5-13. コンサルタント
それからの二週間は、契約と引越しの準備で大忙しでした。
四辻さんは、あれからご家族と話し合いを持って了解を取り付け、笑顔で私に報告に来ました。その報告を受けて、私は彩華さんに連絡を取って四辻さんのことを相談したところ、彩華さんは快諾してくれた上に四辻さんの家の紹介までしてくれました。その物件は、お店から歩いて行ける距離にあるマンションの一室でした。東護院家はあの辺りに土地を幾つか持っていて、四辻さんに紹介してくれたマンション以外にも学生マンションも所持しているそうです。北の封印の地しか管理している土地を持たない北杉家に比べて、東護院家は多くの財産を持っていて凄いと思いましたけれど、都会の中で黎明殿の関係者が土地を維持するのは大変そうですし、私は北の封印の地だけで良いかな、と思いました。
ともかくも、四辻さんともども住むところが決まったので、後は引越しです。母と相談した結果、家具やベッドなどの家財道具は、すべて東京で新しく買うことにしましたので、私が準備したのは、当座必要な着替えと、洗面道具に化粧品類、そして寝るための布団一式だけでした。それから、黎明殿本部の事務局に転居の連絡を入れたところ、彩華さんからも連絡が入っていたようで、細かいことを聞かれること無く電話だけで簡単に手続きが済みました。
引越し当日、私は手を振る家族に見送られつつ、自分の軽自動車に用意した荷物を積んで北の封印の地を出ました。高速道路を使い、午後になってお店に到着しました。車は、お店の横にある駐車場に入れました。そこにはお店の裏口があり、荷物の出し入れが出来るようになっています。私の車が駐車場に入っているときは、業者さんの車はお店の前に停めて貰って、私の車の脇を通って裏口まで運んで貰う形ですけれど、私の車が小さいので、荷物を台車に乗せても十分通れるだけの幅はありました。
私は車から降りると、預かっていた鍵を取り出して裏口の鍵を開けました。裏口を入ってすぐのところは土間のままで倉庫のようです。その奥の右側に扉があり、それを開けると中は玄関のようになっていて、靴箱などが置いてありました。私はそこで持ってきたスリッパに履き替えて二階に登りました。階段を上がった先には廊下があり、そこから幾つかの部屋に入れましたが、勿論どの部屋もがらんとしていて、しばらく使っていなかったために埃の匂いがしました。
「まずは換気と掃除ですね」
私は再び外に出ると水道栓を探して開き、水道栓のところに付いていたメモもに従って水道局に連絡して開栓の手続きをしました。次に、車に積んでいた荷物から雑巾とバケツを取り出して、駐車場のところに出ていた水道の蛇口からバケツに水を汲んで店の中に入ります。そして、二階に上がる玄関口のところの床から順番に雑巾で拭いていきました。そこから、二階の廊下や部屋の床を一通り拭いて、ようやくスッキリした気分になれました。
そして、ガス栓を開け、電気のブレーカーも入れて電灯を点けようとしたところで、部屋の電灯が設置されていないことに気が付いてショックを受けました。
近所の電気屋さんにでも行って、何か電灯を買って来なければと思ったところで、呼び鈴の音がしました。裏口の扉の脇にインターホンがあったように思うので、誰かが来たのでしょう。インターホンの親機で確認すると、ショートカットの若い女性がいるのが見えました。引っ越したばかりの家に来るのは新聞屋さんかなと思いながら、ひとまず用件を確認することにしました。
「はい、何でしょう?」
「あのう、私、お店を開くためのコンサルタントとして雇われたものなのですが、ご挨拶させて貰って良いですか?」
もしかして彩華さんが言っていたコンサルタントですか。まさかこんなに早くにやって来るとは思っていませんでした。
「挨拶は構いませんけれど、引っ越してきたばかりで何も無くて、座る場所も用意できないのです」
「ああ、それなら問題ないです。まずは何も無いお店の中を確認したかったので」
