4-26. 摩莉
「さて、改めて体の動きを試しますか」
私は、アバターの体がどれくらい動かせるものか、いつもの型の練習と同じメニューで確かめ始めた。右手を前に出して左手を引き、反対に右手を引いて左手を前に出し、そしてくるっと回って、というところで髪の毛が顔に付く。やはり、髪はまとめないと駄目そうだ。
「あの、藍寧さん。髪ゴムってありますか?髪をまとめたいのですけど」
「ああ、マリはポニーテールでしたね。髪ゴムありますよ」
藍寧さんは少し離れた机のところまでいき、その上に置いてあった化粧箱らしきものから髪ゴムを取り出した。そして、それを私のところまで持ってきて渡してくれた。
「どうぞ使ってください」
「ありがとうございます」
髪の毛を後ろでまとめ、髪ゴムで留めてポニーテールにした。私は最近は髪はミディアムにしているけど、高校に通っていたときは髪を伸ばしてポニーテールにしていたのだ。だから手慣れたものだ。
「良し、今度こそ」
服は着たし、髪もまとめたし、もう邪魔するものは無いよね。
私は思い切り、体を動かしてみる。いつもより早くスムースに動くので気持ちが良い。さらに転移陣で剣を呼び出して振ってみる。
「このアバターの身体、良いですね」
一通りの動きを試してみて結果に満足した私は、剣を送還して藍寧さんに向かって微笑んだ。
「満足できたようで、良かったです。でも試したいのは身体の動きだけではないですよね?」
「ええ、そうなんですけど、ここで光星砲なんかを試すのは気が引けるので、ダンジョンにでも行って試そうかな、と」
「そうですね。そうして貰えると助かります」
「では早速ダンジョンに、と言いたいところだけど、この時間だとダンジョンには入れないですよね」
「はい、残念ながら」
そうですよね、夜ですしね。腕を組んで、さてどうしようかな、と思っていたら、藍寧さんから質問が飛んできた。
「あの、陽夏さんは、アバターの容姿については、あまり気にされないのですか?」
「え?気にするって何を?」
「いえ、鏡を見てみたり、力を通して銀髪にしてみたり、ということをされないな、と思いまして」
「そういうことですか。アバターの姿はさっき見ましたし、基本的に陽夏の容姿じゃなければ良かったから。あ、でも、そうするとアバターの姿の時の名前を決めないといけないか」
私はどんな名前が良いかな、と考え始めた。
「アバターはマリの姿だし、名前はそのままマリで良い気がするけど、漢字を当てて摩莉にしようかな。姓は陽夏の夏を取って夏川で良いか。全部合わせて夏川摩莉。ね?良いですよね、藍寧さん」
「はい、摩莉さんですね。良いと思いますよ」
「それじゃ、それで決まりで。このアバターの時は、私は夏川摩莉です。よろしくお願いします、藍寧さん」
「よろしくお願いします、摩莉さん」
その場のノリで改めてお互いにお辞儀をしあった。
「あ、そういえば、藍寧さん」
「なんでしょう?」
「軽井沢でアバターの胸にある紋章の話をしてましたよね。それって、どこについているのですか?」
「紋章は、普段は見えなくなっているのです。見たいときには、先程利用者登録をした透明な石のあった辺りに手を当てて、手から胸に力を流し込んでください」
私は胸元を開き、そこに手を当てて、力を流し込んでみた。すると、手を当てたところに黄金色の紋章が現れ、さらにその上に数字の57が同じように黄金色で表示された。
「おお、現れましたね。このアバターは、シリアルナンバーが57ですか」
「はい、愛花さんが56で、摩莉さんが57ですね」
「アバターには、こんな風に紋章と番号が付いているんですか?」
「そうですよ。私のも見てみますか?」
藍寧さんが胸元を開いてくれた。せっかくなので、手を当てて力を流し込んでみる。すると、私のと同じように紋章と、数字の1が現れた。
「藍寧さんは、最初のアバターだったのですね」
「はい、私が一番最初に創られました。そして、それが私の誇りです」
藍寧さんはニッコリと微笑んだ。そうだよね、一番って誇らしいよね。私は頷き返した。
「一番て良いですよね、分かります」
私が力を流すのを止め、藍寧さんの胸から手を外すと紋章と数字が消えた。
「それじゃあ、私は家に戻ろうかと思います」
「あ、待ってください。まだ全部説明できていないです」
「え?」
藍寧さんが慌てるように私を引き留めた。アバターを創って終わりかと思っていた。
「アバターから元に戻るときは、アバターに切り替えたときと同じことをもう一度やってください。あと、身体に力を通すと銀髪や銀目になってしまい易いので、アバターのときに銀髪や銀目にしたくないときは注意して髪や目に力を回さないようにしてください」
それを説明するのは決まりか何かなのでしょうか。確かに知っておいた方が良いことではあるのだけど、何か事務的な藍寧さんの態度がおかしかった。
