第六話 ムーヴァー
熱した鉄を水の中に入れたときの様な蒸発音を集音センサが検知した。
そして、今にもKI-520の無防備な首元を斬り落とそうと迫っていた紅色の光刃が、その軌道を変えた。
空気中の塵を燃焼させ、紅蓮の炎に抱かれた弾丸と刃が交錯した。
表面の鉛が切り裂かれ、内部に凝縮されていた<ライヴ>が抑え込まれる力を失い、急激に膨張する。そして、収まりが付かなくなった力は半壊の鉛に全てを注いだ。
壊れた鉛がそのエネルギーを受けきれる訳も無く、それは爆発という形で力を発散させた。
銀色の<マシン>兵の背後で二つの爆発が起こったのは、そのせいだ。
<マシン>兵の意識が逸れた間に、瞳に光を宿したKI-520が右手に拳銃型の小型ブラスター──H・ブラスターを生成した。
砂埃を巻き上げる勢いでH・ブラスターを目の前の<マシン>兵に向けた。
しかし、彼女の動作を読んでいたかのように銀色の<マシン>兵は後方へ跳躍していた。ブラスターの光線が虚空に向かって乏しく放たれた。
私は体に掛かっていた圧が消えたことに気がついた。
直ぐ様、刃のイメージと共に光刃を生み出し、"高速移動"の構えをとる。
構え、仕草、その行動をルーティーンのように思考に関連づけておけば、無意識化の内に行動を起こせるようになる。
"高速移動"もその一つだ。
腰部E・ブースターと反重力システムを適切なタイミングで連続して駆動させると、氷の張った地面を滑るかのように速く、滑らかな移動が<ヒューマノイド>には可能だった。
私は地面を蹴ると同時に"高速移動"の思念を念じ、それを<思念増幅器>に拾わせた。蹴り上げた両足が地に着く前に、反重力システムが私に掛かる重力の絶対の力を瞬間、無効化する。浮遊感を私は感じる間もなく、腰部E・ブースターが<ライヴ>を取り込み、炎が伸びる。
音が背後へと後退していき、私は音速の世界へ突入した。
銀色の<マシン>兵を見る。しかし奴はまたしても先を読み、私と激突するのを今かと待ちわびるかのように、紅色のE・ブレードを構えていた。
私は"カストロール"を纏って、腰だめに構えていたブレードを薙いだ。<ライヴ>にアシストされた腕の速度は、<ヒューマノイド>の強化骨格にさえ悲鳴を上げさせた。
しかし、奴はそれすらも回避してみせた。糸の切れた人形のように上半身を逸らせて、奴は私が薙いだ剣を鼻先に見た。その体勢から、右足を振り上げて後転し、私の背中につま先をめり込ませた。
"高速移動"の勢いも相まって、速度を落とせぬまま地面に叩きつけられた。
肺の空気が押し出され、嘔吐感が喉を通る。だが、私が口から廃棄したのは悪態と唾だけに留めた。
私とKI-520が稼いだ数秒が、今この瞬間花咲くからだ。
塵を焼く火線が、銀色の<マシン>兵の胸部の装甲に衝突した。その光線に引きずられるよう奴は廃ビルへと飛んでいく。長年の雨風によって風化し始めていたコンクリートの壁は<マシン>兵の激突に耐えられず瓦礫の山へと姿を変えた。
私はKI-520に駆け寄った。彼女は私を見つけると、皮肉気な笑みを顔に浮かべた。そして、<マシン>兵を突き飛ばした光線の射線を辿り、私達は二組の男を確認した。
狙撃ライフル型ブラスターを構えたPJ-486と、その背後にM・ブラスターを二丁携帯したLV-913が互いの無事と<マシン>兵撃退の僅かな歓喜を思念していた。
私はPJ-486の射撃の腕に親指を挙げて答えると、小銃型ブラスター──K・ブラスターを生成し、銀色の<マシン>兵が埋まった廃ビルに注意を戻した。
PJ-486らも集中を戻す。
広げている思念波からは雑音もなく、無音の世界が広がった。
沈黙を破ったのはやはり銀色の<マシン>兵だった。奴が沈んだ瓦礫の山は磁石の反極同士が触れあうときのように突然と弾き飛ばされた。
私達はそれぞれ手にした銃を発砲した。五つある銃口が一斉に火を噴いた。
襲いかかる光線が、そこに居るであろう人型の<マシン>兵に向かう。しかし、銀色の輝きは全く鈍る事無くそこに仁王立ちしていた。
光線は宙に浮く瓦礫へと吸い込まれていく。いや、射線上に瓦礫が故意に移動したのだ。
瓦礫は砕け散り、光線の破壊力を無効化した。
余裕を感じさせる動きで、左手を前に掲げた銀色の<マシン>兵が立ち上がる。それに釣られてか、周囲の瓦礫もまた同じように<マシン>兵の周りに舞い上がる。
「まさか……」KI-520が驚愕を呟きに乗せた。
我々は夢でも見ているのか……?
