4-4. 柚葉との出会い
宿に戻ったときには17時半を回っていたが、夕食の時間までにはまだ少し余裕があった。一部の人たちは、早々と酒盛りを始めそうな気配があったけれど、私は少しだけ一人で散歩してきたいからと姫愛に言い置いて宿から出た。どうせなら陽が沈むのを見たいと思い、宿の裏手の方に回ったところ、そこから西の方に小径が叢の中を通って伸びているのが見えた。宿に戻る時間のことを考え、なるべく急ごうと、力で軽く身体強化を掛けて走ったところ、5分くらいで開けた場所に出た。途中、舗装された道路に突き当たったがその先に小径が続いていたので、道路を突っ切ってそのまま真っすぐ進んだら視界が開けた。開けたところから50mくらいは草原だったが、その向こうは崖になっていて、崖の手前に柵がしてある。私は草原の中をその柵のところまで走っていった。そこから見下ろした崖の下には岩礁があり、青い海から波が寄せているのが見える。太陽が沈むにはまだ少し時間が掛かりそうだ。そこで見えるのは、青い空とそれに連なる青い海、そしてその海に足下から張り出している岩礁だけだった。
しばらくその光景をウットリと眺めていたら、後ろに力の気配があり、直後に人が現れた。誰かが転移してきたらしい。私は振り返って、その人と対面した。背丈と顔つきから見て大体高校生かなという感じで、髪の毛は後ろで三つ編みにしていた。
「あなたが瑞希ちゃんの言う柚葉さんね?」
「はい、あなたが陽夏さんですね?」
「ええ。瑞希ちゃんから伝言は受け取っていたよ」
「瑞希ちゃんから、陽夏さんが巫女じゃないかって聞いてました。やっぱりそうなんですよね、微かですけどあなたから力を感じるので」
そうだよね、バレているよね、と思うと、私は下を向いて一回溜息を付き、そしてもう一度相手に向き直った。
「そう、私は巫女だった。だけど、故郷を捨てたのよ」
「故郷を捨てたんですか?」
「ええ、捨てた。巫女としての生活も。それで東京に出た。最初は苦しかったけど、いまは何とか自分で働いて生きていくことができるようになったの」
「巫女としての生活を捨てたのに、なぜこの島に来たんです?」
「仕事のロケで来たんだけど、まさかこの島が封印の地だとは思ってもいなかったのよ。知っていたら、ここに来ないように努力してたんだけど、気が付いた時にはもう島が目の前にある時でどうしようもなかった。まあ、それを証明しろと言われても辛いんだけど、瑞希ちゃん達とロケの撮影に適した場所探しをした話は聞いた?」
「はい、東の浜辺と、御殿の北にある草原ですよね。瑞希ちゃんが皆プロの人っぽいって言っていたからそうなのでしょう。信じますよ」
「ありがとう、柚葉ちゃん。あ、いや、柚葉さん?」
「良いですよ、柚葉ちゃんで」
「そう、じゃ、遠慮なく」
柚葉ちゃんが私に向かって微笑んでくれたので、私も柚葉ちゃんに微笑み返した。
「それで、陽夏さん。どうして故郷を捨てたのかを聞いても良いですか?」
「構わないわよ。私、前は強くなりたかったの。それで試行錯誤をしていたら、強い力に体が耐えられなくて、大怪我したんだ。ほら見て」
私はTシャツを裾から捲り上げて胸や腹にある傷跡を見せた。
「強い力に体が耐えられないと、こんな風に体中のあちこちが切れちゃうの。治癒したくても、力を流そうとすると痛くなるんで、治癒が掛けられなかった。だから、こんな風に傷が残ってしまったのよね。まあ、その後消せないことも無かったけど」
自慢するような話ではないが、今となっては昔の話だ。私は、Tシャツの捲り上げたところを元に戻し、服装を整えながら続けた。
「それで、今でも強い力を使おうとすると体が痛むから使えないでいるというわけ」
「強い力が使えなくなったから、故郷を捨てたんですか?」
