「4」
-賽は投げられた-
百合は自分の全身からスゥッ…と血が引いていくのを感じた。
恐怖からなのか、指先が冷たくなり、視界がぐらぐらと歪む。
吐き気がした。
―ヤ・カイ…アノ…コ・・・
―カワイソウダヨゥ…
光達の声がしんしんと響き渡る。
本気で心配している様だが百合は底知れぬ恐怖と苛立ちから、思わず叫んだ。
「化け物に心配される筋合いないわよ!」
その時、声がピタリと止んだ。それとほぼ同時にヤカイが大声で怒鳴った。
「ふざけるんじゃねぇ!こいつ等は俺とは違うッ!!化け物なんかじゃねぇッ!」
百合は、その強い物言いにビクッとして、ヤカイにフォカスをあわせる。
…空中で二人の視線が出合った。
よく感情を映すヤカイの瞳は、怒り、憎しみが浮かんでいたが…今回はそれだけではない別の感情が絶叫している。
…悲痛。
そういっていいだろう。
今にも泣き出しそうな色が含まれていた。
百合はその瞳に言葉を失った。
ヤカイはそこで我に返ったのか、冷静な自分を取り戻そうとしているのか、
百合の視線からを目を逸らしながら「こいつ等は…」と語り始めた。
「ココにいるこいつ等はな、お前と違って人を思いやる気持ちを持ってる…それにやりたい事、遣り残した事、沢山あったんだ。それなのに本来の寿命の前にちょいとした手違いで死んじまった連中ばかりなのさ。
…ある者は通りすがりに殺された。
…ある者は不慮の事故に巻き込まれて死んだ。
クソっ!数えあげたらキリがナイ!
お前に解るか?夢も、希望も、やりたい事も山ほどあったのに、ちょっとした運命の歯車が狂ったってだけで死んじまった者の無念てヤツが!お前みたいに何もかも面倒くさがったり、嫌な事は全部人の責任にする奴にはワカンネェだろう?!
本当に不幸や悲惨な事件がテメェの身に降りかかった時にもお前みたいな奴等は決まって言うのさ。
‘アタシは不幸なんだから、もっと同情しろ、周囲が心配し、手伝うのが当然’
‘全て世の中や政治が悪い’ってな!
…それまでは、体に不自由がある人間と擦れ違っても、気にも留めず手助けするのが下らない・面倒くさいとさえ考えてたってのにだ!
不幸にあった人々が必死に這い上がろうとして、
法律を変えようと運動しているのを横目でみて、
偽善者が何かやってなぞと嘲笑し、私には関係ない事と嘯いているモンなんだよ!どうだ?違うか!?」
百合は反論できなかった。
確かに思い当たるフシがあったから。
数日前、署名運動を必死にしているコがいた。
別に仲良くもない他のクラスのコだった。
父親を早くに亡くしたそのコの友人が通う夜間学校が閉鎖されそうだから署名運動を手伝ってるんだと言っていた。
百合は、それを横目でみながら通り過ぎた。
少し気にはなったけど、大して仲良くもないコだったし、なによりクラスメイトの「自称毒舌家」の女子が大声で自分の意見と言う名目の「単なる皮肉」を言い始めた所だったので、そんな時に自ら進んで書きに言ったら後々ナニを言われるか解ったモンじゃない、とつい怯んでしまったのだ。
それから数秒も経たないで、居心地が悪くなってしまった百合は逃げる様にして教室を後にしてしまった。
結局その後、その件を自分の中でうやむやにしてしまった。
少しでも気持ちがあったなら、後でそのコを探して署名をすれば良かったのに。
それだけじゃない。
体の不自由な人をみかけても周囲の目が何となく気になって、手を貸せない事の方が多い。
でも、そんな子達は周りに沢山いたじゃない。
何でよりによって「私」がこんな目に遭うのよ…。
ヤカイはそんな彼女の姿を横目でみて、ヒトツ溜息をつくと話し出した。
「人間は…自然を平気で破壊し、あまつさえ同族の人間同士まで私利私欲の為に殺しあう。必要な分だけを必要なだけとる事が出来るのは本当に一握りの怖い種族だよ…。で、奇妙で都合の悪い出来事は、みんな神か悪魔か、はたまた鬼か俺達かって、テメェらの目に見えないモンの所為にしたがる。普段は殆ど信じちゃいねぇし、感知もできねぇ癖によ。全くもって性質の悪い、はた迷惑なイキモノだよ、人間は」
百合は肩を落として呟く様に尋ねた。
「そう…で、アンタはそういう考え方してる人間を監視してたってワケ…?」
「まぁそういう事にならぁな。俺はそういうパルスに敏感なタチでな。で、群衆の中でもお前さんが一番そう言うパルスを出してたってワケだ」
百合は愕然とした。
私が一番嫌なパルス(信号)を出していた…?
そんな…
そんなバカな事って…
皆、普段、口に出さないだけで実は思っている事じゃないの…?
