第六話
四方に感じる気配は、戸惑うあたしと慎一郎を尻目に、その数を増やしているようだった。
なんだかわかんぇけど、かなりヤバ目な雰囲気じゃん。横手の草むら辺りで動く音。あれって、ちらっと背中が見えたけど、大型犬って奴じゃない?
「あれはハスキー犬みたいでしたね」
おいおい、冷静に分析してる場合なのか? なんか知んねぇけど、こいつらあたし達に敵意むき出しだぞ。下手に動いたら一斉に飛び掛ってくんじゃねぇの?
「あっちでピレネー犬みたいのがいますね。あ、あそこの縁にヒマラヤンの猫がいますよ。こっちのはアビシニアンですね。あれ、珍しいですね、シェパード犬ですよ。警察犬以外じゃ久しぶりに見ました」
犬猫の品評会してんじゃねぇっての。まったく状況を理解してないのか。のん気なんて言葉じゃたりないな。
ったく、どうしたらいい。今や囲む動物の気配は数十匹を越える勢いだ。三桁に達するのも遠くは無いだろう。動くに動けず、動かなきゃ数が増える。悪循環だな、こりゃ。
「逃げた方がよさそうですかね?」
また〜、そういうトボけたことを言う。けど、賛成かな。このままだと本当に身動きが取れなくなる可能性が高いし、何より黙ってこのままってことは無いだろう。いずれ何かしらのアクションを起こしてくるはずだ。その時に数がこれ以上だと、かなり厄介になる。
あたしは、黙って慎一郎に頷いて見せた。合図なんかいらない。慎一郎が動いた瞬間にあたしが行動を起こしたとしても、慎一郎よりは早く動ける。まぁ、魔力のお蔭だけどね。
慎一郎は、ちらっと横目であたしを見て、一気に前方へと駆け出した。それを合図にあたしは、両足に力を込めて前方へ飛ぶ。流れる視線に弾かれたような塊が四方から飛び出してきた。
大きくトンボを切ってひねりを加えて視界を下に向ければ、大型犬が五匹、猫が十匹ほど草むらと生垣から飛び出して来ていた。
着地の瞬間を狙われるのが怖いけど、そうも言ってられない。あたしは慎一郎の頭上を跳び越して後ろ向きに着地して廻りを警戒した。意外なことに襲ってこない。慎一郎があたしの傍らを駆け抜ける。こいつ、意外に俊足でやんの。と、思う間も無く犬猫の一丸が脱兎の如く迫る。
そのまま、後ろ向きで後方に飛んだ。猫も数匹後を追いかけるように飛びついてきたけど、悪いね、あたしの方が早い。虚しく二、三度爪が空を掻いて、ゴロゴロと地に落ちた。
けど、これじゃ完全な鬼ごっこだ。こっちは逃げるだけ、あっちは執拗に追いかけて来る。どう考えたって犬猫の体力に慎一郎が勝てるわけは無い。しょうがない。爪痕の二、三は覚悟で、殺さない程度に追い払うか。
そう思って後ろも確認せずに着地して、前方から来る速い犬達に向き直った瞬間
「マミさん!」
鋭い声と共に慎一郎が覆いかぶさって来た。
「ばっか! 邪魔だ」
慎一郎を振り払い、髪が逆立つほどに急激に魔力を高めて右手を薙ぎ払った。突風があたしの前方に迫った犬達を『キャイン』の声と共に吹き飛ばした。
ばっかめぇ〜。あたしを甘く見るからそういう目に遭うんだつうの。今の現象を見た為か、犬猫は前進を止めて、遠巻きにあたし達を見ていたが、あたしがもう一度片手を振り上げると一目散に四方へと飛び去って行った。
どうだ、力の差を思い知っただろ。
意気揚々と振り返って、慎一郎に小言のひとつも言ってやろうと思ったが、あたしは逆に青くなった。
慎一郎が片膝を付いて右肩あたりを押さえている。
「どうした!?」
急いで駆け寄るあたしに、慎一郎は額に汗を滲ませながらも笑って見せた。
「すいません。ヘマしちゃいました」
押さえている手を除けると、猫の引っかき傷のような跡が上着に残っていた。肩口の縫い目を破り地肌を確認すると、三本の爪痕が血の尾を引いて現れた。
しかし、猫の爪で傷つけられただけだろう。そんな重症じゃないぞ。でも、慎一郎の顔は青ざめ、額どころか全身が汗ばんでいる。一体、何だ?
