第五話
千葉県柏市ってところは、あたしの住んでいるところ…厳密には慎一郎の住まいだけど…から電車で一時間以上もかかるところだった。
でも、高い建物は少なくなるものの、あんまし変わり映えしない街並みってのは、人間界の宿命なのかねぇ。まるでちっちゃい場所に押し込められた蟻みたいに、せせこましいところに押し合いへし合いして暮らしてるみたい。まったく息がつまるよ。
慎一郎は、電車の中で始終無言だった。まったく、男のくせにへそを曲げるなんて、ホント、了見の狭い奴。ってか、男なら、相手の意見も認めるくらいの器ってもんがあってもいいってことに気付かないってのは、致命傷だろ。一晩たっても口も利かないなんて、ちっちぇ〜っての。
駅に降り立って、あたし達は事件のあった中学校に向かった。
閑散とした校舎の入り口は格子の門で閉ざされ、誰一人として見かけることはなかった。ご近所に申し訳程度の聞き込みをしてみたけど、事件後の騒動に配慮して休校していること以外は聞けなかった。
まぁ、当然といえば当然の結果だけどね。眼の前で凄惨な毒殺事件。それも多数の命を奪うものだったなんて、あたしでも恐ろしくて家から出たくなくなるってもんでしょ。
途方に暮れるなんてことないんだなぁ。
慎一郎は、ちゃっかりホウヤの暮らす施設の場所まで調べていた。学校付近での聞き込みに収穫がなかった以上、、当然のように慎一郎は施設に向かった。
徒歩で三十分ほど歩いたろうか。小高い坂道の途中にそれは建てられていた。坂の傾斜に沿うかのような建て方は、土台を水平にするように立ち上げられ、三角の屋根を大きく地面すれすれまで広げて、中の雛を守る親鳥のように見えた。新しくはない。木造の壁は、年月の年輪を刻むのか黒く変色していて、元来の木の肌を確かめることさえ困難なほどだ。
「どうやら、ここでは歓迎される施設ではないようですね」
慎一郎が壁を一撫でして呟くように言った。あたしもそう思う。
小高い坂の頂上や上り口の平坦な場所には、密集するかのように民家が立ち並んでいる。施設の上下には、百メートル以上の空き地があるにも関わらず、一軒の家も無い雑草が鬱蒼としている。場所的に立地条件は最悪だろうが、そんな場所でも家を建てるのが人間界だ。慎一郎の事務所の近くにもそんな家はゴロゴロしてる。でも、ここでは、この施設を拒絶するかのように孤立している。
近くの住民が、この施設を快く思っていない証拠とも言えるし、明確な意思表示とも言える。
嫌な感じだね。差別意識っていうのかな? 自分は、この奴よりは高尚だなんて思う意識そのものが卑しいってことに気付いてないってのも人間の特性なのかな? 精神的に病んでいくのも頷けるな。
あたしの感慨も気にすることなく慎一郎は、施設の敷地にズカズカと踏み込んで、壊れそうな板作りのドアを叩いていた。
こんにゃろは、人間の特性をきっちり具現化してくれるよな。先刻の呟きに行動が伴ってないっちゅうの。
「ごめんください。すいません」
それでいて掛ける声音は柔らかで優しい雰囲気を醸し出しているんだから、こいつの化け方ってのも人間並み。ホントは人間なんじゃないかって思うよ。そのうち化けの皮ひん剥いてやるからな。
「取材ならお断りだ。ここに居る子供達は被害者やぞ。興味本位できてほしくないもんだな」
奥からドスの効いた声がやってきた。
どんな奴かと覗き込んでみれば、これまた声に似つかわしい、でっぷりとした体格の中年男が出て来た。
「すみません。マスコミではありません。ホウヤ君を訪ねて来ました。ここでお世話になっていると訊きまして」
慎一郎は、至って優しい姿勢を崩さない。いきなりな乱暴口調にあたしでさえちょっとカチンときてたんだけど、慎一郎は素振りさえ見せない。表情もちょっと情けないような感じで、弱々しさを醸し出してる。役者だねぇ。
でも、ちょっと引っかかる。このおっさん。どう見ても孤児院的施設を率先して開くような好人物には見えない。清水さんのような、人類全てに愛情を注いでいるような人ならわかるけど、その世界とは真逆な感じが全身から滲み出してる。近所の冷たい空気も、この男が起因していないとは言えないんじゃないか?
