5-4. 花楓
「琴音ちゃん、こんにちは」
「花楓さん、いらっしゃい」
花楓さんが来ました。花楓さんはセミロングの髪を、髪留めでまとめています。服装はブラウスにふわりとしたスカート、それにカーディガンを羽織っています。自称28歳、大人の雰囲気を醸しています。
花楓さんの苗字は烏丸で、京風な苗字なのですけれど、生まれは東北らしいのです。その後しばらく関西・近畿地方で過ごしていて、13年前に15歳で本部の巫女となり、って経歴が変なのですけれど、本部の巫女の出自を詮索してはいけないことになっているので、家の中でそのことに触れる人はいません。でも、私の高祖母の空音お婆さんとは旧知の仲だったらしいことは家の皆が知っていることです。花楓さんは本部の巫女になると関東と東北地方の担当になったのですけれど、それは花楓さんが望んだことだったそうです。そして本部の巫女になって初めてこの封印の地を訪れたとき、花楓さんと空音お婆さんは抱き合って泣いていたと聞きました。それからも花楓さんは月に一二度は蹟森に来て空音お婆さんと話をしていました。その空音お婆さんは三年ほど前に他界してしまい、花楓さんがここに来る頻度も下がりましたけれど、それでも二月に一度くらいは顔を出してくれています。
「どうぞ上がってください」
私はスリッパを並べて、花楓さんを促しました。
「ありがとう。碧音さん達はリビングね」
「ええ、花楓さんとお話するのを楽しみにしていましたよ。あと、朱音が相談したいって言ってました」
「朱音ちゃん、何の相談だろ?まあ、話してみれば分かるか」
廊下を歩いてリビングの扉を開けました。先に入って、花楓さんを招き入れます。
「こんにちはー」
「いらっしゃーい」
花楓さんの挨拶にリビングにいた皆が応えます。リビングには本家の女性陣が勢揃いしていました。花楓さんのためのソファが空けてあって、碧音お婆さんが手招きして席に着くように促していて、朱音が皆にお茶を淹れてくれていました。
「ふーちゃん、良く来てくれたね」
花楓さんがソファに座ると、碧音お婆さんが話しかけました。碧音お婆さんは空音お婆さんの娘、つまり私の曾祖母です。元々花楓さんのことをふーちゃんと呼んでいたのは空音お婆さんでしたけれど、空音お婆さんと花楓さんが話すときにいつも同席していた碧音お婆さんも、花楓さんのことをふーちゃんと呼ぶようになっていました。因みに、花楓さんは空音お婆さんのことは空ちゃんと呼んでいました。
「皆の顔をたまには見ないとと思って。ここに来るとホッとするし」
「そうかい。私もふーちゃんにまた会えて嬉しいよ」
「碧音さんも元気そうで良かった」
「ああ、お蔭さんで元気だよ。畑にも毎日出ているし」
「畑って、いまは植え付け?」
「そうさな、いまは雑草を取って、畑を耕して、野菜の植え付けをしているところさ。トマトや、なすや、カボチャなんかな」
「うんうん、碧音さん、精出しているね」
「まあ、魔獣退治は若いのに任せて、畑くらいはやらないとと思ってな」
「魔獣退治だってまだできるんじゃないの?巫女の力は弱くなってはいないよね?」
「力の方は変わらないだろうけれど、力に対する体の耐性が落ちてきているように思うよ。だから使える力の量が減ってきていてな。まあ、まだ魔獣に遅れを取るつもりはないんだが」
「そうね。私はまだ気になるほどではないけれど、それでも前より使える力の量が減ってきている気がするわね」
碧音お婆さんに同意したのは、天音お婆さんでした。天音お婆さんは、私の祖母、碧音お婆さんの娘です。天音お婆さんは68歳、碧音お婆さんは92歳、どちらもお年寄りの域に到達していいますが、天音お婆さんはまだまだ若々しさを保っています。碧音お婆さんにしても、その歳で普通に畑仕事が出来ているので、大したものなのです。
「まあ、巫女であってっも寄る年波には勝てないってことなんだね」
「それはまあ、先祖代々言い伝えられてきたことだし、仕方のないことさね。普通の人に比べれば体の老いは遅いけれど、歳を取れば体力は落ちるし、その時が来ればお迎えも来るんだ。母様のように」
