第一話 君におはようを
第一章 邂逅
声が、聴こえた。
私に覚醒を促す声だ。
だが、それは壁の向こうから聴こえる呼び声のように籠もっていた。
私は、耳を凝らす。
すると、声から漂う思念のさざ波が、私を撫でた。
感知出来たのは、たった一言だった。
《おはよう、───》
***
「NO.0010 RK-690、起床しろ」
微睡みから聞こえた司令官の言葉により、私はゆっくりと瞼を持ち上げた。睡眠カプセルの小窓から、髪を短く刈り上げ、頬骨を尖らせた司令官の顔が覗いていた。
「了解しました」
私はカプセルに肩、腰、太股に接着されている連結アームを解くよう信号を放った。体の一部が抜かれるような、くすぐったい感触を伴いながらアームはカプセルの床面へと格納されていく。続けてバルブが開き、中の生体潤滑液を排出していく。余分な液体が身体から抜けていき、私は機械と人体の細胞レベルでの繋ぎ目に意識を凝らした。
これもいつものチェックだ。身体を改造されてから怠ったことはこの長い年月で一度もなかった。
今日も問題無い。
液が抜けきったところで、カプセルの下部側から蓋の開放指令を出す。非常時の場合、次の指令を変える場合があるためだ。下部側から入ってきた空気をカプセルのフィルタが検査している間、私は呼吸するのを待たなければいけないが、口元の呼吸器を緩め、生の空気を少し吸い込む。
これは、内緒にしてる毎朝の贅沢だ。
生体潤滑液の鼻から脳天を駆け巡るきつい刺激臭、消毒剤のステロイド臭、それから、今朝が何時通りであることに対する私の安堵した感情が、鼻の穴の膨らみに変わっていく。
最後に額にある、脳とリンクされている五センチ程の水晶体──<フォース>の感覚を確かめ、私はカプセルから起き上がった。
「調子はどうだ、RK-690」
「問題ありません、司令官」
寝ているときに睡眠カプセルが解析プロトコルを走らせているので、この問答は互いをヒト足らしめる習慣のようなものだ。
私は剥き出しの<思念増幅器>をウィッグを被ることで隠した。
<思念増幅器>は頭頂部を丸ごと覆っており、そのままの見た目では誰しもが見てはいけないものを見ている気持ちになった。また非常に繊細でもあるので私達は必ず隠すために専用のウィッグ、戦闘時にはヘッドギアを被っていた。
「よろしい。それでは朝のブリーフィングまで現状待機だ。呼び出しがあれば直ぐに駆けつけるように」
「分かりました。ところで今日の当直は誰ですか?あいさつにでも行こうと思うのですが」立ち去ろうとしていた司令官を呼び止め私は尋ねた。
昨日の情報では同期のFI-440であったはずだ。彼ならば、いの一番に訪ねてくるのが常だった。
「今日はKI-520だ」
私はその言葉の意味を直ぐに理解した。
「FI-440は昨夜の任務で殺られた。SW-770と、TK-225もだ。奴等は新型を繰り出してきた。いつものことだ。後で対策会議をする。準備をしておけ」そう早口でまくし立てると彼は司令室へと戻っていった。
司令官は人間だが、心を隠すのがうまい。
いや、人間だからか。
<ヒューマノイド>との会話では、思念波をやり取りできるため意思疎通は容易だ。人間は、複雑で雑多な思考に凝り固まって、分かりにくいのだ。
しかし、今の言葉には若干であるが悲哀の思念が乗っていた。それは偽りの無い漏れでた思念に違いなかった。
私も人間だ。仲間が死ぬのは悲しい。
***
私は三階にある食堂へ赴いた。遮るものがない窓から煌々と朝日が照りつける。朝日を眺めつつ朝食を採れるこの場所が私は好きだった。
だがここは今日限りで見納めだった。<マシン>兵たちに嗅ぎ付けられない様、場所を常に変えなければならないのだ。
そして同じ場所は二度と使わないよう心がけている。今度、このような良物件に巡り会えるのはいつになるだろうか。
白を基調とした壁面に剥き出しのコンクリートの床の部屋の奥でKI-520は朝食を摂っていた。
私はカウンターで盆を取り、不揃いな器に緑色のざらざらした繊維質素の汁、水を注ぎ、最後に水張性の固形化物を一枚頂き、彼女の左斜めの席へ向かった。
「おはよう」
「おはよう」彼女は声をかけた私をいぶかしむように見た。私の思念に指先が当たる感覚がして納得したかのように表情を変えた。
彼女とは志願兵として招集された際、同郷ということもあり多少話した記憶がある。ただそれから彼女と私は同じ部隊で一緒に戦うことはなかった。
しかし、彼女の噂は<ヒューマノイド>の話題の中で常に上位だった。
誰よりも<フォース>を使いこなし、幾多の戦場を勝利に導いた女神。
彼女はこの時代において数少ない英雄で、希望だった。
