電池をとりかえて
どたどたどた。
「ぱぱぁ、電池、とりかえて」
そう言って私に両手を差し出してきた息子のふっくらとした頬が蒸気している。
頬だけでなくて肩をせわしなく上下させているから、きっと庭からキッチンまでかなり全力で走ってやって来たのだろう。確かに凄い足音だった。
私は微笑ましく思ってまだ10にもならない小さな息子の手のひらを覗き込んだ。
覗き込んで、息子の視界から外れた場所に顔を上げた。いきなり屈めていた体を伸ばすという妙な動作を追った丸い瞳に、平静を装って私は告げた。
「ワタル、これには電池は入っていないよ」
「でもさっきまでは動いてたよ!」
不審げに私の顔を見上げた渉の黒くつやつやした髪を撫でる。私はできるだけいつもの調子を保つように意識していなければならなかった。
「うーん。そうだね。でも入っているのは普通の電池じゃない。お店でも買えないんだ」
「サンタさんにお願いしてもだめなの?」
「どれだけ良い子にしていたって、サンタさんにもあげられないものはある」
サンタさんもできないことがあるんだね、と渉は感心したように呟いた。既に電池には関心が無くなったらしく、手のひらに乗っていたものをキッチンのゴミ箱にぱっぱとはたいて捨てた。そのまま、ままぁと声を上げながら庭に走っていった。
私はその背が見えなくなってから黙ってゴミ箱に手を突っ込むと、もう命の名残も感じられないカブトムシの死骸を取り出した。そして裏口から外に出た。
壁を隔てて聞いていた蝉の声がわんわんと耳に押し寄せるので手早く植え込みに穴を掘って昆虫の死骸を処理する。
どたどたどた。
あの足音がする。
ぱぱぁ、電池、とりかえて。
今度はなにの?
今度はままの。




