした。
「うーんと、順を追って話すと、日曜日に仕事で秋葉原に行ったんだけど、そこの歩行者天国の道路の真ん中に魔獣が現れたの。え?って思ったら、周りの皆は逃げ出していて、逃げないと不味いかなって思っていたら白銀の髪に、瞳が濃い銀色の女の人が現れて、その魔獣を一撃で斃しちゃったんだ。そして魔獣を斃したらビルの上にジャンプして見えなくなっちゃった」
愛子さんの話を聞きながら、私は混乱していました。そもそも魔獣が街中に現れるというのが変ですし、登場した女の人も身体能力からすれば巫女のようでもありますけれど銀髪銀眼の巫女は聞いたことがありません。
「あの、私には現実に起こった話には聞こえないのですけれど」
「でも本当に見たんだもん。私、ああいう女の人に憧れちゃうなぁ」
「愛子さん、憧れているんですか?」
「そう、私、強いヒロインみたいなのになりたかったから」
どうやらその女の人は、愛子さんの心に強く印象付けられたようです。その後も、愛子さんは女の人への憧れを話していましたが、私は相槌を打つのがやっとでした。
その女の人の出現は、一度には留まりませんでした。二度目があったことを知ったのは、四月の下旬の金曜日に愛子さんがお店に来た時です。
その日は、春の巫女の東護院清華ちゃんと夏の巫女の南森柚葉ちゃんが初めてお店に来た日でもありました。二人とも封印の地の巫女ですが、清華ちゃんは伊豆にある東の封印の地の巫女、柚葉ちゃんは沖縄の離島にある南の封印の地の巫女なのです。その二人がお店にいるときに、愛子さんがやってきて、私達に目撃したことを伝えてくれたのです。
「私、また見たんだ、その人。白と銀の和装に身を包んだ銀髪銀眼の女の人を」
私はまた言葉を発せないでいましたが、柚葉ちゃんが会話を引き取ってくれました。そして愛子さんが帰ってから、目撃されたその女の人が巫女だと思われることを教えてくれました。そう、柚葉ちゃん自身が銀髪銀眼になることによって。
でも、私はそれまで銀髪銀眼の巫女を見たことなんてありません。私の家族も、いや、花楓さんもそんなことをしたことはないのです。なぜ柚葉ちゃんがそれを出来るのかを聞きたいと思いましたけれど、悲しそうな柚葉ちゃんの態度やそんな柚葉ちゃんを見て心を痛めている清華ちゃんの姿を目の当たりにしていては、その質問を口にはできませんでした。
そして愛子さんがその女の人を目撃するのは二度でも終わらず、三度目がありました。
それは五月の下旬、柚葉ちゃんの予告から始まりました。どこから情報を仕入れて来たのかは分かりませんが、木曜日の渋谷に魔獣と女の人が出現すると言ったのです。それを聞いた愛子さんも半信半疑だったと思いますけれど、柚葉ちゃんの言葉は正しくて、本当に次の木曜日の渋谷に現れました。その上、愛子さんはその女の人から話し掛けられたのです。
愛子さんによれば、女の人はアーネと名乗り、愛子さんを強くして仲間にすると言ったのだとか。その条件は、ダンジョン探索ライセンスのB級を取得なのだそうです。私達から見ると、B級の取得は普通の人でも少し訓練すれば出来ることで、どうしてそれが条件になり得るのか分かりませんでした。でも、その約束は違えられることなく、柚葉ちゃん達の協力のもと愛子さんが見事にB級のライセンスを獲得すると、アーネは藍寧という名前でダンジョン協会の職員をやっていることを明かした上で、愛子さんに巫女の力を授けたのでした。
さらには、力が十分出せないという愛子さんに、アーネこと藍寧さんは巫女の力で作ったアバターまで与えます。そのアバターの姿は、髪を白銀にするとバーチャルアイドルのロゼにそっくりでした。愛子さんは素直に喜んでいるようでしたけれど、私は違和感を覚えずにはいられませんでした。
愛子さんがアバターを見せてくれた後、仕事のためにお店を出ていくと、リビングには柚葉ちゃんと私が残されました。
「ねぇ、柚葉ちゃん、さっきは顔色が悪かったですけれど、どうかしましたか?」
「え、いえ、大したことじゃ無いです。大丈夫ですよ」
柚葉ちゃんは、愛子さんのアバターを見ていたとき、顔色が悪かったのです。いまは、顔色はずっと良くなっていますけれど、何となく、まだ様子が少し変な気がします。私の気のせいでしょうか。
「大丈夫なら良いのですけれど。それで、柚葉ちゃんに聞きたいことがあって」
「何でしょう?」
「愛子さんは創られし巫女って言っていましたけれど、どう考えても本部の巫女ですよね?」
「そうですね」
「だけどこれまで本部の巫女の出自や昔話は聞いていけないって言われていたのに、どうして私達の目の前で愛子さんを巫女にするようなことをしたのでしょう?」
「私の憶測ですけど、話しても良いですか?」
「ええ、是非」
「多分、愛子さんを私達の目の前で巫女にしたのは、更にアバターまで与えたのは、私達に見せたかったからですよ」
「え?秘密だったのでしょう?」
「そうですけど、秘密を守るより重要なことがあったんです。勿論、普通の人には絶対に秘密でしょうけど、私達は元から巫女ですから、知られたところで問題にはならないと考えても変ではないでしょう?」
「そうかも知れませんけれど、私達にそれを見せつけて何をしたかったのでしょう?」
私の問い掛けに、柚葉ちゃんは黙って私の顔を見ました。何か迷いのある表情です。柚葉ちゃんは、ゆっくりと話の続きを始めました。
「私達に見せるのが、本来の目的ではないのです」
「え?」
「私達は愛子さんからかなり無理やり聞き出しました。愛子さんがもう少し口が堅かったら、話してくれなかったんじゃないかと思いませんか?」
「それは口止めされていたからですね」
「はい。それで、愛子さんの口止めをしたのは藍寧さんではなくて、陽夏さんです。藍寧さんは陽夏さんが口止めするだろうと見越していたのでしょうし、陽夏さんには教えたかった。本部の巫女だって元の体だと力が十分に使えないことがあること、そして、それはアバターを使えば解決するのだということを」
「そのために愛子さんを巫女にしたのですか?」
「いくら何でもそれだけじゃないと思いたいですが、理由の一つではあったと思います」
「そう。まあ、柚葉ちゃんの言う通りなのでしょうね」
再び沈黙の間が訪れました。柚葉ちゃんは、少しうつむき加減でどこか遠くを見ているような表情です。
私は、柚葉ちゃんが黙ってしまったのは、これ以上この話の先を言いたくないからなのでしょう。けれど、もう私も言われなくても分かります。朱音はきっと自分のアバターを望むのでしょうし、そして愛子さんのアバターを見ている朱音がどんなアバターを望むのかなんて決まっています。それは朱音に取っては良いことなのだと思いますけれど、朱音が本部の巫女となることに他ならず、北の封印の地とは完全に決別することを意味しています。
それは私としては寂しいこと。しかし、どのみち朱音は北の封印の地には自分の居場所は無いと思っているでしょうし、本部の巫女として新しい居場所ができるのであれば、姉としては祝福するべきことなのかも知れません。とても複雑な心境です。




