4-9. 白銀の巫女、再び
あれから一か月ほど、時間と共に姫愛の巫女様熱は下がったように思うが、それでもたまに巫女様がいかに凄かったかとか、自分もああなりたいとか言っていた。別に、巫女様の方は凄さも格好良さも目指していないと思うんだけどな、と考えつつ姫愛の話を聞いていた。
そうした中での4月下旬の水曜日の午前中、曇天の下で私は美鈴さんといつものように打ち合いをしていた。今日は、両者とも木剣を使っている。何合かの打ち合いの後、美鈴さんと私は互いに向き合って、相手の隙を伺っていた。
私は以前から美鈴さんと打ち合いをしていて、気付いていたことがあった。美鈴さんは確かに強い。たぶん、全力だと私では敵わないくらい強いと思う。だけど、変な癖なようなものがある。それに気付いたのは、美鈴さんに対してフェイントを使ったときだった。
美鈴さんの動きは、速くて正確だ。しかし、フェイントを使うと、その動きが一瞬ブレる。フェイントによってずれた動きを補正しようとするのだけど、そこだけ少し動きが緩くなるのだ。そして、その一瞬だけ隙ができる。なので、美鈴さんにフェイントを掛けてから、その隙を狙う攻撃をすると、大抵当てることができた。もっとも、同じフェイントは二度は利かなかったのだけど、タイミングを少しずらせば良いだけだったから、いくらでも繰り返そうと思えば繰り返せた。それで以前、美鈴さんにその欠点について指摘したことがあるのだけど、それはそれで良いのですと言われたのだった。それから私は美鈴さんを相手にしたときは、フェイントは使わないことにしていた。特定の相手の欠点に頼った攻め方を練習しても、自分のためにはならないと考えたからだ。
なので今日もフェイントを使わずにどう攻めようかと思案していた。正々堂々とやろうとすると、美鈴さんは強い。それでも、以前に比べればまだ戦える方だ。最初の頃は手も足も出ず、攻めるに攻められない状態だったのだ。しかし、美鈴さんから基礎をしっかりなさいと言われて取り組んだところ、ある程度打ち合えるようになった。その点では感謝しているのだけど、乗り越えるにはまだまだ先が遠そうだ。
「ねえ、陽夏ちゃん、賭けをしない?」
木剣を構えているところに、美鈴さんが声を掛けて来た。
「何を賭けるんです?」
「負けた方が勝った方に今日のお昼を作る、っていうのはどう?」
勝てば美鈴さんの手料理が食べられるのか。美鈴さんってどんな料理を作るのだろう?
「賭けに乗っても良いですけど、午後から仕事なのでお昼は早めで良いですか?」
「正午に食べ始めれば間に合う?」
「んー、できれば正午に食べ終わるくらいで」
「分かった。それでいきましょう。一本入れた方が勝ちで」
「はい」
私の方が分が悪いけど、やる気は十分にある。まあ、負けてもお昼を作るくらいどうということはないのだけど、できれば勝って美鈴さんの手料理を食べたい。
私は木剣を構え直して、美鈴さんとの打ち合いを始めた。打って、打って、打ち返されて受けて、受けて、打って、打って。力を使わずにやっているので、スピードは出ないし、疲れてくるのだが、お昼のために気力を振り絞って打ち合った。美鈴さんとの打ち合いの中で、私が美鈴さんの木剣を打ち返して打ち込もうとした瞬間、雲間から一瞬太陽が覗いて私たちを照らした。丁度それが目くらましになったのか、美鈴さんは私の剣を受け損ね、私の剣が美鈴さんの肩に入った。寸止めしたから、痣にはならないと思う。
「あー、私の負けね」
美鈴さんは、負けてもサバサバした風だった。
「あの、良いんでしょうか。ズルしたみたいで」
「ズルも何もないでしょ。実戦だったら、ズルしたらやり直しになるの?」
「それは無いですけど」
