4-1. ロゼマリ
第四章の始まりです。
時間が何時まで戻ったか分かりましたか?柚葉高一の夏休み前です。つまり、第1章第1話より少し前ということになります。って、本文の情報だけでは足りていないかもしれませんね...。
「陽夏、どうしたの?」
「ん?何でもないよ」
髪をセミロングにしている姫愛が心配そうに私のことを見ている。仕事の合間にスタジオの控え室で休んでいるのだけど、私がボーっとした様子だったので心配したのだろう。
私の仕事はバーチャルアイドルだ。バーチャルなので、自分の顔は出さず、モデリングされた3Dの体を動かし、声を出す。私がやっているのは、バーチャルアイドルユニットのロゼマリのマリ。私を心配そうに見ている中埜姫愛は、私の相棒であり、マリの相棒であるロゼをやっている。
いまはバーチャルアイドルとして、そこそこ人気が出て、仕事も安定してきたけど、ここに至るまでが大変だった。高校を卒業すると、故郷から逃げるように飛び出して東京に来たけど当てもなく、短期のアルバイトをしながら、インターネットカフェなどで寝泊まりしていたこともあった。そうした中で仕事探しをしていたときに、いまの事務所の社長に拾ってもらって、住み込みさせてもらえることになった。それからトレーニングしながらオーディションを受けまくり、いくつか仕事がついて収入が得られるようになってから独立した。いまは、錦糸町にある賄い付きの下宿に住んでいる。
姫愛とは、同じ事務所だ。同年齢であったことから、良く話をしていたし、気が合った。ロゼマリを二人でやれることになったときは、嬉しかった。そんな姫愛だけど、彼女にも昔の話はしていない。いつかは言う気になるかも知れないけどいまはまだ駄目だ。故郷を捨てたとは言え、気持ちの中では、未だに引きずっている。
今の生活には不満はない。もちろん、嫌なこともあったりするけど、東京に来たときの苦労に比べれば、大したことではない。毎日は充実しているし、楽しい。でも、何処かしら心の中に穴が空いている感覚が付きまとう。時間が経てば消えていくのだろうか。
「陽夏、何かボーッとしてる」
「あ、うん、少し疲れちゃったのかな」
「そう?なら早く休んだ方が良いよ。今夜は家でご飯食べたら?」
「いや、大丈夫だよ。それに今夜は夕食要らないって言ってきちゃったしね」
「それなら、早く食べられるところにする?牛丼とか?」
「まあ、それもアリだけど、姫愛と少しは話ながら食べられるところが良いかな」
「話すなら個室居酒屋もあるけど、あそこはついつい長くなっちゃうよね」
「そうだねぇ、となるとイタリアンかな?」
「いいね、そうしよ?」
何処で食べるかを決めたところで、次の撮影が始まるとの連絡を受けたので、私たちは控え室を出た。
今日の撮影は、ゲーム実況が二本。パズル系が一つに、アクション系が一つ。どちらにしても姫愛が面白いことをしてくれる。本人は真面目にやっているつもりなんだと思うけど、その姿勢と結果のギャップが姫愛を面白く見せていると思う。まあ、パズルについては、私も姫愛のことを言えた義理じゃない。でも、そこは二人で笑いを取りに行けば良いだけの話だ。
撮影が終わって、姫愛と二人で食事に行く。以前は、仕事が終わると下宿に戻って夕食を食べていたけど、最近は懐の余裕が少しはできたし、姫愛と話しながら飲んだり食べたりするのは楽しいので、仕事の日は大抵姫愛と外に食べに行くようになっていた。
イタリアンの店に入り、ピザやパスタを注文した。姫愛と他愛のない話をしているうちに、注文した料理が給仕される。目の前には生ハムとルッコラのピザと魚介のスパゲッティとかぼちゃのペンネが並んでいる。今日はもう仕事が無いので、赤ワインを飲んでほんわり酔い、落ち着いた気分になる。
「陽夏、このお店に来たのは久しぶりかな?」
眼鏡をした姫愛が聞いてくる。姫愛は疲れるとコンタクトが合わなくなると言って、仕事から上がるときには眼鏡に取り替えている。