「それなら分かりました。少しお待ちください」
何だかとても押しの強そうな人です。強引な人はあまり得意ではありませんが、仕事であればそうも言っていられません。私は階段を降りて下に行き、裏口の扉を開けました。
「はじめまして。引っ越したばかりのところをお邪魔してすみません」
「いえ、それは良いのですけれど、まだお店の方は何もできていなくて」
「そこは気にしないでください。どちらにしてもお店の方は内装工事をやらないといけないだろうと思っていますから。まずは現状を見てみたくて」
「そうなんですね。それで、あの?」
お名前何ですか、と聞こうかなと思って言葉が途中で切れてしまいましたが、察してくれたようです。
「あ、申し遅れました。私、獅童風香と言います。フードコーディネーターやってます」
風香さんは名乗りながら名刺を差し出してきました。
「北杉琴音です。よろしくお願いいたします。あの、私、名刺は持っていなくて」
私は風香さんの名刺を受け取りながら、挨拶しました。風香さんの名刺を見ると、肩書としてフードコーディネーターと書いてあります。でも、獅童ってどこかで見たような苗字です。
「私に名刺は不要ですよ、琴音さん。でも、そのうち店長の名刺を作って貰うことになると思います」
風香さんは私の考え事はそっちのけで、話を進めて来ました。ぐいぐい引っ張っていく感じではあるものの、こうして話をして見ると、何となく親しみを持てそうな気がします。
「それで、琴音さん、お願いなのですけど、お店の中を見せて貰って良いですか?」
「ええ、どうぞ」
私は風香さんを裏口から中へ招き入れました。風香さんが私の横を通り過ぎるとき、ほんのりとシャンプーの良い匂いがしました。
「お邪魔しまーす。お店はこの奥ですね」
風香さんは、倉庫の奥から続く通路に入って、どんどん先に進んでいきます。私はそんな風香さんを追いかけるような形で後を追いました。
通路を通り抜けると、そこはお店の中でした。ただ、いまは何の什器も無くてがらんとした空間です。見えているのは、壁と床と天井、それに道路に面しているガラス張りの窓、そしてお店の入口の扉だけです。
そんな光景でも、風香さんには私と違って見えるのか、目を輝かせて見回しています。
「うんうん、やっぱり良いよね。窓は大きいし、入り口はおしゃれだし、内装を整えれば素敵なお店になるわね。カウンターを設置して椅子を置いて、あといくつかテーブル席を作って。こんなお店を琴音ちゃんと一緒に始められるなんて嬉しいな。ねえ、琴音ちゃんもそう思わない?」
「え、ええ」
何でしょう、とてもテンションが上がっているようです。いつの間にか、私のことを「ちゃん付け」で呼んでいますが、本人がそのことに気が付いているのかまったく良く分かりません。喜びで興奮しているところに水を差すのも気が引けたので、そのことは指摘をせずに話を合わせることにしました。
「風香さんには、もうお店の構想が頭の中にあるのですね」
「うん、そうね。色々な案があってまだ固まってはいないんだけど。あ、勿論、琴音ちゃんの意見も尊重するからね。ここの店長さんは琴音ちゃんだから」
「ありがとうございます。でも、私は今日初めてお店を見たばかりで、どういう風にするのが良いのか思いついていないんです。なので、風香さんのアイディアを教えて貰っても良いですか?」
「良いよ、勿論。でも、立って話をするのもあれだから、近くのお店に行かない?」
「それは良いですけれど、その前に車から荷物を下ろしてしまっても良いですか?」
「ああ、そっか。本当に着いたばかりだったんだ。片付けも終わらないうちに押しかけちゃってごめんね。荷物運び手伝うよ」
「え、いえ、それは申し訳ないので」
「大丈夫。こう見えても私、力持ちだから」
「分かりました。お言葉に甘えます」
元々車にはそれほど多くの荷物は載せてきませんでしたけれど、風香さんに手伝って貰ったお蔭で、あっという間に全部二階に運ぶことができました。