「そ。それまでそれなりに強かったし、そう見られるのに慣れていた。それなのに、その力が使えなくなったから故郷での私の存在意義が失われた気がして、高校を卒業したら故郷を出たの」
「んー、でもそれなら、私だって故郷を捨てないといけなくなっちゃいますけど」
「どういうこと?」
「私は小さい頃に強い力を使おうとして力が暴走し掛けたことがあるんです。それから力を放出するタイプの攻撃は使っちゃいけないことになってます。だから陽夏さんと一緒ですよね」
それは知らなかった。私以外にも力を使うのに制約がある人がいたとは考えたことが無かった。だからと言って、自分の考えが変わる話でもないけど。
「でも、柚葉ちゃんは、ここを出ようと思うほど追い詰められていないじゃない。あなたと私では置かれている境遇が違うのよ」
「まあ、それはそういうことでも良いですけど、陽夏さんは、故郷は捨てたと言っても巫女としての心構えまで捨ててはいないように見えますけど?」
「え?どうして?」
「この転送できる剣に興味を持っていたって瑞希ちゃんが言っていたので」
柚葉ちゃんは、手の中に剣を呼び出して見せた。
「何かのときには、他の人を護ろうって思っているんじゃないですか?」
「そうね。そういう気持ちはまだ持っているつもり」
柚葉ちゃんは少し考えるような素振りを見せた後、私に向かってニッコリと笑った。
「陽夏さん、勝負しませんか?」
「え?何の?」
「お互いに打ち合って、相手に一本入れた方が勝ち。力による遠隔攻撃は無し、防御障壁は自分の身体に纏わせるだけ、というルールで」
「何のために戦うの?」
「そうですね。賞品を付けましょう。陽夏さんが勝ったら、転送できる剣を一つ使えるようにしてあげます。私が勝ったら、陽夏さんの体が耐えられなかったほどの力を出す方法を教えてください」
転送できる剣が使えるようになると聞いて、私の食指が動いた。
「柚葉ちゃん、その約束で良いの?」
「良いですよ。陽夏さん、やる気になりましたか?」
「うん、ちょっとね」
「じゃあ、陽夏さんにはこの剣を貸します」
「柚葉ちゃんは?」
「私は槍を使おうかと」
柚葉ちゃんの手の中に槍が現れた。
「それとも陽夏さんは槍の方が良いですか?」
「ううん、この剣を使うよ」
「それじゃあ行きましょうか」
柚葉ちゃんは、後ろに下がって、私との間合いを取った。そして、二人ともそれぞれの武器を構える。
さて、どうしようか。槍の間合いの方が長いから、柚葉ちゃんが出てくるのを待っていようか。最初に様子見で来るのか本気で飛ばしてくるのか分からないから、念のため体に力を満たして表面に防御障壁を張っておく。
すると柚葉ちゃんが間合いを詰めながら槍で突いて来た。私が剣で受けると、一旦引いて反対側をさらに突く。私はそれも剣で受ける。段々と体のスイッチが入ってくる。私は東京に出てきてから何もしていないわけではなかった。あちこちを転々としていたときも、事務所の社長の家にお世話になっていたときも、星華荘に入ってからも、時間を見つけて訓練していた。星華荘では、美鈴さんも体を鍛えていて、打ち合いや模擬試合など一緒にやらせて貰っていた。だから戦う感覚は衰えていない筈。
しばらくの間、柚葉ちゃんが攻めて私が受けるというのを繰り返していた。それで大体柚葉ちゃんの動きのパターンが見えて来た。その次に柚葉ちゃんが突いて来たとき、その突きを剣で受け流しつつ私は前に出て剣で反撃した。その反撃は読まれていたようで、軽く躱されたあと、柚葉ちゃんは後ろに下がって間合いを取り、改めて槍で攻撃してきた。そして私は再度受け流して反撃したが、そこで柚葉ちゃんの姿が消えた。続けて私の背中に気配を感じたので、振り返ってすぐ後ろに下がり、十分な間合いを取り直す。
