#18
智一さんの死から半年が経った。
だがまず、紗雪のことについて話す。紗雪の容態の安定化のため、私が企てた試みについて。
端的に言おう。実験は成功した。紗雪は彼を殺してから一ヶ月の間、一度も発作を起こさなかった。二ヶ月目に入って間も無く、もう一人の生贄を捧げると、その月も発作は起こらなかった。その翌月も同じ。まだ言い切ることはできないが、私の理論はおそらく正しかった。生命の煌きが紗雪の中からなくなる前に補給ができれば、紗雪は死にかけることなく命を繋ぐことができるのだ。
半年の間一度も発作を起こしていないお陰か、紗雪は最近活発になり、溌剌とした笑顔が一層眩しくなっていた。苦手だった運動も頑張っている。一生懸命体育の授業についていこうとしている姿はとても微笑ましい。知らず知らずのうちに浮ついてしまう口角を下げておくのには苦労した。あまりにやにやしていると、私に笑われていると勘違いした紗雪がふくれっ面をするからだ。
また、私が紗雪に付きっきりになってから随分経ったせいかもしれないが、自称紗雪の友人達の私への態度が軟化してきた。以前のように屁理屈を捏ねに来ることもなくなり、代わりに、一緒に昼食を摂らないかと誘われることすらある。紗雪が目当てなのは分かりきっているが、彼女達が自分の領分をわきまえたということなので、快諾とは言わないまでも、それを無下にしたりはしない。私以外の人間と喋るのは、紗雪にとってもいい刺激になるだろう。変な流行語を覚えてしまうのには閉口したが。
兎に角、紗雪の持病の経過は良好だ。それもこれも、智一さんの犠牲があったからだ。以前の不安定な状態の紗雪を僅かな時間だけでも他人に任せるなど、私にとってはあり得ないことだった。病に囚われた紗雪に小さな自由を与えてくれて、彼には本当に感謝している。
彼の骸はあの日の昼頃発見され、ちょっとした騒ぎになった。発見者の七十五歳のお爺さんは驚いて文字通り腰を抜かし、勢い良く尻餅をついてしまい、以来腰痛に悩まされているらしい。悪いことをしてしまったと思う。
だがそれよりも重要なのは、事件に対する世間の反応だ。彼の死は報道こそされたものの、続報すら来ることなくすぐに忘れ去られてしまった。同じ町の中で立て続けに殺人事件が起こっているのだ、もっと騒がれてもおかしくないはず。けれど、居間に鎮座するテレビが映すのは、不祥事を起こした政治家の顔と不倫疑惑をかけられた芸能人の顔ばかり。いつもなら被害者の周囲を犬のように嗅ぎ回り、あることないことを報じて民衆を煽るくせに。森崎智一の名がテロップに流れることはついになく、まるで世間の記憶から彼の死を消し去ろうとしているかのようだった。
騒ぎになったのはほんの数日だけだったとはいえ、私はその間、今度こそ捕まるのではないかという不安を抱えて生活を送っていた。もし目撃者がいたら、現場から毛髪でも出たら――悪い想像ばかりが、浮かんでは消えた。そんな予感を裏付けるように現れたのは、壮年の男性刑事だった。刑事は、生前の被害者を知る人物の一人として、私に事情を聴きに来たのだと言っていた。要するに、彼の大学の友人を訪ねるのと同じだ。
刑事の話によると、彼は大学の友人に、私のことを話していたらしい。最近近所の中学生の女の子と知り合いになったんだ、双龍陽葵という名前なんだ、と。つまり彼は、私が嘘を吐いていると知っていた。知った上で、騙されたフリをしてくれていたのだ。
どのようにして私の本名を知ったのか、何故私の虚言を指摘しなかったのか、それはよくわからない。私の両親が高名な弁護士で家が地元の名士なせいなのか、本物の鈴木花に会ったのか、習字か何かのコンクールに入賞したときに地域新聞に載った顔写真を見たのか。わからないが、多分彼なりの意図があったのだろう。彼は考えてから行動するタイプだった。本名を知っていることを打ち明けるタイミングを伺っていたのかもしれない。
事情を聴きに来たと言っていた割には、その刑事の話はいやに冗長だった。訊いてもいないことをつらつらと並べて雑談のような話をされて、正直私は眠くて仕方がなかった。だが、そのつまらない話の中でひとつだけ、私の興味を引くものがあった。
彼には病気の弟がいた。治療法はあるが、家があまり裕福ではなくてその費用が払えなかったらしい。その状態が、彼が死んだことで入った保険金で解決したらしい、と。つまり、彼が最期に言っていたことの謎が解けたのだ。おかしな話だ。死に際まで他人のことを思い遣り、殺すことで間接的に生命を換金した人間に礼を言うなど。彼は、本物の、馬鹿だ。
そして彼の死は、二人の人間の命を救った。
なら、私や紗雪が死ねば、一体何人の命が救われるだろう。一年に最低十二人が犠牲になるとして、仮に九十歳まで生きたとすると、単純に計算して約九百人。恐ろしい数字だ。下手をすれば千の大台に乗ってしまう。
紗雪の病が自然回復する可能性はゼロではないし、歳をとれば生贄を必要とする頻度が下がるかもしれない。だが、そんな淡い希望を必死に繋ぎ止めて、その先に何があるだろう。
その問いの答えは自明だ。罪と罰。報酬は泡沫の幸せ。それで十分だ。
そんな思いで迎えた十二月二十四日の朝。
私は再び、目の前に広がる惨状に絶句していた。