そんな彼女が、僻地である極東支部に先月配属されたとき、私やFI-440はかなり驚いた。他の支部の戦況はあまり入ってこないため、詳しく調べられなかったが、人類統一軍本部はこの支部で大きな作戦を計画していると皆が口を揃えて言っていた。
しかし、当の本人であるKI-520は、「なにも聞いていない」の一点張りだった。
「ちゃんと話すのはとても久しぶりね。三年くらいになるかしら」
「そうだね、本当に久しぶりだ」
国という枠組みがかなり前に無くなった今の世界で同郷である、というのは意味をなさなくなったが、心理的にはその通りではなかった。現に、ある種の懐かしさと、シンパシーを私達二人は互いの思念で感じ取っていた。
私は平たい器に固形化物と水を入れ、それが膨張してゆく様を眺める。
何故か、言葉が続かない。KI-520が次の言葉を探しあぐねている。その証拠に彼女の思念は、振り子のようにゆらゆら揺れていた。
「これ、三年前と味変わらないね」私はこの膨らみかけの固形化物を指差しながら言った。
KI-520が、はっと目を開いた。
「工夫がないからよ」「工夫?」
「水の分量をもう少し足せば、その石のような硬さも少しだけ柔らかくなって食べやすくなるわ。まるでパンのようにね」
「パンか。懐かしいね。でも、水を足すのだろ。試したことあるが、粘土のようになってとてもじゃないが食べれるような代物はできなかった」
「分量がおかしいんじゃない。今日のあなたのも本当にまずそう」
「君のがおいしそうすぎるんだよ」
私の固形化物も出来上がったようだ。私はそちらには手を付けず、温かい緑色汁を啜った。
「あなた、今日はどんな予定?」
「僕かい?僕は、きっと外回りかな。この地域ももう基地に出来るところはないから、探さないと」
物資の乏しい人類軍は、常に、何か使えそうな物、場所、そして人員を探し求めていた。それを担当するのが、外回りだ。
ちなみに当直任務とは、<マシン>兵たちとの戦闘任務に就くことだ。
「そういう君は、当直だろう。何か聞いていないか、昨夜の任務の話を」
私は情報が欲しかった。私の焦る気持ちが思念波となって彼女に伝わったのを感じた。それは、頭の後ろが痺れるような感覚をKI-520は感じた、というイメージを私が感知したためだ。
「ええ、私が知っている範囲だけど、昨日の新型の<マシン>兵は人型であるとか」
「人型?そんな馬鹿な」
「私もそう思っているわ。でもね、FI-440の遺体は我々が回収したの」彼女は固形化物を咀嚼し、ゆっくりと呑み込んだ。
水を口に含み、また話し始める。
「彼が残したバイザーの記録からよ。まだ詳しくは見てないけど、確かに"人型の<マシン>"という敵を認識していたわ」
私が驚いたのには理由があった。
<マシン>たちが人類に反旗を翻したとき、今まで数多くの映画や本で予想されてきたこととは異なることが一つあった。
それは<マシン>兵たちに完全な人型はいない、ということ。
どんな悪路も障害も乗り越え、柔軟に身体を折り畳める地上徘徊型の<スパイダ>、人類の兵器の攻撃を寄せ付けない頑丈な陸上戦車型の<オーガ>、そして空から偵察を行う偵察型の<モスキート>を放ち、地上の索敵と殲滅を行う空戦型の<ベルーダ>などが確認されており、他にも水中型、陸上格闘型など多種多様で目的に応じて造り出すのが常であった。
奴等の中で二足歩行、精密な手の動き、道具を使用するもの、走ったり登ったりするもの、など人体の特徴はいくつも模倣されはしたが、人間型の<マシン>は今まで出現しなかったのだった。
私は古い映画の言葉から人間型機械を指し示す言葉を引用した。
「さしずめレプリカントという訳か。とうとう奴ら、人に紛れて、いや人に代わって地球を歩き始めるつもりか?」自嘲気味に私は答えた。
すると私の心に、よく切れ、更に熱した鋭いナイフを向ける感触が伝わってきた。短気で気難しいと一面のある、彼女の思念だった。
「そういうことは口に出して言わないことね。悲観的になるにはまだ早すぎるわ」
彼女は食べ終わった盆を持って立ち上がり、最後に思念波に言葉を乗せて私に投げつけてきた。
《何が来ても同じよ。壊すのみだわ》
彼女にまとわりつくどくろを巻いた蛇のような鎖を私は彼女の思念から見てとることができた。
それは決して折れないように自分自身に打ち込んだ“楔”のように私には見えた。
私は<ヒューマノイドにおける一般思念指標>より、鎮静のイメージである温かいシチューの映像の思念を思い描いた。
しかし、今食べている緑色汁の味が混じってしまい、私の思念を感じた彼女は眉間にしわを寄せた。
「そういえば……、」
立ち去ろうとしていた彼女が振り返り、私の目を見据える。
「そういえば、今から時間あるかしら?
ちょっと付き合って欲しいところがあるの」