「分かりました。他に注意事項はありますか?」
「そうですね。アバターはこの空間で保管していますけど、もしこの空間に来たいことがあったら、いつでも私に連絡ください」
「はい、ありがとうございます。そう言えば、ロゼの着ていたような巫女の衣装、マリにも用意して貰うことってできますか?」
「ええ、良いですよ。一週間くらいで用意できると思います。用意できたら、連絡しますね」
「お願いします」
これで、ロゼマリでお揃いの巫女衣装で魔獣と戦うことができるようになる。魔獣の出現自体は喜ばしいことではないが、ロゼと一緒というのは嬉しい。まずは、一緒にダンジョンに行って連携技でも考えようか。あ、そうだ。
「あの、藍寧さん、もう一つお願いがあるのですけど」
「どうかしましたか、改まって?」
「藍寧さんてダンジョン管理協会で働いているのですよね?」
「はい」
「働いているってことは、藍寧さん名義の身分証があるということですよね?つまりは戸籍も」
「ありますよ。もしかして、摩莉さんは戸籍が欲しいということですか?」
「ええ、摩莉の戸籍は作れませんか?」
「摩莉さん、お気持ちは分からなくもないのですけど、まだ止めておいた方が良いと思います。本当に世の中に夏川摩莉の存在を定義してしまうと、歯止めが無くなってしまいますから。アバターの姿を止める理由がなくなってしまいます。いまはまだ早いです」
「まだ早い?」
私の聞き返しに、藍寧さんは一瞬ハッとした顔になったが、そのあと寂しそうな表情になった。
「人の体は老いますからね。いずれどこかでアバターの姿で暮らすことを考えるようになるのです。アバターは老いないですから。戸籍のことは、そのときになってからでも遅くはありません」
そうだった。私は巫女として活動する姿が欲しいだけで、意識できていなかったけど、創られし巫女はダンジョンを無くすことを目的として、随分昔に創られたのだ。その第一号である藍寧さんが今もこうして活動している。一体どれくらい長い時間を過ごしてきたのだろう。そして、私も同じようにこれから長い時間を過ごすことになるのか。
「そうですね、ごめんなさい。今のことが精一杯で、先のことまで考えられて無かったです。藍寧さんの言う通り、まだ早いですね」
「余計なことかも知れませんけど、こうしてアバターを得て巫女としての活動ができるようになったのですから、陽夏さんとして一度過去の問題に向き合って、決着を付けた方が良いのではと思いますよ」
「はい、前向きに検討します」
何だか政治家みたいな返事になってしまった。正直気乗りがしないが、藍寧さんの言う通り、決着付けないといけないのはその通りだ。
「それで戸籍のことを持ち出したのは、どうしてですか?」
「姫愛と一緒にダンジョンに行こうと思ったんですが、ダンジョンに入るときにライセンス証を提示しないといけないなぁと」
「ああ、ダンジョン探索ライセンス証のことを気にされていたのですね。それなら問題ないですよ」
「え?そうなんですか?」
「ダンジョン探索ライセンス証は、公文書ではないですからね。通称を使って良いことになっています。だから、夏川摩莉の名前でも作れますよ。写真があれば明日にでも用意できますけど」
「えーと、顔写真とはいえ、この部屋着の格好で写真撮るのは嫌なので、私の部屋まで一緒に行って貰っても良いですか?」
「はい、今度は摩莉さんが私を連れていってくださいね」
私は持ってきた手提げ袋を持つと、反対の手で藍寧さんの手を握り、転移陣を起動して藍寧さんを連れて部屋に戻った。そしてクローゼットから外出用の服を取り出して着替え、藍寧さんに写真を撮って貰う。藍寧さんは、スマホで撮影した写真を確認してから私を見た。
「写真はこれで大丈夫ですから、ライセンス証は明日渡せると思います。明日の夕方で良ければ、ここに持って来ましょうか?」
「できればお昼過ぎに欲しいので、取りに行きます。日比谷ダンジョンのところにあるダンジョン管理協会に行けば良いですか?」
「はい、では、お昼には渡せるように準備しておきますね」
「よろしくお願いします」
「それでは、私は自分のプライベート空間に戻ります。摩莉さん、お疲れ様でした。お休みなさい」
「藍寧さん、ありがとうございました。また今度」
お互いに挨拶を交わしてから、藍寧さんが転移陣を起動する。
「摩莉さん、陽夏さんの姿に戻るのを忘れないでくださいね」
言葉を残して藍寧さんが転移して消えた。
そうだった。違和感が無いので摩莉の姿のまま部屋を出そうだった。次に摩莉の姿になるときは、ダンジョン管理協会に寄ってからダンジョンに行くつもりなので、ダンジョンに潜るのに適した服装に着替えてから元の身体に切り替えた。そしてお風呂に入り、姫愛にダンジョン探索への誘いのメッセージを書いてから、ベッドに入った。




