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Snow White Lunatic  作者: 天童美智佳
Chapter II
14/33

#14

 夢を、見た。

 佐藤裕太、三島乃恵瑠、その他三人の犠牲者達が、恨めしそうな顔をして私を取り囲んでいる、夢。

 暗くて肌寒い空間で、私は制服を着ていて、何故かずぶ濡れだった。時折目の前が歪み、色がおかしくなる。目眩がひどい。それでも私は、気をつけの姿勢のまま動かなかった。


『死ね』

『冷血』

『地獄に堕ちろ』


 彼らは口々に私を罵倒するけれど、それらは全く、私の心には響かない。私はただ淡々と、頭を下げるだけ。


「……ごめんなさい」

「……ごめんなさい」

「……ごめんなさい」


 いくら謝罪しても、彼らの憎悪の声が止むことはない。仕方がないだろう、私はそれだけ、取り返しのつかないことをしたのだ。本物の地獄に堕ちたら、もっと直接的な拷問を加えられるのだろう。所謂地獄の想像図のように、針の山を歩かされたり、血の池に沈められたり、制裁の炎に焼かれたりするのだろうか。


 ならば、それほど辛いことではない。実際にそういうことをされれば、人並みに痛がったり、悲鳴をあげたりするかもしれないけれど。


 紗雪が発作から解放され、天国で幸せに暮らしていると思えば。


 苦痛に耐えられなくなって魂が滅んでも、思い残すことなど何もない。私は私自身の幸せなど、とうの昔に諦めたのだ。諦めていた幸せを与えてくれたのは、紗雪だけだった。私はその恩を返せればいい。


『本当に、それで良いのか?』


 智一さんが現れて、私の肩に静かに手を置く。大きくて、温かい手だった。この手と手を繋いで他愛のない話をしたときが、随分前のことに思える。あのとき私は、心から幸せだったろうか。紗雪のことを忘れて、恋にうつつを抜かしていたとき。


 認めよう。私は智一さんが好きだったのだ。それでも紗雪を選んだのは、私が自分にかけた呪いのせいだ。何があっても、誰と出会っても、どんな代償を払ってでも、紗雪だけを選び続ける。そういう呪い。


 はたから見れば愚の骨頂だろう。一生、殺人犯を支え続けることを誓うなんて。


 だが、あのときの私には、そういう生き方しかできなかったのだ。紗雪がいなければ、私はとっくに潰れていた。つまり、紗雪を守ることは、自分を守ることだった。今、私が強くあることができるのも、紗雪がいればこそ。幼少から非常に強い劣等感を植え付けられた私は、紗雪という大義名分がなければ動けないのだ。惨めなことだが。


 それが、智一さんと出会って変わりかけた。理由は定かではないが、私は一目見て、智一さんを気に入った。コンビニエンスストアの店員なんて腐るほど見てきたのに、智一さんの顔だけは、一度で覚えた。ついつい名札を確認してしまった。匂いですらも、知らず知らずのうちに覚えていた。あれは間違いなく、恋だった。初対面のコンビニ店員に、私の心はあっさり奪われたのだ。


 私が例のコンビニエンスストアに通い詰めるうち、智一さんは私の気持ちに気がついたのかもしれない。あるとき、あと数分で上がるから、一緒に帰らない? と訊かれた。自分に気がありそうな小娘をからかってやろう、その程度の気持ちだったのかもしれないが、私はそれでも嬉しかった。男だろうが女だろうが、そんな風に誘われたことはないし、誘ったこともなかったからだ。単純に、周囲の誰とも関わりがなかったせいもあると思うけれど。


 コンビニエンスストアの外で彼を待っているとき、人生で初めて、胸がドキドキするという感覚を味わった。からかわれただけではないのか、あとで笑い者にされるのではないのか……そんなことばかりを考えながらも智一さんを待つ、そんな時間の長いこと長いこと。


 智一さんが来たとき、私はどっと疲れていた。だが、そんな疲れより、自分が交わした約束が守られたことの方に驚いた。父でも母でも、約束を守らないことばかりだったから。後で聞くから今は黙っててと言われたまま話せていないことや、いつか行くから今日は我慢してと言われたまま行けていない場所が、一体いくつあるだろう。しかも二人は、約束をしたことすら覚えていないのだ。忙しいせいもあるだろうが、紗雪の場合はきちんと覚えているのだから、やはり両親の私に対する扱いは酷いと言わざるを得ない。