「ホウヤ? ああぁ、いるな。……誰から訊いた?」
後ろを一瞬みるように首を傾けておっさんは聞いてきた。短い髪が体躯に相まって熊のように見える。これで両手を掲げて『グオ〜』なんて言ったらそのものだろうなぁ。
「いって!」
つい想像して笑いが込み上げてきたあたしの右足を慎一郎が踏みつけていた。
「ああぁ?」
あたしの方を見ておっさんが凄んで見せる。そりゃそうだろうな。唐突に声を挙げりゃ、誰だってそうなる。
一応、あたしは『えへへ』って笑って見せたんだけど、おっさんには効き目はなかったみたい。おっそろしい目付きであたしを睨みつけてきた。
「清水さんから訊いてきました。兄妹でここに引き取られたはずだと」
「なに? 清水さんだと?」
おっさんは、清水さんの名前を聞いて一瞬怪訝な表情を見せた。と思ったが、一気に破顔したように笑みを浮かべると
「清水さんは、元気か? 今でも綺麗なんだろうなぁ。いやぁ、若い頃なんてな、すんげぇ美人だったんだ。惚れない男なんてなかったんだぞ。たおやかで繊細で優美で。あ〜いうのを絶世の美女ってんだ」
と捲くし立てた。乗り出してきやがったにで、一瞬慎一郎がのけぞったもんな。
「い、いえ、清水さんのことではなく…」
「ああぁ〜、てめぇ、清水さんが美人じゃねぇって言ってんのか?」
あぁ、頭痛ぇ。こいつもあのくそ坊主と一緒で清水さんのファンだってのか? まったく罪な人もいたもんだ。
「おっさん、そうでなくて。ホウヤだよ。ホ・ウ・ヤ」
妙な世界に引き込まれないうちに、早々に話を戻さないとおっさんの清水さん自慢が始まって洗脳されちまう。
「あ? ホウヤ? ああぁ、そう言ってたっけな。お〜い、ホウヤ」
ったく、忘れてんのかよ。おっさん、やっと思い出したように振り返って大声でホウヤの名を呼んだ。このおっさんの底も知れるな。粗暴で短絡的。おまけに忘れっぽいんじゃ、世話されてる子供も大変だ。
が、しばし待ってみたもののホウヤの姿は現れなかった。
変わりに
「ホウヤなら先刻、出てったぜ」
ってな粗野な返事が返ってきた。
「なにおう? どこへ行きやがった?」
おっさんが怒鳴るように聞き返した。こんな調子じゃ、子供達もビクビクしてんだろうなって思ったんだが、意外と子供達もたくましいらしい。
「しらねぇなぁ。また、公園にでもいってんじゃね?」
って返事が返ってきた。
今度はどんな怒鳴り声を聞かせてくれるのかと期待したが、おっさんの反応は真逆なものだった。神妙な面持ちで下を向いてしまったのだった。
「…また、あそこか…」
「公園と言われますと、近くにある公園ですか?」
長居は無用と慎一郎が水を向けたが、おっさんの耳には届かなかったのか、俯いたままだった。
「あの…」
「この坂を登ったところに、小さな児童公園がある。そこだろう」
そうですかって言って踵を返そうとする慎一郎をあたしは押し止めた。このおっさんの態度が気になった。聞かなきゃならない気がする。
真っ直ぐに見るあたしの視線に気付いたのか、おっさんはあたしを見据えて頷いて見せた。
「あの子等兄妹が来た頃、よく行っていた公園だ。あの娘には、本当に可哀想なことをした。いじめられているんじゃないかとは薄々気付いてはいたんだが、如何せん証拠がない。身体に痣のひとつでもあれば怒鳴り込んでやったんだが、今のいじめは功名でな。外からでは見えん。あの日も帰って来るまでは見届けたんだが、その日に限って上の馬鹿共が街で喧嘩して相手に怪我させちまった。警察まで来ちまって、引き取りに行かなきゃならなくなった。ホウヤも帰りが遅くてな。仕方なく下の子等に任せて家を空けちまった。帰って来た頃にゃ大騒ぎよ。パトカーは来る。警察は来る。周りは人垣が出来るで、にっちもさっちもいかねぇ。やっと警官一人捕まえて聞いたら、茜が死んだって言うじゃねぇか。俺は自分を呪ったね」
深い溜め息が言葉の後を追った。こんな口の悪いおっさんでも、人並み以上の愛情は持っていたのかもしれない。
「…茜さんは自殺と聞き及んでますが」
慎一郎が重い空気の中、おずおずと聞いた。けっっていう声がしたのは、おっさんの口からだったろうか。それとも、奥の返事をしていた子供だったろうか。
「…この坂の上に公園があってな。その奥まったところに貯水池がある。出来た当時は整備された溜め池だったんだが、何時の頃からか誰も手入れしなくなっちまってな。今じゃ、水草の絶えねぇどぶ池みたいになっちまった。……そこに身を投げたんだよ」
「それだけで自殺だっていうんですか? 誰かに突き落とされた可能性だって…」
『あるじゃないですか』っていいたかったんだろうな、慎一郎は。でも、強い口調のおっさんに遮られちまった。
「見てた奴がいるんだよ! 地元の者でもあぶなっかしくて滅多に近付かねぇ場所だ。街の世話役ってのが坂の下に住んででな。朝と夕方に公園を見回ってくれてたんだが、茜の自殺の場面に出喰わした。変な様子だったんで声を掛けようと近付いたら、奴さん、自分の頭位の石を抱え込んで飛び込んじまった。それだけじゃねぇ。遠くから見てた奴も数人いた。犬の散歩してた近くの奥さんやらジョギングしてた大学生、部活帰りの学生二人。必死に助けようとしてくれたらしいが、藻と水草で水面も水中も一杯だ。下手に入り込めば自分まで命を落としちまう」
怒鳴るような声は一瞬で、次第に小さく重くなる口調にあたしも慎一郎も苦しくなってきていた。おっさんの痛烈な感情が伝わってきている。
聞いているのが苦しい。
「消防と警察が手分けして藻と水草を取り除いて、ダイバーが潜って茜を見つけた頃には二時間以上もたっちまってた。藻に体中縛られてるようだったそうだ。そんな中でもあいつは…あいつは…抱えた石を放さず抱えてたんだってよ…」
最後の方は嗚咽にまみれて聞き取ることさえ困難になっちまってた。
あたしは、慎一郎の袖を引っ張って外に出た。頭の中で同じフレーズばかりが繰り返される。
『なんだってんだよ、ちくしょう。なんだってんだよ、ちくしょう…』
「なんだってんだよ! ちっっくしょう!!」
我慢なんかできるか。ちっくしょう。
「マミさん。気持ちはわかりますけど、大声で怒鳴るのはやめてください。恥ずかしいです」
けっ、こんな時にも冷静沈着でございますか?