「マズイぞ、嬢ちゃん!」
いきなりな声に、あたしは驚いた。ソロモンじいさんの声が、蹲る慎一郎の胸元あたりから聞こえたんだ。見れば、見慣れない水晶のペンダントが慎一郎の胸にぶら下がっている。
「毒じゃ。あの犬や猫共に毒が仕込まれていたんじゃ。このままでは、そう長くもたん。すぐに帰ってくるんじゃ!」
ソロモンじいさんの声は、どうやらその水晶から響いてくるようだ。付いて来れねぇと思って、こんな仕掛けをしてやがったか。まぁ、それは良いとして。
「こっからじゃ一時間以上は掛るぞ。ましてや慎一郎を抱えてじゃ、もっと掛る」
そう、問題は時間だ。毒は時間との勝負。ましてやこれほど短時間で慎一郎を動けなくしてしまう毒だ。帰り着くまでの時間まで猶予があるとは、到底思えない。
「この際じゃ、魔力を使うしかあるまいのう。どんな手段でも構わん。いち早く帰る魔力で、何とかするんじゃ」
うげ。勝手言ってくれるよ。いくらあたしの魔力でも慎一郎を抱えて走るなんて、そう永くは持たない。おまけに電車より早く走るなんて、一人なら可能かも知れないけど、二人となると無理だ。それ以外となると、やっぱ、それしか無いのか〜。
「躊躇してる暇は無いぞ! 一刻を争うんじゃ!」
「わ〜た、わ〜た。せっつくなよ。けど、保証できないかんな」
「仕方なかろうて。わしは、解毒の準備をして待っておる。しくじること無きよう祈っておる」
けっ、簡単に言ってくれるよ。でも、このままじゃ慎一郎の命が風前の灯火だ。やるしかねぇか。
「マミさん…すい…ません…」
「しゃべんな! 気が散る」
「……すいま……」
ありゃりゃ、気絶したか。こりゃ、うかうかしてらんないわ。くっそ。こんなとこで賭けをすることになるなんて、あたしもつくづくついてない。
ゆっくりと眼を閉じて、腹の底から熱を感じるくらいに魔力を高める。あたしの身体が青く光りだしていることだろう。でも、これじゃまだ足りない。更に集中して魔力を貯め込むと赤い色に光る。
多分、この辺りがこれからやろうとする魔力の限界点。これ以上だと制御に集中出来ない可能性があるし、これ以下だと途中で息切れする恐れがある。って、使ったことないんだから、どんな感じになるかなんてわかんないんだけどね。
気絶した慎一郎の襟首を掴んで、ぶら下げるように立ち上がる。抱えてもいいかなって、一瞬、思ったんだけど、失敗した時にいつでも投げ捨てられるようにしとかないと、あたしまで危ないからね。薄情とか言わないでよね。これだって最大限の擁護なんだから。失敗して二人とも危険になるより、あたしも慎一郎も少なからず助かる方法なんだからね。
ふっと短く息を吐いて、足元に意識を集中させる。と同時に目的の方向に意識を飛ばして、今居る場所と気持ちで結ぶ。後は、賭けに勝つか負けるかってだけ。あたしの意識の中の目的地が不鮮明なものなら失敗に繋がる。
ふわりと浮遊感が感じられた刹那、一気に身体が持ち上がる。こんなことで浮遊術を使いたくはなかったけどなぁ。ってか、そんなこと考えてる余裕なんて無いっての。一瞬でも意識が逸れたら何処に飛んでくかわかんないんだから。
後は、運を天に任せるしかないのかもね…。
十五分って速さで慎一郎は、自宅のベッドに横たわることが出来た。そう、賭けに勝ったってわけ。ソロモンじいさんも驚いてたよ。
「ここまでの速度が出せるとはのう」
だって。悪い気はしないやね。
けど、結構な大変さだった。途中で魔力が底尽きそうになるし、焦りで意識は逸れるわで泣きそうになった。まぁ、結果的に成功したから良いようなものの、これで失敗してたらどうなってんだろうな。きっと慎一郎を投げ出して、あたしだけが助かってるって結果だったろうけどね。
「少し深刻じゃが、命を落とすまではいかんじゃろ。時間が早かったのは幸いだったかのう」
幾つかの石を慎一郎の枕元において、薬草らしきものを煎じながらソロモンじいさんはニコニコしてやがる。命に別状がないなら、それほどの心配はないだろう。寝てるだけでいいなら大したことないしな。
煎じ終えた薬草を器に移して、ソロモンじいさん、慎一郎の首を持ち上げて飲ませにかかった。チラッと見えたが、ありゃぁ飲める代物なんだろうか? なんか紫色のようでドロっとした感じだったぞ。あたしに意識があったら断固拒否だな。
「うんげろ〜んがが……うげえげ……だだうぼぼ〜ごろげぇ!」
……聞きたくもなきゃ説明したくも無いが、最初の一口から絶叫で「……」の部分は飲まされているところで、喘いで吐き出しそうなところを口を掴まれて「……」更に飲み干すまで注がれて、最後はのた打ち回った慎一郎でした。あたしじゃなくて本当に良かった。
