第八話
葉桜っていうのも気が引けるようなみすぼらしい姿になってる桜並木。花盛りの時期ならばきっと見事なことだろうけど、今の姿じゃ虫くらいしか興味を示さないだろうな。ってところにホウヤは立っていた。
後ろは緑なのか灰色なのかよくわからないような水をたたえた淵がある。これが公園っていうんだから、この世界も知れたものだよな。その後ろにはでっかい緑を溜め込んだ敷地があるのに、入って行けないってどういうこと?
まぁ、そんなことはどうでもいい。今は、ホウヤのことの方がとっても大事。
「ホウヤ…。」
近づいてみたものの、掛ける言葉が見つからなくて、とりあえず名前を呼んでみたんだけど、その後がやっぱ続かない。
ホウヤは、一度あたしの顔を見てにっこり微笑んで見せ、そのあどけない美貌を垣間見せてくれた。でも、次にじじぃに視線を向けると、細めた眼を開いて無表情になった。
「おじいさんがソロモンさんですか? やっぱりマミおねえさんとは違った力みたいだね。それも凄い力だ。でも、人間だね。マミおねえさんみたいな世界の違う人じゃない」
「…ホウヤ…」
あの初めての邂逅の別れ際、口元に浮かんだ嫌な陰。あれはあたしの見間違いだったと思いたかった。ホウヤはただの人間で、何かの力に巻き込まれてしまっている。そう思ってた。
でも、違う。今のホウヤを見ればわかる。口元に浮かびでた邪悪な歪みを確かめずとも、身体から滲み出るような魔力の臭い。これはあたしの世界で馴染みの臭いだ。でも、確かにホウヤの気配は人間のもの。じゃあ、この禍々しいまでの魔力の臭いは、一体なんだ?
「…嬢ちゃんの心を汲んでやりたかったがのう。やはり、お前さんが元凶だったんじゃのう」
大きな溜め息でぐっと腰を伸ばしてソロモンじいさんが言った。あたしもつられるように溜め息が出た。信じたくはない事実ってやつなんだろうな。ちくしょう。
「こうして眼の前にするととんでもない力じゃのう。しかし、お前さん。その力、どこで手に入れた? まともなことでは手に入らんかったはずじゃがのう」
ソロモンじいさんの眼が細くなった。恐らくは、そうしてホウヤの力を見極めているんだろう。軽く腰を二、三度叩いて腰を伸ばす素振りさえ無きゃ、完璧にカッコイイ感じだったのに。
「…そうだね。結構、大変だったよ。それも今となっては、後悔してるけどね」
ホウヤの返事は素っ気無いが、重みは十分だ。今、ホウヤは自分が一連の事件の犯人であると自白したのだから。
あたしは軽く首を振った。今、聞いたことが現実で無いように感じられて仕方ない。だって、どうやって理解しろってんだ。あたしの知ってるホウヤは、こんなホウヤじゃなかった。
「マミおねえさん」
そんなあたしの素振りを見てか、ホウヤが話しかけてきた。
「現実なんてこんなものだよ。期待したって裏切られる。信頼したって頼りになんかならないんだ」
「…ホウヤ。でもな、期待も信頼も無くしてだって懸命に生きるってのは、この世に生まれた生き物全てが背負う義務みたいなもんだ。苦境に立たされることだってある。そこで安易な力にすがり付いたら、そこまで努力してたことが馬鹿馬鹿しくなったりするだろ? いろんなこと経験して、やりたくないこともして、そこから違う自分ってのも見つけられるんだ。無駄に思うなよ…」
けっ、自分で言ってて馬鹿なセリフだと思うよ。こんなことが言いたい訳じゃないっての。頭の良い奴なら気の利いたことも言えるんだろうな。虚しいとか馬鹿馬鹿しいとか、あたしですら思うよ。この人間界に島流しに遭ってからは、つくづくそう思う。でも、それだってあたしにとっては大事な人生の一部だ。受け入れたって仕方ない。腐ったって仕方ない。否定したって仕方ない。仕方ないことだらけだ。だから仕方ないことを仕方ないこととして生きる。今を、今日を生きてみても仕方ないことは変わらないかもしれない。だからって明日まで否定出来ない。明日を生きるってのは、希望的観測じゃなく、今日と変わらない明日を過ごすことでもない。きっと、少しづつ変わってるのに気付くことなんだ。
こんなことって口に出すと表現しづらいよな。結局は、言えないままになっちまうんだ。
ホウヤは、少し伏せ眼がちになってあたしから視線を外した。青白い顔は、益々白くなっている。どこか身体の調子が悪いのかもと思えるくらいだ。
「…どうしようもなかったのさ。こうすることでしか僕らは身を守れなかった…」
力無く呟いた言葉は悲しい嗚咽にも似た溜め息まじりだった。
「一体、どうしてこうなったんじゃ?」
ソロモンじいさんが桜の木にもたれて休みに入った。じじぃ、休憩すんじゃないよ。
