5-11. 春の巫女
私が東の封印の地に向かったのは次の週末の日曜日でした。朝、家から車で駅に向かい、電車を乗り継いで河津に着いたのは13時頃でした。そこに迎えを出すからと言われていたので、駅の入口のところで待っていたら、一台のバンがやってきました。
そのバンは駅前の駐車場に入りました。運転席から降りたのは男の人で、その人は辺りを見回すと私の方にやってきました。
「あの、北杉さんですか?」
「はい。貴方は?」
「名乗らずにすみません。僕は東護院拓人と言います。春の巫女の一人、東護院涼華の夫です。貴女を迎えに来ました」
「北杉琴音です。初めまして。迎えに来てくださってありがとうございます」
拓人さんは私をバンに乗せると、東の封印の地まで車を走らせてくれました。東の封印の地までは車で約20分、大体10kmだったでしょうか。
目的地に到着すると、拓人さんはバンを家の裏手の駐車場に入れました。どうやら東御殿の建物の配置は、北御殿と同じようでした。家の形は少し違うようでしたけれど、玄関の位置は同じでしたので、もともとは家の造りも同じだったのかも知れません。
私は拓人さんに案内されて玄関から家の中に上がり、リビングに通されました。
リビングには、既に二人の女の人がソファに座っていました。髪型は、一人はセミロングの髪の毛を左肩の上でまとめていて、もう一人はポニーテールという違いはありましたが、良く似た二人で同じ髪型だと区別が付けられないかもと思いました。
二人は、私がリビングに入ると立ち上がって迎えてくれました。
「東の封印の地にようこそ。私は東護院彩華、東護院家の当主をやらせてもらっています」
「私は東護院涼華。見て分かると思うけど、彩華姉さんの双子の妹です。私のことは涼華って呼んで。よろしくね」
「初めまして、北杉琴音です」
私は二人に向かってお辞儀をしました。
「遠いところをお疲れ様。どうぞ座って」
私は彩華さんに勧められるまま、向かいのソファに座りました。春の巫女の二人も座って私と向き合いました。
「話は花楓さんから聞きました。貴方も東京に来るのだそうね」
「はい。今回は妹のことも含めて色々と助けていただきありがとうございます」
「どういたしまして。でも、そんなに気にすることは無いわ」
「そうですか?」
「ええ、そうよ。朱音さんが私達のところで何か仕事を見つけて役に立ってくれれば、それは私達にとっても得なことになりますからね。単なるボランティアで協力するのではないのだから、気にして貰わなくても構わないということ」
彩華さんは、私を安心させるように微笑んでくれました。
「分かりました。お言葉に甘えます」
「そう、それで良いわ。それで朱音さんなのだけど」
朱音の話題になると、彩華さんの声のトーンが少し低くなりました。
「アルバイトの職探しを始めたようね。身元保証人がいなくて苦労しているようだけど」
「え?朱音はまだ一人でいるのですか?花楓さんからは、それとなく保護すると聞いたのですけれど」
「最終的にはそうしますけど、あまり話が上手く行き過ぎるのも疑われるでしょう?少しは苦労を感じて貰った方が良いと思ったのよ。朱音さんには良い社会勉強になるでしょうし。それに朱音さんには悪いけれど、ウチの探偵社の訓練にもなりますからね。巫女を相手に行動を見守るなんて機会はそうそう滅多に訪れませんもの」
「探偵社ですか?」
「東護院家で経営している探偵社があるの」
涼華さんが説明してくれました。
「下手に巫女が近付くと朱音ちゃんに警戒されると思って、探偵社の人間を朱音ちゃんの周りに配置しているのよ。勿論、いざとなれば事務局に連絡して本部の巫女にも動いてもらうけれど、朱音ちゃんならそんなことにはならないだろうと皆予想しているの。大丈夫よ、安全には十分注意しているから」
「そうなのですね」
説明を聞いて理解したつもりではありましたけれど、少し不満の色が顔に出てしまったかもしれません。
