第四話
「なるほど。あの日ですか。まぁ、偶然の産物ですが、重要人物と接触していたことになりますね」
一通り説明が終わった後、慎一郎はひとりごちた。
「千葉から来たってことは、鹿島 鵬矢その人なんでしょうが、マミさんの感じでは、それほどの悪意のある人物ではなかったんでしょう?」
回転椅子に座ってクルクルと回りながら考え込む男。まったく、お前は、子供か。
「悪意っていうより、捨て犬みたいだったな。何かに怯えてるような、ぎこちない落ち込み方でさぁ」
あたしも、もう一台ある回転椅子に座って、慎一郎の真似して回ってみる。こっちの方が新しいんだけど、何故かギシギシって音がするんで、あんまり座んないんだけど、こうして回ってみると意外に楽しかったりして。子供だなぁ。
「あっ、そういやぁ、ホウヤの妹が死んでるってどういうことだ? 清水さんの話じゃ、元気にしてるってことだったぞ?」
あたしの質問に慎一郎は、回転していたのを止めて向き直った。結構、悲痛な顔は、嫌な感じだ。
「ホウヤ君の妹さんは、茜。アカネさんっていいます。一年前の事件当時は、小学五年生、十一歳だったみたいです。亡くなった理由は、自殺だったようですね」
「自殺?」
自らが自らの命を絶つ。人間特有で人間らしいといえる死に方。
異世界じゃ、そんなことは有り得ない。生まれたことすら奇跡なのに、その命を自分から放棄するなんてこと、考えることすらないはずだ。そりゃ、落ち込むこともあるし、死んだ方が楽だなんてことも考える。けど、生きてるってことが既に奇跡なんだから、これからの人生でも違った軌跡は幾らでもあるだろうよ。苦しいのも一時、明日になれば奇跡も起きるってのが異世界人の常套なのさ。
つまり、自分で自分を殺すなんてタブー以前の常識外ってこと。
だから、人間界に来た時には驚いたねぇ。一日に何人自殺すんのさ。
「自殺したのは、一ヶ月ほど前のようです。原因はイジメだったようですね。孤児の子には、多かれ少なかれあるようですが、それを苦にしたようです」
「清水さんは、それをまだ知らないってわけか…」
聖母のような清水さんがこのことを知ったら、悲しみは大きいだろう。
悲しみに暮れる清水さんの顔が思い浮かんで、あたしは切なくなった。
「悲しみと苦悩は人間の性じゃ」
しわがれたような声が背中でそう言った。驚いて回転椅子が跳ねたが、辛うじて落ちることはなかったけど、机にしがみついてる姿は不恰好だろうな。
「…じいさん。突然すぎるっての。人間なんだから、もうちっと、人間らしく現れてくんねぇ?」
体制を整えるつもりが、そのまま滑って上半身が床に落ちた。くっそ、踏んだり蹴ったりだぜ。じいさんの仕業か?
「悪態をつくからじゃ。しかしな、魔力を捨てた人間達は、苦悩に直面すると自らの力を過小評価するようになった。奇跡も信じられん。周りからも孤立する。次第に自分の手で出口を塞いでしまい、結果、安易な答えに辿り着くのじゃ。これを性と言わずして何と言う」
じいさんは伏目がちに視線を落としたけど、そんなことってありか?
肝心な苦悩って問題をおっぽり投げて、結局はお終いってことだろ? 解決にもなってないし、答えですらない。
「魔力を捨てた原因は、あんただろ。今からでも何とかなんねぇの?」
「今更、魔力を取り戻したところで、時代は巻き戻せん。強い力を手に入れた人間の考えることなど、日を見るより明らかじゃ。馬鹿の考え休むに似たりじゃ」
ケケケっと笑うじいさんは、性悪なヒヒジジィみたいだ。まぁ、その通りだとあたしも思うけどね。
「それで、どうされました? 何か用事があったのでしょう」
あたしとじいさんの会話が不毛だと悟ったのか、慎一郎が話しの向きを変えてきた。この野郎、こういう話には、一切口出ししてこない。お前が一番、怪しくて厭らしい。思想や理想ってもんを語ることがない奴ってのは、大概、腹に一物持ってやがるもんだ。
「捜査の進展状況を聞きに来た」
けっ。じいさんも知っててこんな口調なんだから、どちらもいい勝負ってなもんか。
「現状では、決定的なものは何ひとつありませんね。過去の事件から、同様の手口であることは確かですし、その時と同じ人物が関係してることも判明しましたけど、それらが繋がるのかも定かではありません」
事務的な口調で、何にもわかりませんをそれらしく難しそうに話す慎一郎。馬鹿じゃない? まだ、何にもわかりませんでいいっての。
「そうかの。わしの方は、少し判ったことがあるぞい」
にんまりと笑うじいさんの優越感たっぷりの顔。醜いってのってか、気持ち悪いわ。
「おじいさんも調べていたんですか? 人が悪いですね」
人が悪いか…そんなんじゃないな。…けど、怖いんで口に出さん。それ以前に、想像したくない。
「どうやら、毒殺には魔力に近い能力を使ったようじゃ」
おいおい、慎一郎。何であたしを見るんだ? 冗談じゃないぞ。あたしなわけないだろ。
「なに見てんだ、こら」
「…いえ、別に…」
この馬鹿だきゃ〜、身体で教え込まなきゃ〜理解しねぇのか? 不信な目付きになってんじゃねぇよ。
「ははは。魔力違いじゃ。お嬢さんなわけがない」
たりめぇだ、ボケ! あっ、なんだその細い眼は?