「初めは、大した事のない陰口みたいなものだったんだ。両親が事故で死んで孤児院に行ってから、そんなことは始終だったから気にすることも無かった。でも、あいつらは同じ孤児だったくせに僕じゃなく、アカネを他の子と一緒になってイジメ始めた。喧嘩もしたけど、それが原因で年上の子達と仲が悪くなって、より一層陰でのイジメが増えた。アカネの身体からアザが無くなる日なんて無かった」
「清水さんだっていたろ。なんで相談しなかった?」
聖母のような面影が今でもあたしの脳裏に浮かぶ。あの人なら、きっとなんとかしてくれたろうに。
「あの人じゃ、どうすることも出来なかったよ」
ふふんという軽い笑いがホウヤの口から漏れた。乾いた感じのする空しい笑い。
「あの人は、優しい人だよ。でも、同時に弱い人なんだ。イジメられてる子がいても見えない振りをする。相談してみたところで『仲良くしてね』って言うくらいが精一杯なんだよ。それでいて、仲の悪い組に分けて食事をさせたりして、あからさまなことをしたりする。本人は満足だろうけど、される方なんてたまらない。告げ口しただのなんだのと、エスカレートしてくことになるんだ」
「学校の先生とか周りの大人とかだって…」
「期待するだけ無駄だよ。先生なんて問題無い生徒の方が優先さ。問題を持ち込む奴なんて厄介者くらいにしか見ないし、聞くときは真剣そうでも次の日には知らん顔だよ。大人にしたって、自分の子供に仕事で、毎日精一杯なのさ。とても他人の子まで面倒みてる余裕なんてありゃしない。……だから、力が欲しかった」
震えるような最後の言葉は、語気は無かったものの、あたしでさえビクッとするほどの強声がこもっていた。強く握り締めているんだろう拳は、力の込めすぎで白くなってきてる。やめなよ、ホウヤ。お前には、ちっとも似合ってない。どっちかっていうと、穏やかな日差しの中で、やわらかく微笑んでるくらいがお似合いだ。
「力が欲しくて、どうしたんじゃ? まさか儀式をしたのでもあるまい」
おいおい、ホウヤが感情たっぷりではなしてるってのに座り込むんじゃないよ。じじぃってデリカシーって言葉知らんのか。
「…儀式ね。確かに準備くらいはしてたよ。でも僕らが手に出来る資料なんて知れたものでしょ? どこかで偽者に摩り替わってるんだ。呪いも黒魔術も効果無かったもの。そんな時に拾ったんだ」
「何を?」
「話し掛ける石みたいだった。小指の先程の石でさ、力が欲しけりゃ飲み込めって言ってきた。馬鹿馬鹿しく思ったけど、精神的に弱ってたんだろうね。躊躇することなんて無かったよ」
くすりと笑うホウヤの口元が嫌味な感じに歪んだ。自分を卑下してるのかも知れない。そんな感じだった。
「それを飲み込んだんじゃな?」
「…ああ。驚いたよ。こんなことが出来るようになるのかってね。遠くからでも毒を入れられる。証拠も残らない。死んで欲しい奴には大量に。少量でも意識不明で生死を彷徨う」
「それでも一緒に暮らしてた奴だろ?」
毎日、顔つき合わせていた奴を殺したくなる。それはどんな心境だったんだろう。あたしが慎一郎を殺したくなる…。反対はあっても、あたしが殺したくなることなんて無いから想像もできん。ってか、考えたこと無いかもな。
「ああ、暮らしてただけさ。情なんてありゃしない。自分の不幸を弱い他人のせいにしてウサを晴らす最低な奴らだったよ。後悔はしてないよ。あのままならアカネは、毎日のように身体をアザだらけしてた。当然の報いさ」
ケラケラと笑ってみせるホウヤは、どこか操り人形のように天を仰いだ。乾いた感情に、空からは雨粒のひとつも落とさず、痛いまでの日差しを投げつけてくる。
ホウヤの気持ちも解らんでもない。でも、それを理解してしまうことは…。
「…それをして、どうなった? 清水さんを悲しませ、住むところまで追われたんじゃないのかよ」
言って良い事だったか? あたしは、言ってから考えた。それは、ホウヤを追い詰めてしまう言葉ではなかったろうか。罪も無い人間を不幸に巻き込む。人としての感情があるのなら、耐えられないことだったはずじゃなかったろうか。
「浅はかだったことは認めるよ。力だけじゃ解決出来ないこともあることは確かだったね。でも、あれはあれで良かったんだよ。結果論かもしれないけど、結局はあそこでの生活は破綻してたんだ。子供達に確執が起こって二分されてたし、そんな状況を放置してた清水さん達を信じられなくなってもいた。元凶を取り除き、生活そのものをリセットしなけりゃならなかったんだよ」
