第七話
「そうするとホウヤが重要な何かを知っている、もしくは担っているってことか?」
あたしの眼は完全に覚めた。ソロモンじいさんの言葉に頷きかけるのを必死に堪えているような状況に、自分でも知らずに聞いていた。
「確実ではないのう。しかしながら、嬢ちゃん達を少年に会わせたくない理由があることは確かじゃろうのう。それが少年の意志なのか、それとも違う誰かの意思なのかは判断し難いのう」
呆けた頭を引き戻すには調度良い難問かもな。実際には、そこが重要な問題なんだ。
ホウヤに関わる第三者が居るということは、それだけでホウヤの無実に限りなく近い結論になる。反対にホウヤに他人の介入が無い場合、それは比較的考えたくない。
こりゃ、やっぱホウヤに会う以外に解決策は無いんじゃにかな? って言っても、また今回のような妨害が入れば、それも叶わないってことだけど。
でも、このまま時間を浪費しながら待つわけにもいかない。何かが迫ってるような気がしてならない。胸騒ぎって言ってしまえばそれまでだろうけど、そうじゃないって言う自分が、どこか遠くで指差している。ホウヤに何かが起きてる。早い段階で、それを突き止めなきゃ、きっと後悔する結果が待ってるような不安感がジワリジワリと胸を占めてきてる。
「じいさん。ホウヤを捕まえることって可能かな?」
捕まえる。言葉は乱暴かもしれないけど、今の状況じゃ仕方ないとも言える。蠱毒を使う術者が居るし、更に獣王道なんてのも使うとなれば、正攻法で行っても今回の二の舞にならないとは限らない。とするならば、どうしたってホウヤから来てもらうか、強硬手段に訴えるしかないでしょう。つまりは、捕まえるってことになる。
「どうじゃろうのう。先回りできるのらば、それも可能かも知れんが、相手の正体すら掴めん今の段階では、危険な賭けになることも有り得る」
「先回りできればってことは、先回りすることが出来るってことか?」
ったく、年寄りは廻りくどくっていけない。なんだかの手段を使えば出来るってことだろ?
「…占いじゃ。そこら辺の手相なんかと一緒にするでないぞ。ちゃんとした占いじゃ。ほぼ、外れることなど有り得んからのう」
わかってるっての。ソロモンじいさんの占いだ。ただの予想ではないってことだろ。
「じゃが、わしにも条件がある」
「なんだよ?」
ニカって笑ってみせたソロモンじいさんは、意外なほど気色悪かった。
「わしも連れて行くんじゃ」
ソロモンじいさんの申し出は、あたしからすれば願ったり叶ったりってとこじゃね?
だって、このじいさん。誰も手出しできない四大元素に守られている上に、あたしも知らない便利な道具も持ってる。自分から攻撃することが出来るかは怪しいものだけど、四大元素に守られてる限りは、ほぼ無敵に近い。だって、この世に生きる限り四大元素に頼らない人などありはしない。それは、世界が変わろうが、人種が変わろうが同じことだ。恩恵は等しく降り注ぐ。
それに伊達に千年の生き字引であるはずない。あたしですら見過ごしてまうことにも気付いてくれるはずだ。
でも、だからって全権を預けて安心はしてらんない。だって、慎一郎の二の舞にならないなんて誰が言える? ソロモンじいさんは、四大元素で守られているだろうけど、あたしは無防備に近い。魔力で固めることも不可能じゃないけど、ずっととなると精神的に辛い。ホウヤに会いに行くとなれば、どこで襲われても不思議じゃないし、何処までが安全圏なんてことも言えない。つまりは、全ての過程で臨戦態勢になるってこと。とてもじゃないけど無理でしょ。
慎一郎のことを放っておくわけにもいかないし、かといって付き添っていてもすることはない。
たまに「ああ〜」とか「うう〜」とかいうだけの奴なんか、なんかしてやるにしても黙らせるために頭をド付く位が関の山だ。
これじゃあ慎一郎の身が持たないってんで、ソロモンじいさんがあたしを連れ出した。
時間は昼には、まだ少し早い。かといってこのままじいさんの散歩に付き合うってのもゾッとしないはなしだし、どうしたもんかねぇ。
「どうしたんじゃ? こっちじゃぞ」
「……。」
こりゃぁ、断るって感じにもなんないか。ソロモンじいさんってば、こっちを振り返って律儀に待ってくれちゃってるんだもの。事務所の中ではシャンと腰伸ばしてたくせに、外に出た途端に腰曲げて弱々しい老人の真似だもの。これじゃおじいちゃんを放っておく孫娘って感じじゃん。道行く人の視線が痛いじゃん。
「ほれほれ」
手招くなっての。行きますよ。行きゃあいいんでしょ。
「んで? どこ行くの?」
「付いて来ればわかるの。今は、まだ定かじゃないんじゃ」
「なんじゃ、そりゃ?」