「マミさんは、この人間界で唯一、魔力を行使できる存在なんですよね?」
ばっかっじゃねぇ〜の!
「あたしが、なんで子供等を毒殺する必要があんだよ!」
「ええ〜? 面白がってやりそうですよ」
「こんの、ばっか…」
あたしの怒りの右フックが炸裂する前に、大笑いな声が場を崩した。
振り向いてみりゃ、じいさんが腹を抱えて笑ってやがる。くっそ。漫才じゃないっての。
「お嬢ちゃんも成長さんの。からかわれておるんじゃ」
わかっていても腹立たしいんだよ。って負けず嫌いなあたしは言う。けど、慎一郎の悪ふざけは、何処までが本気か分からない。始末が悪いんだ。
「冗談は、さて置き」
慎一郎がじいさんへと向き直った。冗談なのか? お前、右フック喰らう寸前だったんだぞ。
「そうじゃったな。実は、毒の成分を調べていたらの、蠱毒だと分かったんじゃ」
「コドク?」
慎一郎が、眉を寄せて不思議顔をした。そのまま、あたしの方へ視線を投げる。
いやいや、あたしにもわかりません。初めて聞いた。
あたしは首を左右に振って、肩をすくめて見せた。
「蠱毒。コドク、コクドクとも言うの。扱いは非常に難しく、使う人間にも害を与えることも珍しくないようじゃ。古くは中国南部に記述が残っておる。二千年ほど昔じゃな。インドにも似たようなものがあるそうじゃから、交流があったのかも知れん。方法は簡単でな。あらゆる毒の生き物を一つの入れ物の中に収め地中に埋める。三十三日後に開封し、その中で一匹だけ生き残っておれば成功じゃ。そのものを取り込むことで、あらゆる毒物を自在に扱えるようになる。空気に溶かし流すことも出来れば、遠くの水を毒水に変えることも可能じゃという。その毒は、複雑に混合することで解毒は不可能。熟練すれば、数千人を一度に毒殺できるとも言われるのう」
…はっきり言って、何とも言えませんなぁ。危険極まりないじゃないの。
「それが本当だとするならば、あまり好ましい事態とは言えませんね。危機的状況とも言えます」
真面目な表情で慎一郎が言った。
その通りだろう。今の話であるなら、人間達が最終兵器と謳う醜悪な物と変わりないってことになる。誰もが身を守る術無く命の危険があるなんて、そんなことが許されるわけは無い。
「じゃが、これには弱点もあってのう。そう永くは使えんということじゃ。抱え込んだ蠱毒は、自身をも蝕んでいく。永く使えば、己の毒に犯され、死者となるのは避けられん」
なるほど。表裏一体というわけだ。強い力を得るには、それ相応の代償をも要求されるわけだ。
「魔力とは違うわけですか?」
慎一郎が至極まともなことを質問した。
「そうじゃな。魔力は、自身の力に起因することが原則じゃ。つまり、自身が堪えられぬような力を使えば自身が傷つく。だから使えないという大原則がある。お嬢さんなどが、前回痛感したことよの。使った後に動けなくなるでは、使えるとは到底言えん。じゃが、術式という形は、力を他に依存して使うことが出来る。根本が違うのじゃ。自分の力を使うことなく、他に力を求め、魔力ではなく魔術という形で使う」
魔力と魔術。確かに違う。っていうか、あたしも良く理解しているわけじゃないんだな。
あたし達のような魔力が当たり前な人種って、魔術に頼るなんてことが滅多に無い。だって、そうでしょ? 魔力っていうもんがあって、その使い方も自在なのに、わざわざ魔術なんて面倒なことなんてしないよ。
「魔術と魔力って、どう違うんですか?」
あっ、この野郎。お前だって人間界の住人じゃないくせに。知ってて言ってんだろ。
「…お嬢さんにきいてみようかの」
あっ、じじぃ。含み笑いしながらこっちにむけんじゃねぇっての。けど、知らないって思われるのも癪だな。