 思えば口が緩んでいた。智一さんにそう言うと、今まで辛い思いをしてきたんだね、と慰められた。拍子抜けした。てっきり、面倒臭い奴だなぁなどと言われるものだと思っていたから。


 実際、私は面倒臭い人間だと思う。人格が歪んでいるせいで、人の好意を真っ直ぐに受け止められない。それでも支障がなかったのは、私に好意を向けてくれる人間の絶対数が少なかったからだ。それが、私の普通だった。


 でも智一さんは、それではいけないと言っていた。それでは、私が幸せになれないと。余計なお世話だと思ったけれど、それが本当に私のためを思って言われた言葉だとわかって、少し胸が温かくなった。本当に優しい人だ。


 少しお互いのことを話して、私が中学生だとわかると、智一さんはひどく驚いていた。四歳年下の私のことを、同い年だと思っていたらしい。智一さんの目はとんだ節穴だ。いくら私の身長が、百六十センチメートルもあるとはいえ。


 私のような子供はお嫌いですか? と訊くと、そんなことはないと慌てて言われた。一対一で話した上で私を嫌わないなんて、変わった人だ。私の言葉一つでコロコロ表情が変化する大人なんて今まで全くと言っていいほどいなかったから、私の目に彼の反応は面白おかしいものに映った。その後も、彼がおろおろするところを見たいがために、思ってもいないことを言ってみたりして。要するに、我儘を言って大人を困らせてみたかったのだ。子供として。そんな私の戯言に真面目に付き合うのだから、智一さんは私よりずっと大人だ。


 逆に、君は俺みたいな歳上は嫌い? と訊かれた。私はそれに、いいえ、割と好きですよ、と返した。他人に期待しない癖がつくと、一周回って思い切りが良くなる。智一さんはそのことをよくわかっていないから、私のストレートな言葉に赤面していた。お茶目な人だ。きっと今まで、縁に恵まれなかったのだろう。智一さんは私のような小娘にすら、免疫がない。そんなところも可愛いなと思った。


 そうして智一さんと関わるうち、私は新しく人と知り合うことの楽しさ、喜びを知った。外の世界も案外悪くないのではないか、そう思った。智一さんは私にとって、外界との架け橋だったのだ。


 だが、それはもう崩れ去ってしまった。私が、この手で、壊した。


 今となっては、智一さんが私のことをどう思っていたのか、知る由もないし、知りたくもない。もう、彼は死んでしまったのだから。


『本当に、それで良いのか?』


 智一さんが、もう一度問う。私の心が変わるとでも思っているのか。笑わせるな。答えは既に決まっている。


『……ええ。勿論です。私にとって、紗雪以上に大切なものなんて、ありません。紗雪を生かすために必要なら……誰だって殺します。どんな末路だって、受け入れるだけです』


 私が紗雪を守るのは、確かに自分のためでもあった。だが、それだけではない。私が紗雪を、愛していたからでもあった。これだけは譲れない。紗雪がどんな罪を犯しても、私だけはそれを許す。受け入れる。それだって紗雪の一部なのだから。


 昔を思い出せ。毎日毎日、いらないだの生まれて来なければよかっただの、心ない言葉を浴びせられていたとき、救ってくれたのは誰だった? そんなことないよ、私は好きだよと言ってくれたのは。そう、紗雪だ。私は紗雪が何の見返りも求めずにくれた愛に、精一杯報いる。


 私は私の大切なものを、守るだけ。紗雪さえ生きていれば、もう何もいらない。


『……さようなら、智一さん。他の皆さんも。次会うときは……好きなだけ痛めつけてくれて結構です。でも、今回は行かせてもらいます。私のことを、紗雪が待っているんですから』


 智一さんの手を振り払い、六人の犠牲者達を押し退けて、私はひたすら走った。どこに光源があるのかもわからない薄暗い悪夢の空間の中、はるか遠くに見えた、一筋の光を目指して。


 背後から怨念の叫びが聞こえる。だが、そんなものを聴くために、私の耳はあるわけではない。紗雪の声を聴くためにあるのだ。光に近づくとともに聞こえてきた、小さな声。私の名を呼んでいる。間違いない、これは、紗雪の――


 気がついたとき、私は玄関で、毛布にぐるぐる巻きにされて寝かされていた。傍では、紗雪が私の身体に覆い被さりながらしくしくと泣いていた。

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