じいさんの気まぐれに付き合うのは初めてってわけじゃないけどね。散歩も目的が無いと、若いあたしには辛いなぁ。
トボトボなのかホトホトって感じかは見てる人の感想に任せるとして、あたしとソロモンじいさんは、当ても無く交差点を渡って駅の方角へと歩いていく。
「なぁ、じいさん。こっちに何かあるのか?」
何か核心めいた歩き方につい聞きたくなった。だって、じいさんここまで迷うような素振りは無かったもの。確実にこっちの方角に心を決めてる歩き方だよ。
「どうじゃろうのう。まだはっきりとせんのう」
なんだよ。まったく疲れるじいさんだよ。
歩道橋を登り、登ったら降りて、大きな道路を横切って、でかいデパートの横を通り過ぎる。ってことは、このまま駅に直行じゃねぇか。
「駅に行くのか?」
「んん〜、どうじゃろうのう」
ここまで来ても、まだ誤魔化すのか? わかってるよ。ホウヤに会いにいくんだろ。話の流れからしたってそうだもんな。ってことは、また一時間以上電車に揺られて行くわけだ。ああぁ、切符だったっけ。
「どこへ行くんじゃ? そっちじゃないのう」
は? だって電車に乗るならこっちだろうが。って、お〜い。無視して行くなよ。
まったく、どうなってんだよ。
「これのようじゃの」
そう言ってソロモンじいさんが見上げたのは、駅を通り越した隣の建物。バスターミナルに止まっているバスだった。
「おいおい。これでも行けなくはないだろうけど、乗換えが面倒じゃねぇの? だいたい信号待ちやら渋滞やらで時間の無駄になるっての。電車で行こうぜ」
「いかん。これでなくては、あの少年に会えん」
おいって声を掛ける前に、さっさと乗り込んじまった。仕方ないからあたしも後に続いた。
「お客さん。料金入れてください」
乗り込んで料金箱に小銭を入れたはずなのに運転手が声を掛けて来た。
「ちゃんと入れたろうがよ」
こんの野郎。ぼったくりか?
「いえ、あちらの御老人の分ですが」
ああぁ? じいさん、あたしに払わす気か?
文句のひとつも言ってやりたくて口を開きかけたんだけど、芝居がかった潤んだ眼でこっちを見るじいさんを周りの乗客が気の毒そうに見て、あたしに視線を向けてくる。その視線の痛いこと。
くっそ。覚えとけ。
投げつけるように払って、じいさんだと思って席を譲られて悠々と座ってるソロモンじいさん。むかっ腹ついでにその横に座ってた大学生風の男の襟首を引っつかんで立たせると、あたしが変わって座った。
「惨いことをするのう」
呟くように言ったソロモンじいさんだったけど、ここまできたら無視じゃ。乗客の痛い視線もこれ以上痛くはならんだろ。
乗客の思いなど関係なくバスは走り出す。軽い揺れが眠気を誘うけど、ここで居眠りって訳にもいかない。どうも、このじいさん。ホウヤに向かっているらしいけど、なんだか変な具合だ。
「なぁ、じいさん。これじゃ都心に向かうぜ。ホウヤが居るのは千葉だよ。逆方向だ」
ソロモンじいさんは、軽く目を閉じて気持ちよさそうにしてやがった。寝る気かよ!
「焦るでない。今は、正体のわからん者への牽制に近いのじゃ。闇雲に突っ込んで行っても、思い通りの結果に繋がらんこともある」
「それって、あたしが猪突猛進だって言いたいのか? 大体、ホウヤに会いに行くって言ったのは慎一郎の方だろ」
「猪突猛進とは、難しい言葉を覚えたもんじゃのう。人間界に慣れた証拠かのう」
ケラケラと笑うじいさん。嬉しくないっての。あたしは神聖魔界の人間だっての。人間界なんかに慣れたって、あんま意味ないんだっての。まぁ、今はいつ帰れるかも分からん身の上だから、少しはこの世界の常識くらいは覚えなきゃなんないのが鬱陶しいんだけどね。
「嬢ちゃんっだけでは、あの犬猫の猛襲に対処出来たか怪しいものじゃの」
「なに?」
「例えばじゃ、あの場で同じ行動をしたとすれば、傷を付けられ毒に倒れたのは嬢ちゃんの方じゃったろう。魔力すら奪われ、その場に昏倒してしまえば、如何に素早い対処をしたとしても助からんかったろうのう。あの若いのは、それを見越して盾になったとするならば、嬢ちゃんより遥かに思慮に長けているのう」
……。言われてみりゃ、そういうことになるか。確かにあたしには、あの後ろからの襲来に気付けなかった。目標があたしだったとすれば、猫の爪は確実にあたしの急所に近い部分を引っ掻いていたろう。首の血管にでも一太刀されていたらゾッとしない結果になってただろうね。
慎一郎がそれを庇ってくれたのは、少なくともあたしが毒を受けて動けなくなるより、自分が動けなくなる方が助かる可能性が高いと予測したこと。更なる攻撃にも逃亡にも魔力が使えるあたしの方が切り抜けられる。………本当にそうか?