転移?私も転移陣で転移はできるけど、それなりに時間が掛かるから戦いの中で使えるものではなかった。柚葉ちゃんの転移ほど早いものはこれまで見たことが無かった。
「流石に転移くらいでは隙を突けませんね」
柚葉ちゃんは、話をしている間も油断せずに私の方を見ていた。次の攻撃は、真っ直ぐ来るか、転移か。いきなり転移は無いか。そう思っていたら、真っ直ぐ突いて来た。でも、さっきより早い。私も身体強化で対応し、突きをいなして反撃する。柚葉ちゃんが避けてくるがそのまま追撃。柚葉ちゃんは躱しきれないと考えたのか、転移を使う。今度は左後ろに気配を感じたので、右前に移動しながら振り返る。振り返り切らないうちに突きが来たが、少し左に移動し剣で何とかいなせた。そのまま間を置かず反撃。こちらの姿勢が整っておらず、踏み込みが甘いことを見こされて、下がって回避された。そして突きで反撃がきた。私は横に避けるには態勢が悪かったので、後方に宙返りして避ける。
私は態勢を立て直して、柚葉ちゃんと対峙する。今度は私の方から仕掛けてみた。突きをいなした上で、剣を打ち込む。柚葉ちゃんが槍の柄で受けたところで回し蹴りで足払いを掛けた。柚葉ちゃんは態勢を崩しながら転移した。転移先は後ろ。私はすぐ振り返り、柚葉ちゃんから遠ざかる方にジャンプして下がる。これまで何度か転移を見て来たけど、どうやら転移の前後で姿勢は変えられないみたいだった。今もそうだった。だったらそこが狙い目だけど、柚葉ちゃんはどう思っているんだろう。
まあ、いい。ともかく柚葉ちゃんが私との戦いに慣れないうちにさっさと決めてしまおう。私は自分に気合いを入れ、身体強化をさらに高めスピードを上げて柚葉ちゃんに向かって行く。柚葉ちゃんの突きを、体を少しずらすだけで躱し、剣を鋭く振るう。柚葉ちゃんが咄嗟に槍を回転させ、その柄で剣を受けようとするが、お構いなしに全体重を乗せて打ち込む。柚葉ちゃんが受けるのに精一杯なところで、さらに剣を反対側から打ち込む。そのとき、右後ろに微かな力の気配を感じた。転移だと思った次の瞬間に、柚葉ちゃんの姿が消えた。私は柚葉ちゃんが消えた時の姿勢を頭に焼き付けたまま、力の気配を感じた方に向かい、剣を突き出す。そこには転移する直前の姿勢のままの柚葉ちゃんがいて、私の剣は柚葉ちゃんの首筋にあった。
「私の負けですね」
柚葉ちゃんは観念したかのように力を抜いて、槍を消した。私もそれに合わせて剣を下ろして柚葉ちゃんに返した。
「それだけ強ければ、陽夏さん、故郷を出る必要はなかったんじゃないですか?」
「これくらい、誰でもできるでしょう?実際、柚葉ちゃんとは互角だったよね?」
「負けちゃいましたけどね。まさか転移を狙われるとは思っていませんでした」
「転移は、転移先から力の波動が少し感じられるから、気を付けた方が良いよ」
「そうなんですね。勉強になりました。ありがとうございます。じゃあ、景品取ってくるので、少し待っててください」
柚葉ちゃんは、転移で消えた。そして何分かして転移で戻ってきたときには箱を持っていた。私は柚葉ちゃんから、箱の中の剣の柄にある透明な石に力を込めて利用者登録をすれば、箱の中に描いてある転移陣を使って剣を呼び出したり戻したりできることを教わった。これで私も柚葉ちゃんや瑞希ちゃんのように、いつでも剣を呼び出せる。
「柚葉ちゃん、剣を使えるようにしてくれて、ありがとう」
「どういたしまして。強い力を出す方法を知ることができなかったのは残念ですけど、今度の楽しみにしておきます」
私は、別に今教えても構わないかなと思ったが、折角の勝負に水を差すことになるので止めておいた。
ここが巫女の島と分かった以上、私が自ら進んでこの島に来ようとするとは思えなかったけど、何かの機会があれば柚葉ちゃんとは再び会うこともあるだろう。