「どうなってんだよ、この人間界ってのはよ! 生き死にを左右すんのは自分じゃねぇ。その時その時に出喰わす運命みたいなもんで、決して自分から命を捨てちゃ駄目なんだ。奪われるのなら仕方ない。強い者に弱い者が負けることは摂理だかんな。でも、決して生きることを諦めちゃいけないんだ!」
あたしはいつも間にか力説してた。つでに慎一郎の胸倉まで掴んでた。いい迷惑だろうけど、今のあたしの憤りの向かう方向はお前しか居ないんだから仕方ないと思え。
「マミさん…苦しいですって…」
あたしの手を何とか振り切って慎一郎は、大きく息を吐いた。けっ、情けねぇな。
「マミさんの言わんとすることはわかるますよ。でも、この世界じゃ子供達は特にですけど、現状の辛い環境から逃げられないような仕組みになってるんですよ。学校があり家庭があって、大人っていう形だけの庇護に囲われて、その場所から逃げられないようにされてるんです。苦しい立場の人間は、いつまで経ってもその場に取り残されることを強要されるんです」
「じゃぁ、なにか? 死ぬより辛い拷問のような毎日でも、それを甘んじて受けなくちゃならないってのか? 世界は広いんだぜ。逃げ出す場所なんて、いくらでもあるんだぜ。自分にとって自分に合わない場所なら、合う場所を探さなきゃならないんだ。何年かかろうと探すのが人生の半分の目的だろうが」
あたしの問い掛けに慎一郎は真摯な視線を向けて何も言わなかった。わかってるよ。世界が変われば、それだけ常識も変わる。あたしの世界で当たり前のことでも、この世界じゃ罪なことでもあるんだよな。
あたしの世界。神聖魔界では、たとえ親子といえども合わない関係なら、ヨチヨチ歩きの子供でさえ家を出る。大人たちは、それを良くわかっているから自分と合う子供なら自分の子として迎え入れるなんてことは日常茶飯事だ。だから、血の繋がらない親子なんて珍しくも無い。それを乗り切って、魔学会や学校に通い始めるんだけど、いじめみたいなものは確かにある。強い奴は力を誇示したいから弱い奴を標的にすることなんて当たり前だ。でも、そこが自分に居心地の悪い場所なら、その子は次の日からは現れない。別に学校や魔学会に通わなくても、魔法や勉強なんか誰だって教えてくれる。本もあれば周りの大人たちだって聞けば教えてくれる。そんな奴なんていっぱい居る。恥ずかしくもなければ当然の権利としても認識されてる。教えるってことが大事なんじゃなくて、自分の居る場所が大事なんだよ。
「ああぁ、くっだらねぇ」
あたしの呻きに慎一郎が不思議そうな顔をしたけど、説明すんのもめんどくせぇ。無視じゃ。
今は、とにかくホウヤと会うなが先決だ。
あたし達は、ホウヤが居るっていう公園を目指すべく坂道を登りだした。
低い唸り声に気付いたのは、坂道をもう少しで登り切るってところだったろうか。足を止めたのは、慎一郎の方が早かった。閑散とした坂道に、確かに複数の唸りが聞こえる。草の生い茂る中で聞こえるのは犬の唸りだろうか。腰くらいの生垣の陰では猫の唸り声がする。廻りを注意深く探れば、あちらこちらで低い声が木霊していた。
「どうやら囲まれてしまってるみたいですね」
慎一郎の言葉通り、あたし達は敵意剥き出しの小動物達に取り囲まれているようだった。
つづく