#21
最寄りの駅から列車に乗って二時間、二回の乗り換えの末に辿り着いた地方都市の中心街。私達は無事、目的地近くの駅に到着した。
駅舎を出た瞬間に、煌びやかで巨大な電光掲示板、洗練されたデザインのビル、それにクリスマスの賑やかなメロディが私達を迎えた。流石都会、どこを見ても小綺麗で明るさに満ちていて、文明の力と活気を感じる。行き交う人々もみな洒落た空気を放っていて、ここへ来ると私は田舎者にしか見えない。事実そうだが。
「わー、来ちゃった来ちゃった! どうしよう陽葵ちゃん、なんか緊張するよ」
紗雪が私の腕にしがみつき、なんだかんだとはしゃいでいる。人混みに入るのは久しぶりのことだから仕方がないか。こうしていれば決してはぐれないし、別に構わないだろう。
「……ふふ、そうだね。じゃあ、はぐれないように気をつけて、行こうか」
「……うん!」
少しリラックスしたのか、紗雪は組んでいた腕をするりと放すと、そのまま私の指に指を絡ませた。雪のように冷たいしっとりしたものが指の間に入り込んできて、私は思わずびくりと震えてしまった。
「……陽葵ちゃんの手、あったかい」
紗雪が私の手をぎゅっと握りながら呟く。こんなに冷えて、可哀想に。手袋を持ってきてあげれば良かったか。筋肉質なせいか私自身はあまり寒さを感じなかったから、気づいてあげられなかった。紗雪の小さな手に憑いた冷気を祓いたくて、私は繋いだ手と手を、空いていたもう片方の手で包んだ。
「……少しは、マシになったかな?」
そう言って目を合わせると、紗雪はもういつもの元気を取り戻したようで、薄桃色の唇の端を緩く上げて頷いていた。
そのままの流れで、例の「きらきらメルヘンティックスイーツガーデン」というイベントが開催されるホテルに向かう。有名パティシエの冬季限定スイーツが味わえる、十二月から一月末までの催しだ。今まで首都圏での開催が多かったが、今年は地方に進出してみようということになったらしい。チケットがとれて本当に良かった。お陰で、紗雪のこんな顔が見られるのだから。
私の横で、踊るように軽やかなステップを踏んでいる紗雪は、期待いっぱいの笑顔を振りまき、道行く人を色めき立たせていた。明るい鳶色の瞳は琥珀の輝き、白皙の頬に差すのは綺麗な薔薇色。黒いタイツに包まれたしなやかな脚は小鹿のように可憐だ。老若男女関係なくすれ違った全員を振り向かせる、魔力にも近い魅力は、筆舌に尽くしがたい。それは見た目の美しさだけではなくて、内面から溢れ出る輝きあってのことだろう。キラキラと光る虹色の粉が舞っているかのように、紗雪の輪郭は白く曖昧で、故に清らかな雰囲気を漂わせていた。
ところで、たった今気がついたが、姉妹とはいえ、街中でずっと手を繋いでいるというのは、そこそこ気恥ずかしいことだ。紗雪を注視した次の瞬間、横にいる私を薙ぎ払う視線。紗雪と顔も似ておらず女らしくもない私は、その送り主達にどう見えていたのだろう。もし男に見えたとしても、別に構わない。私は紗雪の騎士に違いないのだから。
そんなことを考えている間にホテルに着いた。この地方ではかなり大きい、四つ星だか五つ星だかのホテル。ぴかぴかのガラス張りの正面玄関を通過すると、落ち着いた雰囲気の明かりに照らされた静かなロビーが私達を迎える。趣味の良い内装だ。黒大理石で作られ、丹念に磨き上げられた床や壁の柔らかな艶に自然と溜息が出た。まるで宇宙に放り込まれたようだ。館内は暖房が効いていて暖かく、巨大な生け花のような現代アート作品や黒い革張りのソファがラグジュアリーな雰囲気を醸し出していた。チケットの値が張るだけある。
