5-16. 開店
「琴音ちゃん、開店おめでとう!」
「風香さん、ありがとうございます」
いよいよ喫茶店メゾンディヴェールの開店です。と言っても営業を開始するのは明日、今日は商店会の方などをお呼びしてのお披露目会です。私がお店に引っ越してから四か月余り、この日を迎えるまで夢中になってやって来たので、もう来てしまったという感じです。普通にお店を始めるなら一年は考えないといけないところを、四か月ほどで済んだのは、それより前から風香さんがせっせと準備を進めていたからでした。
風香さんは、本当にこのお店を立ち上げたかったようで、私より半年以上前に仕事の依頼を貰ってから、お店のコンセプトを考え、それに対応したメニューを開発していたそうです。お店作りに私の考えが入ったことで、少し軌道修正はあったようですけれど、開店までのスケジュールには影響は無かったと言っていました。
私は風香さんのアドバイスを受けながら、講習を受けに行ったり、風香さんの考えたレシピで実際にお料理作ってみたり、慌ただしい日々を過ごしていました。風香さんがお店に来てくれていた頻度は、大体週に二日から三日程度でした。風香さんがお店に来てくれた時には、準備の状況を見て貰ったり、悩んだり迷ったりしたことを相談させて貰ったり、その後の作業予定の意識合わせをしたりと、とても頼りにしていました。風香さんは、この店のこと以外にも仕事があるとのことだったのですけれど、お店に来ない日でも、工事業者の手配や、保健所への申請書類の確認など、お店のことに随分と時間を割いてくれていました。
麗子さんも、窓のイラストだけではなくて、入り口の扉のデザインや、内装、それにメニューやお店の紙袋など絵やデザインが絡むものすべてを手伝ってくれました。聞くところによると、昔風香さんに救われたことがあるので、その恩返しなのだそうです。
そう、このお店の店長は私なのですけれど、風香さんの想いが沢山詰まった風香さんのお店と言えなくもありません。それだけの力の入れようでしたので、前にこの店のオーナーは、もしかして風香さんなのでは、と聞いたことがあるのですけれど、風香さんは首を横に振りながら、私は雇われているだけだからと笑って言っていました。
そんな風香さんに私が開店祝いの言葉を貰ってしまって良かったのかとも思いましたけれど、風香さんがとても嬉しそうな笑顔でしたので、黙って受け取ることにしました。
今日のお披露目会は、私がお店をやっていけることを見て貰いたくて、いつもは手伝ってくれている風香さんも今日はゲストとして招きました。私はパーティーのホスト役を務め、調理と給仕は四辻さん夫妻とアルバイトの人達にお願いしています。
「琴音さん、おめでとう」
「麗子さん、ありがとうございます」
麗子さんも今日のゲストです。風香さんと一緒に来てくれました。
パーティーは、気軽に来て貰えるようにカジュアルでと招待状には書いていたのですけれど、風香さんはパンツスーツ、麗子さんはワンピースにジャケットと、フォーマルな装いです。勿論、私はホストなので大人しめのカクテルドレスです。商店会の人達は、仕事の合間を縫ってきているように思われて、仕事着の人が多く見られました。
会場内は椅子を片付けて立食形式にしてあります。テーブルの上には、お店で出す予定のサンドイッチやパスタやサラダ、それから小さく切ったケーキを並べて自由に食べて貰えるようにしてあります。ドリンクはまだ昼時で仕事中の人も多いだろうことを考えてアルコール類や止めてコーヒーに紅茶、ミルクとジュースを用意しています。皆さん、食べ物を摘まみながらにこやかに談笑されているので、味に問題は無さそうかな、と思いました。
14時になると、アルバイトの桐生さんがマイクを持ってカウンターの裏から出てきました。桐生さんは短大を卒業してからは、家で家事の手伝いをしていたそうですけど、外で働きたいと思って職探しをしているところで、この店のアルバイトの募集を見つけたとのことでした。ポニーテールの髪型に、お店の制服であるブラウスに黒のスカートとベスト、それにエプロンを付けた姿は、私より一回り背が低いことも相まってとても可愛いです。