「だからって、清水さんは心に深い傷を負ったじゃないか。それも良かったっていうのかよ!」
「…マミおねえさん。人は見かけじゃ判断なんかできやしないじゃないか。清水さんは、確かに良い人かもしれない。けど、良い人は子供を守れないんだよ。そんな人を慕っていても、同じ道を歩かされることになるんだ」
「だけど、それは…」
「嬢ちゃん。そこまでにしとこうかの。まだ、聞かねばならん事がある」
いかんいかん。つい熱くなっちまった。そうだよ、ここは冷静になってホウヤに力を付けた奴を聞き出さねば。って、じじぃ! 寝転がってんじゃないよ! 犬の糞でも落ちてないか?
「柏での一件は、お前さんの仕業かのう?」
「……。」
しばし考え込んでるような素振りだったホウヤだけど、改めてこちらに向けた視線は澄んだ光を放っていた。少しホッとした。少年らしいホウヤの表情だ。
でも、それはあたしの早合点だったのかもしれない。
「どっちのことを言ってるのかわかんないけど、多分、両方とも僕だよ」
って言うホウヤは、にっこりと微笑んだ。
「マミおねえさんと出会ったのは、あそこで学校のクラスメートに仕掛けてたんだ。後で大変な騒ぎになってたみたいだったけどね。僕は、その場所にいなかった。でも、内心は驚いてたんだよ。だって、突然に人間じゃない人が眼の前に現れたんだ。とうとう悪魔にでも魅入られたかと勘違いするでしょ。でも、気さくな人だったし、ハンバーガーくれたりして安心しちゃった」
屈託無く話すホウヤに、少しカチンときた。でも、まだ我慢。まだ、聞けてない。
「何故にクラスメートを殺害したんじゃ?」
じじぃは、やっと起き上がって胡坐をかいてる。背中を桜に持たれ掛けているけど、寝そべるよりマシになったな。こいつは、ほんとに真剣なのかな?
「あいつらは、アカネの自殺の元凶さ。死んで当然だろ? あの施設に移ってしばらくは平穏だったんだ。僕も力のコントロールに必死だったしね。アカネに眼が行き届かなかった。身体にも異常無かったし、うまくいってると思い込んでた。でも、違ったんだ」
ホウヤは、そこまで話して背中を向けると水辺の縁まで歩いて中を覗き込んだ。どんな表情でいるかは、後頭部しか見えないからわかんない。
「あいつら、アカネが孤児だって知って違う意味でイジメていたんだ。僕にさえ言えないようなこと。欲情の捌け口にされてたのさ」
!!としか表現できない。そんなことがあるのか? いや、どんなことも有り得る。否定しちゃ駄目だ。でも、そんな……。
じじぃを振り返ってみたけど、じじぃは軽く眼を閉じたまま微動だにしてない。今のあたしの表情は、きっとオロオロした感じの情けない顔だろうと思う。
「アカネは小学6年生だよ。そんな子供に…。自分だって子供なのに…。アカネが自殺したって、あいつらは知らん顔さ。いつものように学校に通い、普通に生活してたんだ。その罪の代償が、自分の命だとしても、誰が僕を責められるのさ?」
胸がムカムカする。吐きそうな感じだ。あたしが怒ってみても仕方ない。ホウヤは正しいって言ってやりたい。そんな奴らに生きる権利なんてありゃしないって言ってやりたくなる。でも、違うって言う自分が心のどっか小さいとこで泣いてる。悲しいんじゃない。怒りに震えるわけじゃない。ホウヤに同情してるわけでもない。ただ、気持ち悪い。どこにも行けない感情が、あたし自身にもわかんないところで行き詰ってる。
「お前さんは正しいと言ってもよかろうのう」
いつの間に立ち上がったものか、ソロモンじいさんが桜の木の下で背筋を正していた。いいのかよ、そんなこと言って。あたしだって、良いか悪いかなんて言えないんだぞ。
「悔しい気持ちを、己が手で晴らすことは古来より正当化されてきたことじゃ。時代がそれを許さんとしても、それが絶対的に正しいんじゃよ」
ゆっくりとした動作でホウヤに近づくじいさんは、言いながら両手を後ろで組んだ。
「じゃがの、それには沢山のオマケも付いてくる。同じ理由で同じ報復を受けても文句は言えんということじゃ。そこから連鎖が生まれ、果てることの無い殺戮の歴史が始まるんじゃよ。じゃから罪には他人の意思を介入させ、その連鎖を断ち切る。苦肉の策じゃが、最善の措置とも言える。それが理解出来んとは、わしにはどうにも思えんのじゃがのう」
手を伸ばせばホウヤの背中に届きそうなほどに近づいたところで、じいさんは止まった。
「してしまったことが、全てお前さんの意思なら仕方ないことじゃろうがの」
じいさん、何を言ってる? あたしには、どうもじいさんの言いたいことが理解しがたい。ってか、回りくどくない?