エレベーターに乗って四階に上がり、会場となっているホール「白雪」に向かう。チケットを見せて入場すると、既に複数の先客がいて、あちらこちらのテーブルから話し声が聞こえた。スイーツイベントのせいか、やはり女性が多い。だが、驚くべきはその年齢層だ。私達のような十代の若者は全くと言って良いほどいなくて、代わりに裕福そうな中高年の女性が沢山いる。よくよく見てみると、メディアに出ていたこともある菓子研究家もいた。要するに、マニア向けということだ。
会場のあちらこちらに立っているボーイに誘導されて、私達は二人用の卓についた。椅子に座って間もなく運ばれてきたのは香り高い紅茶。いつも飲んでいる市販のものとは違う、華やかでどこか甘い香りがした。ティーカップは目に沁みるほどに白く、外側につけられた白薔薇の絵が卓の蝋燭に照らされて内側から透けて見えるほどに薄い。特に磁気に詳しいわけではない素人にもわかる、この繊細さ。明らかに高級品だ。金色の蔦で彩られたソーサーにカップを置くと、コトン、と小気味良い金属音がした。
「ねえねえ陽葵ちゃん……なんか、すごいね……」
紗雪は予想していなかった空気に、少し縮こまっているようだった。まあ無理もないだろう。「きらきらメルへンティックスイーツガーデン」なんてファンシーな名前を出されて、こんな上流階級の会食のような景色を連想する人間はいるまい。このイベントは、菓子に関わる仕事をしている人間なら必見、甘いもので腹を一杯にしても平気な人間だけが行くことを許される、いわば菓子の玄人の集まりなのだ。にしても、きらきらでメルヘンティックなスイーツガーデンだなんて、かなりめちゃくちゃな名前だ。日本語、ドイツ語、英語がごちゃ混ぜになっている。いや、よく考えれば、メルヘンティックは和製独語だった。
そんなことを考えながら紅茶を啜っていると、チンチラか何かだろうか、白と黒の綺麗なグラデーションが特徴的で、もこもこした毛皮のコートを纏った、どこか人懐っこそうな顔のご婦人が隣の一人用の卓にやって来た。確か、人気料理評論家のなんとか氏だ。名前は覚えていないが、キレのあるトークと愛嬌のある笑顔が人気の理由だったと思う。
「あーらぁ、若い子もいるじゃない! デートかしら?」
私達を見るなり、食いついてくるなんとか氏。その言葉を聞いた瞬間、私は紅茶を噴き出しそうになるのを必死に堪え、結果嫌というほど噎せた。咳き込みすぎで目に涙が滲んだけれど、なんとか氏と紗雪の、驚いた猫のようにポカンとした表情は視界の端で捉えていた。まさか本当に男に間違えられるとは。思っていたよりかなり、おかしな感覚だ。歯が浮きそうなほど笑える。
「……ゴホッ……すみません、私、男じゃありません」
「あらっ、そうなのぉ、これは失礼。美男美女カップルかと思ったのにぃ。あ、アレね、男装の麗人ってやつね」
なんとか氏がそう言って手を叩く。この人は一体、何を言っているのだろうか? 紗雪が美女なのはわかるが、私が美男とは……美しくもないし男でもないし、ましてや男装の麗人でもないし、どうしようもなく的外れだ。だがまあ、それは一旦置いておこう。わざわざ卑屈になる必要もないのだから。
「……私達は、双子なんです。私が陽葵、こちらが紗雪といいます」
「へえ、そうなの。今日は楽しんでいってね、可愛いお嬢さんがた。今回のパティシエ、うちの息子なのよ」
「は、はぁ……」
うちの息子今はまあまあ男前だけど、昔はね……なんとか氏がよくわからない話を始める。殆どが息子についての思い出話かのろけだ。それに適当に付き合っていると、空いていた卓が続々と埋まり、遂にイベント開始になった。