「ああ、思ってるだろうな。だから俺からいわせれば、
お前等みたいなのが地上でのさばるより、
真面目で気だての良い、この魂達のウチ…ヒトリでもイイ、
人生を再度やりなおさせられたら…って考えたワケよ。」
その言葉を聴いたとき目眩がした。視界が歪む。
「そ…そんなの出来るワケッ…」
精一杯強がろうとするが、彼女は理解していた。
この男は嘘を言わないと。いや、言わないだろうと。でも抵抗しなければ、私は他の魂に体を奪われ…殺される…死ぬ、と言うコトだ。
百合は体の奥から力を振り絞って怒鳴った。
「だ…だからって私の人生をアンタにどうこうされる理由なんてッ…そんなアンタの身勝手な都合でッ…納得出来るワケないじゃないッ!絶対好きになんかさせないっ…!!」
叫んだ後気が付いた。
息が切れる程自分の感情を露わにして怒るのも久しぶりだった。
-私…こんなに真剣に怒れたんだ…
ヤカイはその言葉を聞いき終えると口端をつり上げて笑うとこう言った。
「ま、そう言うと想ってたサ。俺もアンフェアなのは嫌いだし、無慈悲ってワケでもねぇからな…。ソコでヒトツ、真剣勝負と行こうじゃねぇか。と、言ってもお前に選択権はないけどな」
「なんですって!?」
百合がそう言ったと同時に彼女のみている世界が…一変した。
真っ暗闇の中に美しく輝く銀色の光が幾つも浮かぶ。
やがてソレは、百合達を取り囲んで長方形の姿をとった。
何処かで見たことがある形だ…あれは…?まさか…!
「そうだ。」ヤカイが答える。
「学校の鏡…?」百合が続けた。
「ああ、でもただの鏡じゃねぇ。よく見ろ」
その無数の鏡の中の全てに…自分…百合がいた。
鏡の前でうつぶせに倒れている。
「あ…あたし…!?」
「そうだ。でもな、実は本物のお前は…すなわち、お前が元の世界に帰還する為の鏡はあの中のたったヒトツなのさ」
ヤカイは楽しそうにクックッと喉を鳴らして笑い出した。
「サァ…俺はこれから百まで唱えるから、お前はその百数える間に本当のお前のいる世界に繋がる鏡を探せ!探すことができなきゃお前の体は、こいつ等の一人にプレゼント!そしてお前は一生こっちの世界…闇の生き物として暮らすんだ!」
「そんな…ヒドイ!!!」
「テメェに選択権はねぇッつったろう!ガタガタ抜かすとゲームも無効だ!それからお前達、コイツに手助けは無用だぜ!しようものならこいつも
今日からお前達のお仲間だからな!!サァ…解ったら数えるぜ!!! 1 !」
もうヤカイに何を言っても無駄だと悟った百合は、1のカウントを聞いた途端はじかれる様に走り出した。
「2」
ヤカイの大きく良く通る声が、背後で響く。
鏡は四角い口をポカッと開けて、2m位の感覚を開けて、規律良くその場に立ちすくんでいる。
百合は一つ目の鏡を覗き込んだ。
「3」
二つ目の鏡を覗き込む。
「4」
-どうして?何故私がこんなメに合わなきゃイケナイのよ!?
「5」
怖いのを通り越して怒りが沸々とわいてくる。
けれど、その怒りも長続きしない。
どうしてこんなコトになったのかと言う自問自答の果ての「憤り」
みつからなかったらどうしようと言う「焦り」
あの時、あんなコトを思わなければ…と言う「後悔」
もしかして両親にも、友人にも会えないかもしれない、と言うそこからくる苦痛にも似た、息切れする程の「悲しみ」…
そこで彼女は急に子供の頃のコトを思いだした。
遊園地のミラーハウスがとても怖かったコト。
無数に反射する、合わせ鏡の森が、なんだか凄くイヤで、一緒に入った父親のコートに必死にしがみついて目を閉じていた。
父はずっと肩に手をおいてくれていた。
どれ位歩いたか覚えていないけれど、「もう大丈夫だよ」と父が声をかけてくれたので恐る恐る目を開けた。
すると、もう外の世界が扉を開けており、その扉の向こうには、手を広げて待っている母の姿があった。
百合は、満面の笑みを浮かべて、父の手をとり、母の元へ向かって走っていった。
後日、実は父があの時ミラーハウスの中で迷ってしまっていたと、母から聴かされた。
「でも、お父さん、お前を怖がらせちゃイケナイと必死に出口を探したんだって」と。
「“百合がいたから頑張れた”って言ってたのよ」…と
なんで私はそんな大事なコト忘れちゃってたんだろう。
でも、ここにはそんな頼れる人達も握れる手もない。
彼女は知らないウチに頭の・心の中で…呪文の様にヒトツの言葉を繰り返していた。
―ごめんなさい
…ごめんなさい
…ごめんなさい…- と。
その時、百合の中で決意にも似たナニかが産まれた。
―…私、帰りたい!もう一度みんなに…友達に、父さん・母さんに会いたい…!!!
その時ヤカイの声が耳に飛び込んできた。カウントは既に
「20!」だった。
「5」に続きます。