私はピザを一切れ皿に取り分けながら、姫愛の言葉に前回この店に来たときのことを思い出そうとする。
「そうだね。前回は、灯里ちゃんと来たんじゃなかったっけ?」
「あ、そうだった。あの時は、三人で楽しかったね」
灯里ちゃんもバーチャルアイドルをやっている仲間だ。彼女はソロでやっていて、バーチャルアイドルの名前は、天乃イノリだ。実際の灯里ちゃんは、現役の高校生。いまは高校三年生だ。この店に来たのは大体一か月前にコラボをやったときで、そのときは6月になったから受験のことが気になっていると言っていた。
「うん、楽しかった。あの時、灯里ちゃん、これからは受験だって言ってたけど、今のところは映像の配信ペースは落ちていないよね」
「そうだね。ペース落ちるとすると、夏休みが終わったあたりかな?」
「姫愛、それはどうだろ?夏休みだと夏季講習とかあるから、受験モードに入っちゃうんじゃない?」
「あー、そうか、そうかもね。だとすると、もうすぐ夏休みだから、そろそろ配信のペースが落ちちゃうかもってことか」
「残念だけど、そうかもね」
取り分けたピザを口に運ぶ。やっぱり生ハムのピザは美味しい。ルッコラのシャキシャキ感とも良く合う。そしてワインを一口飲みながら、もう7月も半ばも過ぎてしまったな、と思った。
「そうか、高校生はそろそろ夏休みって時季かぁ」
姫愛も同じことを考えていたようだ。やっぱり気が合う。
「梅雨もそろそろ明けそうだしね、これからは暑くなるよ」
「そう言えば、8月に入ったらロケだっけ?」
「沖縄に行くって話だよね。楽しみだねぇ」
そう、もうすぐ仕事でロケがある。バーチャルだから基本スタジオにいても、何処にでもいるように見せかけることはできる。だけど、やっぱり本当にそこに行ったときとは何かが違ってしまう。と言うことで、南の島に行ってロケをしようということになった。勿論、私たちも賛成だった。
「そういえば、陽夏、新しい水着買った?」
「ううん、買ってないけど」
「沖縄行くんだから、やっぱり水着は新調したくない?」
「ええ?泳いでいる暇とかあるのかなぁ」
「泳がなくたって浜辺くらい行けるって。今度一緒に買いに行こうよ」
「うん、分かった。良いよ」
私だってたまには新しい水着は欲しいし、ちょうど良いタイミングかな。そう考えながらピザを食べ終え、スパゲッティに手を出して取り分ける。
「いつ行く?行くなら早く行こうよ。月曜日とかどう?」
「良いよ。オフだし」
「じゃあ。月曜日で約束ね」
「姫愛は、嬉しそうだね」
「そうだよ。陽夏とは良く食べには行くけど、一緒に買い物とかあまりないから」
「言われてみれば、そうだね」
姫愛みたく、どんどん心の中に踏み込んで来るタイプの人は、昔のことに踏み込まれそうなので、ついつい距離を置いてしまう。長い付き合いの中で、姫愛がそういう人ではないことは分かってはいても、自然と距離を置いてしまっていたのかも知れない。
私は、ワインをもう一口飲むと、取り分けたスパゲッティを食べ終え、ペンネをいただく。
「それで、水着はどこに買いに行こうか?」
「新宿か、渋谷か、池袋かな?新宿で良いんじゃない?交通の便が良いから」
姫愛は中井か東中野、私は錦糸町なので、どちらからでも新宿に行くのが一番都合が良い。
「そうだね。じゃあ、新宿で。西口?東口?」
「どちらにもお店はありそうだけど、まずは西口に行ってみる?」
「うん、良いよ。西口改札で待ち合わせだね」
「そだね」
ペンネを食べ終えた私は、ピザをもう一切れ皿に乗せてからパクつく。そして、赤ワインももう一口。
「姫愛は、食べてる?」
「食べてるよ。美味しいよね、ビザもスパゲッティもペンネも」
「うん、そだね。美味しいね」
東京に来た頃は、その日食べるものにも、泊まるところにも難儀していたことを思うと、随分と良い生活になったと思う。幸せなことだ。
できれば、何時までもこの平穏な日々が続いて欲しいと願うのだった。