碧音お婆さんが言っているのは、三年前に亡くなった空音お婆さんのことです。あれからもう三年経ってしまったのかと思うと、時が経つのも早いものです。
「ねぇ、花楓さん。巫女の力は強くはならないの?」
「どうしたの、朱音ちゃん?」
花楓さんは、朱音の顔を見ました。朱音は、もじもじしながら話を切り出しました。
「この前、お姉ちゃんとダンジョンに行ったんだけど、大型の魔獣を一撃では斃せなかったんだよね。昔の話だと、巫女は大型の魔獣を一撃で斃してたってことだったし、歳とともに強くなるのかなって思っていたんだけど、ここのところ全然強くなっているようにも思えなくて」
朱音の言いたいことは私にも分かります。確かに昔話に出て来る巫女は強くて、いまの自分たちではとても敵わないように思えるのでした。
そんな朱音の訴えを聞いた花楓さんは少し考える風でしたけれど、再び朱音の顔を見て口を開きました。
「昔話には多少の誇張は入っていると思うけど、巫女の力の基本は護りの力でしょ?だから、話に残るような危機的状況だと護ろうとする力が強くなるんじゃないかな?私自身は経験したことが無いから良く分からないんだけど」
「花楓さんでも経験のないことなんだ」
「ごめんね、朱里ちゃん。あまり役に立てなくて」
「いえ、良いんです。花楓さんこそ気にしないでください」
朱音の顔には落胆の色が多少見えましたけれど、花楓さんに気を遣わせまいと頑張って取り繕っているようでした。
「でも、そう考えると、ここのところは強い力を必要とする事件が起きていないと言うことよね」
そう話を振ったのは母です。
「そうだな。何事も無いのが一番だしな。ただ、心なしか前よりもはぐれ魔獣の数が増えているように思うのだが。ふーちゃん、本部では何かそういう話はないのかい?」
「確かに数字は少し増えているみたいだけど、そこまで極端に増えているのでもないし、まだしばらくは様子見って言われてる」
「そうか、まあ、何事も無いのが一番だしな。殺伐とした時代より、のんびり畑仕事出来る方がよっぽど良いわな」
「そうそう、私はのんびりできたらお店でもやりたいかな?」
「ふーちゃん、お店がやりたかったのか?」
「うん、食堂とか食べ物を出すお店が良いな。食べるのもお料理も好きだし」
「そうか。じゃあ、ふーちゃんがお店始めたら、ウチで取れた野菜を送るから使ってくれるかい?」
「勿論、大歓迎だよ。そうそう、折角だから、碧音さんの畑を見せて貰っても良い?」
「良いともさ。見せてあげよう」
「私も一緒に行きましょう」
碧音お婆さんが立ち上がると、天音お婆さんも一緒に立ち上がって碧音お婆さんと花楓さんの後を付いてリビングから出ていきました。
花楓さんはお婆さん達二人と畑を見回ったあと、リビングに戻ってきて話をして、夕食も皆と一緒に食べました。そして、夕食後のひと時を過ごすと、花楓さんはそろそろ帰らないとと暇乞いをしました。
花楓さんが帰るとき、朱音と私の二人で花楓さんを見送りに行きました。玄関を出て、家の裏手に置いてあった車のところまで行ったところで、花楓さんが何かを思い出したような表情を見せました。
「そう言えば、朱音ちゃん」
「何でしょう、花楓さん」
「前に空ちゃんが、書庫の古文書の中に作動陣のことが書いてあったのを見たことがあるって言ってた気がする。本当にあるのかは分からないけど、一度探してみたらどうかな?」
「そうなんですか?いままで古文書は見たことがなかったですけど、今度探してみようと思います。花楓さん、ありがとうございます」
「本当に見つかると良いね。それじゃあ」
花楓さんは、私達に手を振ると車に乗りました。そして車のエンジンを始動させるともう一度私達に手を振ってから車を出しました。朱音と私も手を振って花楓さんの車が去っていくのを見届けました。
花楓さんの車が見えなくなると、朱音は微笑みながら私の方を見ました。その表情だけで言いたいことは予想が付きましたが、私は黙って朱音の言葉を待ちました。
「お姉ちゃん、書庫を調べるのを手伝って貰えるかな?」




