5-15. 店名とイラスト
風香さんが次に来るのは二日後と言っていましたので、翌日は、二階の住居部分を整えることに費やそうと考えました。
そして朝、まだカーテンも無い部屋で寝ていた私は、部屋に差し込む太陽の明かりで早くに目が覚めてしまいました。調理師学校に通っていたときも早起きでしたので、朝早く起きるのは苦ではありません。私は布団から出ると、お風呂の脇の洗面所まで行ってから着替え、前夜にコンビニで買っておいたサンドイッチで朝食にしました。
食後、少しまったりしてから食事の後片付けをして、それから各部屋を見回りながら買い出しで購入するものをメモに書き出して行きました。
二階の住居スペースの間取りは2LDKにバストイレです。LDK以外の二室は、8畳間と6畳間で、一人暮らしには少し広めな感じです。私は8畳間を自室に、6畳間をいざという時の客間にすることにしました。そして、リビングを含む各部屋の窓の大きさやカーテンレールの有無を確認してメモに書き込みます。それから台所の冷蔵庫置き場の大きさや、洗面台のところの洗濯機置き場の大きさも確認します。一人暮らし用の家電製品であれば、きっと納まるとは思いますけれど、念のためです。それからタンスやベッドなどの家具の配置を考えて、その場所の寸法もメモに書き留めました。
そしてお店が開く時間になると、家具屋や家電量販店に行って買い物です。家具や大型の家電は配送を頼みましたけれど、電灯やカーテンなどの小物は持って帰って、早速自分で取り付けました。家具などの配送は翌日となっていたので、部屋の中はまだ何も置かれていません。でも、電灯とカーテンを取り付けるだけで部屋に生活感が出てきました。
近いうちに家具や家電も届きますし、まずはこんなところかなと思いました。まだ部屋の中は殺風景でしたけれど、今日のところは満足ということにしておきましょう。
そして翌日の午後、再び風香さんがやってきました。その少し前に、四辻さんがお店に来たので、四辻さんに店内の様子を見て貰っているところでした。四辻さんも私と同じ日に引越しだったのですけれど、四辻さんの方は家財道具一式を持ってきたので、その整理に前の日まで掛かっていたのです。私の方も買い物があったりしましたので、四辻さんにはまだお店には来なくて良いと話をしていて、この日初めて四辻さんがお店に足を踏み入れました。そして、私が店の入口を開け、換気扇を回して空気を入れ替えながら、四辻さんにお店の構想を話しているところに、入口の扉をノックしながら風香さんが入ってきました。
「こんにちは、琴音ちゃん」
「風香さん、こんにちは。ちょうど良かったです。いま、四辻さんにお店をどうしようと思っているか説明していたところなんです。あ、初めてでしたね、こちら四辻さん。母の秘書をやって貰っていたのですけど、今回一緒に来て貰いました。経理を見て貰いますけど、四辻さんの淹れるコーヒーが美味しいので、そちらもやって貰おうと思っています」
「四辻敏男です。初めまして、よろしくお願いいたします」
「四辻さん、こちらフードコーディネーターの獅童風香さんです。お店のコンサルタントのお仕事もやっているそうです」
「初めまして、四辻さん。獅童風香です」
四辻さんは風香さんから受け取った名刺を見ながら、何かを思い出しているようでした。
「獅童?この住所はもしかして高円寺にある獅童武術道場の?」
「はい、父が道場の師範をやっています」
「四辻さん、知っているのですか?」
「ええ、東護院家にゆかりのある武術道場で、北の封印の地の人間もお世話になるところです。私も先代のときに短期間でしたがお世話になったことがあります」
「そうだったのですか」
「確か、当代には大層お強い娘さんがいらっしゃるという話でしたが、それが風香さんでしたか」
「あー、いやー、そんな話まで伝わっていましたか。参りましたね」
あはは、と風香さんは照れくさそうにしていました。
「それで、後ろの方はどなたですかな?」
そうなのです。風香さんの後ろ、お店の扉のところに女性が一人立っていました。風香さんと一緒に来ていたのですけれど、遠慮してか扉のところで立ち止まっていたのです。
「ああ、そう、紹介しないとだね。こちら、私の友達の有松麗子さんです。イラストレーターやっているので、手伝って貰おうと思って連れてきました」
「有松麗子です。よろしくお願いいたします」
