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第九話

 今や暴風の只中に捨てられたような状態になってるって〜の。ほとんど両膝を付いて這いつくばったような格好悪い体勢になっちまってる。

 あたしに比べてじいさんの堂々とした出で立ちは尊敬に値するな。

 くっそ。こんなんで差を見せ付けられんのも悔しいな。あたしは、魔力を僅かに使って身体の周りに膜を作った。これなら多少のことでも自由に立っていられる。って思ったんだけど甘い考えだったかな?

 公園の脇を歩いて行く人達が、こちらを怪訝な目付きで通り過ぎて行く。どうしてだろう? と考えるまでもない。あたしがカッコ付けに張った魔力の膜が、ホウヤの放つ魔力の風と衝突して赤い火花がバチバチいってる。これじゃあたし、人間花火みたいに見えるんだろうな。ちょっとした不審者だよ。

 こいつは、さすがにマズイかな? って考えながらじいさんの方を見てみりゃ、結構な睨みつけられようだ。

 はいはい。わかりましたよ。

 もう一度、地面に這いつくばって、膜を解除。突風のような中に舞い戻りだ。前髪まで持って行かれてオデコ全開じゃん。あたしってデコ広いから嫌なんだよなぁ。そんなこと言ってる場合じゃないけど…。

 ふと気付いたことは、道行く人々が、この突風の中、平然と歩いていることだ。多少の風は当たっているのか髪を押さえたり服がなびいたりはしてる。でも、今のあたしから比べればそよ風に等しい。

 もしかして、この猛風状態って、ここだけ?

「まったくもって迷惑な奴じゃの」

 じいさんが溜め息を吐くように言った。手を後ろに組んで堂々と立つじいさんだから出来るんだよな。あたしがやったら風に押さえ付けられて息さえ満足に出来やしない。

「僕の正体など聞くからだよ」

 ホウヤは相変わらずの薄笑いを浮かべたままで、じいさんの顔を少し上目使いに見てる。言葉にも含んだ笑いが混じっているのが聞き取れた。こいつ、この状況を楽しんでやがるのか。

「正体も明かさんか。まったく喰えん奴よの」

「明かさないわけでも無いさ。ただ、ソロモン王ともなれば、少なからず予想位はたてているだろうと思ってね」

 真紅の両眼が細まる。不気味っていうより気色悪いだな。にやりと口元が吊り上がるのも既にホウヤの名残は無い。容だけはホウヤだけど、その全てがホウヤじゃない。

「予想とは安く見られたものじゃの。ほぼ、確信しとるよ」

 じいさんが負け惜しみで言ったとは考えられないけど、表情ひとつ動かさない顔からは判断できない。声音も静かで変化があるようには思えないが、あたしの見てるのはじいさんの横顔だ。正面から見てる容だけホウヤには判断できたんだろうか。一気に魔力の風が強さを増した。

 うげっ。これじゃ、地面に這いつくばるっていうよりしがみつかなきゃ飛ばされるっての。じいさん、あんた、自分に影響ないと思って、わざとホウヤを刺激してないか?

「これは失敬いたしましたな。しかし、それでは、何の準備すら無くてここまで来た意味がわからないね。僕の方を安く見ていたのかな?」

 右手を口元に当ててクスクスと笑うホウヤは、仕草だけ見れば年相応の無邪気さだけど、如何せん両眼の禍々しさをカバーできるほどじゃない。

「なに、完全体になる前ならば、如何ようにも方法はあるでの。例え龍の血族とて恐れることもないの」

 じいさんがそう言ったのを境に、魔力の風がピタリと止んだ。ってあたしも気付くのにしばらく時間があったんだけどね。

 だって、じいさん。今、なんて言った? もしかして『龍の血族』って言わなかったか?

 真っ白っていうより、思考停止っだっての。なんでそんな大事なことを、今、言うんだよ。前回と同じ展開ってことか? 冗談じゃないぞ。あんなラッキーに偶然が重なった上、宝くじが総動員で当たったような幸運でも無い限り、あたしに生き伸びていられたわけがない。じいさん、まさかと思うけど、なし崩しにあたしを戦わせようなんて思ってないだろうな? お断りだかんな!