「くくくっ」
って押し殺したような笑いはどこから聞こえる? 途端に空気が変化した。いや、表現が正確じゃないな。ホウヤの身体を包む空気が、魔力の渦となって辺りに溢れ出た。
あたしは軽くよろめいて二、三歩下がっちまった。ソロモンじいさんは、微動だにしない。
「あはははは。さすがはソロモン王というところか」
ホウヤが高笑いをした。なんだ? まるっきり別人にでもなったみたいだ。
振り向いたホウヤに、いままでのような均整のとれた美少年の面影は無い。真紅に染まる両目は、血走ったようなものじゃなく、まるで真っ赤な宝石でも入れたようだ。そして、溢れ出る魔力の波動。あたしでさえ今までこんなの感じたこと無い。魔力は溜め込むもので、身体から放出するものじゃない。こんなことになるなんて、魔力そのものが暴走したとしか思えない。
「やはりのう。少年の判断にしては胆略的じゃと思ったわい。人間の精神など非常に脆いもんじゃ。人を殺そうなどと画策すれば、少なからず思い悩む。苦悩の果て、精神に異常をきたす者もおるくらいじゃ。その少年では、到底無理なことじゃったろう。お前さんが、たぶらかしたのであろうのう」
ホウヤの身体から放出される魔力で下草がなびいてる。後ろの水面も波打って波紋が広がってる。あたしでさえ眼を細めなきゃ視界を保てないほどだ。なのにソロモンじいさんは、両手を後ろ手にしたまま動かない。さすがと言うか、化け物と言おうか。
「ソロモン王。たとえそうだとしても、真実は変わらん。こいつがしたことに変わりはないんだがなぁ」
今やホウヤの姿だけで、中身は何者になったかわからん奴は、ソロモンじいさんを真紅の両目で見据えたままニヤリと笑って見せた。嫌な気分が湧く。笑った顔付きが人間だったろうホウヤの名残りがある。
「少年に力が無かったとすれば、そんなことを考えることすらなかったじゃろうの。弱い心に入り込んだお前さんが悪いとは言わん。しかし、少年の意志さえ曲げてしまうことは、少年の本当の良心さえ消してしまうことじゃ。それまで許しておくことはできん」
「くくくっ。偽善だな。こいつは望む。それを実行してやったまでだ。褒められても良かろうよ」
「少年が望んでもじゃ。それを実行したかどうかなどわからん。決断は、いつも責任を伴って下されるものじゃ。お前さんには、それが無い。言い回しで取り繕っても猿知恵じゃぞ」
そう言った途端に、倍異常の魔力が放出された。ばっか、怒らせたんじゃないのかよ。まるで強風の中にいるようで、あたしは片膝を付いて身を屈めた。だって、吹き飛んじゃいそうなんだもん。
でも、そんな中でも平然としてるソロモンじいさんって。きっと四大元素の力を使っているに決まってる。こんな時には、カッコイイよな。ズルイぜ。
「威嚇しても無駄じゃ。お前さん、何者じゃ?」
核心の質問に、ホウヤの姿をした奴は口元を僅かに吊り上げただけで、答えを発しようとはしなかった。でも、こんな芸当が出来る奴なんて、あたしの知ってる生き物の中にもいないぞ。人間界ってのは、化けモンの宝庫かよ。ソロモンじいさん、あんたが筆頭だけどな。
つづく