5-2. ダンジョン行
連休の前日、学校帰りの車の中、朱音がお願いしてきました。
「ねえ、お姉ちゃん、明日一緒にダンジョンに行きたいんだけど?」
「んー、そうね」
頭の中で検討します。実のところ、連休中の予定は特になくて、お菓子作りでもしようかなと思っていたくらいでした。
「一緒に行っても良いわよ」
「やった、お姉ちゃん、ありがとう」
朱音も私もダンジョン探索ライセンスのA級は持っていますし、一人で潜れないこともないのですけれど、万が一を考えて一人では入らないようにと祖母や母には言われていましたし、私達もそれに従っていました。
里の人達と一緒に入ることも考えられますけれど、それだと里の人達の安全を考えなければならず、下の階層には行けないので、朱音は専ら私と潜っていました。そして、たまに花楓さんが一緒に行くこともありました。
「明日のお昼はお握りで良いわね。おかずをどうするか、佳菜子さんと相談しないと」
「ん、お腹が一杯になるなら何でも良いから」
「まったく、朱音ったら。貴女が良くても私は嫌です。おかずは用意します。もっとも、私が自分で何とかしますから、貴女は気にしなくて良いですよ」
「悪いね、お姉ちゃん」
「はいはい」
朱音は食には拘りが無さそうですけれど、私は食べるのなら美味しいものが良いですし、料理をするのも好きです。佳菜子さんと言うのは、お手伝いさんの氷渡佳菜子さんのことです。忙しい母の代わりに昼間に家事をやっていただいています。
家に着くと、早速佳菜子さんを探してお弁当のおかずのことを相談しました。今夜は揚げ物も考えていたとのことでしたので、一緒に鳥の唐揚げも作りましょうと提案してくれました。勿論、私も一緒に作るのです。あとはソーセージやブロッコリーなど有り合わせのものを詰めていけば十分そうです。
お弁当の算段が付き、リビングでゆっくりしていると、四辻さんがリビングに入ってきました。四辻さんには母の仕事の方の秘書をやっていただいています。以前は天音お婆さんの秘書でしたけれど、母が封印の地の実務を担うようになってからは母の秘書として働いてくれています。そんな風に我が家との付き合いは長く、私が小さい頃は良く面倒を見て貰っていて、爺やみたいなものでした。
「あら?四辻さん、お出かけではなかったのですか?」
確か母は、会合の参加で出かけていた筈です。
「はい、奥様には岩泉が付いていきましたので、私はこちらで書類の整理をしていました」
岩泉さんは、四辻さんのそろそろ後任を育てたいとの要望を受けて、最近雇った若い男の人です。最近と言っても、もう五年くらいになるでしょうか。四辻さんは、もう何十年もやっていただいているので、岩泉さんはまだまだ駆け出しみたいなものです。とは言え、岩泉さんだけが母と一緒に出かけることが増えて来たように思います。
「そうでしたか、お疲れ様です」
「恐縮です。それで、一段落したので休憩しようと思って来たのですが、琴音様はコーヒーはいかがですか?」
「四辻さんの淹れたコーヒーならいただきたいです」
「畏まりました。お待ちください」
私は普通のコーヒーが苦くてそれほど好きになれないのですが、四辻さんの淹れるコーヒーは苦くないので好きでした。
私がソファに座って今か今かと待っていると、程なく四辻さんがお盆にコーヒーカップを乗せてリビングに来ました。どうやら二つあるので、自分の分も淹れて来たのでしょう。
「琴音様、お待たせしました」
「ありがとうございます」
四辻さんが私の前にコーヒーカップを置いてくれました。早速私はカップを持って匂いを嗅ぎます。フルーティーな良い香りがします。いつもの四辻さんのコーヒーです。
一口飲んで、ホッとします。酸味の中に軽い苦みがありますが、これくらいの苦みなら苦になりません。
「四辻さん、いつものように美味しいです」
「そう言っていただけて嬉しいです」
四辻さんも私の向かいに座ってコーヒーを飲んでいました。私と四辻さんはお互い向き合って微笑みました。こうしたやり取りは、心が和みます。
私はゆっくり時間をかけながらコーヒーを味わいました。