「ほう、そこまでわかっていて怖がる必要がないとは、それなりの対処の方法があるってことかな? ただ、僕を前の『堕龍』と同等に思われるのは心外の極みだけどね」

 ホウヤが関心したと言わんばかりの雰囲気だけど、あたしにとっちゃ関係ないね。ってか、この機を逃すわけにはいかないよ。魔力の風も止んで自由に動ける今じゃないと、逃げるにも逃げられない。

 あたしは、跳ねるように飛び起きて、通りの桜の木に飛び付いた。陰に廻ってホウヤとじいさんの視界から消えるようにする。後は、このまま一直線に走れば、見えなくなるのなんて一瞬だっちゅうの。

「嬢ちゃん。悪いがの、それ以上行くと危ないぞ」

 走り出そうとした足が途中で止まる。薄々は予想してたんだけどね。だって、あたしは地べたに這いつくばるほどの強風に見舞われていたわけだよ。なのにこの一歩前を歩いてる人達って、さわやかな風に吹かれて歩いてるかのような装いじゃん。これって、何かないわけないじゃんよ。

 あたしの眼の前、出した足先の数ミリってところに見えない壁がある。空気の層みたいなものかと思ったけど、ちょっと違う。目に見えないほどの小さな水の粒子が漂うように壁を作ってるんだ。こんなの初めて見た。今は漂うようだけど、この先に行けば一粒一粒があたしの身体を貫いて、見るも無残な肉塊に変えてしまうことは確かだろう。

 じいさん、なんて泣ける防御壁だい。これで居残り決定じゃんか。じいさんの思う壺ってことかよ。トホホ…。

「見事な壁だね。風の元素が使えないはずなのに、ここまで出来るとはさすがソロモン王ってとこだね」

「感心するには、まだ早いんじゃないかの。嬢ちゃん、これからしばらくは魔力を使わんようにの。巻き添えを食らうぞい」

「へ?」

って、間抜けな疑問符は、じいさんが差し出した両手で掻き消された。

 ホウヤに向かって突き出されたじいさんの両手から、黒い球体が地面に落ちた。それはホウヤの足元で弾けるように一回り大きくなると、地面に触れた瞬間にぐるりと大きな円を描き、ホウヤの足の下に大きな暗黒の口を開いた。

 一瞬の出来事に感じたが、実のところあたし位の反射神経があれば、簡単に避けられた時間はあったろうと思う。ホウヤが退きもせず眺めていたからこそ出来たことだといえる。もっと言えば、ホウヤがじいさんの力量を馬鹿にしていたために事の成り行きを眺めていた結果といえる。ばっかめぇ。このじいさん、見た目のやる気無さじゃ計れないんだよん。

「落とし穴かい? あんまり賢いとはいえないんじゃない?」

 自分の足元にあいた黒い穴を覗き込んでホウヤは笑って見せた。よくよく見てみりゃ、ホウヤの足元から持ち上げるように風が吹いてる。ホウヤの髪が逆立つようになびいているのもその証拠といえる。こんなんじゃ、無駄かな? って思った瞬間に変化が起こった。

 急激にホウヤの周りの大気が鳴動すると、ホウヤを取り込むかのように吸い込まれていく。

「な、なに? 馬鹿な?」

 ホウヤの動揺はあからさまだった。穴くらいならホウヤが本当に『龍の血族』であったなら、他愛も無い悪戯程度のことだろう。でも、ナメちゃいけない。だって、これってソロモンじいさんが作ったもんなんだぜ。単なる落とし穴で終わるわけがないじゃん。甘く見すぎたのはそっちだったな。

 大気が渦を巻いて吸い込まれるのと同時にホウヤの身体も半分くらいまで沈んだ。両手を広げて穴の縁に必死につかまろうともがくが、穴の黒い色には粘度があるのか巧く動けてない。そればかりか、意思までも宿っているものか、もがくホウヤの上半身を取り込もうと液体のように絡み付きだした。