その桐生さんが、入口から入って右奥、カウンターの出入口の前に作った簡易の小さな舞台に上ると、マイクを口の前に寄せました。
「ご歓談中の皆様、時間になりましたので、そろそろ開店セレモニーを始めさせていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか」
桐生さんの良く通る声で、皆さん話をするのを止めて舞台の方に注意を向けてくれたようです。桐生さんは高校の頃は放送部に入っていてマイクで話すのに慣れているとのことでしたので、セレモニーの司会をお願いしましたけれど、本当に適役だったと思いました。
皆さんの注目が集まっているのを確認すると、桐生さんは式の進行を始めました。
「それではこれから喫茶店メゾンディヴェールの開店セレモニーを始めたいと思います」
開会を宣言すると桐生さんは舞台の脇に下り、最初の登壇者の紹介に入りました。挨拶の順番は、最初が東護院フードサービスから飲食店部門の事業部長、そして商店会の会長、商店会婦人部の部長、最後が私です。それぞれの人が立派なお話をされるのを聞いて、とても自分が場違いな気がしてきたのですけれど、ここの店長が私なことには変わりがありません。私の順番が来て、桐生さんに紹介されると、意を決して舞台の上に登り、マイクを持ちました。
私は、自己紹介をした後、ともかくお店のことを知って貰わなければと思ってお店のコンセプトやメニュー、スタッフの紹介をし、次の言葉で締めくくりました。
「私はこのお店をお客様の憩いの場にしたいと考えています。商店会の皆様にも、気軽に立ち寄って貰えればと思います。私は未熟ではありますけれど、このお店を通じて商店会のより一層の繁栄に貢献するべくこれから頑張って参りますので、どうぞよろしくお願いいたします」
挨拶を終えてお辞儀をすると、皆さんから温かい拍手をいただきました。
そうして開店セレモニーは恙なく終わり、私は参加してくれた皆さんが三々五々帰っていくのをお店の入口で見送りました。
お店の中に知った顔しかいなくなると、漸く肩の荷が下りてホッとしました。
「北杉さん、頑張りましたね。お疲れ様」
「ありがとうございます、御神さん」
御神さんは、先程のセレモニーで最初に挨拶してくれた東護院フードサービスの事業部長さんです。
「随分と緊張していたみたいだね」
「ええ、それはとても。こういうセレモニーは初めてでしたので。御神さんに来て貰って本当に良かったです」
「そうかい?北杉さんも立派に挨拶が出来ていたと思うよ」
「もう無我夢中で何を話したかも覚えていないです」
私の返事に、御神さんはアハハと笑っていました。
そして時計を見ると、「そろそろ次の仕事の時間だから」と慌ただしく去っていきました。
あと店内に残っているのは、風香さんと麗子さん、それに四辻さん他のスタッフ、そして二人の男の人達です。私は男の人達の方に行きました。
「本荘さん、十郷さんもありがとうございました」
「いや、何事も無かったようで良かったです」
本荘さんと十郷さんは、東護院探偵社の人達です。本荘さんが三課の課長さんで、十郷さんはその部下になります。本荘さん達は、お店のボディーガードのようなこともしてくれていますが、本来はお店で厄介事が発生したときの対応と、朱音の動向の調査をお願いしていたりします。
その朱音ですが、約二ヶ月ほど前に探偵社の工作員の誘導が上手くいって、東護院家に繋がりのある家に居候するようになりました。それまでも探偵社の人達が見守ってくれていましたけれど、定住できる場所ができて安心しました。それからは、朱音が居候させていただいている家族の方から探偵社経由で朱音の動向が分かるようになりました。居候先は亀有の方とのことで、ここからは距離があって探知できませんけれど、同じ東京なのでいずれ会うかも知れません。
いつか朱音がこのお店に来たときに自慢できるように、お店を繁盛させられればなと思います。




