イノリノハジマリ
羅世蘭は、日本の人間ではない。
とある西洋の異国の出身である。
彼は幼き日に父の蔵書の中にあった1つの本に目を引かれ、特筆した理由もなくそれを開いた。
それは、とある著名な航海士の書いた海外の記録であった。
幼い羅世蘭は自らの全く知らない文化、食物、考え方に触れ、貪る様にその本を読み進めた。
それがきっかけだった。
羅世蘭はいずれ、この国の外に出たいと思う様になっていた。
少年は成長し、航海術を学ぶ事が出来る学校に入り勉学に努めた。
元々読書好きであり、新たな知識を得るのに快感を覚えた羅世蘭は、自然と学力を伸ばし、首席とまではいかないが学年で2、3位の成績を誇っていた。
学生生活にも慣れ始めた頃、羅世蘭には一人の友ができた。
名をマキナ。
同性であり、マキナもまた海外に出てみたいという夢を持っていたため、2人は自然と意気投合し、夢を語り合った。
マキナと羅世蘭が出会って1年もしたころ、2人に記録係として、国外に出る船に乗る機会がやって来た。
2人は当然それを受け、船に乗った。
行き先は、日本という国だった。
どうやら、近頃他の国との国交をほぼ断絶し、日本の国民が国の外に出ることも他の国の者が日本に入国することも禁止したという。
羅世蘭の国は長い交渉のすえ、何とか貿易の権利を許可されたという話だった。
国外へ出ることも禁止してしまうなんて……。
羅世蘭からすれば考えられない事だったが、しかし国が変われば色々な事情があるのだろうと彼は思った。
そんな話もあったが、羅世蘭とマキナは始めての船旅を大いに楽しんだ。
1ヶ月を越える旅路が、1週間も絶たぬ程に感じられるほど、2人には見たことのないものが溢れた道程だった。
そして、船はゆっくりと動きを止める。
彼の国――日本は、すぐそこであった。
やはり、と言うべきか。
日本はいわゆる鎖国状態、異国人の羅世蘭達が立ち入る事のできる場所は非常に少なかった。
だが、それでも自分の目で、肌で感じる異国の空気は決して本を読む事では体験する事が出来ないものであり、羅世蘭は来て良かったと思ったのだった。
羅世蘭達が自由に立ち入る事が可能だった場所には異国人様の要所が狭い土地に所狭しと並んでいたので、いかんせん迷う人間が多く、よからぬ噂も流れていた。
「人が拐われる」
多量にある死角、そして迷路の様にいりくんだ路地を利用し、簡単に近くの森を経由して遠く、日本の首都圏にまで逃げていく。
そのような噂があったので、羅世蘭、それにマキナももちろん警戒していた。
羅世蘭達が日本から故郷に帰る日の昼過ぎ、羅世蘭とマキナは本屋に立ち寄った。
狭い店内には大量の本が隙間なく置かれており、床に平積みされている物もあったので1日でどのような本があるのか全て把握するのはほぼ不可能。
羅世蘭とマキナは職務の暇を見つけてはこの本屋に入り浸り、何とかこの場にとどまっていられる内に全ての本を読破しようとしていた。
2人が読書を始めてから数分たった頃、羅世蘭は船員の上司に呼ばれ、少しの間、本屋から離れた。
本当に、少しの間だった。
一言二言、業務連絡を言い渡されただけ。
それだけだった。
しかし、たったそれだけの時間でーー。
マキナは、本屋から姿を消していた。
羅世蘭は最初、マキナも誰かに呼ばれたか、厠にでも行っているものかと思っていた。
だが、その幻想はーー、いともあっけなく、打ち砕かれる事になる。
本屋の奥、小さな机と椅子に座っていつもほがらかな笑みを浮かべていた老齢の店主が、首もとを切り裂かれ絶命していた。
そしてその近くには無造作に床に打ち捨てられた分厚い本が1つ、床に落ちており、そしてそれはマキナが羅世蘭が先程マキナに会った時、読んでいた本で間違いなかった。
薄暗い店に蔓延る小さな暗闇が、一気に大きくなったかの様に思えた。
羅世蘭はその闇から逃げ出す様に、本屋から走り去った。
その足は、船の方向を向いておらずーー。
一直線に裏路地へと、羅世蘭は突き進んだ。