「無限の彼方に通じる虚無の闇じゃ。一度取り込まれれば、二度と這い出せん。いかな龍の血族でも無駄な足掻きじゃの。観念せい」

 静かに足元に目線を落とすじいさんは、いつもの軽い感じじゃない。ソロモン王。幾千の年月と威厳を湛えた王様。その実力の一端が垣間見えたのかも知れない。ってか、こんなことが出来るんなら前回にやってくれってんだ。そうすりゃぁ、あんな思いしなくて済んだやん。

「こ、こんなことで、僕が…」

 ホウヤの声は、最後まで聞き取れなかった。いや、言えなかったのか。どちらにしても、黒い闇がホウヤの全身を包み込み、ズブズブと穴の奥へと引きずって行った。包まれた頭部と思える丸い部分が沈む頃、穴は役目を終えようとその口径を縮め始めていた。

「これはの、魔力に反応して、そのものを吸い込む仕組みになっておる。嬢ちゃんが魔力を使えば、有無も無く同じ運命じゃ。良かったの。これで、終わりじゃ」

 じいさんがにっこりと恐ろしいことを吐いた。あのな、その理屈じゃ、あたしにも危険が及ぶってことも有り得たってことだろ。まぁ、注意してくれたから許してやるけど。基本的にあたしって身体能力を上げるために魔力を普段使うんだぜ。下手に魔力を貯めてたらどうなったんだ?

「お、終わりって、ホウヤの身体はどうなったんだよ?」

 ちょっと情けない格好で聞いた。だって、ちょっと怖かったんだもん。桜の幹にしがみついてたって、誰が責められるってんだ?

「…助けられたと思うかの?」

「………。」

 そう、確かに無理って言えなくも無い。あの状況では、あたしではどうにもならなかったし、じいさんもあの穴を開けるために力を使っていたとすれば、取れる方法など無かったのかもしれない。

 ただ、悔しいな。少しでも可能性があったなら、ホウヤを助けてやりたかった。

「助けたかったんじゃろ。じゃがな、少年は少なからず今度の殺戮に手を貸した形じゃ。力を失い、ただの少年に戻った彼に堪えられたとは到底思えん。結果論じゃが、これで良かったように思うの」

 あたしに何を言えって? じいさんの言うことは最もだと思う。力を欲するあまりに呪術にまで手を出していたホウヤ。恐らくは半分も信じてなかったんじゃないかな。でも、そこまですがらなきゃならなかった弱い心は、本当の他人の死が自らに手によって行われたものだという事実に堪えられなかったはず。助けたとしても遠からずホウヤは、この世に決別していたかもしれない。

「…それでも、あたしは助けたかっ…」

 最後まで言えなかったには、涙で詰まったわけじゃない。じいさんが背中を向けた穴に変化が生じていたからだ。

 既に拳大になった穴の縁が、何の力によるものか大きくたわみ始めてる。渦巻く中心とは反作用するかのように一片が盛り上がると、楕円に切り取られたように広がった。それでも穴が閉じようとする力は強いのか、今一度縮まる様子を見せたが、今度は切り裂かれたように真一文字に切れ目が入ると、そこから一転して大きく口を開ける結果になった。

 まさかと思うけどね。こんなのって尋常じゃ考えられないんですけど。

「いかん! ここまでになっておったか!」

 じいさんが慌てたように向きを変えて両手を突き出した。けど、あたしでさえわかる。時、既に遅しだ。

 じいさんのところまで全力疾走して、横っ飛びにタックルする感じでじいさんを抱えて飛び退いた。用心のために魔力は使ってないから、たいして飛べなかったけど、それでも危険な場所からは逃げられた。

 広がる穴は本来の職務を遂行出来ない反動からか、断末魔のように黒い闇を鞭のようにしならせ、周りの一切をなぎ倒した。桜の大木でさえ無残な折れ口をみせて五本が倒れた。

 その闇の中から悠然と現れた人影は、紛れも無く吸い込まれたはずのホウヤ、その人だった。

「じいさん。どうやら、失敗だったみたいだな。奴は、本当に『龍の血族』なんだな」

 倒れこんだ草原で、頭上を黒い鞭がのたうつ下で聞いた。

「…どうやら見込み違いじゃったようじゃの。完全体では無いと踏んだんじゃが、限りなく完全体に近いのかもしれん」

 じいさんも力を使いすぎてるのか、その口調は重かった。倒れこんだ時にあたしの下敷きにしちまったのも影響してるのかと考えたけど、このじいさん、地面に触れる寸前にあたしの半身を回転させてちゃんと上になってやがった。どこまで喰えねぇんだ。