目の前で起こっているこの現象に、理解が、思考が追い付かない。
破壊された<オーガ>からP・キャノンが二門、呼ばれた忠犬のように銀色の<マシン>兵へ向かってその砲身を走らせる。
間違いない。
奴は、銀色の<マシン>兵は、物体を意のままに操っているのだ。
そしてそれは、<マシン>が<ヒューマノイド>を超えた証でもあった。
<ヒューマノイド>技術研究において概念は存在しているが、実証例がなかった現象のひとつ。
それは、"ムーヴァー"という、<ライヴ>を出力装置を介さずに操る超常現象のことだった。
そもそも、我々は超能力という言葉やその能力を空想の世界で知ってはいても、自らが発動させたり、或いは誰かが使用するのを見たことがある、という者がいないのは周知の事実である。
誰も理解できないものは、そもそも想像が出来ない。
それこそ、“創造”でもしない限り。
そして、どれ程の力を得ようとも新たな創造が出来ぬのが、人という生物の限界でもあった。
創造は、神のみに許された行為だからだ。
それを、易々と……。
その現象は私達<ヒューマノイド>の思念を暗闇へと叩き落とした。
<マシン>との戦いに於いての優位性を失い、そして人類すら超越し始めた機械たちに私たちは暗い袋小路の曲がり角に立つちっぽけな蟻の様な、そんな矮小な生物に成った気持ちであった。
しかし、彼女だけは少し違っていた。
KI-520からも確かに私たちと同じように蟻の思念を感じたが、蟻は蟻でも、毒を持つ蟻であった。
それは、強大な、敵わぬような敵に対しても一泡吹かす様な意思を感じた。いや、一泡吹かすでは生温い。
敵わぬとは思わず、屈服させてやるという、無謀だが心の奥から沸き立つような熱を私は感知していた。
その熱が我々の凍えた手足に気力を流し込み、萎んだ脳に目覚めの打撃を与えたのだった。
そう、彼女は、我々の“篝火”だ。
彼女がいれば迷うことはない。
活力を、意地を取り戻した私達は、バイザーの面を、ブラスターの放つマゼンダの光に染めさせた。
だが、その全ての行き先に瓦礫が存在した。砕けると同時に、僅かに離れた場所で<オーガ>のP・キャノンが発射される。
《RK-690!!》《分かってる!》
私とKI-520は跳び上がり、互いにP・シールドを展開する。角度をつけて構えたことで、P・シールドから幾らかの衝撃と引き換えに、有らぬ方向へキャノンを転換させることに成功した。
その間に、ボルトアクションで薬莢を排出したPJ-486が、次弾に思念波を送信する。穴の中に物を落とし込むイメージと共にチャージされた<ライヴ>が充満されたことをPJ-486に感知させた。
射線上のキャノンが逸れ、銀色の<マシン>兵がスコープの中心に現れた。
銃口からリング状の衝撃波が放たれる。狙うは、先程当てた胸の装甲。
彼は、思念した。
今度こそ貫く、と。
そして、寸部違わず弾丸の火線は確かに到達した。
しかし、奴は撃たれた素振りを見せない。理由に気がついたのは、LV-913だった。
「止めた……、だと!?」
直撃する寸前、"ムーヴァー"によって弾丸は進行を阻害された。
銀色の<マシン>兵が、その無機質な顔面装甲の下でニタっと笑った様に私は感じた。掲げ続けている左手を平手から握り拳に変えた。と、同時に弾丸の向きも、発射口の方へ戻るかのように、その切っ先をPJ-486に向けたのだった。
スコープ越しにそれを見ていたPJ-486は、即座に銃身から体を引き剥がす。持ち主へと戻ってきた弾丸がスコープとPJ-486の右頬のバイザーを抉りとった。
火傷を負った皮膚が痛覚を送り出す。PJ-486は痛覚を一時的に切断した。
それでも苦悶の声が漏れる。
「こなくそォ!」
横目に捉えていたLV-913は両手のブラスターを撃ちながら、PJ-486を庇うように前に出た。
銀色の<マシン>兵は跳躍し、放たれた光弾を回避すると、付き従える番犬のごとき砲台たちに“撃て”、と思念した。しかし、残弾が残っておらず銃口にプラズマ化した荷電粒子を纏わせただけだった。