「気を悪くしないでね。姉さんも話した通り、これは朱音ちゃんにとって必要な過程だと思うから。探偵社の方も、いくら訓練になるとは言っても、いつまでも人を張り付かせてはいられないから適当なところで保護に向けた動きに移るわよ。それに、ちゃんと朱音ちゃんに近付いてもいるの」
「いえ、気を悪くしたとかではありませんから。きちんと見守っていただいていることが分かりましたので。これからもよろしくお願いいたします」
私は二人に向かってお辞儀をしました。
「朱音さんのことはこれくらいで良いかしら」
涼華さんの説明が終わると、再び彩華さんが口を開きました。
「状況に変化があれば、琴音さんにお知らせします。それにいずれ探偵社の人間も紹介しますから、そうしたら直接報告も聞けるようになるでしょう」
「はい」
「それで、次に貴女の住む場所のことなのだけど」
彩華さんは一旦言葉を切りました。
「琴音さん、貴女は調理師免許も栄養士の資格も持っているのよね?お料理が好きなの?」
「ええ、好きですね」
「お店で働きたいと思ったことは?」
「機会があれば、働いてみたいと思うことはあります」
「そう」
彩華さんは一旦目を伏せて考えているようでしたが、顔を上げて私を見詰めました。
「東護院家で管理している建物の中に、住居付きの店舗があるのだけど、琴音さん、お店をやってみる気はない?」
「私がお店を開くのですか?」
「お店をやりたいとは思わない?」
「お店で働けたらとは思ったことがありますけれど、実際に働いたことも無いのでお店を開くなんてどうすれば良いのか分からなくて不安です」
「大丈夫、そこはプロのコンサルタントを付けるから?」
「コンサルタントを付けて貰えるのですか?」
「そう、お店の立ち上げはそのコンサルタントに相談しながらやりなさい。立ち上げ資金はその建物のオーナーが持つし、貴方は雇われ店長として働けば良いだけ。それならできそうでしょう?」
「はい、まあ、そういうことでしたら。でも、どうしてそんな良い条件を出してくれるのですか?」
「そのオーナーの意向なの」
「意向ですか?」
「そこはね、前から自分でお店をやりたいと思ったオーナーがたまたま空いているのを見つけて一目ぼれして衝動買いした物件だったのよ」
私が納得し切れていない様子を察したのか、涼華さんがフォローするように口を開きました。
「だけどね、冷静になって考えてみたら他にも仕事があって、毎日お店に立つこともできないからどうしようかって悩んでしまっっていたの。それで私達も相談を受けていたんだけど、そんなところに琴音さんが東京に来るという話があって、それなら丁度良いかもって。だから琴音さんには、そのオーナーの代わりにお店を開いてあげて欲しいの」
「それでしたら、そのオーナーの人と一緒にお店を開けばと思いますけれど」
「うん、オーナーはそれも考えたみたいなんだけど、いつもお店にいることになるのは琴音さんだし、琴音さんには誰にも気兼ねすることなく自由にお店を作って欲しいから、自分は開店したお店に行くので良いってことにしたみたい」
「本当にそれで良いのでしょうか。自由にできるのは嬉しいですけれど、オーナーの思っていたお店と違ってがっかりされたりしないか心配です」
「そう思われるだろうから、その人はお店に行ってもオーナーとは名乗らないつもりだって言っているわ。まあでも感想は聞きたいでしょうから、私達が聞いて琴音ちゃんに教えてあげるわ」
「そうまで言われてしまうと、やらない訳にはいかなさそうですね」
「まあ、今ここで決めなくても良いから」
「涼華の言う通りです。この中にお店の情報と契約書が入っていますから、良く読んで検討して貰えるかしら。答えが決まったら、連絡をして」
彩華さんは自分の脇に置いてあった封筒を取り上げて、私の方に差し出した。
「分かりました。家族とも相談してみます」
私は住む場所と働き口が見つかったという安堵と、お店が出来るという喜びと、お店を開いてもお客様が来るのかという不安が混じった、何とも言えない気持ちを抱えながら彩華さんが差し出した封筒を受け取りました。