ひとしきりゴロゴロとのた打ち回ったところで、ソロモンじいさんがごっつい拳で慎一郎の頭を殴りつけたことで静かになった。…気絶したんじゃないだろうか。ホント、あたしじゃなくて良かったこと。
「しかし、変じゃのう」
慎一郎を論外な手段で寝かし付けた後で、ソロモンじいさんとあたしは事務所のソファに向かい合った。お茶でも出せばいいんだろうけど、魔力の使いすぎで疲れてるから、この際、省略でもしかたないでしょ。
「変てのは?」
心地いい倦怠感みたいなものが身体に落ちてきてる。こりゃ、話してる間に寝ちまうかもな。
「あの若者が受けたのは、間違いなく蠱毒じゃ。入り込んだ量が微量じゃったとはいえ、あの苦しみ様じゃ。どれほどの猛毒かは言わずともがなじゃのう」
んん〜。確かにあんな引っかき傷、それも瞬間的な傷から入る毒なんて知れたもんだろうな。けど慎一郎は、二分と経たずに立てなくなった。それほどに強力な毒ってのも信じ難い。
「じゃがのう、不可思議なのはそこではない」
ソロモンじいさんがあたしの顔を覗き込むようにしてきた。くっそ。いい気分で眠りかけてたのを見透かされたか。って、二人しか居ないんだから当然か。
「で? なにが蒸かし芋だって?」
「フカシギじゃ、粗忽者。良いか、蠱毒という術式は、毒を使うことは出来てもじゃ、動物を操るようなことは出来やせん。嬢ちゃん達を襲った犬猫は、確実に二人だけを狙ってきたじゃろ? あんなことは『獣王道』と呼ばれる術くらいじゃ。それを蠱毒と合わせたんじゃろうと思うんじゃが、それはかなり不可能じゃろうと思えるのう」
なんかソロモンじいさんの声が遠く感じるねぇ。あたし、寝惚けてんのかな?
「そりゃ、術を二つ覚えたんだろうよ」
「獣王道は、そう簡単なものではない。犬なら犬百匹を戦わせ生き残った者を喰らう。猫も同様じゃ。喰らった動物を使役できるようになるんじゃ。果たして幼い少年にそこまで出来るじゃろうか?」
ん? 今、なんかピンときたぞ。少年ってホウヤのことを言ったんだよな。
「じいさん! 前も言ったけど、ホウヤはそんな奴じゃないって。何かが間違ってんだよ」
ちくしょう。眼が覚めちまったっじゃないか。
「ん、嬢ちゃんの言うことも最もじゃ。ここに来て少年が使うものとしては負担も時間も膨大なほど費やすこの術を会得したとは考え難い」
「だろ。とするとだよ、ホウヤを隠れ蓑にして、他の何者かが事件を起こしてるって考えるべきじゃね?」
あったしってあったまいい! きっと、そうなんだよ。ホウヤに罪をなすりつけようとしてる奴がいるんだ。そいつをとっ捕まえて白状させりゃ解決やん。簡単やん。
「………。」
だけど、ソロモンじいさんは渋い顔を床に向けたまま答えなかった。なんだ? あたしが核心の推理をしたんで面白くないってか? 心が狭いぞ大王様。
「そう簡単かのう?」
そう言ったソロモンじいさんは、疑問な顔付きというより悲壮な感じがした。
「なんだ? まだホウヤに疑問があるってのか?」
「わからんが、その少年が何らかの形で関わっていることは間違いないじゃろう。嬢ちゃんを異世界の者じゃと看破したのもそのひとつじゃ。結果的に少年には会えんかったしのう」
そうだ。あたし達はホウヤに会うために出掛けたんだった。けど、こんな形で帰ってきちまった。
「会えんかったのではなく、会わさんように仕組まれたことならどうじゃ?」
会わさない。そのために襲わせた。殺すことまで算段していたかは分からないが、少なくとも傷を負わせることが出来れば蠱毒によって引き返すことを余儀なくされる。言い分は合ってる。なんだかちょっと不安になってきたぞ。
「でも、そこまでしてホウヤに会わせたくない事情って何だよ」
「わしにもわからんのう。ただ、時間が欲しかっただけかも知れんし、少年が大事な鍵を握っているとすれば、わしや嬢ちゃんに会わすわけにはいかんのかもしれん」
「わしやって、じいさん来てなかったろ。あっ、そういやぁ、あのペンダントってか石は何だ?」
そうだよ。このじいさんあの石で覗き見してたくさい。便利な道具ばっか使いやがって、油断も隙もあったもんじゃない。
「ああぁ、あれはのう白毫じゃ」
「びゃくごう?」
「仏様の額にある毛といわれておる。光を放ち全てを見渡す第三の眼ともいわれるのう。まぁ、わしがそう呼んでおるだけじゃがの。身に付けた者と同じ風景を見ることが出来るし聞くことも出来る。使い慣れれば相手に話しかけることもできるんじゃ。それだけじゃがのう」
なんちゅう便利なもんをもってるんじゃ、このじいさん。今度貸してもらおう。んで、慎一郎に付けさせて、あたしはここに居ながら好きなものを見て、買って来させる。んん〜、なんて素敵。
そんなあたしの心根を見透かしたのか、ソロモンじいさんったら、こっちをじっと見て
「愚かなことに使うものではないわ。不埒者!」
とのたまった。
つづく