《今だ!!》
ここぞとばかりに私とKI-520とで、奴の左右から斬り込む。だが、鈍重な金属塊となった<オーガ>のキャノンが"ムーヴァー"で操られて襲い掛かった。
質量に押し返され、蝿のように私達は叩き落とされた。
LV-913が思念アシストによって自動化された両腕の銃を、銀色の<マシン>兵へ撃ち込む。
銀色の<マシン>兵は、今まで空けていた右腕を振りかざした。
突如LV-913と<マシン>兵の間に巨大なマニピュレーターが現れる。全長が人二人分程あるそれは、先程KI-520が処分した<スコーピオン>の前腕だった。
全ての光弾を受けきっても、爪の様なマニピュレーターは煤けた煙を少しばかり昇らせただけだった。
「そんな!」
マニピュレーターの四本の指先が握られ、それはミサイルのようにLV-913を目指し放たれた。ブラスターが紙のように潰され、両腕の強化骨格が粉々になる音が聞こえた。彼はボールのように地面を跳ねた。
私は彼を視た。
溶けるような痛みの思念が私の脳に語りかける。痺れが両腕を支配する。
勿論、私は怪我などしていない。バイザーに異常警報も出てはいない。
私の思念にのみ、働きかけてくる痛みだ。
人にある、“他人を思いやる”という優しさは<ヒューマノイド>にとっては、戦闘中の発作でしかない。
怪我をしたのは自分ではない、関係無いと信じ込ませるために無惨に転がるLV-913から目を背ける。
思念の裏で、叫びたいのを堪える。
どうして、僕は──。
誰かが、私の悔しさを、やるせなさを代弁しているかのように、倒れそうなものにつっかい棒を立てるみたいにそっと支えた。
そうだ。私が、戦わなければ。
叩かれた際に折れた肋骨を人工筋肉に支えさせ、私はもう一度駆け出す。
私はかなり無計画に突っ走っていたと思う。銀色の<マシン>兵にとっては格好の的だと。
だが奴は、予想もしていなかった状態でただ立っていた。
困惑していたのだ。まるで、初めて立った子羊のように。
なぜだ──?
疑問は思念へ。
そして、<ライヴ>へ。
迷いを乗せた刃は奴へ。
袈裟斬りは僅かに逸れ、銀色の胸部装甲に爛れた傷痕を残しただけだった。
思念の刃が、奴の硬い装甲の内に隠れた思念する本体に触れたような、実感の無い感覚を指先に残す。
「RK-690!」
私を呼ぶKI-520の声と彼女そのものが私を抱きかかえ、そのまま不思議な浮遊感を纏わせ地面へと叩きつけられた。
また、"ムーヴァー"かッ……!
現状理解が追い付かず呆ける頭に、ささくれだったKI-520の思念がちらついた。
KI-520が、私の前でH・ブラスターを構える。
「二体目……!」
全く同じ外見の、二体目の銀色の<マシン>兵はアルの研究室の方角から地面を噛み締めるかのようにゆったりと歩いて我々に近づいてきた。
そして、その肩には、微動だにしない焦げの目立つ<ヒューマノイド>の姿があった。
何故そこにいる?それは──。
「FI-440を……。お前らァ!!」
二体目の銀色の<マシン>兵が掲げた左手の掌を力一杯広げた。途端に、高重力の惑星に飛ばされたかのような“重さ”を感じて平伏してしまう。
私たちは呻きを洩らすだけで、何も出来ない。
待機していたのか、<ベルーダ>のプロペラ音が地震のように体を揺らす。
人型の<マシン>兵が乗り込めるように改良された新型の<ベルーダ>は低空でホバリングすると、二対のアンカーを真下に下ろす。
私は、傷を追わせた一体目の<マシン>兵と目があった。奴はアンカーに掴まり、私を見下ろす。フルフェイスマスクに横切る赤色のスリットバイザーの底に、私は思念を視た。
そして、私の中で疑問は確信に変わった。
心臓の音とリンクするかのようにプロペラ音が遠ざかっていく。体に掛かっていた重力の様な重みは徐々に和らいでいった。
甲高い音で弾ける火の粉だけが我々の基地に響いていた。