フォーク
甘い菓子の匂いに鼻をくすぐられながら、里美は今日もアルバイトをしていた。バイト先は地元ではそこそこ評判の洋菓子店だった。少々値が張るため、夕方のスーパーほど忙しくはないが、毎日お客が絶えることがない。高校生のバイト代はさほどでもなかったけれど、彼女はこのバイト先に満足している。世の女性の甘味好きに勝るくらい、彼女は甘いもの――特にケーキが大の好物だった。
彼女の両親は部活も入らず、洋菓子店で熱心にアルバイトをしている娘をみて、将来はパティシエにでもなるのかもしれないと、勝手に思っていた。もっとも当の本人は、将来の進路として菓子職人を、真剣に目指しているわけではなかった。まだ本格的な進路決定を迫られていない里美は、高校生らしく日々のモラトリアムとともに、素敵なケーキを甘受していた。
里美はたまに余るお店のケーキを貰ったり、新作は買ってみたりしてバイト先の味を楽しんでいた。たまには自分で作ってみたりもする。もちろん友人たちと一緒に、有名店でケーキを食べるのも忘れない。ケーキを食べている瞬間は彼女にとってお気に入りの時間だった。素敵なケーキをファークで一口、また一口と口に運ぶ度に彼女は幸福に満たされていた。
バイトのお金は、服や交遊費の他にケーキタイムの充実にも注がれた。ケーキ皿はもちろん、ティーカップセットも聞きかじった銘柄の紅茶と一緒に買ってみた。もちろん、素敵なケーキを彼女の口元に誘うケーキフォークも。自分が揃えた道具で自宅で味わうケーキは、お店で食べるのとはまた違った味がして素晴らしい気持ちだった。
そんなふうにケーキを楽しむ里美に、母親は好意的だったがケーキのために揃えた食器類、その殆どがペア用なのをからかった。これは里美にも言い分があった。ファミリーセットものは当然の用に母が家族用に揃えていて、里美が買ってくるのは少々気が引けたのだ。そもそも家族用に数が多いので良いものは高かったこともある。その点ペアものなら、彼女のバイト代でも所有欲を満たすものが手に入ったのだ。もっとも母親の言う通り、特別な誰かとケーキを一緒に食べることを、里美が夢見ていなかったわけではなかったけれども。ただあいにく、今の彼女にそういう対象はまだいないのだ。
期末テストも終わり夏休み直前のある日、里美はまたもやケーキを食べていた。場所は隣町の超人気のケーキ店で、人気相応の価格で高嶺の花だと思っていたところだった。珍しいことに、里美を一緒にケーキを食べているのはいつもの友人グループの女子ではなかった。先日の期末テストを里美がノートを貸したおかげで、何とか乗り切ったクラスの男子生徒であった。
クラスメイトは殊勝にもぜひノートのお礼がしたいというので、里美は大層な高級ケーキを奢らせていたのだ。里美と目の前の男子生徒とは、クラスではそれなりに話す中だった。もっとも話題は他愛のないことばかりだったが。ただし、今日は随分と元気だった。有り体に言って彼はやけに張り切っていた。
里美には今日のクラスメイトの様子が、クラスで話すときとはいささか違っていることはわかったし、その理由についても思い当たる節があった。とは言えケーキを愉しむことは疎かにしない。これ美味しいねと笑いながら言うと、里美はおかわりをねだった。クラスメイトは財布が厳しいのか一瞬迷いを見せたが、すぐに笑顔で了承した。
店員によって、新たに一切れのケーキが運ばれてきた。里美はケーキをテーブルの真ん中に置くと
「半分こ」
といい、クラスメイトにも食べるように促した。照れるようにケーキを取る彼の手元のフォークを見ながら、里美もまたケーキの味を楽しんでいた。
帰り道、今日新しい味のケーキを食べた里美は、また今度ケーキを奢るように彼に要求した。懸命な彼は、今度は間髪入れずに笑顔で同意した。おまけに、じゃあ1ホールまるごと食べようか、と彼女にふざけて返答した。
「二人じゃ、1ホールは多すぎるよ」
里美は笑いながら、彼に3ピースだけ買って家に遊びに来るようにいった。里美はペア用ケーキフォークを使いたかった。