「いいですよう。説明してあげようじゃないの。いいか、魔力ってのは、大概がその人の中で創られる力によって使えるようになるんだ。大概ってのは、力の弱い奴なんかが、持ち物なんかに力を蓄えて使ったりすることがあるからだけど、基本は自分の力。魔術ってのは、えっと、まず術式ってのを学んで、その術に使う道具用意したり呪文を唱えたりって面倒くさい。だから、あたし達みたいな力を持ってる奴は滅多に使わないし、現実、あたしは魔術を使ったことないし、知らないってのが本当のところ」
確かこんな具合だったよな。うん。
「少し補足しとこうかの。元来、人という形態をとるものは、魔力の恩恵を受けておる。この世界の人間は、わしの稚拙な考えから魔力の使い方を捨ててしまった。しかし、本来は魔力を持っておる。使えないが持っておる。持っておっても使えないのでは話にならんが、それ故か、この世界では魔術が盛んに使われるようになった。わしの約定では魔力を使うことに誓約はあっても、魔術にはないわけじゃ。その魔術も正当に使うのであれば問題ない。じゃが、歪んでしまったこの世界では、呪術になり果て邪法というものに傾倒してしまっておる。このような魔術は、どの世界にもありはしない。この人間界だけの悪しき術じゃ」
そう。正に問題は、そこにある。人間界の七不思議っていうか、不思議がいっぱいのひとつでもある。
魔術ってのは、魔力の弱い人が、それを補うために使うことが一般的だ。他人をどうしようとか、命を奪うようなことには使われることなど滅多にない。滅多にってのは、先日の“堕龍”のような事件の時、否応無しに力の差が歴然とする。そんな場合には、強力な魔術も使わなくちゃならないってこと。
それも、あたしのような不勉強では、話にもなんないけどね。
「その魔術ってのは、誰でも簡単に覚えられますか? そうですね。中学生くらいの子供でも」
あたしは、ちょっと驚いた。慎一郎は、ホウヤを既に疑っているのだ。今の質問が証拠といえる。
「おまえなぁ…」
あたしが文句のひとつも口にしようとしたのを、じいさんが片手を上げて制した。
「そうだのう。蠱毒という魔術は、かなりの手順が必要じゃ。そもそも毒のある生き物を集めることも大変な作業じゃろうし危険性も伴う。最大の難関は、生き残った者を取り込むことじゃ。自分にその許容範囲があれば良いが、無ければ命を落とす結果になる。蠱毒という魔術は、過程より結果が問題なんじゃ。大人になれば命は惜しいものじゃからのう。子供のような命知らずの方が向いているといえるかもしれん」
おいおい。黙って聞いてりゃ完全にホウヤに決めてるような言い方するじゃん。大人しくしてらんないじゃない。
「あのなぁ。いい加減にしろよ。ホウヤは、捨て犬みたいな奴だったって言ったろ。そりゃ、ちょっと変わった感じはあったけど、子供の鋭い五感がありゃ、そんな感じもあるってもんだろ。大体、そんな危険な力持ってりゃ、あたしだって気付くだろ。断言したっていい。ホウヤにそんな気配は無かった」
ホウヤは、腹ペコな捨て犬だった。間違いない。
ふうって溜め息は何処でした? あたしの耳がイカれてなけりゃ、同時に二つしたように聞こえたんですけど? なんだよ、慎一郎はともかくとして、じいさんまでもがあたしに溜め息吐くってか?
「とにかくです。ここでその少年のことを話していても埒が開きません。どうせならもう一度会って確かめるのが最適でしょう。明日、もう一度、マミさんもしっかりと見極めて下さい。ただ、おじいさんは、無用な警戒を避けるためにも遠慮してください」
くっそったれめ。いいだろうよ。ちゃんと会って証明してやろうじゃないの。ホウヤは、捨て犬みたいな弱々しいやつだってな。それに、あんな心配してた清水さんのことも教えておいてやりたいしな。
あたしは、あの整った顔付きの中に幼さを残す寂しそうな笑顔を思い浮かべて、少しだけ胸が痛んだ。
つづく