「そう、そういうのがあっても負けないようにしないといけないの。だから今回は私の負け」
「じゃあ、美鈴さんが、今日のお昼ご飯を作ってくれるんですね」
「ええ、美味しいのを作ってあげる」
「楽しみにしてます」
そろそろお昼に近い時間になっていたので、私たちは打ち合いを切り上げて、家の中に入った。そして美鈴さんはお昼を作るために厨房を使わせてほしいと妙子さんに話に行き、私は食事をしたらすぐに出かけられるよう準備するために部屋に戻った。
水曜日は午後から新宿で仕事で、いつもなら先に新宿に行ってからお昼を食べてスタジオに入っていた。その分早く星華荘を出ていたのだけど、今日は美鈴さんのお昼を食べて、駅から直接スタジオに行く。食べてから時間が厳しそうなので、先に着替えてある程度化粧しておくのだ。
私が準備を終えて、そろそろお昼にならないかなと思ってダイニングに行ったら、丁度美鈴さんが料理を終えたところだった。
「陽夏ちゃん、どうぞ食べてみて」
私の前に出されたのは、カニチャーハンとサラダ、中華スープだった。
「いただきます」
手を合わせてから、私はレンゲを手に取ってチャーハンを口に入れた。蟹の風味がしっかり活きた美味しいチャーハンだった。サラダと中華スープも普通に美味しい。
「美鈴さん、とても美味しいです」
美鈴さんは私の前の席で同じものを配膳して食べていた。そして顔を上げるとニッコリと笑った。
「陽夏ちゃんに美味しいって言って貰えて嬉しいな」
「本当に美味しいから。でも、良く蟹とかありましたね?」
「ええ、丁度蟹缶をいただいたの。なので、チャーハンにしたら美味しいかなって。でも、一人じゃ詰まらないし、陽夏ちゃんと食べられて良かった」
あれ?最初から二人で一緒に食べる前提だったんだろうか?
「ん?陽夏ちゃん、私がわざと負けたと思っているの?違うって、陽夏ちゃんの実力だから」
怪しい。とても怪しい。
とは言え、美味しいカニチャーハンをいただいて私は満足した。
「美鈴さん、ご馳走様でした」
「はい、お粗末様でした」
美鈴さんに挨拶して食器を片付けてから私はダイニングを出て部屋に戻った。急いで化粧を直して、星華荘を出る。電車に乗って新宿に行き、仕事には余裕で間に合ったが、またしても目撃のチャンスを逃したのを知ったのは、陽夏がスタジオに来た時だった。
「陽夏、おはよう」
「姫愛、おはよう」
私がスタジオの控室で準備しているところに、姫愛がやってきた。
「ねえねえ、陽夏、また見たよ、巫女様」
「え?新宿で?」
「そう東口のところで」
「いつ頃?」
「私が新宿に着いてお昼食べる前だから、正午くらいかな?」
私が美鈴さんのカニチャーハンを食べている時間のようだ。食べていなければ、新宿に着いていたかも知れないけど、それは結果論でしかない。
「それで魔獣も出たんだよね?」
「出たよ。トラみたいな魔獣。先月のよりも私の近くに来たんだよ」
「え?怖くないの、それ?」
「うーん、あまり怖いとは思わないんだよね。だけど、ヤバいかなぁとは思った」
「随分と冷静だね」
「自分でもそう思うよ。巫女様にも『肝が据わっている』って言われちゃった」
「話したの?」
「ううん、一言言われただけで、私からは何も話さない間に魔獣を斃して行っちゃった」
「どんな風な口調だった?」
「落ち着いた声だった。理知的?クールな感じだったよ」
「そうなんだ」
「また会いたいなぁ。会えるかなぁ」
「普通ならどうかと思うけど、姫愛のその運の良さなら、また会えるんじゃないかと思えてくるよ」
「そうだったら良いな」
姫愛はウットリとした表情でいる。姫愛の慕う様子を見ていると、また会えたらと良いよねと思うのだけど、そのうち会うだけでは満足しなくなってしまうのではないかという不安感が脳裏をよぎった。




