4-8. 白銀の巫女
三月も下旬に入った日曜日、仕事に出ようとしていた私は、妙子さんの悲鳴に呼び止められた。
「きゃー、出たー、陽夏さーん」
リビングの扉から妙子さんが廊下に出て来た。このパターンは前にも見たことがある。これはあれだ、世の中の女性の敵と言われる奴だ。
「あ、陽夏さん、出たのよ、あの黒いのが、お願いだから退治してー」
どうやら予想通りのようだった。あの黒い奴が現れたらしい。あれは、世の中的には女性の敵と言われているけど、私に取っては敵でも何でもない。どうして皆が怖れているのか良く分からない。個人的には放っておいても良かったのだが、妙子さんが可哀そうだから、さっさと捕まえて話を終わらせてしまおうと思ってリビングに入った。
「それで、妙子さん、どの辺りに出たの?」
「そこ、その辺り」
指で示されたのは、食器棚のある辺りだった。そうした隙間に入られてしまうと、面倒だなと思いつつ、探知の相手を黒い奴に合わせてみる。あー、うん、確かに食器棚と壁の間にいるなぁ。
私はどうしたものかと考える。建物なんて隙間だらけなので、いつ壁の裏に行ってしまうかも分からない状況だ。そういう方向に行かないように追い立てないといけないことになる。私の使える攻撃系の技と言えば光星砲だけど、まさか食器棚の裏では撃てない。奴を斃すより、食器棚を焦がす可能性の方がよほど高いのだ。考えに考え抜いた結果、追い立てる方向を制御するなら、行ってはいけないところに防御障壁を張れば良いのではないかと思いついた。それで私は食器棚の端から奴までの距離を測り、新聞紙の長さで足りることを確認すると妙子さんに頼んで、新聞紙を渡してもらった。その新聞紙を細長く折って強さを持たせた後に、奴を取り囲むように食器棚の裏に防御障壁を張った。これで逃げるとすると食器棚の裏から出るしかなくなったので、私は新聞紙を差し込んで奴の追い立てを開始した。
新聞紙に追われた奴は防御障壁に当たって方向転換を余儀なくされ、そのまま新聞紙に追われて食器棚の裏から出て来た。そこですかさず奴を手で捕まえる。
「陽夏ちゃん、手、手」
ん?捕まえたんだから、もう怖れることは無いのにと思いながら、リビングのテーブルにあったティッシュを取り、奴を包んでから手で握って止めを刺した。しかし、妙子さんはまだアワアワしているので、それをビニール袋に入れて封をし、さらにもう一つのビニール袋に入れて封をして、妙子さんご指定の家の外にあるごみバケツの中に敷いたポリ袋に放り込んだ。それでようやく妙子さんは落ち着いたようだった。
「陽夏ちゃん、本当にありがとう。出掛けようとしているところみたいだったのに、こんなことやって貰ってしまって悪かったわ」
「どういたしまして、妙子さん。これくらいで良ければ、いつでもやりますよ」
私は手を石鹸で洗ってから、「それじゃ仕事に行きますね」と言って星華荘を出た。時計を見ると、元々出ようとしてた時間から20分ほど過ぎていた。
結果として私がその日の仕事に遅刻した、ということはなく、集合時間前に到着し、つつがなく仕事を終えたのだが、実は重要なものを目撃し損ねたことを仕事場のスタジオに着いて控室で姫愛と会ったときに知ったのだった。
私がスタジオの控室に入ったとき、姫愛は既に到着していて、撮影の準備をしていた。
「おはよう、姫愛」
「あ、陽夏、おはよう。今日はいつもより遅いね」
「ええ、ちょっと下宿先でゴタゴタがあってね」
奴のことは姫愛も苦手かも知れないと思って、私は口を濁した。
「陽夏、もう少し早く来れば一緒に見られたのに。今日、凄い人が居たんだよ」
「凄い人?」
「そう、街中に出て来た魔獣を一撃で斃した女の人」
興奮気味に話してくるが、姫愛の話が要領を得ない。
「うーん、姫愛、悪いけど、いつどこで何が起きたのか、最初から順番に説明して貰っても良いかな?」