 ホウヤは、まるで階段でも昇ってくるように、徐々にその全身を現した。と、同時に穴が断末魔の叫びのようにたわんで、一気に縮むと、その姿を忽然と消した。

 やっと立ち上がれるようになったものの、より一層、恐ろしい存在が眼の前にいることになった。冗談じゃないよな。これじゃ、相手のことを知っただけ怖さが増しただけじゃん。

「よもや、こんな茶番で止めが刺せるとでも思ってたわけじゃないだろう? 油断してたにしてもとりあえずは、はまってやったんだ。これからも楽しませてくれるんだよね」

 笑う表情はなんとも無邪気なんだけどね。眼が禍々しいっての。ランランと光る灼赤の両眼は、先程のように色だけでなく光まで帯びてる。

 じいさんは、と見てみると、未だ倒れこんで立ち上がってこない。また、なまくらしてるなと覗き込んだが、あたしの勘違いだ。顔色は土気色で呼吸が浅い。おいおい、待てよ。それほどまでに疲労してんのかよ。あの穴開けるのに、どんだけ力使ったんだよ。これじゃ使い物になんない。あたしが覚悟決める番だってか? 損な役回りだよ。

「あれ? ソロモン王は、もう終わり? ちょっと不甲斐無かったね。それで? マミおねえさんが相手してくれんの? 役不足なんじゃない」

 呆れるのも無理ないよな。でも、ここまでくると成り行きって感じだな。やれるだけやんなきゃ、じいさんと共倒れってことだろ。

「堕龍ほど簡単じゃないみたいだな。それでも黙ってやられるほど大人しくないってこと」

 強がりに聞こえる? こうでも言わなきゃ気分が先に萎えるっちゅうの。

「マミおねえさん。僕が誰だか知ってる? 堕龍なんて低俗と一緒にされちゃ困るよ。あれより数段は上だよ。いや、数十段かな?」

 不遜だとでも言いたいのか、両手を組んで首を振る仕草は、何とも愛らしい。ってか、お前、ホウヤの姿っての反則だろ。いい加減、本性の姿になったらどうよ?

「ああ、言いたいことはわかるよ。この姿はね、悪いけどまだ捨てられないんだな。完全体になるには、まだしばらく時間が必要なんだ。だから、まだこのまま」

 ウィンクすんなっての。こいつ、完全体じゃないって自分から白状しやがった。つまりは、まだ完全に力が使えるわけじゃないってことだろ。堕龍と同じパターンだ。勝てる要素はそこしかないな。

 一気に魔力を貯めるために両手を組んだ。必要ないけど、一応ポーズで集中を高める要素もあるから仕方ない。それがそがれた。

 見てみれば、じいさんがあたしの右足を掴んでいた。

「邪魔すんなっての」

 蹴ってやろうかと思ったけど、止めた。今は、どう見てもか弱い老人にしか見えない。

「今は駄目じゃ。このままではイカン」

「なに言ってんだよ。このままやられろってか? 冗談じゃない。少なくても可能性に賭けなけりゃ生き延びる術もないんだぜ」

 弱気なじじぃに関わってらんない。臨戦態勢は、既に相手は整ってるんだ。こっちだって負けてられるかよ。

 もう一度、魔力を貯めるように両手を組んだ。途端に突風があたしの身体を突き飛ばす。嫌ってほど背中を桜の木に叩きつけられた。痛みを堪えて見てみれば、ホウヤが片手を突き出しているだけだ。

 おかしい。何の力の脈動も感じなかった。普通なら魔力の脈動くらい感じられるって思ってから理解した。こいつ龍の血族って言ってじゃん。つまり堕龍と同じ。属性の元素を有無も無く使えるってわけだ。

 使うのは風。風の元素ってことなんじゃないか?

 ってことは…考えたくないけど…『翼竜』ってことなのか?

 勝てるわけないじゃ〜ん。








                               つづく


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