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Snow White Lunatic  作者: 天童美智佳
Chapter I
11/33

#11

 式場を後にしたあと、最寄りの駅から電車に乗り、家に向かう。


 昔、紗雪の喘息がひどかったとき、私達双龍一家は田舎に引っ越した。今もその家に住んでいるため、ちょっとした都会にある葬式会場に来るのに、二回も列車を乗り換えたうえ、一時間半もかかってしまった。両親があまり帰って来られないのは、家のある場所が田舎すぎるせいもあるだろう。弁護士事務所なんて、都会に構えた方が良いに決まっているのだから。


 だが、私達にとって、家が田舎にあるのはありがたい。東京などの大都市では、あらゆる場所に防犯カメラがあると聞く。そんな場所で殺人を犯して逃げ切るのは、かなり難しいだろう。しかし、私達の住んでいる町は、行政に財力がないこともあって、その手の防犯装置の設置はあまり進んでいない。私が足で歩いて、地図にマークしきれるくらいの数しかないのだ。まさに、理想的な環境だ。


 そのようなわけで、私達は今、田舎に向かう八両編成の列車に乗っている。他の乗客は、殆ど佐藤裕太の葬式の参列者のようだ。私達と同じ服か、喪服を着ている。彼らはホームの階段からほど近い、中央付近の列車に雪崩れ込んで行ったため、私達のいる八号車は私達二人きりだ。その方が静かでいいが。

 私の隣、七人掛けの座席の端に座っている紗雪は、列車が発車した後もずっと浮かない顔をしていて、一言も喋らない。まだ、悲しみから醒めていないのだろうか。紗雪はいつも朗らかだから、ついつい気になってしまう。


「……紗雪、まだ、泣きたかったら、泣いていいんだよ?」


 黙り込んで様子を伺うのが辛くなってしまい、余計なことだとわかっていながらも、そう言って紗雪の顔を覗き込む。澄んだ鳶色の瞳が水面のように揺れているのが見えて、ずっと涙をこらえていたことを悟った。

 私の言葉を聞いてこちらを向いた、紗雪の瞳に宿る柔らかな光が輪郭を失い、桜色の小さな唇が震えながらゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……あのね。さっきのお葬式のときにね……いやなこと考えちゃったの。陽葵ちゃんが……陽葵ちゃんが死んじゃったら、どうしようって……」

「え……」


 あまりに予想外の言葉に、普段わざと半開きにしている目を見開いてしまう。

 紗雪は佐藤裕太の母親からもらい泣きしていたのではなく、私がいなくなってしまったときのことを想像して、泣いていたのか。


「……ごめんね。いつも迷惑ばっかりかけてるのに、こんなこと思って……怒って、るよね?」


 つぶらな瞳からポロリ、と水晶のように輝く涙をこぼし、私の顔を見上げる紗雪。

 怒っている?

 そんなこと、あるわけがない。


「……紗雪。私、全然怒ってなんていないよ」


 思わずクスリと笑い、よしよしと頭を撫でてしまう。

 紗雪が可愛くて可愛くて、可愛すぎて、身体が溶けてしまいそうなほど舞い上がっている、自分自身の心を隠すために。


「うぅ……ほんと? ほんとに? 嫌いになったりしてない?」

「……本当。怒ってもいないし、嫌いになってもいないよ」


 不安げな表情で見つめてくる紗雪を安心させるため、にっこりと笑って、こわれものを扱うように、優しく抱き寄せる。

 私なんかの死で紗雪が悲しんでくれる、そのことが本当に嬉しかったし、それを想像しただけで泣いてしまう純な紗雪が、言葉にできないほどいじらしかった。


「……そっか……よかった……よかったよぉ……」


 紗雪が私の背中に腕をまわして抱きつき、安堵の涙を流して泣きじゃくる。

 かわいい紗雪。私の考えていたことが、なんとなく伝わってしまったのだろうか。私達はいつの間にか、お互いを亡くす恐怖を共有していたのだ。


 それはつまり、人殺しに罪悪感を持たない紗雪が唯一殺せない人間、それが私ということだ。

 私にとって、これ以上の勲章はない。それはすなわち、"人間として認められている"ということだからだ。

 それがどのような意味を持つのか、説明すると。


 例えば、よほどの博愛主義者でもない限り、蟻一匹を踏み潰して罪悪感に苛まれる人間はいないだろう。私は紗雪の人命に対する態度を、それと同じだと推測していた。つまりは、紗雪は多くの人間を、人間として見ていない。動物と同列に扱っているということだ。でも、紗雪の動物に対する態度はとても優しいから、それでもほとんどの場合、実害が出ない。それだけのこと。


 そして、紗雪が人間として見ていないのは、他人だけではない。自分も、人間として見ていないのだ。奇妙なことだが。だから、傷つくことを恐れはするけれど、命を失うことを恐れはしない。死とはすなわち無であり、死ぬことは全ての苦しみからの解放を意味しているからなのだろう。紗雪は生贄の命を奪うことを、彼らに対する救いだと思っているのだ。おぞましいことだが。


 もっと昔は、紗雪のそんな認識をどうにか変えられないか、試行錯誤したこともあった。しかし、精神科に連れて行くわけにはいかないし、私は重大なことに気がついてしまったのだ。


 紗雪は生命の光を求めて、人間を殺す。それは、罪悪感がないからこそできることだ。


 ならば、罪悪感があったなら? 人間を人間として見ていたら? 紗雪はきっと、今まで犯した罪の重さに、押し潰されてしまう。

 それだけは許さない。たとえ、我が命を失うことになっても、地獄で永久の苦痛を味わうことになっても、罰として魂まで完全に消え去ることになっても、それだけは。

 身勝手にも、私は私の都合で、紗雪を安全な、狂気の檻の中に封じ込めているのだ。

 故に、その中を過ごしやすいように整え、あらゆる要求に応えるのが、私の役目。だから。


「紗雪……大丈夫。私は絶対、紗雪を置いていなくなったりなんかしない……約束する」


 胸に抱いた愛しき少女の温もりを身体に刻みつけながら、大きな誓いを立てる。

 私は本気だ。紗雪のためならば、百年だって生きてみせる。何人だって葬ってみせる。これは、言霊の呪い。かかったが最後、取り消すことも書き換えることもできず、殉ずるしかない魔法。

 それこそが、私の願いだから。


「……うん……私達、ずっと一緒だよね」


 そう呟き、一点の曇りもない笑顔を浮かべる紗雪を、窓から差し込んだ西日が紅色に染めていく。そして私をも。

 燃えるように赤い夕焼けを立会人に、私達の約束は今、永遠の呪縛となった。

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