定番の白いコックコートとコック帽を着たパティシエが前に出て簡単な挨拶をし、ご婦人達の歓声を浴びていた。整った顔立ちの、高身長の壮年の男性。客層に納得だ。今日はクリスマスイヴということで、スペシャルスイーツを用意しています、と言って挨拶が終了した。
遂に運ばれてきた一品目は、ブルーベリーと苺のゼリーだった。透明なゼラチンの中に浮いている赤色と暗紫色が美しく、散りばめられた金箔は妖精の鱗粉、ミントの葉は月桂樹の冠のよう。上澄みをスプーンで掬って、恐る恐る舌に乗せてみると。白ワインがベースになっているのだろう、僅かなアルコールの匂いと、フルーティな白葡萄の香りが爽やかにマッチしていて、控えめに言ってかなり美味しい。甘さ控えめの、大人の味だ。新鮮なブルーベリーの酸味が舌を収斂させ、ゼリーに入れるには勿体無いほど形の良い苺の甘味がそれを和らげ、調和のとれた甘酸っぱい風味を創り出している。コースとしては最高の滑り出しだ。私自身は単なる紗雪の付き添いとして来ていたつもりだったが、これは思ったより楽しめそうだ。紗雪はこれを気に入っただろうか、と思いながら向かいを見ると。
紗雪は、ゼリーを一欠片口に含んではそれを味わうように目を閉じて恍惚とし、桜貝のような唇を開いて果物を食んではその酸味に驚く……といったように、この生菓子を私よりはるかに深く味わっていた。紗雪の感性の豊かさ、審美眼の鋭さには、やはり目を見張るものがある。姉として誇らしい。話しかけて、美味しいか訊こうと思っていたが、これなら訊くまでもない。
その後も、極上京抹茶のムース、芸術的に飾られたデセール……アイスクリームとコンポートと生クリーム、薄く焼き上げたパイに色とりどりのフルーツソースがかかった一品、バターでしっとりと焼き上げた温かいフィナンシェ、口直しのライムソルベなどが続く。特にデセールが凄かった。薄い綿菓子で覆われた小さなドームの中は、霧に隠された精霊の庭のように華麗で、食べるのが勿体無いくらい。だがいざ食べてみると、ひんやり、さくさく、甘い、酸っぱいと目まぐるしく食感や味が変化して、あっという間に皿の上はまっさらになってしまった。もう少し味わえばよかったか、とも思う。紗雪は、食べている間はスイーツの世界に入り込み、次が来るのを待っているときは私に一生懸命感想を述べる、ということを繰り返していて、とても幸せそうだった。運ばれてくるスイーツはどれも一品級。メルヘティックを謳っているせいか、そのどれもに幻想的な装飾が施されて、目でも美味しくいただけるコースだった。
いよいよ、最後のスペシャルスイーツの番がやってきた。これまでの傾向から考えて、きっと非常に精巧で、計算された美術品のような菓子なのだろう。一体どんな風にクリスマスの雰囲気を出してくるのか、と思っていると。
一人一人の前に置かれたのは、クリスマスツリーに吊るすオーナメントのような形をしたチョコレートケーキだった。表面に散った金粉は夜空に煌めく星のようで、高くカーブしたフォルムと、薄いリボンのようなチョコレートで再現された紐は見事の一言である。
その造形美を十分に堪能した後、温かいミックスベリーソースをかけていただく。チョコレートの被覆が溶けたところにフォークをそっと入れると、思いのほか柔らかい。ビターガナッシュとクランチ、チョコレートムースが入っていて、カカオの深い苦味と芳醇な香り、すっきりとしたベリーの酸味、求めるほどに奥深いミルクのまろやかさが存分に感じられる。イベントの締めくくりに相応しい、パティシエの技術と感覚が結晶化した傑作だった。
簡潔に言って、きらきらメルヘンティックスイーツガーデンは大成功だ。名前は少し変えた方が良いとも思うが。これを味わうためだけに、味覚も嗅覚もある。そう思わせるほどの、極上の菓子達だった。