有松さんは私達に向けてお辞儀をしました。ウェーブの掛かったロングヘアの髪型で、服装はブラウスにロングスカート、薄手のカーディガンを羽織っています。
「麗、こちらがこのお店の店長の北杉さん、それからお店を手伝って貰う四辻さんです」
「北杉琴音です。よろしくお願いします」
「四辻敏男です。よろしくお願いいたします」
私達も有松さんにお辞儀しました。
「それで、麗にはこの窓のところに描くイラストの図案を考えて欲しいんだけど、どう?」
「うん、分かった。だけど、どんなイラストが良いのかとかある?」
「あー、まだそこまで考えられていないんだよね。琴音ちゃんはどう?」
「私もまだ考えられていません。ところで、風香さん、一つ聞いても良いですか?」
「何?琴音ちゃん」
「何故風香さんは有松さんのこと『うらら』と呼んでいるのですか?」
「麗子の麗の字は『うらら』って読むんだよ。それにイラストレーターとしてのペンネームが有田川麗だし。高校生のころは麗子って呼んでたけど、私、よく言い間違えるから麗って呼ぶことに統一しようってことにしたんだ」
言い間違えるって、私のことを「琴音さん」と呼ぼうとしていたのに、つい「琴音ちゃん」と呼んでしまったようなことが他にもあるということですね。風香さんらしいと言いますか。
「なるほど、分かりました」
「琴音ちゃんも麗のこと『うらら』って呼んでも良いと思うよ」
「いえ、私は有松さんのことを『うらら』って呼ぶ場面がありませんから」
「でしたら、麗子って呼んでください。私も琴音さんって呼ばせて貰うので」
「はい、では、麗子さんと呼ばせて貰いますね」
「良いですよ」
「それで、お二人っていつからのお友達なのですか?」
「高一のころからだよ。もうかれこれ15年経ったかなぁ」
「え?高一から15年?」
それって、二人とも30歳ということですよね。でも、どちらもとてもそうは見えない若さでしたので、驚いてしまいました。
「そうね、もう15年経つのね」
「そうそう。昔の麗は大人しかったよね。それが今では結構図太くなっちゃって。外見はともかく、中身はしっかり歳を取っているよね」
「風香、ちょっとあなた殴られたいの?」
「あー、ごめんごめん。少し調子に乗り過ぎちゃったね」
「謝るくらいなら、最初から言わなければ良いのに」
二人は言い合いしていますけれど、本気で怒った風でもなく、こういうやり取りするのが二人の日常のように見受けられます。
「それで、琴音さんも風香も、お店のイメージはまだ固まっていないということなの?」
「うーんと、主婦や女子学生向けの喫茶店にしようってところまでは決めてるよ」
「女性向けを中心にってことね。だったら、あとはこのお店の名前をどうするかじゃないかな?」
「そうだね。お店の名前かぁ。琴音ちゃんはお店の名前は考えていた?」
「そうですね。アットホームな雰囲気を感じられる名前が良いかな、と思っていましたけれど。家とか、家族とか、団欒とか」
「なるほど。方向性は悪くないけど、琴音さんらしさがあると良いんじゃない?」
「琴音ちゃんらしさって?温和とか、優しいとか?」
「まあ、そういうのでも良いけど、お店の名前を聞いた時に、なるほど、琴音さんのお店だよね、と思えるようなのだともっと良いかな」
「えーと、琴音ちゃんは冬の巫女だから、冬の家とか?北の封印の地から来たから北の家とか?」
「そうそう、そんな感じ」
「麗の言いたいことは分かったけど、私はもう少しメルヘンっぽいのが良いかなぁ」
「メルヘンっぽいって何よ?」
「何か欧米風な?おとぎ話に出てきそうな名前」
「うーん、おとぎ話ねぇ」
話がまとまらずに、皆、考え込んでしまいました。
「皆様、私からよろしいでしょうか」
それまで黙って話を聞いていた四辻さんが口を開きました。
「ええ、四辻さん、アイディアがあればお願いします」
「『|メゾンディヴェール《Maison d'hiver》』と言うのは如何でしょうか。フランス語で『冬の家』を表す言葉です」
「メゾンディヴェールね、私は良いと思うけど、琴音ちゃんはどう?」
「私も素敵な名前だと思います。四辻さん、ありがとうございます」
「はい、じゃあ、お店の名前はメゾンディヴェールね。私は冬の家を題材にしたイラストを考えてみるってことで良いよね」
「ええ、麗子さん、よろしくお願いします」
こうしてお店の名前も決まりました。