「それには頷けねぇな」
「どうしてじゃ?」
「だってそうだろう。あたしが浮遊術を使ったことないことは慎一郎も知ってる。浮遊術自体もかなり難しいことも説明してある。あそこで使うってことは、かなりのリスクを含んだ賭けになる。助かるかも知れないが、その倍以上で二人ともとんでもないところに飛ばされることだってあったんだ」
あたしの反論にソロモンじいさんはククっと喉を鳴らした。笑ってやがる。可笑しいこと言ったか?
「嬢ちゃんは、一方しか見ないからそんな答えがでるんじゃ。よいか、あそこで嬢ちゃんの魔術で犬猫どもが引かなかったらどうなっていたかのう。更に魔術を使い跳ね除けなければならんかったろう。もっと言えば、未だ正体の分からん者が止めとばかりに現れていたらどうだろうのう。あの若いのは、そこまで考えていたとはおもわんかのう?」
「一瞬でそこまで考えられるかよ」
くっそ。捨て台詞みたいになっちまったじゃないかよ。確かに慎一郎なら、そこまで考えていたとしても不思議じゃないけど。けど、認めたくねぇ!
そんなくだらないことをダラダラとくっちゃべってるうちに、バスは都内の乱雑な建物群に囲まれていた。時折、信号待ちに引っかかる程度で、それほどの渋滞は無いらしくスムーズな走りだ。
新宿副都心が間近に迫った頃。
「この辺りじゃな」
じいさんは多くなってきた乗客を押しのけるようにして立ち上がった。この時も老人を装うのを忘れない。ヨロヨロと腰を浮かしたかと思ったら、眼の前にいた結構なプロポーションの女性にしがみつきやがった。おまけに胸とお尻にまで手を伸ばす丁寧さ。年は取っても男だってか? 喰えないねぇ。あたしも気を付けないとな。
あたしとソロモンじいさんが降り立ったのは、新宿副都心からさほど離れていない新宿御苑の脇あたりだった。
「こんなところにホウヤが居るってのか?」
横は新宿通り、もう少し行けば明治通りとぶつかって、その先は新宿駅だ。比較的この場所は人通りは少ないものの、すぐ先は繁華街だ。緑の多い御苑の中では、子供の遊ぶ声や犬の散歩をしてる人影も見える。
こんな場所に、ホウヤはまた子犬のように蹲っているんだろうか?
「ここでは無いのう。少し歩いた方が良かろう」
「なんじゃ、そりゃ?」
あたしの問い掛けなんか風の声にでも消されたのか、じいさんはまたも無視で歩き始める。じじぃで十分だな。
新宿通りを四谷方面に向かって歩き始めるじじぃの後を付いてくあたしって、他人から見たらどう見えるんだろう。やっぱ、いい歳のじいさんの散歩に付き合う孫ってところかな? でも、このじじぃの孫って、嬉しくない。
十分も歩くと四谷の駅が見えてきた。そこも通り越し、そのまま新宿通りを東に進んで行く。なんたら大使館だの教会だのが乱立する道を突き当りまで歩くと、千代田の名所、皇居に辿り着く。その手前、半蔵門を左に折れ、千鳥ヶ淵に出た。内堀通り、このまま行けば首都高速環状線のランプが見えてくるはずだけど、じじぃはイギリス大使館の手前で立ち止まった。あっ? 何でそんなに詳しいかって? 後で地図見て覚えたんだ。説明し辛いだろ。あたしの表現じゃ、たっかいビルに場違いな建物にきったねぇ水のある場所くらいになっちまう。
千鳥ヶ淵公園の中に、その人影はあった。道路の反対側。立ち木の脇にベンチがある。その脇に見た目も涼しい感じの美少年が立っている。線が細く華奢というよりか細い感じすらする身体。俯きがちな顔には、まだ大人に成り切らない幼さが匂うものの、精悍な顔立ちには、どこか男臭いものも含まれる。
見紛う事無き少年。ホウヤだ。
淡いグリーンのTシャツに膝丈のダボダボ半ズボン。だらりと下げた両腕に力は無く、青白い顔は、どこか病弱な感じがするが、こちらをじっと見つめる眼は、時折舞い降りる日差しのためか、潤んだように光っている。
やっぱ、いい男だよなぁ。ホウヤって。いや、いい男になるんだろうなぁ。
「ご対面じゃな」
じじぃは、言うが早いかスタスタと道を横切り始めた。ちょっと待てっての。大型のトラックだの黄色いバスだのビュンビュン走ってんだぜ。轢かれちまうっての。って心配も無用だった。何の魔術か、じじぃの歩く前後に車は通り過ぎ、無事に渡り切っちまった。クラクションのひとつも鳴らないところを見ると、運転手達には、じじぃそのものが見えてないのかもしれない。
渡り切って手招きしてやがる。ったく、しょうがねぇな。あたしに同じ芸当が出来るわけないじゃん。
ふって溜め息ひとつ。足に軽く魔力を溜める。後は、軽く飛ぶだけ。十メートルや二十メートルくらい簡単だ。ふわっとじじぃの横に着地して二って笑ってやった。じじぃは苦笑いだったけどね。
「さて、正体がわかるかのう」
あたしから目線を移動させながらじじぃは呟くような声だった。
ホウヤは、相変わらずあたし達に力無い視線を向けて佇んでいた。
つづく