「えーと、そうだね、どこから話したら良いかな。まず、私は大体いつもの時間に秋葉原に来たの」
「うん、それは分かる」
「それで、駅からスタジオまで歩こうとして、歩行者天国に入った」
「それから?」
「歩行者天国に使っている道路の真ん中に、突然竜巻のようなのが起きて埃が舞い上がって、それが治まったと思ったら、そこに魔獣がいたわけ」
「竜巻の後に魔獣がいたってこと?」
「そう、そうなの。不思議だよね。でも、いたんだよ、魔獣が。クマのような形をした魔獣だった」
「ともかく魔獣がいたのは分かったよ。それで?」
「それで周りの人たちは逃げたんだけど、私は何かこう逃げたくなくて、魔獣を見ていたの」
「そんなことしていたら危ないと思うんだけど、無事だったから良いか。で?」
「魔獣が私の方に近づいて来たんだよね。どうしようかなぁって思っていたら、光を感じたのでそっちを見たら、ビルの上に女の人がいたの」
「ビルの上に女の人?」
「そう、髪の毛は白に近い銀色に光ってて、瞳が黒に近い銀色に輝いてた。三つ編みにした髪を後ろで巻いて簪を挿して、それから、ところどころに銀色の筋の入った膝上丈の白い和服を着てた。体全体も淡く銀色の光に包まれてた」
聞いた感じでは、沖縄で見た柚葉ちゃんの格好に近い感じだけど、少し違う気もする。姫愛は沖縄の時のことを覚えていないのかな?あのときは遠くだったから余り細かいところは見えてなかったか。
「何か凄くキリっとした感じで強そうだった。右手に剣を持っていたんだけど、その剣も銀色の光に包まれてた」
「良く観察していたみたいだけど、魔獣は大丈夫だったの?」
「うん。その女の人がビルから降りてきて、魔獣と私の間に立ったの。そして魔獣の方に走っていった。魔獣は立ち上がってその人を前足で攻撃しようとしたけど、その人は余裕で避けて、魔獣に向かって剣を振り下ろした。そしたら、剣から光が別れて、魔獣の首筋に深く突き刺さって、魔獣が斃れた。一撃だったんだよ。凄かったんだよ」
話を聞くからに、どう考えても黎明殿の巫女と思われるんだけど、銀色に光る髪なんて柚葉ちゃんしか見たことがない。
「あのさ、姫愛。去年の夏に沖縄に行ったときに、お祭りで舞いをしていた女の子がいたじゃない。同じような銀髪だったと思うんだけど、その子とは違ったの?」
「え?あー、確かに髪は似てるけど、顔は違ったよ。それにあの子は踊っていただけだよね?」
いやまあ、そうなんだけど。そうか、踊っているだけのように見えた柚葉ちゃんは姫愛の琴線に触れていなかったのか。あの時の姫愛は、柚葉ちゃんを女神様として崇めるのではないかという勢いだったような気もするのだけど。ともかくも、違うとなると心当たりがない。一体誰なんだろう。
「まあ、そうね。それで、その人はその後どうしたの?」
「魔獣を斃したら、ビルの上に飛び乗って、見えなくなっちゃった」
「直ぐにいなくなっちゃったんだ」
「そうなんだよね。お話できれば良かったなぁ。また会えるかな?」
「どうだろ。運が良ければ、また会えるんじゃない?」
「そうだね。また会えるようにお祈りしとこ」
どうやら余程気に入ったらしい。魔獣が出たと同時に現れたというところが気になるけど、そうならまた魔獣が出ればその人も現れるかも知れない。
姫愛が目撃した魔獣を斃す銀髪の女の人は、ほんの少しの間しか姿を見せなかったけれど、運良く撮影に成功した人がいたようで、魔獣を斃す様子がネットに動画で流されていた。私もその動画を見てみたけれど、姫愛の言う通り、柚葉ちゃんとは雰囲気が違っていた。その女の人は、髪の色と着ている服装から、ネット上では白銀の巫女と呼ばれるようになっていた。でも、ネット上の書き込みを見ても、それ以上の情報はないし他の目撃証言も無く、謎のベールに包まれたままだった。