コーヒーを飲み終えると、四辻さんはコーヒーカップを下げてリビングから出ていきました。私はしばらくそのままリビングでゆっくりしていましたけれど、佳菜子さんが台所で夕食の準備を始めたのに気が付くと、佳菜子さんを手伝いに台所に向かいました。
翌朝、ベッドの上で目を覚まして枕もとの時計を見たら良い時間になっていたので、寝床から出ました。階下の食堂に行くと、既に朱音が食卓に着いて目玉焼きを乗せたトーストにパクついていました。
「おはよう、お姉ちゃん。遅かったね」
「おはよう、朱音。休みの日はこんなものですよ。朱音こそ早くないですか?」
「いやぁ、今日はダンジョン行けるから、嬉しくて起きちゃったんだよね」
「そこまで喜んで貰えるのは嬉しいですけど、浮かれ過ぎてダンジョンの中で油断しないようにしてくださいね」
「そこは大丈夫。ちゃんと気持ちを切り替えるから」
朱音は片目を瞑ってウィンクしてきました。やれやれまったく、と思いながら朱音に右手を上げて分かったことを示しながら台所の方に行って、自分の朝食の準備を始めました。
食パンが残っていたので、トーストした食パンにレタスとハムを挟んだサンドイッチにすることにして、食パンをトースターに入れました。それから冷蔵庫にコーンスープのパックがあるのを見つけ、温めようと思ったところで、朱音の前にはパンの皿しかなかったことを思い出しました。
「朱音、コーンスープ飲みますか?」
「うん、あるなら欲しい」
「では、温めますね」
「お願い」
私は小さめの鍋を出して、パックからスープを鍋に注いで温めました。パンが焼けたので、バターとマスタードを塗り、レタスとハムを挟んで平らな皿に乗せます。そして温まったスープを二つのカップに注ぐと、サンドイッチの皿とカップをお盆に乗せて食卓に運びました。
「はい、朱音の分のスープです」
「お姉ちゃん、ありがと」
朱音は私からスープの入ったカップを受け取ると、息で冷ましながらスープを飲んでいました。
私は席に着くとスープを一口飲んでから、サンドイッチを食べ始めました。そこへ、トーストを食べ終えた朱音が話しかけてきました。
「そう言えば、お姉ちゃん、今日はどこのダンジョンに行こうか?」
「朱音の行きたいところで良いですよ。朱音はどこに行きたいのですか?」
「移動時間が少なくて済む近いところが良いかな。平泉西の中級ダンジョンはどう?」
「良いと思いますよ」
「じゃあ、決まりで」
朱音は満足そうに頷くと、カップのスープを飲み干して立ち上がりました。
「紅茶でも飲もうかな。お姉ちゃんも飲む?私が淹れるから」
「はい、良ければ」
「オッケー」
朱音は、食器を持つと台所の方に持って行きました。そして台所で紅茶を淹れると食卓の方に持ってきてくれました。
「はい、お姉ちゃん、どうぞ」
「朱音、ありがとう」
「どういたしまして」
朱音は先程食事していた席に再び座るとティーカップを手に取り、紅茶を口にしました。私の方もサンドイッチを食べ終え、スープも飲み干すと、紅茶をいただきました。
そして一息付いたところで朱音に誘い掛けます。
「そろそろ着替えて行きましょうか」
「そうだね。じゃあ、私、着替えてくる。ご馳走様」
朱音はさっさと食堂を出ていきました。私は食器を洗ってから、お弁当用の準備を始めます。お握りを作り、おかずをお弁当箱に詰めて、お箸も一緒に保温用の袋に入れました。それから、自分の部屋に行き、着替えなど出掛ける準備を始めました。
お弁当の準備などに時間を要したこともあり、私が支度を終えてリビングに行ったときには、朱音は既に準備を整えて待っていました。
「朱音、お待たせ」
「お姉ちゃん、来たね。じゃあ、行こう」
待ちかねたのか、朱音は直ぐに出ようという勢いです。
「はいはい、行きましょう」
特に朱音を止める理由も無かったので、そのまま外に向かいます。
登校する時と同じように玄関を出、私の車に乗り込みます。平泉西のダンジョンには駅からのバス路線があるのですけれど、本数も少ないですし、この辺りのダンジョンには十分な広さの駐車場がありますので、車で行く方が余程便利です。
「忘れ物は無いですね?ヘルメットは持ってますか?出ますよ」
「うん、大丈夫だよ。忘れてない」
朱音の言葉に頷くと、私は車を発進させました。目指すは平泉西の中級ダンジョン、車で三十から四十分のところです。




